第70話 今なら素直に楽しめる
気がつけば、あっという間に文化祭当日がやってきた。いつもより一時間ほど早くに登校した俺たちは、まず教室をリフォーム。の、はずだったのだが。
「ばっちり! 四人ともばっちり似合ってるよ!」
執事服に着替えた俺、朝陽、坂上、柳の四人の前で大はしゃぎする柏木。その顔には「これでがっぽり儲けられるよ!」と書いてある。欲望が丸出しだ。
てかこの執事服、どこから仕入れてきたの? 聞いても答えてくれないし。なんか怖いんですけど。汚したりしないようにしなきゃ。
「なんか、落ち着かないな」
「そもそもこんな服、学生が着るもんでもねぇだろ」
どうしてもソワソワしてしまう俺と坂上は、意味もないのに襟や裾を確認したり、周りの目が気になってキョロキョロしてしまっている。周囲のクラスメイトたちは教室の飾り付けに忙しくて、誰もこっちを見ていないが。
いや、正確には。俺や坂上などまるで眼中にないかの如く、他二人に視線が吸い寄せられていたのだ。
「へー、結構動きやすいもんなんだな」
「真っ先にそこを気にするあたり、さすが朝陽って感じだよね。まあでも、執事って常に動き回ってるイメージだし、そんなもんなんじゃないかな」
何故か屈伸したり膝を上げたりとストレッチしている朝陽に、そんな友人を見て苦笑している柳。
この二人、執事服がべらぼうに似合っていた。元から爽やかイケメンな朝陽は言わずもがな、柳は童顔のくせして妙にギャップがあるからセコい。クラス中の女子どころか、男子の視線すら欲しいままにしている。
一方で俺たち。坂上はイケメンではあるのだけど、目つきの悪さから怖いとか厳ついとか、そんなイメージが先に来てしまうのだ。俺なんか顔以前に滲み出るオーラがダメ。なにがダメってもうマジでダメ。
おまけにソワソワしちゃってるから、なんか子供が背伸びしてスーツ着たみたいになってる。
なんて考えてるうちに、手の空いたクラスメイトたちが二人に話しかけに行く。
「いいよなぁイケメンは。ちょっと珍しい服着ただけであんなにチヤホヤされるんだからよ」
「おまけに似合ってんだから尚更ムカつく」
負のオーラ全開で妬み嫉みを言い募る俺たちはまるで地獄兄弟。パーフェクトもハーモニーもないんだよ。ただしネイティブにはなりたくないから俺が兄貴な。
そんな俺たちに柏木は笑顔で声をかけてくる。
「二人もよく似合ってるよー。もっと自信持って!」
「お前に言われても嬉しくねぇよ」
「せっかく褒めて上げてるんだから、素直に喜んでもいいじゃん」
「生憎、お前の言葉はそのまま受け取らないようにしてるんだよ。過去の教訓だ」
「はーほんと、相変わらず可愛くない部下だなぁ」
「元をつけろ、元を!」
「仲良いなお前ら……」
「まぁねー」
「良くねぇよ!」
うん、仲良いですね……でもその辺にしといた方がいいぞ柏木。さっきから小鳥遊梨花子がお前のことめっちゃ睨んでるから。どうせ気づいててわざとやってるんだろうけど。
柏木の相手をして疲れたのか、坂上は舌打ちしてからこの場を離れ、飾り付けをしてる小鳥遊たち同じグループのやつらのところへ向かった。
「お前、坂上に嫌われすぎじゃね?」
「昔ちょっと遊びすぎたからねー」
弄びすぎた、の間違いじゃなくて?
「それより、大神くん。ほんとに似合ってるよ、その格好」
「お世辞でも嬉しいもんだな」
「お世辞じゃないよ」
「そりゃどうも」
どこまで本気で言っているのかは分からないが、それでもまあ、褒められて嫌な気はしない。若干照れてしまうのはご愛嬌というやつだ。
「夜露が見たらなんて言うだろうねー」
「なんて言われるかは知らんけど、テンパるのは目に浮かぶな」
「たしかに。それで真っ赤になった夜露が爆弾発言して、大神くんも一緒に茹で上がるってパターンだ」
「目に浮かぶな……」
恐らくはほぼ確実に待ち受けているであろう未来を思えば、今から頭が痛くなる。二人きりなら問題ないのだけど、教室での公開羞恥プレイなんて真っ平御免だ。前にそれで痛い目見てるし。
「まっ、それも一興ってやつだよね!」
「勘弁してくれ」
「ふふっ。でもさ、大神くん。今年の文化祭は楽しくなりそうでしょ?」
笑みを形作った柏木が、俺の顔を覗き込んでくる。その瞳に宿っているのは、確信。俺がなんと答えるのかを分かっていて、けれど、だからこそ彼女は問うてきたのだ。その言葉を俺の口から直接聞くために。
全く、相変わらずいい性格してやがる。だったらご期待に添えて答えるよ。ただし予想は裏切らせてもらうが。
「ああ。お陰様で、楽しくなりそうだ。ありがとな」
「……」
「なんだよ」
あんぐり口を開けた柏木を見てると、遅れて羞恥心のような何かがやって来る。らしくもなく素直な言葉を口にしてみたはいいものの、まさかここまで驚かれるとは。
「わたしの知ってる大神くんじゃない……」
「おい。どういうことだそれ」
「去年よりはマシだとか、そんな感じのこと言うと思ってたのに」
「文化祭でテンション上がってんだよ」
咄嗟に口にした割にはしかし、なかなかどうして的を射ている言葉だった。
なるほど、俺はテンションが上がってるのか。今年は楽しくなりそうだという自覚はもちろんあった。それはきっと、色んなものが絡み合ってそう感じているのだろうけれど。
テンションが上がる、気分が高揚するなんて、そんなあからさまに楽しそうにしていたのか。
かつての、四月までの俺ならきっと、そんなことはなかったんだろう。クラスメイトのノリについていけず、ついていこうともせず。教室の端っこで、適当な雑用をこなすだけに終わっていたはずだ。
そしてまた、特に思い出にも残らない日常の一つとして過ぎ去っていたのだろう。
そうならなかったのは、今こうして話し、俺のことを友人だと言ってくれる柏木のおかげだったり、幼い頃からずっと一緒にいてくれている朝陽や広瀬のおかげだったり、なんだかんだでそれなりに仲良くなった坂上や柳たちのおかげだったり。
なにより、春の日に出会った彼女のおかげだったり。
こんなのでも、感謝してるんだから。その当人であるうちの一人に直接礼を言ったって構わないだろう。
「ま、お礼を言うのは早いと思うけどね」
「そうか?」
「だって、まだ始まってないもん。文化祭はこれから。本当に楽しくなるのもこれからだよ」
ただ、と続けた柏木は、笑顔から一転して真剣な顔へと変わる。その視線を向けた先は、広瀬を始めとした柏木以外のグループの面々と談笑している朝陽だ。
「なんだよ、朝陽がどうかしたか?」
「……一応、気をつけておいてね。本当に警戒すべきは、月宮さんじゃないかもしれないから」
声にふざけた色は全く見えない。それどころか、気遣うような真摯さすら見える。しかし朝陽を眺める瞳は無機質そのものだ。感情の一切を排除した、ただ機械的に相手を観察するためだけの瞳。
表情と声をそこまで切り分けて使えることに驚きだが、なによりも。
怖い、と。一瞬思ってしまった。
常日頃冗談のように言っている類ではなく。本当に、柏木世奈の底が見えなくて、恐怖を抱いた。
この感覚は、まひるさんと初めて会った時に似ている。似た者同士の二人だとは思っていたけれど、なにもこんなところまで共通しなくていいだろう。
俺が一瞬たじろいだのを気配で察したのか、ハッとした柏木は慌てて取り繕うように元気な声を出す。
「でもとりあえず、文化祭を楽しむのが最優先だね! それ以外のことは二の次だよっ」
「お、おう。そうだな」
さっきとなんら変わらない笑顔。咄嗟に纏った仮面には一つの綻びもない。
しかしまあ、柏木の言う通りでもある。朝陽からは最後の文化祭くらい楽しめと言われて、その一環として実行委員にもなって、そうして今日がやってきた。
楽しみだったのも、楽しめそうなのも、どちらも疑いようのない俺の本心なのだから。
「世奈ー、ちょっとこっち来てー」
「はーい。それじゃ、大神くん。特訓の成果、期待してるからね」
クラスメイトに呼ばれ、柏木は最後にバチコーン☆とウインクを残して俺の前から去っていった。なに今のウインク可愛いなおい。俺に葵がいなかったら惚れてるところだった。
柏木も教室の飾り付けに参加し、手持ち無沙汰になった俺はボーッと教室の様子を眺める。全員でひとつのものを作り上げる一体感。今この場には陽キャだとか陰キャだとか、カーストがどうだこうだなんてもんはどこにもなく。一丸となって、最後の文化祭を楽しもうとしているのだ。
こんなの、楽しくならないわけがない。
「サボってないでちょっとは手伝ったら?」
「そういうお前こそなんもしてないだろ」
「あたしは休憩よ。でもまあ、休憩中に準備が終わっちゃってもそれはあたしのせいじゃないし」
「思っ切りサボりじゃねぇか!」
「さっきからなにもしてないあんたに言われたくないわよ」
半袖のブラウスが大きく盛り上がり、この時期男子の視線を欲しいままにする幼馴染の片割れに話しかけられた。
しかしマジでデカイよな。けしからん。
「最近、随分世奈と仲良いみたいじゃない。浮気?」
「バカちげぇよ。俺がそんな器用なわけないだろ」
「もうちょっと他に理由あるでしょ……」
「こいつが一番説得力あるからな」
「悲しいわね」
「本当にな」
嘆かわしいと言わんばかりに、額に手を当ててため息を吐くダウナー系巨乳美少女。さっきまで隣にいたやつがあれだから、普段よりも二割り増しで大きく見える気がする。
こういうのなんて言うんだっけ。プラシーボ効果? 違うか。絶対違う。でもなんかあったと思うんだよな。小さいものを見た後により大きなものを見ると、実際よりも大きく見える的なやつ。
うわっ……今背中のあたりがゾッとしたんだけど……。
「世奈、めっちゃあんたのこと見てるけど。なんかしたの?」
「なにもしてないしなにも考えてない」
だから、怖いんだって柏木さん……なんで距離ある上に顔も見てないのに考えてること分かるんですか……マジ怖い。勘弁して。
「まあどうでもいいけど。あんまし世奈と仲良くしすぎると、夜露が嫉妬するわよ」
「葵にはちゃんと許可取ってるから大丈夫だ」
「許可ってあんた……夜露がノーって言えるわけないでしょ」
「だよな」
「そもそも、そうだとしても夜露が嫉妬しない理由にはならないわよ」
「だよなぁ……」
柏木と学校以外で会うことは二週間に一度あるかないか、と言ったところだし、葵との時間を疎かにしているつもりもない。昨日だって、店であんなことしてたわけだし。
それでも、俺自身の主観と他者から見た客観では差異がある。どちらがより正しいのかはさておき、重要なのは、そう見えてしまっているという事実が存在してしまっていることだ。
「一応、埋め合わせのつもりで、今日は精一杯もてなしてエスコートする予定だけどな」
「それならよろしい」
「お前は俺の保護者かよ……」
「似たようなもんでしょ。あんたも夜露も手がかかるから、あたしとか朝陽が見とかないとハラハラするのよ」
「さいですか……」
自覚があるだけに否定できないのが悔しい。朝陽も広瀬も、俺や葵よりもよほど大人に見える。生まれてから過ごして来た年月は大した差がないというのに、どうしてだろう。
広瀬なんて、たまにどこか達観したような顔をするのだから不思議だ。
「ま、精々気合い入れなさい。夜露の相手をする前に、あんたにはまひるさんの相手をしてもらわないとダメなんだから」
「全力でお断りしたいんだけど?」
「囮は頼んだわよ」
「全力でお断りしたいんだけど⁉︎」
あの人絶対腹抱えて笑うに決まってんだろ! 嫌だぞ情け容赦ない批評の対象になるのは!
しかし、まひるさんに対しては俺が最強の囮になることは間違いないわけで。最強の囮ってなんだよ、俺はバレーなんて出来ないぞ。
と、まあ。そんな感じで。
最後の文化祭が、ついに始まる。
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