第63話 夜露ちゃん専用執事

 二学期が始まって三日目の放課後。ついに文化祭に向けて本格的な準備が始まった。まだなにをするのか決まっていなかったクラスも今日のうちに決めるのだろうし、執事喫茶なんてふざけたものをやることになったうちのクラスも早速クラスが一致団結して忙しなく動き回っているのだが。


「お、おかえりなさいませお嬢様……」

「大神くん声ちっちゃい!」

「おかえりなさいませお嬢様!」

「真心がこもってない! もう一回!」

「おかえりなさいませ! お嬢様ッ!!!」

「声デカすぎる! 煩い!」

「理不尽⁉︎」


 教室内は地獄と化していた。

 プロデューサー宛ら指導する柏木と、床に転がるイケメン三人の死体(死んでない)。そして理不尽な怒られる方をする俺。そんな俺たちの醜態を見て腹抱えて笑ってる広瀬。執事に抜擢されなかった男子からはイケメンへの嫉みオーラが溢れており、女子は若干興奮気味で怖い。思わず後退りするレベル。

 俺が眼鏡取って髪もセットしてる、いわゆるバイトモードの格好してるからではないと思いたいが。そもそもこれ、さっき教室で柏木に無理矢理やられたし。俺だって本望じゃないんだよ。


「もうやだ……帰りたい……どこか僻地にキャンプ行きたい……」

「なんで俺がこんなことやらされてんだよ……」

「まひるさんの楽しそうな顔が目に浮かぶぜ……」


 柳、坂上、朝陽の我がクラスが誇る三大イケメンですらこの始末。さすがに床で寝転んでるわけではないが、それでも三人とも死んだような表情で座り込みうずくまっている。柏木プロデューサーの厳しさが分かっていただけただろうか。


「四人には奉仕の心が足りないんだよ! もっと想像力を働かせて、今目の前にいるわたしが本物のお嬢様だと思わないと!」

「首からヘッドホンぶら下げて制服着崩してるようなやつをお嬢様とか無理なんだが」

「文句言わない! わたしはお嬢様! はい、リピートアフタミー!」

「そんなに大声出して元気がよろしいですねお嬢様。なにかいいことでもあったんですか」

「皮肉言える元気があるってことはまだまだ出来るよね?」


 ヒェッ……。そのにっこり笑顔怖いからやめて……。

 しかし、皮肉の一つも言いたくなるというものだ。皮肉というか、某物語のセリフなんだけど。放課後が始まって既に一時間以上は経過している。その間ずっと同じようなことをやらされているのだ。体力的なものより、精神的なキツさがある。文句なり皮肉なりの一つや二つ出たっておかしくはない。


「その辺にしといてあげなよ、世奈。あんまりスパルタすぎるとその内逃げ出すかもだし」


 柏木の背中にストップの声を掛けたのは、肩を震わせて笑いを堪えている広瀬だ。今回はまひるさんの魔の手から逃れたからって随分と楽しそうですね。


「えー、さすがに逃げるなんてことはしないと思うよ? ね、みんな?」


 ニコッと可愛らしく微笑みかける柏木だが、目が笑っていない。逃げたらどうなるか分かってるんだろうな、と脅されている気分だ。

 そもそも、俺と朝陽に関してはまひるさんが裏で手引きしている限り逃げ場なんて元からないわけで。坂上もなんか柏木に弱み握られてるっぽいし、逃げるやつはいないだろう。柳は知らん。キャンプ一緒に行ったくらいで他にあんま関わりなかったし。


「なんか、あれだな。世奈って将来絶対鬼嫁になるタイプだよな……」

「んだよ朝陽知らねぇのか? あいつ、ああ見えて中学の頃は」

「坂上ー? お話してる暇があったらもっと練習させてあげようかー?」

「チッ、なんでもねぇよ」


 え、いや、中学の頃はなんなの? そこまで言うなら最後まで教えろよ気になるだろ。

 しかし、やはりというかなんというか、坂上と柏木は昔から知り合いだったのか。柏木も坂上に対してだけは呼び捨てだし、俺を含めた他の奴らとの接し方とはちょっと違う気がする。フランク、ではないな。柏木は誰に対してもフランクだし。ケチャップとマスタードつけたら美味しそう。それはフランクフルト。

 そう、壁がないのだ。柏木世奈は誰に対してもフランクに接するコミュ力極振りリア充なことは、初めてまともに会話した時から分かっていたけれど。それ故に、決定的な一歩を踏み出しては来ない。互いの踏み込んでいい領域を上手く見極め立ち回る。人間観察が趣味と豪語するような奴だ。その辺りのノウハウはそんじょそこらのリア充やら陽キャやらとは一線を画しているだろう。

 踏み込まないよう、踏み込んでこないように壁を作り周囲と接する。それがきっと、彼女が生み出した処世術。葵や朝陽、広瀬とも違った彼女の生き方。

 坂上に対してはそれがない。いっそ無遠慮に見えるほど距離感と言葉遣いは、ある種柏木らしくないのかもしれないけれど。まあ、まだ数ヶ月の付き合いしかない俺にその真偽は分からない。


「大神くん、なに考えてるのかな?」

「別に。早く解放されて葵と帰りてぇなぁくらいしか考えてない」

「そう? ならいいけど」


 全く恐れ入る。人間観察どころか、これではさとり妖怪じみているではないか。さっさと地底におかえり願いたい。


「そうだ、そんなに夜露に会いたいなら、いいこと思いついた」

「待て、なにか知らんが嫌な予感しかしないからちょっと待て」

「今から夜露呼ぶから、ちゃんと執事としておもてなししてね?」

「人の話聞けよおい。しかもやっばりろくでもねぇ!」


 俺の声は耳に届いていないのか、さっそくスマホを取り出してどこかへ電話する柏木。今の口ぶりからするに葵に電話してるんだろう。話を聞いていた広瀬がクラスのやつらに指示を出し、作業のため後ろに下げていた机と椅子の中から一組出して教室のど真ん中にセットする。おい待てなんでお前らそんなに乗り気なんだ。

 教室内にはクラスメイト全員ではないとはいえ、それなりの数が残っている。俺たち執事役四人と敏腕プロデューサー(笑)と広瀬以外にも、文化祭当日の飾り付けを作るためだ。断じて俺の羞恥プレイを観覧するためではない。ていうかそもそも、執事ってどう振る舞えばいいんだよ。俺まだおかえりなさいませお嬢様しか教えてもらってないぞ。


「夜露すぐ来るってー」

「柏木お前この野郎」

「残念わたしは女子なので野郎じゃありませーん!」

「ウゼェ……」

「まあまあ、やることは簡単だから。教室に入ってきた夜露をそこの机までエスコートしえ、ちょっと味気ないけど紅茶のカップがわりにこの水筒のお茶をコップに入れてあげるだけ。あとは適当に褒め殺してたらいいよ」

「なんも簡単じゃないんだよなぁ……」


 あまりのゴリ押しにもはや諦めてヤケクソにでもなるかとか考えていると、両肩にポンと手が置かれた。振り返れば、そこには疲れた表情の朝陽と坂上が。その少し後ろでは、柳が苦笑して立っている。


「まあ、なんだ。頑張れよ真矢。多分動画とか撮られてまひるさんに送られるだろうけど、頑張れよ」

「悪りぃな大神……お前が犠牲になるお陰で俺たちは被害がなくて済むんだ……あれだ、後で飲み物奢ってやる……」

「お前ら……」


 妙な団結力が芽生えた瞬間だった。一学期にあんなことがあった坂上にすらこう言われるあたり、どうやら本気で憐れまれてるらしい。ありがたいっちゃありがたいけど、出来るなら止めてほしかったなーって。

 いやよく見たら朝陽の肩震えてんぞ。なに、ちょっと教室の中寒かった? お前って冷え症とかだっけ? 坂上お前本気で安心した顔してんじゃねぇよそういうのお前のキャラじゃないだろ。

 芽生えたと思った団結はどうやら儚くも崩れて散ってしまったらしい。こいつらマジで覚えとけよ。

 こうなりゃ本当にヤケクソだと覚悟を決めたちょうどその時。開きっぱなしだった教室の扉に葵が現れた。呼んだ本人である柏木の名前を呼ぼうとして口を開き、しかし教室内の異様とも取れる雰囲気を察したのか声は出ない。困惑の表情で柏木を見て、広瀬を見て、朝陽を見て、最後に俺へと視線を合わせる。そんな葵に助け舟を出すため、そこでスマホを構えて動画を撮ってる広瀬も無視して彼女に歩み寄った。


「あの、真矢くん? 私、世奈ちゃんに呼ばれてきたんですけど」

「おかえりなさいませ、お嬢様」

「へ?」


 助け舟が泥舟だった。

 突然お嬢様呼ばわりされた葵は困惑の表情を深め、教室内の女子からはキャーキャーと黄色い声援が飛び、男子全員からは一周回って哀れみの視線を注がれているのが見なくてもわかる。


「本日もお勤めご苦労様でした。お席へご案内致しますので、お手をどうぞ」

「は、はい……?」


 未だ状況の掴めていない葵は流されるがままに差し出された俺の手の上に自分の手を乗せ、疑問符を頭上でブレイクダンスさせながらもエスコートに従ってくれる。

 手を離して椅子を引いて葵を座らせ、柏木が用意した水筒でコップにお茶を注ぐ。


「こちらをどうぞ。お嬢様のお口には合わないかもしれませんが」

「ありがとうございます……?」


 いやそれにしても水筒のコップってだけで雰囲気ぶち壊しだな。執事雇うレベルのお嬢様はもっと高級そうなカップでお紅茶にジャムとか入れて飲んでるだろ。

 しかし両手で可愛らしくコップを持ち口元へと運ぶ葵のお陰で、水筒の違和感は多少和らいでいる。首は傾げられたままではあるけれど。執事喫茶やるって知ってるはずだから、そろそろリハーサル的ななにかだと気付いてくれてもいいものだが。

 さて、問題はここからだ。適当に褒め殺しといとらいい、なんて柏木から言われているが、こんな衆人環視の中で恋人を誉め殺すとかそれなんて罰ゲームだよって感じだ。

 しかし今更引くわけにもいかない。選択肢はたった一つしか与えられていないのだから。


「あの、真矢くん? これは一体……」

「ところでお嬢様」

「あ、はい」

「あなたは今日も変わらず、いえ今日はいつにも増して可愛らしいですね」

「へっ⁉︎ どどどどうしたんですか突然⁉︎」

「突然だなんてとんでもない。常日頃から思っていることでございます」

「常日頃から⁉︎」

「長く艶やかな黒髪にきめ細やかな白い肌。きっとお手入れも大変でしょう。だというのにいつもその美しさを保っているお嬢様の努力には頭が上がりません」

「あ、あぅ……」

「お嬢様の瞳にはいつも見惚れてしまいます。夜露という名が示す通り、まるで夜の輝きを秘めたような。時に強く、時に優しい光を携えたその瞳はまさしくあなた様に相応しい」

「あううぅぅぅ……」

「お嬢様のなによりの魅力はやはり笑顔でしょう。その笑顔にどれだけ救われてきたことか。どうかいつまでもその笑顔を絶やさずに……って、あれ。葵?」


 途中から全く反応がなくなったのが気になり葵の様子を伺えば、机に突っ伏して動かなくなっている。チラッと見える耳は真っ赤に染まっていて、頭から湯気が出てきそうだ。


「ふっ、ふふっ、大神、あんたやり過ぎ」

「夜露のKO負けだねー」


 もはや笑いを堪えきれていない広瀬と、何故かホクホク笑顔の柏木。気がつけば教室内の全員からなんだか暖かい目で見られていた。

 なんか知らんが、とりあえず勝ったらしい。なんで負けたか明日までに考えといてください。いや考えるまでもないわ。

 そういやここまで直接言葉にしたことなかったもんなぁ……。

 周りからの視線にいたたまれなくなって、とりあえず突っ伏している葵の頭を撫でておいた。これ、あとで葵にちゃんと説明しとかなきゃじゃん。

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