第68話 信用と信頼

 九月二十日の金曜日。その日が文化祭の本番となる。つまり、残すところあと四日。同時に葵の試験本番まで二週間ほどとなった。

 毎日のように柏木にしごかれたお陰で、ちょっとは執事らしい振る舞いというのが身についたのは、嬉しいやら悲しいやら。まあ、これでうちのクラスが上手く行くのなら問題はないのだけれど。

 心配なのは葵の方だ。本人は大丈夫だと言っていたが、どうにも不安が残ってしまう。


「大神くんが心配しても仕方ないと思うけどね。試験受けるのは夜露なんだし」

「つってもなぁ……」

「むしろ、大神くんがそんなザマだと夜露が余計落ち着かなくなるんじゃない?」


 柏木様からのありがたい正論に、ぐうの音も出ない。しかしそれが正論と分かっていても、心配してしまうほどの前科が彼女にはあるのだ。あんなことになるのは俺の前だけ、なんてのは本人の談だが、つまりそれは極限の緊張状態になってしまえばああなるということの証左でもあって。


「やっぱり不安だ……」

「こりゃ重症だねぇ」


 まるで他人事のようにのほほんとしている柏木は、小動物のように小さな口へとポテトを運んでいる。指についた塩を舐めとるのが妙に色っぽい。

 さて。時は放課後、場所は学校付近のマクドである。カウンター席に並んで座る相手は、俺の協力者である柏木世奈。

 柏木と二人でこんなところに来ているのは勿論葵にも伝えてあるし、それなりの理由があるのだけれど。


「それで? 相談ってそのことじゃないでしょ? 大神くんがこうしてわたしを呼び出してくれて、二人きりで秘密の逢瀬を求めてきたんだから」

「言い方。誤解を招く言い方はやめような? 葵にも伝えてるからな?」

「でもあながち間違ってるないでしょ? 夜露には聞かせられない話なんだから」

「んぐっ……まあそうだけどさ……」


 今度はぐうの音が出た。出たからなんだという話だけど。

 にっこり笑顔の柏木は、さっさと話せとその表情で急かしている。俺じゃなきゃ惚れてるレベルで完璧な笑顔。こいつもまひるさんと同じで、しかしまひるさんとは違ったベクトルで仮面の付け方が上手い。一見して広瀬たち友人と会話している時と変わらないように思えるけれど、しかし明らかに違うのは、距離の詰め方。

 柏木は決して、広瀬に対して朝陽や葵、俺なんかとの関係を聞こうとしていない。そこまで踏み込むつもりもないのだろう。だが、俺に対しては容赦なく踏み込む。俺から持ちかけた契約、協力者という関係上当然なのかもしれないけれど、それにしたって遠慮というものがなさすぎだ。

 閑話休題。


「お前、まひるさんのことどう思ってる?」

「要注意人物」


 即答だった。

 笑顔を微塵も崩さぬまま、柏木は続ける。


「胡散臭い、というかきな臭い。何を考えてるのか分からないから怖いけど、言動の芯がブレないから予想できないことはない。底知れないって程でもないんだけど、決して浅くもないし頭のネジも何本かぶっ飛んでるっぽいから、こっちの予想を大きく外してきそう。そこが一番警戒すべきとこかな。だから信用はできるんだけど、絶対に信頼したらダメな相手」


 ゆっくり、言い聞かせるように言葉を紡いだ柏木。底知れなさで言えばこいつも大概なのだけれど、それを直接口に出して言えば機嫌を損ねてしまいそうだ。

 そして、この短期間でここまでまひるさんのことを見抜いた。あの人と長い付き合いの俺と遠くない印象を抱いている。人間観察が趣味? 馬鹿を言え。ここまで来たらただの人間観察なんてもんじゃないし、趣味なんて範囲に収められるもんでもない。

 感嘆しつつも、しかし。ひとつだけ分からないところが。


「信用できるけど信頼できないって、それどういう意味だ? 似たような言葉だろ」

「違うよー。全然違う。そんなことも分からないの? バカだなぁ大神くんは」

「こんなしょーもないことでマウント取ろうとするやつよりはマシだと思うけどな」

「ははは、こやつめ」

「痛い痛い痛い足踏まないでごめんなさい!!」


 足の甲を思いっきり踏まれた。学校帰りで良かった。これが私服でヒールとか履いてたら血を見ることになってたぞ。いや、ローファーでも十分痛いんですけどね。


「で? なにがどう違うんだよ?」

「これは受け売りなんだけどね。信用は過去に対するもの。信頼は未来に対するものなの」

「過去と未来?」

「そ。信用は、その人がこれまでに積み上げて来た実績に基づいて向けるもの。対して信頼は、これから先にその人が積み上げるであろうなにかへ向けるもの。分かった?」


 そう言われてみると、何故だか妙に納得してしまう。その言葉の違いも、柏木がまひるさんに対してそのような印象を抱いたのも。

 あの人はたしかに、かつて俺を救ってくれた。そして同時に、俺たちを揶揄って遊ぶことを楽しむ愉快犯だ。その過去の実績と、愉快犯という自分と似通った点にのみ目を向けるのなら信用できると。

 しかし、これから先。俺個人ではなく、俺を取り巻く人間関係にまひるさんが介入して来た場合。


「信頼できない、ねぇ……」

「大神くんの考えと似たようになってる自信はあったんだけど。どう?」

「どうって聞かれてもな。お前のその言葉の捉え方を基準にするなら、まあその通りではあるんだけどさ」


 あるんだけど。なんというか、こう、別のところが引っかかるというか。そんな印象を抱いてる相手とよくもまあ仲良くできるなぁ、と。そのあたりも恐らく、信用と信頼の違いで片付けられるのだろう。

 女子が表向きは仲良くしてて裏で惨たらしい陰口とかしてるのって、そういう理由だったんだなぁ。怖い怖い。


「なんか今、とんでもない偏見をされた気がする」

「気のせいだな。自意識過剰乙」

「自意識云々を大神くんに言われたくないなぁ。誰も気にしてないのに、まだその目隠してるし」

「こっちの方が落ち着くんだよ」

「根っからの陰キャじゃん」

「うるせぇ」


 否定できないのが悲しい。しかし一度身についた癖や習性なんかを矯正しろ、というのが無理な話だ。俺が前髪で目を隠してるのだって、それと似たようなもの。今更どうにか出来る気もしないし、するつもりもない。

 それにほら、ここぞという時に出す方がなんか必殺技感があっていいじゃん? この目に封印されし力を解き放つ時が来たか、的な。


「まあ、大神くんにこれ以上そのこと言っても仕方ないか。時間の無駄だね」

「ご理解いただけたようで結構」


 だから言い方。なんで一々傷つくような言い方するの? こいつもしかして俺のこと嫌い?


「話を戻すね。あの人の信頼できない最たる部分は、さっきも言った言動の芯がブレないところなの。いや、ブレなさすぎる、と言うべきかな」


 指でつまんだポテトを振りながら、柏木は自分の思考をまとめるように言う。


「そりゃブレないに越したことはないけど、多少の寄り道っていうのは誰にだってあるはず。でもそれがない。目的を設定された機械みたいな感じ? 感情がないとまでは言わないけど、でも、ただその為だけに生きてるって感じがする。ってところかな」

「その設定された目的ってなんだよ」


 ふりふり振っていたポテトをパクリと一口で頬張った柏木は、それを呑み込んだ後に心底呆れたような声を出した。


「そんなのも分からない? さすがにそれは、わたしの手助けがなくても理解してほしいかな」

「……」


 どうやら今のが最後のポテトだったらしい。また買ってくる、と言い残して柏木が席を立つ。どんだけ食うんだ、晩飯前だぞ。

 柏木から言われずとも、分かっているつもりではいるのだ。それでも尋ねたのは、第三者からの意見が知りたかったから。それによって確証を得たかったから。

 これまであの人から何度も言われた。ボクは君の味方だ、と。そして脳裏にこびりついているのは、あの言葉。

 ヒビが入ってしまったものは元に戻らない。だから一度壊すしかない。

 まひるさんは、たしかにそう言った。今はまだ傍観者でいるとも。しかし、まだ、ということはいつか介入するつもりがあるということだ。そしてそれが最悪のタイミングになるだろうことは、想像に難くない。

 手段を選ばないまひるさんは味方にいればとても心強いが、こうして障害となって立ちふさがると厄介なことこの上ないのだ。ただ、まだあの人が動いていない現状では打てる手も殆どない。ひとつだけ切り口が存在しないこともないが、それには葵も巻き込むことになってしまう。

 思考を落ち着かせ、ため息をひとつ吐く。頭が痛くなって来た。なにが悲しくてあの人と心理戦じみた真似をしなければならないのか。そもそも、俺とまひるさんでは勝負は最初から見えている。勝ててしまえるようなら、これまであの人に苦労させられてない。


「いっそ可哀想なくらい悩んでるね」


 新しいトレーを持って戻ってきた柏木が、まるで手のかかる子供に対するような視線を向けてくる。声色も似たようなものだった。申し訳ないんですけど、そういうバブみとか求めてないんですよ。

 テーブルに置かれたトレーの上には、ビッグマックのセットが。マジかこいつ。


「よく食うな。晩飯入らなくなるぞ」

「お父さんにはご飯いらないって言っちゃったからね」

「まさかとは思うけど、俺に奢られるの期待してたか? ならアテが外れたな。最近こき使われてる相手に飯を奢るほど俺も聖人じゃないんだ」

「お父さんには男の子と二人っきりでお食事に行ってくるって言っちゃった」

「だから誤解を招く言い方をするな……!」


 最近の愉快犯じみた言動に忘れていたけれど、そういえばこいつは小悪魔清楚系ギャルとかいう謎の属性を持っているのだった。

 てか、柏木のお父さんって前にモールの喫茶店にいた人だよね? 見た感じそれなりのイケオジって感じだったけど、お父さんはどんな反応してたの? 俺、消されたりしないよね?

 しかし最もムカつくのは、二人きりで食事なんて言い方をするとちょっといいかなーとか思っちゃうところだ。ほら、柏木さん美少女だし。可愛い女の子と二人きりって聞くとドキドキしちゃうのが男子高校生なのだ。ほら、俺も今ドキドキしてるし。主に恐怖で。


「ふふっ、嘘だよ。友達と食べてくるしか言ってないから安心して」

「お前な……」

「まあまあ。それよりほら、ポテト食べる?」

「やめろ食べさせようとするな自分で食うから!」


 隣に座っている柏木がこちらに身を乗り出してポテトを無理矢理あーんされそうになり、顔を逸らして必死に抵抗する。繰り返すようだが、こんなのでも柏木は美少女なわけで。別に恋愛的な好意がゼロでも反応しちゃうのが男の子なのだ。

 全く、俺に葵がいなかったらうっかり惚れちゃいそうじゃないか。その後告白するまでもなく玉砕する。俺の顔、柏木のタイプじゃないらしいからね。面と向かってはっきり言われたし。悲しいねバナージ。


「んー、やっぱりハンバーガーって美味しい!」


 ビッグマックを頬張る女子高生。あまり想像できない絵面だが、今まさしく俺の目の前にはそれを実行してるやつがいる。

 小さな口をめいいっぱい開けた柏木は、もきゅもきゅと美味しそうに食事を進めている。


「そんな食ってたら太るぞ」

「大丈夫、わたしって無駄な肉はつかない体質だから! 無駄な! 肉は!」

「ああ、うん……俺が悪かったよ……」


 柏木さんにとってはもう無駄な肉扱いなんですね……その割には特に効果のない牛乳を飲んだりしてるって聞いてるんですけど。

 この話はやめておこう。柏木世奈にとっての闇だ。触れてはいけない部分だ。


「それで結局、わたしは夜露と月宮さんの二人を見てたらいいってことなのかな?」

「話が早くて助かる」


 いや、その結論に辿り着くまで脇道に逸れ過ぎていたから、話が早いというほどでもないか。むしろ遅いまである。


「まあ、任せといてよ。わたしってこう見えて、大神くんのことは信用も信頼もしてるからさ。大神くんも、わたしのこと信じてくれるよね?」

「そういうの、脅迫って言うんだぞ」


 素直に口にするのは小っ恥ずかしいから、適当にはぐらかして答えた。

 全く、心強い協力者を得たものだ。些か癖が強いのがたまに瑕だけど。

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