第64話 被害者同盟

「みんな酷いです……なにも説明されずにあんなことされるなんて……」

「悪かったな。なんか変なノリに巻き込んじゃって」

「あっ、いえいえ! 真矢くんは悪くないですよ! むしろ嬉しかったといいますか……えへへ……」


 空の青が薄くなり始めた帰り道。少し前のことを思い出して、思わずだらしない笑顔が漏れてしまう。だって、真矢くんからあんなに沢山褒められたのは初めてだったから。たしかに七組のみんなに見られていたから恥ずかしかったけど、それでもやっぱりとても嬉しくて。


「……まあ、嘘は一つも言ってなかったけどさ……」

「じゃあ、全部本音だったってことですよね?」


 赤くなった頬を隠すように片手で顔を覆った真矢くんが小さく頷く。いつもはかっこいいけど、今日の真矢くんはちょっと可愛い。

 そっか、やっぱり全部本音だったんですね。もちろん真矢くんに言われた通り、髪や肌の手入れは欠かしたことがない。なるべく笑顔でいるようにも心がけている。

 でも、瞳を褒められたのは初めてだった。それはきっと、彼自身が他の人とは違う瞳の色だからこその着眼点かもしれない。

 嬉しくて嬉しくて、大好きの気持ちが溢れてきてどうにかなっちゃいそう。もし二人きりの時にあんなことを言われてたら、色んなことが我慢できなくなってたかもしれない。


「てか、俺も結構恥ずかしかったんだぞ……柏木からは褒め殺ししろとか無茶ぶりされるし、広瀬は動画撮ってるし……」

「動画って、これのことですか?」


 スマホを取り出して凪ちゃんから送られてきた動画を再生する。流れるのは真矢くんがいつもとは違う口調で私のことを褒めちぎる声。改めて聞くとやっぱり恥ずかしいですね、これ……。


「なんで葵が持ってんだよ⁉︎」

「凪ちゃんがくれました。月宮さんに送るついでだそうです」

「広瀬あの野郎……!」


 ここにはいない幼馴染に向かって文句を飛ばす真矢くん。たしかに、あまり拡散されたくないような動画ではありますよね。凪ちゃんに限ってそれはないだろうし、月宮さんもそんなことをする人には見えませんけど。

 もちろん私も、これを他の誰かに見せるつもりなんてない。毎日寝る前にこの真矢くんの声を聞いて楽しむくらいしか使い道もないから。朝起きる時のアラームにしてもいいかもですね。


「頼む葵、それ消してくれ……」

「ふふっ、いくら真矢くんのお願いでもさすがにダメです」

「そこをなんとか……!」

「私が消しても、凪ちゃんと月宮さんは持ったままですよ?」

「そうだけどさぁ……」


 シュンと項垂れる真矢くんはちょっと犬っぽい。頭の上にある耳が力なく曲がってしまうのを幻視した。可愛い。

 そんな彼がなんだかおかしくてクスクスと笑みを浮かべていると、ラインの着信音が聞こえた。どうやら真矢くんのスマホから鳴ったらしい。足を止め私に一言断りを入れてスマホの画面を眺める真矢くんがため息を一つ。

 ため息を零してしまうような相手と内容が思い浮かびすぎて誰からのラインか絞れない。凪ちゃんか、世奈ちゃんか、もしくは月宮さんか。伊能くんの可能性も。


「なにかあったんですか?」

「被害者同盟から呼び出し」

「被害者同盟?」

「執事やらされる四人だよ。今から高架下のリングまで来いだってさ」


 高架下のリングといえば。以前にも一度真矢くんと伊能くんがバスケをしていて、私もお邪魔させてもらったことがあるところだ。

 執事役の四人ということは、真矢くんと伊能くんの他に坂上くんと柳くんもいるのだろう。ということは、非常に残念ですけどここでお別れですね。


「葵も来るか?」

「え?」

「いや、今日のあの感じだとお前も被害者みたいなもんだし。別に葵が来て嫌がるようなやつらじゃないしな」

「いいんですか?」

「いいから聞いてるんだよ」

「じゃあ……」


 まだ一緒にいれる。それだけで心が弾むのは、おかしいことでしょうか。いや、なにもおかしくないはず。だって、私は真矢くんの彼女ですもん。そう思うのが普通ですよね。


「よし、んじゃ行くか」

「あっ、ちょっとだけ待ってもらっていいですか?」


 再び歩き出そうとした真矢くんを呼び止める。周囲を見回して人がいないのを確認。ずっと繋いでいた手を少し引けば、真矢くんは疑問符を浮かべながらも身をかがめ。

 とても短い、触れるだけのキスをした。


「さっ、さっきいっぱい褒めてくれたので、そのお礼ですっ」


 頬が熱くなるのを自覚しながらも、なんとか言葉を絞り出す。声はところどころ裏返っていたかもしれない。浮かべる表情は笑顔。作ったものでも、無理矢理なものでもない。自然と漏れ出てしまうもの。あなたが褒めてくれた、一番の魅力だと言ってくれた笑顔。

 不意打ちのキスに唖然としていた真矢くんは、やがて頬を真っ赤に染めてしまう。今の私に負けていないくらい。開いている左手を掲げまた顔を隠そうとするのかと思いきや、その左手は私の頭の上に置かれた。


「せめて場所は選んでくれ……」

「えへへ……」


 ポンポンと撫でる手つきが優しくて、まただらしない笑顔が漏れてしまう。本当はもっとギューって抱きついたりしたいんですよ? 教室で言ってくれた言葉は、それだけ嬉しかったんですから。あなたを想う気持ちが溢れて止まなくて、いてもたってもいられなくなって。でも、ここでこれ以上はさすがに恥ずかしいから我慢します。


「……行くか」

「はいっ」


 あとは私のことを名前で呼んでくれたら完璧なんですよねぇ……。







 指定された場所。高架下のリングに辿り着けば、すでに三人がボールを追ってリングの中を右往左往していた。柳と坂上の二人掛かりにも関わらずたった一人でその二人を翻弄する朝陽は、部活を引退しても全く衰えていないらしい。

 柳を華麗なターンで躱し、その後ろに控えていた坂上を強引なドライブで抜いてレイアップ。柳は割と小柄な方だが、坂上は朝陽と同じくらい背が高い。百八十は越してるだろう。以前体育の授業で直接相対したことがあるが、坂上は技術もそれなりにあるし運動神経もかなりいい方だ。ゴール下に陣取られていたら威圧感がある。

 それを意にも介さずゴールを決めてしまった朝陽が、俺たちに気づいて手を振ってきた。柳と坂上の二人もそれに釣られてこちらに振り向く。


「げっ、葵……」


 思わずといった風に言葉を漏らしたのは坂上だ。人の彼女の顔見てその反応とか失礼なやつだな。


「よう、さっき振り。葵も付いて来たのか」

「はいっ、一緒に帰ってる途中だったので」

「俊の反応は気にしなくていいからね。一学期のことで負い目感じてるだけだから」

「おい海斗!」

「あはは、私は気にしてないので別に大丈夫ですよ?」


 海斗、とは柳の下の名前か。そういや知らなかったな。柳海斗と、大田がケンとか呼ばれてたか。黒田は……黒田は黒田でいいや。興味ないし。てか誰だよ黒田。

 しかし、あの坂上が葵に負い目を感じていたとは。意外というかなんというか。まあ、謝る時も結構素直に謝ってきたし、実はいいやつだったりするんだろうか。


「で? なにしに呼び出したんだよ。被害者同盟とか意味わからんグループまで作りやがって」


 柏木から執事役に抜擢された四人のライングループ。被害者同盟。今日の放課後に朝陽がいきなり作って招待してきたグループだ。そのグループ名からどんなグループかは察せられるのが悲しい。


「ストレス発散だよ。お前バスケやってたんだろ」

「いやたしかにそうだけど……」

「ほれ」

「っと」


 いいやつ疑惑のある坂上がカバンから取り出したなにかを放り投げられ、それを危なげながらもなんとかキャッチ。缶のオレンジジュースだった。そういやこいつ、教室でジュース奢ってやるとか言ってたな……。なんだよやっぱりいいやつじゃん。


「悪りぃな。葵が来るとは思ってなかったからそれ一個しか買ってねぇんだわ」

「いいやつかよお前」

「まあな。分かったら敬いやがれ」


 いいやつではあっても上から目線は健在らしい。一学期の頃までは、どうしてこんなやつがカーストトップクラスのグループを率いて、しかも女子まで集まってるのかよく分からなかったけれど。こういう地味に優しかったり気が利いたりするところが要因だったりするんだろう。


「敬うついでに聞いときたいんだけど、結局一学期のあれなんだったんだよ」

「お前、そこ聞くか……」

「気になるからな」


 やはり一学期での出来事は、今の坂上なりに思うところがあるらしい。ワックスで固めている髪も気にせず頭をガシガシと搔く坂上の代わりに答えたのは、ボールを指の上で回転させてる朝陽だ。相変わらず器用だなこいつ。


「俊は俊なりに考えがあるってことだよ」

「考えなしのバカがやることにしか見えなかったんだが」

「誰が考えなしのバカだ!」

「いや、朝陽と敵対するとかそれしか考えられないだろ」


 クラスの王様である朝陽を敵に回す。それはつまり自分のグループ以外のクラス全体を敵に回すと考えてもいい。さらに言えば、他クラスの一部も敵に回るし、一学期の頃はいなかったが今なら漏れなく転校してきたまひるさんまで付いて来る豪華セット。俺なら二秒で土下座する。

 そんなバカなことをしておいて考えがあった、と言われても納得できない。


「俊はね、上の人間はそれ相応のやつらとのみ関係を持つべきだ、とか古臭いこと考えてるんだよ」

「海斗お前さっきからベラベラ喋りやがって……!」

「だから、当時自分よりも下でクラスでも目立たない根暗な大神が葵みたいな美人とつるんでたのが許せなかったんじゃないかな」

「俺はお前の発言を許すべきか悩んでるけどな、柳」


 柳くんちょっと黒くない? 可愛い見た目してお腹の中真っ黒かよ。

 いやまあ根暗っぽい自覚はあったし、自ら勤めてそうしていた節もあったけどさ。人から言われると結構傷つくんだぞ。

 全てネタバレされた坂上は舌打ちを一つして柳を睨むが、当の本人はそれを笑顔で受け流している。


「ま、俊の考えも分からなくはないけどな。結局、クラス内で各々が平和に青春楽しむには、似たような奴らだけで集まって騒ぐのが一番だし。陽キャは陽キャ、陰キャは陰キャで。相互不干渉でさえいればの話だけどな。あの時の俊はそれを破ったから、俺もちょい強めに出たわけ」

「まあ、そういうことだ。改めて、あん時は悪かったな」

「いや、一回謝られてるし別にいいけどよ。それを言うなら柏木の件はなんだったんだよ」


 坂上が起こした事件。事件というほどのものではないか。とにかく、こいつが俺の周囲になにかしら影響を与えた最初の出来事は、柏木の持ち物のなにかを落としたとかで広瀬が突っかかり、それで坂上グループと口論になっていた時だ。

 今考えてみれば、あれは不自然な点がいくつかあった。まず、坂上が本当に朝陽と柳の言う通りの考え方の持ち主だとして、どうして柏木にちょっかいを出したのか。あいつは朝陽グループの中でも割と目立つやつだ。当時は俺とも接点はなかった。

 そしてあの柏木がなぜ一つも反論しようとせず、ただ言われるがまま、広瀬に任せるがままだったのか。いやマジで、柏木さん今でこそめっちゃ強キャラ感あるけど、あん時は広瀬の後ろで怯えてる風にしか見えなかったぞ。


「そういえば私、聞いたことがあります」


 知ってるのか葵!


「世奈ちゃん、中学の時は生徒会長やってたらしいんですよ。それで、色々とやりたい放題だったらしくて……」

「それはまた、なんていうか……」

「まあ、はい……噂で聞いただけなんですけど、不良を締め上げたり、部下の役員たちをこき使ったり、でも本人は優秀だから周りも何も言えなかった、らしいです……」

「つーことは……」


 おそらく同じ中学出身であろう坂上を見ると、嫌な思い出を振り返るような、苦み切った表情をしていた。


「そのこき使われてた部下の一人が俺だよ……」

「不良の方じゃないのか」

「お前、俺をなんだと思ってんだ」

「悪い悪い。で、中学時代の恨みを晴らすために多少丸くなったであろう柏木にちょっと嫌がらせした、ってところか?」

「だいたいその通りだ。まあ、今となっては後悔しかしてないけどな……あいつちっとも丸くなっていやがらねぇ……」


 中学時代の柏木がどんなやつだったのか、具体的に知る方法はないが、坂上の様子から見て相当破茶滅茶だったのだろう。そりゃまひるさんとも波長が合うわけだ。


「いや、なんつーか、こう言っちゃなんだけど、坂上お前、相当ダサいことしてるな……」

「うるせぇ! 言われなくても分かってるよ!」

「高三にもなって中学の時の仕返しって……」

「あーもう! さっさとバスケやるぞ! そのためにお前呼んだんだよ!」


 朝陽からボールを奪いこちらに投げてくる。割と勢いのあるそれをさすがに慣れた感じで受け止めた。さてチーム分けはどうするのかと思えば、何故か俺の前に並んで立ちはだかる三人。なんで?


「よし、やるか。俺らと真矢の三対一な」

「いやなんでだよ。人数全部で何人かちゃんと数えろ」

「うるせぇ。見せつけるみてぇに彼女連れて来やがって。いいから俺らにボコられとけ」

「柏木に負けず劣らず理不尽だなおい!」

「まあ、これは明らかに俺たちに対する当てつけだよね。俺と俊はおろか、朝陽だって彼女いないのに。本当一人だけいいご身分だねって感じだからさ」

「被害妄想かよッ!」


 こいつら三人相手に一人とかキツイなんてレベルじゃない。俺がセルなら余裕で勝てたかもしれないが、残念ながら俺は人造人間ではない。ゼット戦士にもなれない戦闘力三のゴミだ。

 せめて援軍をと思い葵の方へ振り向くと、彼女はその顔に苦笑いを浮かべていて。


「ご、ごめんなさい真矢くん。私、今はスカートですから……」


 まあ、そうなるな。

 スカートを翻してバスケする葵も見たかったけれど、残念イケメン三人がこの場にいるからお願いするわけにもいかない。いやこいつらがいなくてもこんなお願いしたらダメだろ。自重しろよ俺。自嘲はよくしてるけど。


「あーもう、分かった分かったよ分かりましたよ! 三人まとめてかかってこい返り討ちにしてやんよ!!」

「三人に勝てるわけないだろ!」

「お前がボコられるんだよ!」

「朝陽と俊がやる気になったんなら、俺いらない気がする」


 馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前。

 約一名早速戦意喪失してるが好都合。以前の体育で坂上一人ならどうにかなることは確認済みだ。問題は朝陽だが、いざとなったらそのイケメンフェイスに思いっきりボールぶつけてやればいい。テクニカルファール? 知らない子ですね……。

 ボールを地面にバウンドさせ、集中力を高める。葵もいるのだからカッコ悪いところは見せられない。


「お前が俺に勝てたことあったっけか」

「今日が記念すべき一勝目だよ」


 俺の目の前で腰を落とし、ディフェンスの構えを取る朝陽。初っ端から詰んでる気がしないでもないが、気合いでカバーしよう。

 数秒睨み合い、僅かに見つけた隙。そこを突くために足をバネにして地面を蹴り、強大すぎる敵へ吶喊した。

 大神真矢の次回作にご期待ください! 完。


 この後普通に一点も取れずぼろ負けしました。当然なんだよなぁ……。

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