第66話 不気味に歪む銀色
新学期、そして文化祭の準備が始まり一週間が経過した。真矢くんたちは相変わらず世奈ちゃんに無理難題を押し付けられているみたいで、今日のお昼はとても疲れた顔をしていた。そういえば、執事喫茶と言うくらいだし、世奈ちゃんもあんなに本格的に頑張っているけれど、服装はどうするつもりなんでしょうか。ここまできて制服なんて手抜きをするとは思えませんし、どこかで燕尾服を調達するとは思うけど。真矢くんの執事姿、私も見てみたいですし。
さて。真矢くんたちが血反吐を吐きながらも頑張ってる一方で私たちのクラスはというと、お祭りにおいてありがちな焼きそばの屋台をすることになっていた。うちのお店に来たことのあるクラスメイトが飲食系をやろうと提案して、具体的になにをするのかと議論が白熱したところで月宮さんが焼きそばに無理矢理落ち着かせた形で決まってしまった。
私の家、洋食屋さんなんですけど……。まあ高校の文化祭の屋台で洋食を出すというのも無理な話ではありますもんね。焼きそばを作ったことがない、なんてことはないですし。それこそ高校の文化祭なのだから、多少は気楽にやるとしましょう。
というわけで本日。二度目の文化祭実行委員会。今日の集まりは生徒会が中心となって、屋台を出す具体的な場所を決めていく。真矢くんたち七組のような教室を使うクラスも、改めてそれを正式に決定していくのだ、けど……。
「ふむ、まあこんなものかな。思いの外歯ごたえのない討論だったね」
「これを討論のうちに含むのか……」
立ったまま首をひねる月宮さんと、呆れたような声音の真矢くんに、その隣で苦しく笑っている伊能くん。
どのクラスがどこで屋台を出すのか。例年通りならじゃんけんで決まるところだったけど、今年はその争いが起こらず。屋台を出す全八クラスの内容を確認した月宮さんが、不思議な話術で全員が納得出来るような配置に決めてしまった。言い方を選ばず言えば、こういうのを口八丁というのかもしれない。
「さて。では生徒会長。あらかた決まりましたので、あとはお任せしました」
「うん、ありがとう月宮さん。お陰様で余計な諍いが起こらずに済みました」
見惚れるほど丁寧にお辞儀をして着席する月宮さん。さすがというべきか、生徒会長はそんな月宮さんに気圧されることもなく議事を進行していく。
やがて会議も無事に終わり、あとは必要な書類を書いて生徒会に提出するだけとなった。文化祭の運営自体は生徒会の人たちがしてくれるから実行委員は楽だと思ってる人もいるかもしれないけど、これが中々に仕事が多いのです。私や伊能くんは去年もしていたけど、初参加の真矢くんはかなり大変な様子。クラスも違うから手伝うわけにもいないですし。今も伊能くんから任された書類に月宮さんに弄られながらも必死にペンを走らせている。真矢くんも地頭は悪くないはずだから、コツさえ掴めばこういうお仕事は楽に出来るはずなんですけど。
書き終えた書類を生徒会の方に提出して席に戻ると、伊能くんが話しかけて来た。
「そっちはもう終わり?」
「はい。月宮さんがあらかじめある程度纏めてくれてたので」
「ははっ、さすがまひるさん。相変わらず隙がねぇな」
「ちょっと憧れちゃいます」
「やめとけやめとけ。葵までまひるさんみたいになったら、真矢と凪が胃痛で倒れちまう」
ククッ、と声を潜ませて笑う伊能くんからは、その声とは裏腹になんとも言えない切実さが滲んでいた。うーん、私が憧れてるのは、伊能くんが思ってるようなところではないと思うんですけど。
短い付き合いではあるけれど、月宮まひるという人物がどのような人なのかはある程度理解出来ているつもりだ。だから私が憧れているのは愉快犯じみたところではなくて、いつも堂々としたそのカッコいい有様になんですけど。
「そういや、お前のとこ焼きそばの屋台するんだろ? 葵って洋食じゃなくても作れたのか?」
「むっ、心外ですね。私は料理ならなんでも作れますよ。焼きそばなんてちょちょいのちょいです」
「冗談だよ。てか、別に葵一人で調理するわけでもないだろ」
「はい。まだ具体的には決めてないですけど、クラスの何人かと交代でやる予定です。そのあたりも、月宮さんの独断になっちゃいそうですけどね」
「ま、あの人が決めるんなら大丈夫だろ」
伊能くんが視線を向けた先には、子供のような笑顔で真矢くんをからかっている月宮さんが。その瞳の中には、たしかな信頼が宿っている。
真矢くんもそうだった。あるいは、凪ちゃんも同じなのかもしれない。
月宮さんのことを恐れている一方で、しかしこの人たちは月宮さんに対して全幅の信頼を寄せている。それはきっと、私の知らない過去に基づくことのなのだろうけど。出来れば、それを知りたいと思う。私はその極一部しか聞いていない。真矢くんが月宮さんに告白しようとしたという、ちょっぴり複雑なことだけ。聞けば教えてくれるのだろうけど、果たして私が聞いてもいいのかと疑問も湧いてくる。
きっとみんなは、気にしすぎだと笑ってくれるのでしょうね。
「それよりも。葵、文化祭当日はどうするつもりだ?」
「はい? 当日ですか?」
「当日ですよ。真矢と色々見て回ったりするんだろ?」
「そういう話は、まだしてないですけど……」
「いやいや、付き合ってるんならわざわざ改まって話すようなことでもないだろ」
そういうものなのでしょうか……。誰かと付き合う、恋人同士になるというのは当然のように初めてのことで、正直私は分からないことだらけ。私と同じで初めてのはずの真矢くんにいつも引っ張ってもらってばかり。
「まあ、俺が言わなくても二人でゆっくり回るつもりだったんだろう?」
「声をかけようかなとは思ってましたよ。でも、私も真矢くんも自分のクラスのことがあるので」
「そのあたりは大丈夫だよ。さっき言ったけど、お前のクラスはまひるさんがシフト決めるんだからな」
なるほど、さっきの大丈夫はそういう意味でしたか。月宮さんは世奈ちゃんとも仲良くしてるみたいですし、もしかしたら口裏を合わせてくれるかもですよね。
当日のことに希望を持っていると、隣の伊能くんが少し大袈裟なため息を吐く。
「はぁ〜、俺も彼女欲しいぜ。せっかく高校最後の文化祭だってのに、独り身で過ごすことになるとはなぁ」
「伊能くんから誘われたい女子は沢山いると思いますよ?」
「お、なら葵がご一緒してくれるか?」
「私には真矢くんがいますので。ごめんなさい」
「はは、振られちまった」
顔を見合わせて笑い合う。冗談だと分かっているから交わせる会話。伊能くんともなんだかんだで長い付き合いだから、こういう軽口は楽しい。
視界の端で震える肩を見つけた気がしたけれど、多分気のせいだろう。
「じゃあ、凪ちゃんを誘ったらどうですか?」
「んー、凪はなぁ……」
ここぞとばかりに親友を勧めてみるが、しかし伊能くんの反応は芳しくない。照れ隠し、というわけでもなさそうですし。
「あいつ、ここぞとばかりに奢れ奢れって煩くなりそうだし」
「あー、たしかにそんな気はしますね」
これまで二人と遊んでいる中でも、凪ちゃんが伊能くんになにかを強請る場面はあった。その度に伊能くんは文句を言いながらも奢ってあげて、ついでに私もそのおこぼれに預かっちゃったりして。
容易に想像出来てしまって、つい苦笑が漏れる。でも文句を言いつつも結局奢ってあげる伊能くんは優しすぎると思うんです。
「ま、凪を誘うのも考えとくか」
「はい、是非是非!」
ちょっとグイグイ推しすぎたか、伊能くんは首を傾げている。ダメですね、もうちょっとさり気なくしかないと。
「夜露、そろそろクラスの方に戻ろうか」
「あ、はい! では伊能くん、また」
「おう、またな」
月宮さんに呼ばれ、真矢くんにも一言声をかけてから会議室を後にする。といっても、真矢くんとは帰りに合流するんですけど。
「一つ、尋ねたいんだが」
廊下を二人で歩いていると、隣の月宮さんが口を開いた。私よりも身長の高い月宮さんは、見下ろすように私と視線を合わせる。
「君は随分と前から朝陽や夕凪と仲がいいのかい?」
「はい。凪ちゃんとは中学の頃からで、伊能くんとは高校一年の頃からです。ずっと同じクラスだったんですけどね」
「なるほど。同じグループ、というやつだ」
「そうなりますね」
高校という場所にはどこも多かれ少なかれカーストというものが存在する。私だってそれに無頓着というわけではない。自分が校内で、学年内で、クラス内でどのような立場にいるのかは理解しているつもりだ。
でも、この学校は比較的カーストによる差別なんかは少ないと思う。それはきっと、伊能くんや凪ちゃん、世奈ちゃんなんかの根回しとかもあったりするのだろうけど。
「じゃあ、夕凪はともかく朝陽とは二年以上の付き合いになるというわけか」
「そう言われると、なんだか短く感じますね。伊能くんとは結構仲良くなったつもりなんですけど」
「仲良くなった、ね」
ククッ、と含みのある笑みを見せた月宮さんが、私の目を覗き込む。吸い込まれそうにも錯覚する、綺麗な銀色。彼とは正反対の色。
なにも悪いことはしていないはずなのに、その目に見つめられているとなぜか後ずさりしそうになってしまう。心の奥底を見透かされているようで、気持ちが落ち着かなくなる。
「仲良くなったつもりでいるなら、どうして君は気づかない?」
「え?」
言われたことの意味が、理解できなかった。
それは果たして、私の読解力が足りないからか。それとも月宮さんが、敢えて分からないように言ったからか。
具体的な主語のはっきりしない問いかけは、私の胸に鉛のように重く沈んでいく。
月宮さんの不思議な声に、話し方に、沈められていく。
「それは、どういう……」
「ボクはまだ夜露と出会い、こうして会話を交わすようになってから日が浅いけどね。それでも、君は決してバカではないことは分かる。この一週間でざっと調べてみたところ、君は人の好意に対して無頓着なわけがないんだ。自分の立ち位置を正確に把握しているし、朝陽や夕凪のようなカースト上位に混じってもおかしくない振る舞いもしている。いや、心がけている、と言ったほうが正しいか」
気がつけば、私たちは会議室から教室へ向かうルートから外れていた。周りに他の生徒はおらず、この場にいるのは私と月宮さんの二人だけ。
だから、目の前にいる銀の少女は口を動かし続ける。
「興味のない男子からの告白なんて鬱陶しいことこの上ないだろう? 分かるとも。ボクだってそう思うからね。君や朝陽のような異性から人気を集めやすいやつらは、そう言った話を自ら避けようとする。まあ、君の場合は真矢くんがいたから違っただろうけどさ。それでも、彼以外とのそう言った話は避けていたはずだ。夕凪や世奈なんか男避けにちょうどいいだろうし、その意味では朝陽以上の適任はいない」
「男避けなんて、そんな……」
「つもりはない、と言いたいのかい? まあ、君がどう思っていたかはどうでもいい。客観的事実としてそうなっているという話さ」
いつの間にか足は止まっていて、廊下で二人立ったまま。聞こえていたはずの喧騒が聞こえないのは、ここが人気のない廊下だというだけではないのだろう。
「さて。そんな君が、たった一つ気づかないでいるものがある。いや、気づかないふりをしているだけなのかな? 本当なら分かるはずのそれに目を向けようともしないから、気づけない。うん、きっとそうなんだろう」
この人は、なんの話をしている?
分からない。解らない。判らない。
なのになにかの核心を突かれているみたいで。私の知らない私の中のなにかに、触れられているみたいで。
だから、怖い。
「ここまで話しても、なにも理解していないという顔だね」
「……」
「全く、ボクは傍観者に徹するつもりだったのに、これでは介入せざるを得なくなる。また真矢くんに恨まれちまうぜ」
「あなたは、何者なんですか……?」
つい、尋ねたのが悪かった。何を言っているのかとか、発言の意味を問えば良かったのに。けれど、一度口から出した言葉は覆らない。私の口からたしかに漏れた問いは、二人しかいない静かな廊下では彼女の耳にしっかりと届く。
「月宮まひる。何者かと問われれば、ボクは真矢くんの味方ってやつさ。君たちの物語に介入する、機械仕掛けの神でもいいかもしれないな」
口の端を不気味に歪めた銀色が誇らしげに宣言して。
私は生まれて初めて、誰かへ本気の恐怖心を抱いた。
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