第50話 夏はこれから

 高校三年生の夏休みというのは、実は遊びやバイトにかまけている暇なんてなかったりする。なんせ受験が控えているのだ。普通なら塾なり予備校なりに行って、受験勉強をしているものだろう。

 俺がそうしていないのは、それらの講師よりもよっぽど優秀な先生様がいらっしゃるからなのだが。その話は今は置いといて。

 夏休みの宿題、というのがある。小学生や中学生にとっては地獄でしかないそれも、高校生にもなると別の意味で地獄を見ることになる。学校にもよると思うが、少なくともうちの学校はちゃんと宿題しておかないと夏休み明けの授業についていけないし、なんなら単位を落として留年の危険だってあるのだ。高三になると宿題の質は一変し、主に受験対策の色が濃くなるのでやはりちゃんとしておかないと地獄を見る。

 そんな夏休みの宿題にちまちまと手をつけている俺であるが、俺はあまり勉強が得意ではない。一学期の定期考査において葵のお陰で成績が上がったのを見るに、地頭が悪いわけでないと思うのだけれど。それでもやはり、一人で黙々と机に向かうには限界があるもので。

 集中力が切れてきた頃、一旦ペンを置いてリビングに降りた。


「誰もいないのか」


 両親は当然のように仕事だし、姉ちゃんがいるものだと思っていたけれど。降りてくる途中に通った姉ちゃんの部屋からも中に誰かいる気配はしなかったし。

 と、ここで今日が平日なことに気づく。そりゃ誰もいないわ。俺以外みんな社会人だし。休みが長すぎると曜日感覚が狂うからダメだ。バイトしてるからまだマシなものの、それがなければもっと酷いことになっていたかもしれない。そのバイトも今日は休みだし、暇な一日なにをして潰すか。


 さて。今は八月。もうそろそろお盆休みが始まるという頃。

 終わってみれば、随分とあっさりしていたものだと今でも思う。

 全国大会に出場した朝陽達バスケ部は、無念の初戦敗退。いくら朝陽がトップレベルのプレイヤーとは言え、全国はそうぬるくはなかったということなのだろう。

 東京から帰ってきた朝陽に、それまでの違和感は微塵も感じられず。店でいろんな奴らを呼んでお疲れ会を開いた時も、ただただ黒田たちと馬鹿騒ぎしているだけだった。俺はもちろん、柏木のやつも大会のせいだと結論づけたのだ。

 むしろ一周回って怪しいくらいに、俺たちの心配は綺麗さっぱり杞憂に終わった。

 まあいい。なにも起きないならそれに越したことはないのだから。それに、今の俺は機嫌がいいから、これ以上無闇に首を突っ込むような真似はすまい。

 なにせ初給料が入ったのだ。

 七月最終日に小夜子さんから手渡された封筒。その中には五人の諭吉さんが。

 いやぁ金銭的に余裕があるって素晴らしいな! 今の俺は無敵だぜ!

 というわけで、先日購入して冷凍庫に保存してあったハーゲンダッツを食べる。自分で働いて稼いだ金で買って食うダッツ。控えめに言って最高だね。家には誰もいないから、姉ちゃんに横取りされる心配もないし。

 やっぱり世の中金なんだよなぁ、と俺が世界の真理に辿り着いていると、突然家のチャイムが鳴った。

 はて、まだ昼前のこんな中途半端な時間に一体誰だろうか。俺の至福のダッツタイムを邪魔するとは余程のバカと見える。

 インターホンで外のカメラを確認してみれば、そこには幼馴染と恋人の三人が。何しに来たんだこいつら。

 ため息を吐きつつも玄関に向かい扉を開ければ、挨拶に手を挙げた朝陽といつも通りダウナーな広瀬と笑顔でこんにちはと言ってくれる葵。はいこんにちは。


「連絡くらい寄越してから来いよ……」

「細かいことは気にすんな。ハゲるぞ?」

「うるせぇお前がハゲろ」

「どうでもいいけど早く中に入れてくんない? 暑いから」

「へいへい」

「お邪魔しますね、真矢くん」


 この幼馴染どももちょっとは葵を見習ったらどうだ。お邪魔しますの一言もなしに家入るとか非常識すぎるぞ。まあ幼馴染だからこそ許されてるところはあるけど。

 三人を家の中に上げてリビングへ通す。とは言っても、朝陽と広瀬は勝手知ったるなんとやら。案内するまでもなく慣れた様子で廊下を歩いているのだが、葵はまだちょっと緊張するらしい。一番後ろから若干強張った背中を見ていると、それがなんだかおかしくて微笑ましくなる。

 リビングに入ってすぐ、朝陽はソファにどっさりと腰を下ろしてくつろぎ始めたのだが、広瀬は目敏くテーブルの上にあったダッツを発見しやがった。


「お、ダッツじゃん! もーらい」

「広瀬てめぇ俺のだぞ!」


 俺の抗議も虚しく、スプーンに掬われたハーゲンダッツバニラ味は広瀬の口へと運ばれる。さすがに一言文句を言ってやろうと思えば、しかし別方向から悲鳴のような声が。


「あー! ダメですよ凪ちゃん! それ真矢くんが使ってたスプーンじゃないですか! うらやま……じゃなくて、そもそも人のものを勝手に食べたらダメですよ!」

「なに夜露、まさか間接キスがどうとか言うつもり?」

「あ、うっ、べ、別にそんなつもりでは……」

「だよねー。今更だよねー。そもそもあたし達幼馴染なんだから、三人一緒にお風呂入ったことだってあるし」

「おおおお風呂⁉︎」

「どんだけ昔の話してんだよ」


 広瀬に翻弄される葵を見兼ねて、くつろいでいる朝陽から助け舟が出る。一緒に風呂入ってたのなんて十年以上前の話だ。


「つーか、俺のダッツ勝手に食うんじゃねぇ」

「事前に聞いたら断られるじゃん」

「当たり前だろ」

「朝陽も食べるー?」

「おー食う食う」

「お前らな……」


 こうして俺のダッツはその半分が幼馴染二人の胃に収まってしまった。物欲しそうな顔をしていた葵にも食わせてやったのだが、何故か顔は赤くなってたし。なに、まさかマジで関節キスがどうとか考えてたの? 直接したことあるのに?


「で、お前らマジで何しに来たわけ?」


 ダッツの残りを食いながら尋ねる。朝陽と広瀬がうちに来る時は大体暇を持て余してる時なのだが、葵も連れてきたと言うことはなにかしら目的があるのだろう。

 シンプルに暇だから四人で遊ぶため、と言う可能性もあるけれど。


「夏休みどこ行くかちゃんと決めとこうと思ってな。あとついでに昼飯食いに来た」

「タダ飯の方が主目的だろ」

「そうとも言う」


 そうとしか言わねえよ。

 しかし、なんだか懐かしい気もする。朝陽と広瀬がうちに遊びに来て、昼飯食って適当に帰る。昔はそれが当たり前だったし、進級する前までもそんな休日の過ごし方は珍しくなかった。

 葵とのことがあってから忙しない毎日を送っていたせいか、こうしてうちに集まるのは本当に久しぶりに思える。そんなに時間が過ぎたわけでもないのに。

 今は葵も加わたけれど、日常を取り戻したような気分だ。


「買い物行ってないから大したもんは作れないぞ」

「それでいいよ。お前の料理、俺まだ食ったことなかったし」

「いや、何回も食ってるだろうが」

「そうじゃなくて。夜露から聞いたけど、店でも作ってるんでしょ? あたし達まだ食べたことないからさ」

「大したもん作れないって言っただろうが。つーかいつものじゃんけんはどうした」


 前回、葵が初めて我が家に来た時はスマブラで決めたが、いつもはじゃんけんで昼飯当番を決めていたはず。だというのに何故俺が作る流れで話が進んでいるのか。解せぬ。

 結局俺の反論は聞き入れてもらえず、リビングで寛ぐ三人を尻目に昼飯を作ることになってしまった。葵は手伝いを申し出てくれたが、朝陽と広瀬の二人に捕まってしまい敢えなく手伝いを断念。なんか色々聞かせてもらうぜー的なことを言われてた。視線で助けを求められたが、今の俺は飯を作るという高尚な目的があるんだ、ごめんな……。

 さて。とはいえさっきも言った通り、大したものが作れるほど家に具材があるわけじゃない。元から四人分の飯を作ることなんて想定していなかったから、米もそこまで炊いていないだろうし。

 となれば選択肢はひとつ。

 そう、夏の風物詩ことそうめんである。


「出来たぞー」


 麺を茹でて皿に盛り付けてから三人を呼ぶと、白けたような四つの瞳が俺を射抜く。な、なんだよ、なんか文句でもあんのかよ。


「いやお前……そうめんってお前……」

「料理じゃないし……」

「わ、私はそうめんでも大丈夫ですよ! いいですよねそうめん! 夏って感じがして!」


 葵の優しさが心に染みる。マジでお前らは葵のことをちょっと見習えよな。でも葵の顔がちょっと赤いのはなんでなんでしょうね。お前らなにを聞いた。


「文句あるやつは食うな」

「ひとつもありません」

「そうめん最高!」


 手のひらクルクルやんけ。ラドンかよ。

 葵が俺たちのことをどこまで教えたのか分からないのは怖いところだが、あまり気にしていても仕方ない。

 四人分の箸とお椀、それからめんつゆを用意して昼食の開始だ。


「それで、どこに行くのか目星はつけてんのか?」

「ある程度はね。ただ、黒田達とか世奈と茜とかも来る予定だから、それなりの大所帯にはなるけど」

「あいつらも来るのか……」


 まあ、クラスでもまだ話しやすい奴らだし、この前の朝陽お疲れ様会でも店に来てたし。なんなら柏木に至っては俺と友達らしいから、交流のないクラスメイト達を連れて来られるよりマシだ。

 でも大丈夫だろうか。そんなリア充グループの中に俺が混ざったら確実に浮くと思うのだけれど。いやいや、今や俺も立派なリア充じゃないか。なんせ彼女持ちだぞ。文句なしでリア充ですわこれは。

 その彼女であるところの葵はクラスも違う上にあんまり交流のない黒田達も一緒で大丈夫なのだろうか。心配になって隣に座っている葵の方を向けば、小首を傾げてどうしたのかと視線で問うてくる。可愛い。


「で、その大人数連れてキャンプ行こうってなってるんだわ」

「キャンプ?」


 キャンプっていうと、あれか。美少女達が集まって富士山見たり鍋つついたりするあれか。脳内にめっちゃ渋い声が聞こえてきて松ぼっくりの説明とかしてくれるやつか。違うか。違うな。


「近くに川もあるから、水着も持っていった方がいいぞ」

「なるほど水着か」

「おう、水着だ」


 ニヤリと笑った朝陽に手を差し出し、男同士の固い握手。いいじゃん水着。女子も多いし。日頃の勉強に疲れた俺たちを癒すにはもってこいじゃん。


「全く、こいつらは……」

「あはは……」


 頭痛が痛いとばかりにこめかみを抑える広瀬と、思わず苦笑いを浮かべる葵。そんなこと言われましても仕方ないよ。だって男の子だもん。


「んで、それいつ行くんだ?」

「十日だな。全員の予定が合うのがそこしかなかった」

「おい。俺の予定も聞け」

「夜露に聞いたから大丈夫。バイトは休んでいいそうよ」

「俺に聞けよ!」

「あんたのことだから、どうせバイト以外に予定ないでしょ」


 その通りすぎてなんも反論出来なかった。

 今月の十日といえば土曜日。つまりバイトの日だが、小夜子さんから許可は出ているのか。まあ、そうじゃないと葵の予定も合わなくなるし当然だわな。

 でもなんか葵にスケジュール管理されてるみたいで複雑。ちょっと夫婦みたいじゃない。やだ恥ずかしい。


「つーわけだから、ちゃんと準備しとけよ真矢。水着のためにもな!」

「朝陽はもうちょっと欲望を隠す努力をしなさい」


 水着云々はひとまず置いておくとして。

 まあ、楽しみにしておこうじゃないな。高校生活最後の夏、余計なおまけもついてくるが、幼馴染二人に初めて出来た恋人と存分に楽しもう。


「真矢くんは、どんな水着が好みですか……?」


 ……いやこれは水着のことで頭いっぱいになりそうですね。

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