第61話 イケメンパラダイス

 学校が同じでもクラスが違うだけで交流の機会というのはグンと減る。授業間の休み時間は十分しかないから、朝、昼休み、放課後の三つが主なタイミングだ。

 まひるさんが同じクラスじゃなくて心底ホッとした。檻から解放されたあの人と半日以上同じ空間にいるだなんて、想像するだに恐ろしい。


「いやマジで、クラス違って本当助かったわ……」

「下手したらストレスで胃に穴が空くもんな。葵のやつ大丈夫かな」

「真矢はいいよなぁ。なにせあの人のお気に入りだしよ」


 始業式の翌日の朝。今日も葵と二人で登校し、先に教室にいた朝陽と二人ですぐそこにいる脅威について話していた。

 気がつけば教室内でこいつと話すことも当たり前になっている。二年の時までにはそんなことあり得なかったのに。そのあたりの変化も、きっと葵の影響なのだろう。一学期に起きた色んなゴタゴタのお陰で、俺みたいなやつが朝陽と話していても奇異の視線は感じられなくなった。

 日常の一つとして溶け込んでいるのだ。


「ま、あの人のことは考えたところで仕方ないだろ。てか、それでまひるさんの行動を理解できたら苦労はせん」

「だな。ここはもっと楽しいことを考えようぜ。文化祭のこととかな!」

「文化祭ねぇ……」


 過去二度の文化祭を思い返してみる。思い返してみる、が……。あれれーおかしいぞーどうして文化祭の記憶がないんだろー?

 とまあ、つまりはそういうことだった。記憶に残らないレベルで楽しんでない。なんか朝陽グループの面々が騒いでたのは覚えてる気がしないでもないが、当時のクラスで何をやったのかなんてどれだけ考えても思い出せない。

 これまでの俺にとっての学校行事なんてその程度のものだ。朝陽と広瀬以外に友人と呼べるようなやつもおらず、必死に青春してるやつらに対して唾を吐いて来たのだから。

 いや広瀬はあれ友人扱いじゃないな。


「つーわけで真矢。俺と実行委員やろうぜ」

「はぁ?」


 俺の肩にポンと手を置いて、とてもいい笑顔でサムズアップ。こいつはいきなりなにを言ってるんだ?


「嫌に決まってるだろそんな面倒なの」

「いやいやそう言わずによ。せっかく高校生活最後の文化祭なんだから、いっちょはっちゃけてみろって」

「いや、はっちゃけろってお前な……」


 文化祭の実行委員は男女問わず各クラスから二名選出される。文化祭の運営自体は生徒会が主に担当するから、実行委員の役割は生徒会と各クラスとの橋渡しだ。つまり、クラスの方を率いなければならない。

 例えば飲食店をする場合。校内のどこを使ってどのような食べ物を提供するのかを報告し、許可が下りれば今度は必要な食材、それに伴う費用を申告、当日の現場責任者というわけだ。

 体育館のステージで演劇をするにしても、教室内を小さなアトラクションにするにしても、それ相応に面倒なことが待ち受けている。ようは中間管理職的な立ち位置なのだ。その辺りを理解出来ていないパリピどもが立候補して痛い目に遭う、というのはどこの学校でもあるんじゃなかろうか。

 しかし、残念ながら我が幼馴染たるリア充の王様にその理屈は通用しない。どのような仕事を任されようと完璧にこなしてしまう。仮に生徒会かクラスのどちらかから苦情じみたものを受けても、適切な妥協点を探し双方納得する形にストンと収めてしまうのだろう。

 だから、朝陽がやる分には問題ないどころか適任でもあるのだけれど。


「俺が一緒にやるんだから問題ない! だろ?」


 渋る俺に放たれた力強い言葉は、聞くものに絶対的な安心を齎すものだ。爽やかな笑顔には一欠片も翳りが見えず、名前の通り朝の陽のように輝いている。なんだよこいつイケメンか。イケメンだったわ。

 しかし、最近のゴタゴタで忘れていた。このイケメンな幼馴染はいつたって俺を引っ張ってくれていたのだ。バスケをやっていた時も、中学に入って塞ぎ込んでいた時も。

 差し伸べられたその手を払いのけようとなんて思えない。


「……分かった、分かったよ。お前と一緒ならやってやる」

「よっしゃ!」


 こいつの言葉を思い出した。四月のあの日、まさしく葵から最初に呼び出された日の登校中に。最後の一年、楽しい思い出を作れ、と。

 最近はそれどころじゃなくなってる感じもあるし、なにより葵と過ごす日々は文句なしに楽しかった。でも、こうしてクラスの中でも思い出を作っていていいかもしれない。


「問題は、まひるさんが文化祭なんて美味しいイベントを逃すわけがないってとこなんだよな……」

「言うなよ真矢……テンション下がるだろ……」


 あっという間にテンションが奈落の底へと突き落とされた朝陽。いやでも事実だし。そんなにあれなら生ハムの原木とか家に置いといた方がいいんじゃない?








 身構えておいてなにも起きないというのは、それはそれで逆に恐ろしいものを感じてしまう。そもそも身構えるということは相手を元からそれなりに警戒しているなによりの証拠であるし、警戒されるだけの何かを相手もしでかしたことがあるということだ。

 つまり、信用がない。なにもしないと見せかけているだけかもしれないと猜疑心が募り、警戒をより強めてしまう。まあ、強めたからといって襲いかかる脅威に対処できるのかはまた別問題だが。

 朝の時間に昼休みと、隙は十分あったはずだが、まひるさんはその姿を見せないままに六時間目のLHRになった。

 さすがのまひるさんも毎日のように俺たちへちょっかいを掛けてくるわけではないだろうけど、転校してきて二日目、朝陽と広瀬に至っては長らく会っていなかった。だと言うのにあの人がなにも仕掛けてこない。

 不穏を感じるには十分すぎる。

 とまあ、あの人の警戒ばかりしていても仕方ない。文化祭を楽しむと朝に決めたばかりなのだ。今はそちらに集中するとしよう。


「えー、じゃあ実行委員は伊能と大神の二人で決定だ。放課後に実行委員会があるから、忘れず向かうように。後の時間は二人に任せた」


 という教師の言葉を受けて、俺と朝陽は教室の前方へ移動する。

 LHRが始まるなり早速決まった文化祭実行委員。朝陽が立候補するのはクラスメイトたちも半ば予想通りだったようだが、しかし俺がやるとは思いもしていなかったようで。

 黒板の前へと出た俺に刺さる訝しげな視線。お世辞にも人前に出ることに慣れているなんて言えない俺は、それを受けただけで帰りたくなる。だがそんな泣き言は言っていられない。まあ朝陽に任せておけばどうにかなるだろう。


「よし、んじゃ早速だけど、文化祭でなにやるのか決めるか! 真矢、板書任せたぞ」

「へいへい」


 俺は書記係としてこの黒板に白い線をひたすら引いていく機械だ。今この時はモジカキシンヤクンマークツーとして過ごすんだ。

 黒板に大きく「文化祭の出し物」と書く。我ながら綺麗な字。黒板マスターとして世界に名を売っても恥ずかしくないレベル。さすがはマークツーだぜ。


「なんでもいいからなんかやりたいことあるやついるかー?」

「はいはい!」

「はい世奈」

「執事喫茶!」


 執事喫茶ね。執事喫茶、と。微妙にめんどくさい漢字書かせやがって。しかしそれでも綺麗に板書してくれるのがモジカキシンヤクンマークツー。今ならお買い得のイチキュッパ。一家に一台どうですか。いらんわ。

 ……いや、そうじゃなくて。


「執事喫茶ってなんだよ……」


 なんか嫌な予感しかしないんですけど気のせいですか。

 小さく漏らした呟きだったはずだが、どうやら黒板に近い席の柏木には聞こえていてらしく。立ち上がって得意げに薄い胸を張る。どれだけ薄くても視線を集めるあたり男子ってホントバカ。


「よくぞ聞いてくれたね大神くん!」

「聞いてはないけどな」

「興味津々な大神くんに説明してあげよう!」

「興味ないし、なんなら嫌な予感しかしないからそんなに張り切らないでくれ」

「執事喫茶とは! 我がクラスのイケメンを店員にしてやってきたお嬢様方と戯れてもらう感じの喫茶店だよ! メイド喫茶的な!」

「聞いちゃいねぇ……」


 ちょっと今日の柏木さん元気ありすぎじゃありませんこと? こいつこんなにぶっ壊れキャラだったっけ?

 しかし呆れているのは俺を始めとした男子たちのみ。女子たちは目を輝かせたり感嘆の声を漏らしたり、とにかく柏木の執事喫茶たら言う案を支持するようだ。女子はイケメンが好きだから仕方ないね。うちのクラス、顔がいいやつならそれなりにいるし。


「オーケー世奈、その辺でいい。他になんかあるかー?」

「たこ焼き屋!」

「演劇とかいいんじゃ?」

「お化け屋敷的なアトラクションもありだろ」

「いやいやお前ら、時代はタピオカだぞ? 絶対売れる。タピオカは売れる」

「とにかく執事喫茶だけはない!」

「それだけは阻止するぞ!」

「イケメンとの格の違いを見せつけられて堪るか!」


 朝陽が尋ねればまあ色んな案が出るわ出るわ。しかも全部男子から。どんだけ嫌なんだよ執事喫茶。嫌がる理由も情けなさすぎる。いや、俺も御免被りたいけど。

 女子からは誰も挙手して発言しないあたり、執事喫茶はこのクラスの女子の総意と見ていいのだろうか。まあ、仮に執事喫茶に決定してしまったとしても活躍するのは朝陽なり坂上なりだろうし、俺にお鉢が回ってくることはないだろう。坂上の場合はまずやってくれるのかも微妙なところだけど、別にあいつも不良ってわけじゃないし。

 いくつも飛び出る案を黒板に板書し、やがて朝陽が多数決を取ろうと決めたのだけど。


「決定、だな……」

「みたいだな……」


 もはや数えるまでもなかった。うちのクラスは男子二十人の女子二十一人。多数決において女子が全員執事喫茶で挙手すれば、その時点で決定である。

 いくら俺たちが嫌だと声を上げようと、多数決という絶対的な決定の前には覆らない。民主主義の怖いところよね。

 さしもの朝陽もいくらか思うところがあるのか、言葉に覇気がない。真っ先にこき使われるのはこいつだろうしな。可哀想に。俺は裏方頑張っときますねー。

 半ばお通夜みたいな雰囲気になってる男子と、キャッキャ言いながら喜んでいる女子。その中から一人、発案者である柏木が元気よく立ち上がる。


「よーし、ここからはわたしに任せてもらうよ二人とも!」

「どうするよ朝陽」

「ま、いいんじゃね? 発案者は世奈だし」


 朝陽は前に移動してきた柏木に場所を譲る。俺は引き続き板書役。はてさて柏木さんの采配はいかなるものか。


「じゃあまず、朝陽くんと大神くん」

「ん?」

「なに」

「それから柳くんに、あと坂上」

「俺?」

「んだよ」

「この四人は執事決定ね」

「はぁ⁉︎」


 真っ先に声をあげたのは坂上だった。そりゃそうだろう。こいつが執事とかキャラじゃなさすぎて笑えるレベルだ。予想通り柏木の提案、というか命令は拒否する。


「なんで俺がやらねぇとダメなんだよ!」

「えー、そんなのイケメンだからに決まってるじゃん」

「そ、そうか?」

「そうなの。このクラスのトップ4を自他共に認めるイケメン好きのわたしが選んだんだから、自信持っていいよ!」

「はいはーい! そういうことなら俺もいけんじゃね⁉︎」

「黒田は黙ってて」

「うっす」


 黒田ェ……。

 しかし柏木の人選は俺を除けば全く間違っていない。王道の爽やか系イケメンの伊能朝陽。俺様系の坂上俊。わりと可愛い顔してる柳。三大イケメンここに揃う、って感じだ。俺がマジで場違いなんだけど、まあ柏木曰く俺もイケメンらしいし。


「いいじゃん俊、やってみなって!」

「お願い坂上! このクラス一のイケメンが参加しないと始まんないの!」


 取り巻きの一人である小鳥遊梨花子と柏木のコンビネーションプレイ。めっちゃおだてられて坂上の心も揺れ動いている模様。さてはこいつ結構チョロいな?

 あと少しで落とせると踏んだ柏木が畳み掛ける。可愛らしい顔には満面の笑み。しかしなぜか妙な圧を感じさせるもので。


「それとも坂上。わたしのお願いは聞けないかな?」


 もはや脅迫だった。お願いなんて可愛らしいもんじゃない。


「……分かった。やればいいんだろ、やれば。やってやるよこんちくしょう」

「やった! ありがとねー」


 坂上ってやっぱり柏木に弱み握られてたりするんだろうか。一学期の時もだったが、この二人の間にはどうにも何かありそうな気がしてならない。


「ところで柏木さん、俺は……」

「あ、大神くんに拒否権はないから」


 デスヨネー。まあ、クラスの奴らにも素顔は晒してるし、接客も慣れてるからいいんだけどさ……。


「いやぁ、執事喫茶を提案してくれた月宮さんには感謝だね!」


 ……今なんと?

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