第60話 銀色の嵐
どうやら、葵のクラスに転校生が来たらしい。その転校生は銀髪の美少女、いや美少女なんて言葉では表しきれないほどに美しい容姿をしているらしい。人間離れした、絵画の中から出て来たような、精巧な人形みたいな。と、様々な話がうちのクラスにも流れてきた。
嫌な予感がする。背中から変な汗が吹き出すくらいに。
その予感が確信に変わったのは、体育館での始業式の時。見てしまったのだ。葵のクラスに並ぶ彼女の姿を。
今日は二学期初日ということもあって始業式が終われば解散。文化祭もそう遠くないのだが、それに関するあれやこれやは後日決めるらしい。
ということで、放課後。
「逃げるか」
「逃げよう」
「逃げるわよ」
幼馴染二人と一言で意思を統一させた俺は、三人揃って速やかに教室を出ようとした。
「ちょっ、ちょちょちょ待って! 待って三人ともいきなりどうしたの⁉︎」
しかしそんな逃亡を阻止するやつが一人。キャンプの時ぶりに顔を合わせる柏木だ。まあ、あのキャンプに行ってたやつらは幼馴染二人を除いて全員があの時ぶりなのだけど。今はそんな話どうでもよくて。
「止めないで世奈。あたしたちは今すぐに家に帰らないとダメなの……じゃないと、あの人が来る……」
「え、夕凪? 本当にどうしたの? なんか様子おかしいよ⁉︎」
ガタガタブルブルと震える広瀬。その気持ちはまあ分からんでもないが、柏木がガチで心配してるからちょっと落ち着いてほしい。
「いいか世奈。もし噂の転校生がここに来ても、俺たちはこのクラスじゃないって言うんだ」
「朝陽くんまで⁉︎ ちょっと大神くん説明してよ!」
「なんで俺……」
まあ、この二人に比べたら俺はあの人のことをそこまで怖がっていないけれど。でもそれはここまでガチビビリしてる二人と比べたらの話であって、俺だって出来れば学校で会いたくない。
今までは病院という檻に閉じ込められていたし、自分の体のこともあっただろうから比較的大人しくしている方ではあったけれど。しかし、一度檻から出てきた肉食獣は手のつけようがないのだ。それを二人も分かっているからこそのこの反応である。若干大袈裟すぎる気がしないでもないが、同じ中学で振り回された俺の巻き添えを食らった朝陽と、中学違うはずなのにとばっちりを受けた広瀬なら仕方ないところもある。
広瀬に至っては中学が違うからあの人の怖いところしか知らないだろうし。
「とにかく説明は後。そういうわけだから世奈、頼んだわよ。くれぐれもあたしたちがこのクラスにいることはあの人に言わないように!」
「夕凪にここまで言わせるその転校生が気になりすぎるんだけど……その様子だともう一人の幼馴染とかじゃないの?」
「あんなのが幼馴染だったら身が持たないわよ!」
よせば良いのに柏木に対していかにあの人が恐ろしいかを説明しようとする広瀬。
が、しかし。残念ながらその説明は遮られることとなってしまった。
「へぇ、しばらく見ないうちに言うようになったじゃないか、夕凪。あんなのってのはどんなののことだい? まさか噂のスーパー美少女転校生であるボクのことを言っているんじゃないだろうね?」
教室に響く銀鈴の声。
それを聞いて顔面蒼白の広瀬夕凪。全て手遅れだと言わんばかりに諦めて頭を抱えている伊能朝陽。そんなカーストトップにあるまじき姿な二人を見て、更に声の主を見て絶句するクラスメイトたち。
苦笑いを浮かべている葵を伴い突如として現れた自称スーパー美少女転校生こと月宮まひるは、ただ声を発しただけでこの場の空間を支配した。
「いやいや、まさかあの可愛い可愛いボクの妹分である夕凪がボクに対してそんなことを言うなんて微塵も思っちゃいないぜ? なにせ君とボクは本当の姉妹のように仲が良かったんだ。もしもそんな夕凪がボクのことを指してあんなの、とか言ってるのを知ってしまえば、果たしてボクは君にどんな仕打ちをしてしまうか分かったもんじゃない」
「ままままさかあたしがまひるさんにそんな口の利き方するわけないじゃないですか!」
広瀬夕凪という少女はあまり大きく感情を動かさないし、動いたとしてもそれを表情に出すようなやつではない。常にローテンションでダウナーな、よく言えば大人びた雰囲気を持つ少女だ。それはクラスの連中もよく知っていることだし、一年、二年の頃から付き合いのあるやつらですら、広瀬がここまで焦ったり声を荒げている姿を見たやつなんていないんじゃなかろうか。
だが、幼馴染であるところの俺と朝陽は何度だって見たことがある。その全てにまひるさんが絡んでいるのは、まあつまりそういうことだ。
「そうかそうか、それは良かった。今日からボクもこの学校の生徒なのだから、これからも是非仲良くしたいもんだよ」
「それはもう是非!」
「ところで、そこの逃げようとしてるイケメン。どこに行くつもりだい?」
広瀬に気を取られている間に退散しようとしていた朝陽を、目敏く発見したまひるさんが呼び止める。
こらまたクラスメイトからしたら珍しく映るだろう。まさかあの伊能朝陽が、同じグループの仲間であり家族でもある広瀬を見捨てようとするなんて。
「いや、別に逃げようとしてたわけじゃないっすよ? ただ、ほら、俺も部活とかあるし」
「引退してることは真矢君から聞いているぜ。それとも、君はもう一年この学校でお世話になる予定でもあるのかな?」
「後輩の面倒みたり色々あるんすよ」
「正直に言え」
「逃げようとしてましたすんません!」
圧力に屈して素直に頭を下げる朝陽。こうなるのは分かってるんだから最初から逃げようとしなければいいのに。
これが月宮まひるの真骨頂。病室で俺と交わしていた軽口なんてまだ可愛いものだ。あの狭い檻から解放されたこの人はご覧の通り。俺たち三人を弄ることに全力を尽くすような人間である。
この人に口で勝てるとはまず思わない方がいい。達者なだけじゃなく、妙な圧力まで感じてしまうのだから逆らえない。逆らえずにこの人の言う通りに色々すると痛い目に遭う。昔の朝陽や広瀬のように。それをいい笑顔で見物した挙句弱味として振りかざしてくるもんだから、余計に逆らえなくなる。無限ループって怖いよね。
しかしまあ、見てる分には面白いのだ。あの圧倒的カリスマを誇る幼馴染二人がこうしていいようにされているというのは、まひるさん相手じゃないとまずお目にかかれない。
「うん、素直に謝れるのは素晴らしいことだ。誇ってもいいぜ。さて、後は新学期早々寝坊して可愛い彼女を一人悲しく登校させた愛すべき愚かなクソ野郎だが」
「なんであんたが知ってんだよ!」
俺にはなんもないと思ってたらこれだよ! せっかく愉快に見物と洒落込めると思ってたのに!
「ちょうどたまたま夜露と夕凪が二人で登校しているのを見かけてね。真矢君は一緒じゃなかったのかと尋ねたら教えてくれたさ」
「いつの間に呼び捨てで呼ぶくらい仲良く……」
「おっと、別に彼氏のくせしてまだ下の名前で呼べない君に対する当てつけってわけじゃないんだぜ? そのあたりは勘違いしないでくれたまえ」
「だからなんで知ってるんだよ……」
まひるさんの背後を見てみれば、葵がバツの悪そうな顔をしていた。どうやらこれも葵から聞いたらしい。それにしても俺だけやけに具体的な口撃じゃない? 気のせい?
いや、寝坊したのは完全に俺が悪いんですけどね……。
「それにしても、前髪を下ろしてる君は久しぶりに見たな」
「学校ではいつもこうなんですよ」
夏休み中は会う相手も限られていたし、バイト中も髪はセットしてこいと言われていたけれど。今日の俺は俺自身ですら久しぶりにボサボサの髪の毛だ。
なんだかんだでこちらの方が落ち着く。
「君の瞳が見られないのは残念だが、こればかりは仕方ないか。無理を言って人のトラウマを刺激するのは趣味じゃないからね」
「そりゃどうも。俺の目なんか見てもなんもないですけどね」
「ところでちょうどタイミングよく君に似合うカチューシャを持っているんだが」
「記憶力ゴミじゃねぇか」
二秒で自分の発言撤回するのやめてもらえませんかね……てかなんでそんなん持ってんだよこの人は……。
「まひるさん、とりあえず場所移しましょう……俺もこれからバイトですし……」
「それもそうだね」
未だに開いた口が塞がらないクラスメイトたちを放って、俺たちはとりあえず葵の店へ向かうことにした。
まひるさんが教室に来てから十分も経ってないのに、フルマラソン走り終わったくらい疲れたぞ。まあフルマラソン走ったことなんかないんだけど。
夏休みが終わり二学期が始まっても、俺はバイトを辞める気なんて全くなかった。元から夏休み中だけ、なんて取り決めがあったわけでもないし、放課後に葵との時間を過ごせるのだから辞める理由もない。俺の成績やら受験勉強などの進捗を知った小夜子さんにシフトを大幅に削られて木曜と土曜の二日のみになったりはしたけれど。
お陰で夏休みの後半も殆ど勉強に消えていった。葵に宿題を見てもらうだけのつもりが、なぜか教師モードに目覚めてしまった葵に宿題以外の受験勉強も色々と見てもらい、ならその勉強のためにバイトのシフトを削ろうと小夜子さんが提案して、葵と和解してからはその殆どの時間が勉強へと消えていったのだ。おかげさまでそれなりの問題を解けるようにはなったし、家で葵とゆっくり出来たらいいのだけど。
さて。本日は月曜日。アルバイトの時間である。木曜日じゃないのになんでだよとか言わない。店に来たついでだ。
もはや慣れてしまった各業務。ホール作業は殆ど完璧、厨房の方はまだまだ学ぶことが多いが、それでもそれなりには出来るようになってきた。いつものエプロンをつけて持参したワックスで髪もセットしいざお仕事開始。したのはいいのだけれど。
「あらあらまあまあ、これはまた随分と美人さん連れてきたわねぇ」
「初めまして、月宮まひるです。今学期から夜露と同じクラスに転校してきました。真矢君たちとは中学の頃からの付き合いなので、私も今後このお店を贔屓にさせてもらうつもりです」
「これはご丁寧にどうも。夜露と仲良くしてやってね」
信じられないくらい丁寧な物腰で小夜子さんと挨拶を交わすのは、先程教室で俺たち三人へ平等にダメージを与えた悪魔と同一人物。一人称まで変えている。
俺と葵が来たことで小夜子さんは後は任せたと言わんばかりに奥へ引っ込んでしまった。まあ、夏休みが明けた平日なんて客は来ないらしいし、何かあった時は呼べばすぐ来てくれるだろう。
「相変わらず惚れ惚れするくらいの猫かぶりですね」
「真矢君も参考にするといい。ここまでやれとは言わないが、君は少々外面というものを気にしなさすぎる」
「気にするだけ無駄でしょ」
「そんなことはないさ。接客業をしているなら君だって分かってるはずだぜ? 猫をかぶると言えば聞こえは悪いが、しかし生きていくには必須のスキルだ。対峙した相手や場所よってペルソナを使い分けるのは、人間誰だってしていることさ」
「あんたのはちょい過剰なんですよ」
ため息をつきながらも、席に着いたまひるさん、朝陽、広瀬の三人に水を出す。朝陽と広瀬の顔にはすでにグッタリと疲労が滲んでいた。俺だって結構疲れてるというか、それなりのダメージを負ったのだが。
「でも、そういうのがないのも真矢くんの魅力ですよね!」
ああ、葵の笑顔が疲労に滲みる……。今更だけどいい子すぎるでしょ。今日もエプロン姿が可愛い。おまけに最近店に出てる時はずっとポニーテール。いいよね、ポニーテール。特にうなじの辺りが。
「さて、改めて。久しぶりだな君たち。ボクがいない間元気にしてたかい?」
「おかげさまでだいぶ羽を伸ばせました」
「それも今日までっすけどね」
広瀬の精一杯の皮肉も、朝陽の諦めたような言葉も、まひるさんは微笑み一つで受け流す。まるで中学時代に戻ったようだ。
まひるさんになんとか嚙みつこうとしては返り討ちに遭うか涼しく受け流される広瀬と、抵抗は無駄だと悟ったのか早々に諦める朝陽。数年前にはよく見ていた光景に、今はもう一人加わっている。
「でも、本当に突然でしたね。まさか月宮さんが転校してくるなんて思ってもいませんでした」
「うん、特にこれと言った理由はないんだがね。入院の必要もなくなったし、学校にも通えると医者から言われたから、どうせなら君たちの面白おかしい青春模様を間近で見ようと思っただけさ」
「面白おかしいって……」
「酷い言い草ね……」
夏休み中にそれどころじゃない羽目に陥った俺と広瀬は、その言葉を聞いただけでグッタリしてしまう。しかしまひるさんからすれば、娯楽の一種でしかないのだろう。
この人はいつもそうだ。当事者にはならず、常に一歩引いたところで傍観者に徹する。介入することがたまにあるかと思えば、そのお陰で色々と台無しにしてくれたりもする。
俺にとっては良き相談相手でもあるのだけれど、同時に要警戒人物でもある。
まさか転校してくるだなんて思っていなかったから、あの病室では相談に乗ってもらいはしたけれど。ここまで近い距離まで来られると、果たしてなにをしでかすか分かったもんじゃない。
「つーかまひるさん、本当に体の方は大丈夫なんすか? 一応心配してたんですけど」
「おや、嬉しいことを言ってくれるじゃないか朝陽。しばらく見舞いに来なかったやつの発言とは思えないね」
「うぐっ……それはまあ、俺も部活とかで忙しかったんで……」
「冗談さ。君がバスケを頑張っていたのは、昔から知っていたからね。朝陽よりもよっぽど暇そうなくせして来なかったやつもいるんだぜ? なあ夕凪?」
「あたしもほら、色々と忙しかったんですよ……」
「せめてボクの目を見て言おうか」
言葉とは裏腹に口調は責めるようなものではなく、むしろ穏やかなものだ。まひるさんとしても、久しぶりにこの二人に会えたのはそれなりに嬉しいのかもしれない。
その髪の色と病弱が故に、俺と同じく中学時代は周囲から孤立して浮いていたまひるさん。そんな彼女と唯一接点があったのが俺たち三人。広瀬は中学が違ったが、それでも俺たちを通じて知り合ってからはまひるさんのいい玩具だ。
「体の方は大丈夫だよ。元々命が危ないような状態でもなかったからね。こうして外に出て学校に通えるくらいには回復してる。運動は控えるように言われているから、残念ながら体育の授業には参加できないがね」
「そうっすか……」
「なら良かったです」
安堵の息を漏らす朝陽と広瀬も、なんだかんだでまひるさんのことを慕っている。見舞いには行かずとも、やはり心の中では相当心配していたのだろう。
しかし一方で、まひるさんとは夏休み中に一度だ会ったことがあるだけの葵は、少し話についていけていないようだった。
「あの、月宮さんの病気ってそんなに酷いものだったんですか……?」
「いや、そんなことはないさ。詳細は伏せさせてもらうが、さっきも言った通り命の危険があるような重い病気じゃない。ただ生まれつき体が弱いってだけだよ」
「そうなんですか……」
ホッと胸をなで下ろす葵。まだ二度目の邂逅である彼女ですら心配になってしまうほど、まひるさんは病弱に見えてしまう。その白い肌に儚い雰囲気。本人の腹の中は真っ黒のくせして見た目だけなら深窓の令嬢。
なまじ人間離れした美貌を持っているから、ふとした拍子にいなくなるのではと俺ですら不安になる。
「そんなことより、なにか料理を頼もうか。先日食べた夜露のお弁当は美味しかったからね。病院食からようやく解放されたんだ。これからは好きなものを好きなだけ食べたいもんだぜ」
「任せてください! 腕によりをかけて作りますから!」
「まひるさんまひるさん、ついでですけど大神も作れますよ」
「いや、真矢君のはいい。どうせ夜露の方が美味しいに決まってる」
「その通りだけど釈然としねぇ……」
その後店で昼食を済ませた三人は、会話もそこそこに切り上げて店を出た。心配だからと朝陽と広瀬の二人がまひるさんを家まで送り届けるらしい。
まあ、これからは同じ学校に通うのだから、嫌でも顔を合わせるだろうし会話もするだろうし向こうから鬱陶しいほど絡んでくるだろう。今ここでそんなに沢山話さなくても、時間はまだ残っている。
三人が帰ってからは二組ほど客が来ただけで、俺と葵が上がる時間になった。まひるさんの体調よりもこの店の売り上げが心配になる。
「凪ちゃんと伊能くんって、どうしてあんなに月宮さんに怯えてたんですか?」
帰る前に一休みさせてもらっている時、ふと葵が尋ねてきた。その疑問を抱くのも当然か。葵が初めて見たまひるさんは、俺と軽口を交わしているだけだったのだから。今日だって、まひるさんにとっては軽いウォーミングアップでしかなかっただろう。
「まあ、色々あったんだよ……」
重く吐き出したその言葉に色々と察したのか、葵は困ったように笑った。
明日からが怖いぜ。いやマジで。
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