第69話 前夜祭

「いよいよ明日だね、文化祭!」

「そうだね。ボクは文化祭そのものが初めてだから、とても楽しみだよ」


 放課後の教室で、私の席に集まったのは舞ちゃんと月宮さんの二人。舞ちゃんとは元からクラスで一番仲が良かったけど、二学期になってからは月宮さんを加えた三人でいることが多くなった。

 私がいないタイミングでも、二人で仲良くしているみたいだし、他のクラスメイトも最初こそ月宮さんに奇異の視線を向けていたけど、今ではすっかりクラスに溶け込んでいる。

 客観的に見てみれば、月宮さんの言動はあまりにも浮世ばなれしている。それでもここまでみんなと仲良く出来ているのは、この人の魅力、カリスマ性が故なのだろう。

 でも、私は。おそらくこのクラスの中で私だけは、月宮まひるに対して怪訝な目で見てしまっている。この人の底知れなさを、恐ろしさを垣間見てしまったから。

 とは言え、あれ以来月宮さんは私とも普通に接してくれているし、あの時の恐ろしさをもう一度感じることも今のところはない。

 だから私も、努めて今まで通り接しているんですけど。


「おや、どうかしたかい夜露。心ここに在らず、と言った風だが」

「へっ? あ、いえ、なんでもないですよ。ただ、今日はこの後のお仕事大変だな、って考えてただけです」


 クスクスと、まるで私の考えなどお見通しだと言わんばかりに尋ねる月宮さん。前言撤回です。やっぱり今も怖いです。

 咄嗟に返した言葉はなにも嘘ではなく、今日のお店は夕方から貸切なのだ。


「そういえば、夜露ちゃんのとこで七組のみんなが前夜祭的なのするんだっけ?」

「みんなって言うほど大人数でもないですけどね」


 一昨日、伊能くんが企画して私に話を持ってきた。全員はさすがに迷惑だろうから、仲のいい人たちだけで、と。

 合計で十人くらいでしょうか。キャンプに行ったメンバーにプラスで坂上くん達ですから、十人以上は間違いなくいますね。


「舞ちゃんと月宮さんもどうですか?」

「んー、七組の集まりに参加するって言うのもね……」

「七組の前夜祭って言っても、殆どキャンプの時のメンバーなので舞ちゃんも来ていいと思いますよ」

「じゃあお邪魔しようかな。イケメン達の組んず解れつを拝めるかもしれないし」


 ぐふっ、と少し下品な笑みを浮かべる舞ちゃんを見て、思わず苦笑い。前に舞ちゃんの趣味について色々調べてみたけど、残念ながら私にはまだ早すぎた世界だった。でも社長とキャップの二人はたしかにいいコンビだと思います。カップリング? って言うんでしたっけ?


「ボクは遠慮させてもらうよ。今日は検査の日なんだ」

「検査って、病気は治ったんじゃないんですか?」


 ただの検査に不穏な気配を感じるのは、些か敏感すぎるだろうか。けれど、月宮さんは体が弱いのは事実だ。体育の時間も全て見学するほどに。

 もしかしたら、どこかで無理をして学校に通っているのかもしれない。まだ完全に治ったわけじゃなかったのかもしれない。

 声に滲み出た不安を、しかし月宮さんは一笑に付す。


「おいおい、心配しすぎだぜ。ボクのことが大好きなのは分かるが、そんなだと真矢くんに嫉妬されてしまう」

「わ、私は真剣に聞いてるんです!」

「ははっ、そうかいそうかい。それは悪かった。しかし、心配には及ばないよ。ただの定期検査だからね」


 特に気負った様子もない月宮さんに、ホッと胸をなで下ろす。今の様子や言い方を見る限り、本当にただの定期検査のようだ。いや、月宮さんが嘘をついてる可能性だってありますけど。

 ともあれ、ここは本人の言うことを信じるしかない。


「ならよかったです……」

「うん。もちろん君たちにもだけど、なによりも真矢くんに心配をかけるような真似はしたくないからね」


 ああ、その一言を早く言ってくれればよかったのに。どんな言葉よりも信頼できてしまう、その一言を。

 この人が真矢くんに向ける想いは、本物だ。恋愛的な好意ではないけれど、それでも彼のことを大切に想っていることに違いはない。伊能くんや凪ちゃんと同じように。


「月宮さん、どこの病院に行ってるの?」

「ここから少し離れた街にね。電車だとそれなりに掛かるが、車だとすぐだ」

「大変だねぇ」

「小さい頃からずっとだから、いい加減慣れたよ」


 舞ちゃんと月宮さんがにこやかに会話する中、ふと教室の入り口を見ると見知った友人がそこにいた。

 彼は、伊能くんは親しげに手を挙げてこちらに近寄ってきた。


「よっ、ちょっといいか?」

「伊能くん、どうかしたんですか?」

「いや、この後のことでな。一応いくつか確認しとこうと思って」

「やあ朝陽。今日はこの後お楽しみらしいじゃないか」

「まひるさんも来ます?」

「ボクは検査があるからね」

「そりゃ残念」


 少し大げさに肩をすくめてみせる伊能くんは、どうやら本当にただの検査だと疑っていないみたいだ。すぐに心配してしまった私とは大違い。付き合いの長さ故だろうか。

 その後伊能くんと今日のことについていくつか確認を取る。主に時間とお金について。事前に話し合っていたから、改めて確認することでもないけど、念のためにだろう。


「あれ、なんか珍しい組み合わせだね」


 そうこうしていると、次の来客が。私たち四人を見て首を傾げながら教室に入って来たのは、世奈ちゃんだった。

 この場に居合わせているメンバーを見てみると、たしかにちょっと珍しい気がする。


「おやおや、どうしたんだい世奈。今日この後のことなら朝陽が確認してるところだぜ?」

「残念、わたしは朝陽くんと別件。舞ちゃんも誘おうかなーって思ってね」

「あ、さっき夜露ちゃんに誘われたから行かせてもらうよー」

「ありゃ、一足遅かったか。月宮さんは来ないのかな?」

「残念ながら検査でね。この説明も君で三人目だ」

「それはお手数お掛けしちゃってるね」

「構わないよ」


 なんだろう。世奈ちゃんと月宮さんの間に漂う微妙な雰囲気は。なんというか、こう、そこはかとなく剣呑というか。いや、そこまでは行かないけれど、なんだかにこやかに会話してるようで、水面下で腹の探り合いをしてるみたいな感じがします。

 前まではもっと普通に仲良く会話してたと思うんですけど……。


「さて。ボクはお先に失礼するよ、と言いたいところなんだけどね」

「どうしたんですか?」

「いや、朝陽に少し話したいことがあるんだ」

「俺?」

「ああ。ついて来てくれるかい?」

「別にいいけど……」


 そう言って二人がこの場から立ち去ろうとした時だった。


「それって、ここじゃ出来ない話なの?」


 ニコニコと、いつも通りの笑顔で二人を引き止めた世奈ちゃん。ピクリと眉を釣り上げた月宮さんが言い返そうとするのを、しかし伊能くんが片手を制して止めた。


「悪いな世奈。ちょっと込み入った話になりそうなんだよ。付き合い長いやつらにしか出来ないような話」

「酷い、朝陽くんったらわたしのこと信じてないのね⁉︎」

「俺の信用を勝ち取りたければ、それ相応の態度を示すんだな……」


 一転してふざけた雰囲気へと様変わり。さすがと言うべきだろう。月宮さんと伊能くんがどう言った要件の話をするのかは分からないけど、それでも真剣な話があるに違いない。

 そこに踏み込み、拒絶されてもしかし周りの空気を読んですぐにおふざけへと変える世奈ちゃん。迷いもなくそこに乗る伊能くん。

 一朝一夕ではなしえないコミュニケーション能力があればこその芸当。いや、互いの信頼関係も必要か。


「つーわけだから、悪いな。先に店向かっててくれ。すぐ行くからさ」

「そう言うことなら了解。さっ、行こっか二人とも」

「は、はいっ」

「伊能くん、また後でねー。今日も美味しいの、期待してるよ!」


 伊能くんと月宮さんの会話に興味がないといえば嘘になるけど、無理に聞き出すわけにもいかない。

 世奈ちゃんに連れられて、私たちはとりあえず七組の教室に向かって真矢くんたちと合流することにした。





「さすがは朝陽だ。リア充の王様は伊達じゃないね」

「嫌味にしか聞こえないっすよ」

「ちゃんと褒めてるとも。少なくとも、夕凪や真矢くんにはとても出来ない芸当だ」

「はいはい。んで、話ってなんすか?」

「なに、君が思ってるよりも込み入った話とやらではないさ。ボクが君に聞きたいことはたった一つのシンプルなことなんだからね」

「……」

「おや、心当たりがあるのかい?」

「思ってたよりも早いっすね。もうちょい様子見してるもんだと」

「ボクもそのつもりだったんだけどね。あまりにも見ていられなくなったから、仕方なくだよ」

「そっすか……」

「さて、では改めて問おう。君は、いつになったら答えを出すつもりだい? 夕凪の気持ちにも、真矢くんの願いにも、自分自身の気持ちに嘘をつけないことにも、君は気づいているだろう? なら君はどれを取る? 自分を想ってくれる少女か、今を望む親友か、己のエゴか」

「さてね。俺にも分からないっすよ、んなこと」

「それでは困るからこうして聞いてるんだよ。そもそも、君がここまで優柔不断でなければボクが出張ることも──」

「ただ」

「……?」

「ただ、俺だって男なんすよ。なら、好きな女の子にいち早くこの気持ちを伝えたいと思うのは、至極普通のことっすよね?」

「……そうか。そうかそうか。ははっ、これは傑作だ! どこまで理解してるのかと思ったが、そういうことか。君は、全部、なにもかも分かってるか! はははっ!」

「転校して来て間もないあんたが分かってるんだ。俺が分からないはずがない。真矢がなにをしようとしてるのかも、凪が葵に対して抱いてる複雑な感情も」

「なら、頑張りたまえよ。ボクは精々、いつものようにやらせてもらう」

「あいつらに余計なこと吹き込むのはやめてくださいよ」

「余計なことなどなにも吹き込まないさ。ボクはいつだって、必要なことを行うだけなんだからね」

「変わんないっすね、お互い」

「変わる必要があると思っていないからだろう。では、そろそろ失礼するよ。君も、今日くらいはなにも考えず楽しんできたまえ」

「言われなくても」







「えー、それでは! 明日の文化祭、その成功を祈りまして、かんぱーい!!」


 かんぱーい! と、この場に集まった全員が伊能くんに続いて、大きな声で唱和する。

 集まったのは合計で十五人。私と真矢くん。伊能くんに凪ちゃん、世奈ちゃん、朱音ちゃん、舞ちゃん。それから黒田くんに柳くん、太田くんのキャンプに行ったメンバーと、坂上くんや小鳥遊さんのグループも。

 こういう賑やかな集まりは苦手な真矢くんも、今日は楽しそうに笑顔を見せている。

 まあ、私と大神くんは店員側なんですけど。


「なんか、随分人が増えたな」


 隣に立っていた真矢くんが、盛り上がっているみんなを見てしみじみと呟いた。


「最初は俺とお前、朝陽と広瀬の四人だけでさ。でも、気がついたら柏木とか柳とか、しまいには坂上たちまで」

「嬉しそうですね」

「そうか?」

「はい。今の真矢くんは嬉しそうですし、楽しそうです」


 ちゃんと知り合った四月の頃なら、彼はこういう集まりを毛嫌いしていたはずだ。まるで一匹オオカミのように、教室の端っこに一人でいるような人。他を寄せ付けず、ほんの一握りだけの自分を理解してくれる人だけと関わりを持っていた。

 その目と、過去の出来事が故に。

 けれど今は、こんなにも多くの人と関わりを持っている。真矢くんが中心にいるわけではない。未だこう言った集まりの中では好んで端っこにいるような人だ。それでも、その円の中にはいる。


「まあ、朝陽に言われてるからな。せっかく高校最後かんだから、楽しい思い出くらい作っとけって。それに、今はこいつらのことを多少なりとも知ってる。柏木とか坂上とかが、どういう人間なのかをな」


 もちろん全員とまではいかないけど、と苦笑してみせた真矢くんは、やっぱりかつての彼と大違い。

 知ろうとも思わなかったはずだ。知ったとしても、近づこうとはしなかっただろう。

 その変化はきっと真矢くんにとっていい変化であるにも関わらず、なぜか私の心は少しだけ寂しさを覚える。

 私たちだけじゃなく、それ以外のたくさんの人が真矢くんの素敵なところを知ってくれるのは、いいことのはずだ。元から私一人が知っていたわけでもない。伊能くんや凪ちゃんだっていた。

 でも、心の中には小さな独占欲が芽吹いていて。あるはずもないのに、彼が遠くに行ってしまいそうな気がして。

 そんなことを直接言えるはずもないから、殆ど無意識のうちに彼の手を握ってしまっていた。


「葵?」

「ちょっとだけ、いいですか……?」


 他のみんなには見えない位置。そもそも盛り上がってるみんなは、私たちを気にするそぶりすら見せていない。

 だから、今のうちに、ちょっとだけ。


「……ダメって言えるわけないだろ」

「ならよかったです」


 顔を赤くしてそっぽを向いた真矢くんを見てると、思わず笑顔になってしまう。

 握り返してくれた彼のあたたかさが心地よい。胸の内が満たされてしまう。

 目の前の光景を眺める。ご飯を食べて、たくさんお喋りして、明日に思いを馳せるみんなは誰もが笑顔だ。

 だから、きっと。明日の文化祭は、大成功を収めるに違いない。


 この時の私は、そう思って疑わなかった。

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