第54話 優しさだけじゃ生きられない

 川で水鉄砲片手に暴れまわり、特に三馬鹿を念入りに潰した後、十五時半と少し中途半端ではあるがバーベキューの時間となった。

 とはいえ今から火を起こして調理を開始するのだ。なんだかんだで食べ始める頃にはいい時間になるだろう。そして調理の中心に立つのはもちろん葵だ。中心に立つだけで、他の奴らも葵の指示に従って手伝いはする。

 まず、黒田と柳と大田の三人は火を起こす役を。柳が慣れているらしいからここは安心だろう。いきなりハッチャケて変なことしない限りは。朝陽と広瀬は二人で肉と野菜を切っていき、それを串に通して行くのは柏木と窪田、小渕の三人だ。姉ちゃんは柳のお父さんと酒飲んでる。

 さて。では一方で俺と葵はなにをしているかと言うと。


「でかいな……」

「どうしましょうか、これ……」


 めちゃくちゃデカいステーキ肉四枚を前にして途方に暮れていた。

 ステーキ肉だけではない。牛タンにエビもある。牛タンはめっちゃ肉厚だし、エビもデカいし。


「タンとエビは塩でいいとして、問題はステーキの方だよな」

「はい。一応家から調味料はある程度持ってきたんですけど、ここまで大きいとどう料理しようか迷いますね」


 コストコで買ってきたらしいこのビッグサイズども。ステーキなんかは最初肉塊の状態だったらしく、それを柳のお父さんが家で切って持ってきてくれたのだ。

 悩む葵はしかし、どこかワクワクしているようにも見える。両親に比べれば料理人としてまだまだ発展途上の彼女。その経験も店での限られたものだろうから、こんなデカい肉を調理したことなんてなかったのだろう。珍しくも挑戦するような強い光が夜の瞳に浮かんでいる。


「せっかくですから、二つに分けましょうか。二枚はデミグラスでもう二枚は塩。真矢くんはタンとエビの方をお願いしてもいいですか? それと、余裕があれば向こうの様子も見ててくれたら助かります」

「よし、任せとけ」


 俺に指示を出しながらも、葵は持参した袋の中から調味料と調理道具を取り出す。まさかキャンプのバーベキューでこんなに本格的な調理を始めるとは思わなかった。


「ふふっ、腕が鳴りますね」


 柔和な笑みを浮かべた葵は、早速調理器具を手にして巨大なステーキに手をつけ始める。俺も言われた仕事をさっさと片付けるとしよう。

 とは言え、適当に塩で味付けして焼くだけだ。あとは他の連中が変なことしないか見張っているだけ。葵に比べたら作業量もその内容も大したことはない。

 普段はフライパンを使っているから網で焼くのは若干の苦戦を強いられてしまっているけれど、料理という行為そのものには慣れたものだ。柳たちが起こしてくれた火でタンとエビを焼きつつ他の連中の様子を窺う。

 さすがパリピと言うかなんと言うか、喧しく大きな声で騒ぎながらも各々しっかりと手は動かしている。キャンプは初めての連中が殆どのようだが、こう言う集団行動自体には慣れているのだろう。リーダー格の朝陽と広瀬の二人がテキパキと肉や野菜を切っているのだから、他の連中もサボるわけにはいかないと言ったところか。

 火起こしを終えて手を持て余している三馬鹿もなんだかんだで女子三人の手伝いをしてるし。いや、一人くらい食材切る方に回れよ。変な気遣ってんじゃねぇぞお前ら。もしくは女子とお喋りしたいだけなのか。まあ後者だろうね。健全な男子高校生なら誰だってそうする。俺だってそうする。それは彼女持ちとしてどうなんだ。

 それから十数分後、まず俺の担当していたタンとエビが焼きあがり、次いで葵の焼いていたステーキが焼きあがった。串の方も食材を全部通し終えたので、焼きあがった肉と交代で串を焼く。その間他の連中には先に食べてもらうことに。


「やばっ、めっちゃ美味いじゃん!」

「さすがコストコ! さすが葵!」

「ソースうめー!」


 ステーキを食べていた三馬鹿が盛り上がる。他の奴らもでかい声は上げないものの、俺たちの焼いた肉を美味そうに食べてくれる。


「これだけ喜んでくれたら、暑い中火の前でずっと焼いてた甲斐があるな」

「ですね」


 汗をタオルで拭いながらも、葵の顔には笑顔が浮かんでいる。こうして彼女と一緒に料理をしたり、店でバイトするようになってから。葵の夢を少しだけ理解できた気がした。

 誰かの笑顔のために。幸せのために。それをなんの見返りもなく行う。憧れたスーパーヒーローになるため。

 葵はそれを、料理という手段で叶えようとしている。そして葵ならその夢を叶えることができる。現に今こうして、彼女の友人たちは彼女自身の料理で笑顔になっているのだから。俺はその手伝いをしたい。支えてやりたい。ほんの小さな力ではあるけれど、それでも。


「葵、お前もちょっと休んでていいぞ。これくらいなら俺一人でも大丈夫だから」

「そうですか?」

「おう。暑いんだしあんま無理すんな。とりあえず水分補給してこい。んで肉食え」


 ただでさえそれなりに細いのだから、あまり無理して熱中症にでもなられたら困る。

 案外素直に言うことを聴いてくれた葵は、軍手を外して焼きあがっているステーキやタンを紙皿に取って乗せる。それを横目で見ながら、俺は串を焼き続ける。あまりいっぺんに多くは焼けないので五本ずつちまちまと焼いているが、在庫はまだまだ残っている。焼きあがるたびに連中に声をかけているのだけど、誰も代わろうとはしてくれない。悲しい。まあ、個人的にもこっちの方が楽だからいいんだけども。

 しかしそろそろ腹が減ってきた。最初に焼きあがったステーキやタンなんかは冷めてしまっているのではないだろうか。


「真矢くん、真矢くん」

「ん?」


 そろそろ一旦休憩して俺も食事にしようかと考えていれば、葵に名前を呼ばれる。顔だけそちらに向ければ、紙皿の上に大量の肉と皮を剥いたエビを乗せて持っていた。その中の肉を一切れ箸で摘まむと、それをこちらに差し出してきた。


「はい、どうぞ」

「ん、サンキュー」


 パクリと一口。うむ、大変美味である。冷めてようが関係ないくらい美味い。さすがはコストコの肉。さすがは葵の調理。もはや慣れ親しんだと言っても過言ではないデミグラスの味と肉汁が口の中で広がり、刺激を与えられた俺の胃は更に肉を欲してしまう。

 それを察してくれたのか、口の中のものを嚥下してすぐに葵は次の肉を差し出してくれた。串を裏返しながらまたまたパクリと一口。


「美味しいですか?」

「もちろん」


 答えれば、葵が柔らかく微笑む。こんなに美味い肉が食えて、おまけに葵の可愛い笑顔も見れるとか。もしかしてキャンプとバーベキューって最高なのでは?


「あー、大神くんがまた夜露とイチャイチャしてるー」

「見せつけてくれちゃって」

「うるせぇ肉焼かねぇぞ」


 柏木と広瀬のせいで顔を真っ赤にした葵。別にイチャイチャしてるつもりはなかったのだけど。してなかったよな……?






 食事も終わりバーベキューの後片付けも全て済ませた頃には、既に日は沈み空は薄い青に染まっていた。もう数十分経てば山間にあるここは真っ暗闇に覆われるだろう。

 しかしそんな時でもパーリーピーポーするのがリア充魂。柏木が花火を持ってきていたらしく、それに火をつけてキャイキャイ騒いでいる。さすがに手持ち花火だけではあるけれど。


「よくもまあ体力が持つな……」


 一人呟いた俺は川の付近ではしゃぐみんなから少し離れた場所、テントの近くに腰を下ろしていた。因みに姉ちゃんと柳のお父さんはまだ酒飲んでる。飲み過ぎでは。

 昼の川遊びしてる時も思ったが、このグループの中でもやはり何組かに分かれてしまうらしい。朝陽と広瀬、葵の三人に、柏木と窪田の二人。今日はそこに小渕も混ざっている。それから三馬鹿の計三組。時折他のやつらに話しかけたりちょっかいを出したりしてるものの、基本的にはこの三つに分かれていた。

 まあ、この大人数で纏まって全員で常に会話するというのも逆に無理な話だろう。

 足元のネズミ花火をポケーッと見ていると、気がつけば空は完全な闇夜に包まれていた。見上げれば星が綺麗に輝いている。都会よりも山の中の方がよく見えるというのは本当らしい。いつも見上げる夜空より、ずっと近い。

 貧困な知識を頼りに星座を探していると足音が近づいてきた。顔を正面に向ければ葵がこちらに歩いて来ていて、腰を曲げて俺の顔を覗き込んでくる。この空と同じ輝きを秘めた瞳で、金色の瞳を。


「真矢くんも花火しないんですか?」

「俺はこれで十分」


 足元を指差せば、つられて葵の目線もそちらへ。そこにあるのはネズミ花火。の、燃えかす。それを見た葵もこれには思わず苦笑い。なんでだよ。いいじゃんネズミ花火。なんか可愛いし。

 文句を言おうかと正面の葵の顔を見やれば、視線はついその少し下、胸元の方に向いてしまった。昼間は結構暑かった故にかなり薄着だから、シャツと肌の間に出来た隙間からその中が覗けてしまっていて。奥にある白いレース生地も視界に入ってしまって。


「真矢くん? どうかしましたか?」

「……お前、さすがに薄着すぎるだろ。上にこれ着とけ」


 羽織っていた半袖のパーカーを脱いで手渡す。葵は怪訝そうな顔をしていたが、特になにも聞かずそれを着て俺の隣に腰を下ろした。

 葵がこちらに抜けてきたから、朝陽と広瀬は二人でなにやら楽しげに会話している。普段はどことなくやる気のなさそうな、ダウナーな雰囲気をまとっている広瀬ではあるけれど。朝陽とああして話している時はいつも楽しそうだ。それは恐らく、キャンプという非日常における要素も多分に含まれているとは思うけれど。


「今日は楽しかったですね」

「そうだな。まさかこの歳になって川遊びであんなにはしゃぐことになるとは思わなかったよ」

「ふふっ、真矢くん、とても強かったですもんね」


 そう、楽しかった。今日は本当に楽しかったのだ。まさか俺がリア充どもとつるんでパリピの真似事をする日が来るとは思いもしなかったが、今日一日がいい思い出になることは疑いようがない。

 だからこそ、胸の中で微かに疼く小さな棘が気になってしまう。


「なあ葵」

「はい」

「なんで、朝陽と広瀬を二人にしようとしてたんだ?」


 柏木に監視してろと言われるまでもなく、今日一日を振り返えってみればすぐに分かることだった。

 川遊びをしている時、バーベキューの役割分担、そして今。朝陽と広瀬は二人でいて、そこには葵の介入がある。よくよく考えてみれば、葵夜露はどちらかと言うとリア充側のグループに属している。だから集団行動での立ち回りも出来るし、持ち前の頭の良さもある。特定の誰かと誰かをくっつけようと動くことだって出来る。出来てしまう。


「凪ちゃんと伊能くんのためですよ」


 曇りのない純粋な笑顔は、なにも知らないが故のもの。無知は罪だとはよく言ったものだけれど、この場合はどうなのだろう。なにも知らせようとしない俺か、なにも知らない葵か。どちらの罪があって、罰が下るのか。


「きっと二人は両想いなんですから、少しでも応援してあげないとダメじゃないですか」

「二人のことにはあんまり首突っ込むなって言ったよな?」

「でも、私は凪ちゃんに助けてもらいましたから」

「広瀬はお前に助けを求めたのか?」

「それは……」


 分かっていたことだが、ここで言葉に詰まるということはやはり葵の独断らしい。漏れるため息は我慢できず、隣からはムッとした気配が。


「でも、友達の助けになりたいって思うのは、悪いことじゃないじゃないですか」

「時と場合によるだろ。なんもかんもに手を差し伸べることが絶対に正しいとは限らないんだよ」

「全部なんて求めてません。ただ、凪ちゃんと伊能くんの距離が、今よりも近づけばいいと思って」

「あの二人に今以上なんてない」


 断言する。伊能朝陽と広瀬夕凪の距離は、今のままで完全に完成されてしまっていると。

 広瀬が朝陽に淡い想いを抱いているのは昔から知っているし、朝陽が広瀬をどう思っているのかも、また。

 忘れがちだが、あの二人は親戚同士だ。はとこだからか顔も似ていないし学校でも同じクラスだけれど。間違いなく二人の関係性は家族である。

 そして、二人もその現場を維持することを望んでいる節がある。


「だから、お前がなんかしようとしても無駄っていうか、むしろ逆効果かもしれないんだよ」

「そんなの、分からないじゃないですか」

「分かる。俺はお前よりもあいつらとの付き合いが長いんだからな」

「……真矢くんの、分からず屋」


 小さく呟かれた声には、僅かな怒気が込められていた。これに驚いて隣を見れば、俺を睨む夜色の瞳と視線がぶつかる。

 幼馴染の恋路を応援しない薄情な男。今の葵には俺がそう見えているのだろうか。それも仕方のないことだとは思うけれど、だからと言って俺も言われたままでは気が済まなかった。


「分からず屋はどっちだよ……。もう一回言うけどな、あいつらがそれを望んだか? 今よりももっと近づきたいって、朝陽か広瀬のどっちかから聞いたのか?」

「聞いてません。でも、二人は私の友達です。だったら、なにも聞かなくても助けるべきです」

「さっきからそればっかだな。葵のその優しさはお前の美点でもあるけど、優しさだけで全部が解決するほど世の中甘くないんだよ。その優しさに首を絞められるやつがいるって分かれ」


 広瀬がどんな気持ちで葵を応援していたか。朝陽がなにを思って現場を維持させているのか。葵はなにも分かっていない。なにも知らない。当然だ。俺も含めた当人たちが必死に押し隠しているのだから。それを察して自分で考えて理解しろなんて、その方が無理な話で、それをされたら困るからこそ隠しているわけであって。だから、なにも知らない葵はなにも悪くない。

 葵が言っていること、やろうとしていることは正しい。でも、その正しさや優しさだけじゃ生きられないほどに息苦しいんだよ。この世界は。


「……もういいです。私は私がやりたいことをやる。そのために一歩を踏み出す。真矢くんが教えてくれたことです」

「あっ、おい!」


 立ち上がった葵はみんなの輪の中へ戻っていく。ただし、朝陽と広瀬の方ではなく、柏木たちの中に加わった。

 幼馴染たちは依然として二人だけで花火を楽しみ、他の連中も変な気を遣っているのか近寄ろうとはしない。柏木が一瞬こちらに視線を向けたが、気づかないフリをして空を見上げる。

 澄んだ空気の中にある星々は、腹立たしいほどに輝いていた。

 その輝きが、ずっと遠くなった気がした。

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