第55話 嘘だらけの

 あれ以降葵と一言も会話することなく、風呂に入ってテントに戻り就寝時間となってしまった。もっと違う言い方があっただろうと反省はしているが、葵を止めようとしたこと自体は後悔していない。

 だって、あまりにも酷じゃないか。親友の好きな相手の好意は、他の誰でもなく自分に向いていて。さらにその親友にすら自分の気持ちを利用されていただなんて。

 だから、知るべきではない。関わるべきではない。

 朝陽はいつか、葵に告白すると言っていた。そのいつかが具体的にどのタイミングを示しているのかは分からないけれど、それでもあいつがそう言うのなら間違いなく告げるのだろう。以前までならなにも問題はなかったのに、今となってはそうもいかない。葵の決定的な勘違いと、親友への強い想いがあるから。

 なにをどこにどう進もうとも行き詰まりのどん詰まり。誰かが傷つく未来が必ずやってくる。だからその傷を最小限に抑えるためにも、葵には動かないで貰いたかったのに。


「真矢」


 名前を呼ばれ、思考の海から浮上する。ハッとなって現実を確認すると、隣には俺を呼んだ朝陽が。他の三馬鹿と五人でテントの中、円になるように座りトランプで遊んでいる最中だ。ゲームはシンプルにババ抜き。一位で抜けた俺はそれを見学しているだけだったが、どうやらゲームは黒田の最下位で終わったらしい。


「次、大富豪やるけど」

「いや、俺はパス。ちょっと外出てくるわ」

「体調でも悪いのか?」

「ちげぇよ。こいつらに葵とのこと根掘り葉掘り聞かれる前に逃げるだけだ」


 冗談交じりに言った言葉は完全に嘘ではない。どうせこういう時の夜はコイバナだとリア充の間では暗黙のルールが敷かれているのだから。自衛のためにもしばらく留守にしておきたかった。

 それと、もう少しゆっくりと考える時間が欲しかったから。

 テントから出て、特に行くあてもなく管理室の方へ足を向ける。そこは割と大きな建物になっていて、トイレに更衣室、温泉なんかの各設備もひとまとめにされている。管理室もさすがにこの時間では静寂に満ち、灯りは一つも点いていない。真っ暗な闇夜を照らすのは心許ない月明かりと、コバエが群がる自動販売機のみ。

 手でコバエを散らしながら自販機でコーラを購入。プルタブを開ける乾いた音は、静かなこの場所でやけに響いて聞こえる。炭酸の刺激を喉で感じながら考えるのは、先ほどまでとはまた違う観点から。

 朝陽は葵の行動に気づいていたのだろうか。いや、気づいていたはずだ。クラス内、学年内どころか学校内でトップに君臨するリア充の王様であるならば、確実に。

 あいつの置かれている立ち位置というのは酷く面倒なものだ。誰が作ったのかも分からない『伊能朝陽』という偶像を守るため、そう在り続けるための言動を常に求められている。

 勉強が出来て運動神経も良くてリーダーシップを持っていて会話の内容も面白く誰からも頼りにされる存在。親しい人間にはどこまでも真摯であり、敵対する人間にはどこまでも苛烈に。教室の隅にいるような非リア充が相手でも優しく手を差し伸べ、しかし適切な距離感を常に保つ。

 こうした『伊能朝陽』の存在の中に、あいつ自身の人間性が微塵も含まれていないわけではない。むしろ逆だ。朝陽が元から持っている要素を周囲の人間が誇張して、誇大して、拡大して、拡散させた。だから顔見知りでもないやつですら知っている。『伊能朝陽』とはどのような人間なのか。

 それは、どれだけ窮屈な生活を朝陽に与えたのだろう。中学の頃からあいつは集団の中心だったとは言え、高校生にとってのカーストトップ、その中の更に中心というのは中学生のそれとは一線を画す。ある者は自分の寄る辺にしようとし、またある者は隠れ蓑に利用する。対照的に朝陽を親の仇かのように敵視するものもいれば、恐るように全く近づかないものも。多かれ少なかれ、あいつは存在自体が周囲にいる人間に影響を与えてしまうのだ。俺たちは中途半端に子供で、中途半端に大人だから。

 そんな立ち位置にいるからこそ。常に周囲との距離感を適切に保つ朝陽だからこそ、自分の想いを葵へと告げないでいる。朝陽本人だってそれは分かっていることのはずだ。もっと言えば、広瀬から向けられる気持ちにも、あいつはきっと気づいている。気づいていないと今の俺たちの関係、距離感は存在していない。

 だから、朝陽が今後どう動くかに全てが掛かっているといっても過言ではないのだ。葵に対して、広瀬に対してあいつがどのように向き合うのか。

 というのも結局、俺の推論が全て外れていなければの話ではあるのだけれど。

 思考を落ち着かせて空を見上げる。近いようで遠い星々を眺めていれば、数時間前のことを思い出してしまう。

 この夜空と同じ輝きを秘めた瞳が、俺を睨め付けていた。向けられたことのない感情を宿して。それが俺は、とても怖くて。


「なにしてんの、こんなとこで」


 突然かけられた声に視線をゆっくり下ろせば、寝巻きがわりであろうジャージを着た広瀬がこちらに歩いてきていた。化粧を落としているからか普段よりも幼く見える顔は、普段とは違った可愛らしさを演出しているに過ぎない。

 幼馴染として今まで接してきたから忘れかけていたが、こいつも相当な美人だ。


「それはお前もだろ。葵から朝陽を誘って外に出てこいとでも言われたか?」

「あんた、あの子のそれ知ってたのね……」


 鼻根を指で抑える姿は相当に参っている証だろう。やはり、広瀬も葵の行動とその意図に気づいていた。


「まさかあんたもグルじゃないでしょうね」

「それこそまさかだ。俺は止めた側だぞ」

「それで夜露と口喧嘩でもしちゃった?」

「……」

「バレバレなのよ。あの子があんたに話しかけない時点で、なんかおかしいとは思ったわ。どうせ朝陽と世奈にもバレてるわよ」


 ため息を吐きながらも、俺の手元からコーラを奪い取ってグビグビ飲み出す広瀬。自分で買えよおい。返されたコーラは殆ど中身が残っていなかったから飲み干して近くのゴミ箱に捨てた。


「ごめん、大神」


 俯きながらもポツリと零した謝罪の言葉は、なにに対するものなのか。少なくとも、勝手にコーラを飲んだことに対してではない。


「お前が謝るようなことでもないだろ」

「謝るようなことでしょ。自分がやったことの意味くらい理解してるつもりだし、そのせいで回り回ってあんたらが喧嘩した原因にもなってるし」

「あいつがなにも知らずに勘違いしてんのは俺の責任でもある。俺がなにも教えてないからな」

「あたしと朝陽だってそれは同じ。それにあんたは、夜露を守ろうとしてくれたでしょ。だったら責任なんてどこにも感じる必要ないじゃない」


 具体的な主語がはっきりしない会話。広瀬がなにをやらかしてしまって、俺がなにに責任を感じて、俺たち三人はなにを葵に教えていないのか。

 そもそも、それをはっきりと口にすることはありえないだろう。言葉にしてしまえば、決定的ななにかが終わる。

 観測できないというのはそこに存在しないのと同義だ。だから言葉という明確な形を与えず、見て見ぬ振りをする。今ここでこうして話していることすら、テントの中に戻ればなかったこととして扱う。

 俺たちはそうやって、いくつものなにかを見捨ててきた。見逃してきた。あるいは見送ってきた。

 形を与えて観測できるようになってしまえば、認めてしまうから。認めざるを得ないから。俺たちの歪な在り方を。


「お前、これからどうするつもりだ?」

「……さぁ? なんも考えてないわよ、そんなの。今のままが一番心地いいし。結局あたしたちは家族の枠組みから出られないんだし」


 意地でも正反対の言葉を吐かなければ、捨てられない。諦められない。そんな想いがあるから。

 だから広瀬夕凪は、誰に対しても嘘を吐く。家族だと言った想い人にも、誰よりも信頼してる大切な親友にも、自分自身にも。


「まあ、お前がそれならそれでいい」

「あんたはどうするつもりよ」

「とりあえずまひるさんにでも相談してみよっかなぁと」

「面白おかしくオモチャにされて終わりでしょ、それ」

「だよなぁ……」


 いやいや、まひるさんは一応相談には乗ってくれるはずだ。オモチャにされてなおかつなんだかんだで話を聞いてくれる。あの人は優しいから。多分。おそらく。メイビー。


「あの人に相談するにしても、時間がそれなりに経つでしょ。それに、最後にどうするか決めるのはまひるさんじゃなくて大神なんだから。しっかりしなさいよ」

「分かってる」


 誰が誰を好きで、誰がどう勘違いしているのかとか、正直言って今の俺には二の次だ。その問題に対して傍観者でいようとするほど面の皮は厚くないけれど。それでも、それよりも心配なことがひとつあって。


「……俺、葵に嫌われてないよな?」

「それだけはないから安心しなさい」

「マジで?」

「あんた、いつの間にか随分夜露に惚れ込んでるわよね……」

「自分でもびっくりだわ」


 出来る限り早めに和解したいから。他人のことよりもまずはそこから考えよう。とは言え、本当のことを話すわけにもいかないし、素直に謝って俺に非があることを認めるつもりもない。

 頑固な彼女をどうするべきか。何気にこいつらのことよりも難題な気がしてきた。

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