第49話 諦めないで!

 小夜子さんと勇人さんが帰ってきた頃には、既に日も沈みかけていた。夕方と言っていたわりには少しだけ遅い帰宅。柏木にも帰ってもらっていたから、とりあえずの事情は俺たちから話しておいたけれど。

 それからしばらくして店を閉め、俺も店を出て家に帰った。あまり長居していると俺と葵の間に漂う微妙な雰囲気に気づかれかねないから。しかも結局、俺から名前で呼ぶことは叶わなかったし。

 次に会うのは水曜のバイトの時。なんとかその時に呼べればいいのだけれど、果たして上手くいくかどうか。

 風呂にも入って軽く宿題に手をつけた後、特にやることもなく手持ち無沙汰なままベッドで横になっていると、枕元のスマホが着信を告げた。画面を覗き込めば、どうやら柏木からの電話らしい。


「もしもし」

『朝陽くんのことだけど』


 通話ボタンをタップしてすぐ、挨拶もせずに柏木の急かされたような声が飛び込んでくる。なにをそんなに焦っているのかは知らないが、アイサツしないとスゴイシツレイなことをこいつは知らないのだろうか。古事記にも書いてあるような常識だぞ。


「待て待て落ち着け。いきなりどうした」

『今日お店で言ってたでしょ。朝陽くんの様子がおかしいって』

「おかしいとは言ってないけどな。最近朝陽と会ったかは聞いたけど」

『似たようなものじゃん。てっきり大神くんは、わたしが分かってる上で聞いてきたんだと思ったんだけど。違った?』

「そこまで先のことを考えてたわけじゃねぇよ」


 どうやら柏木は、あの時のあの質問を後で電話で詳しく話したい、という合図と受け取ったらしい。全くそんなつもりはなかったのだが、冷静に考えるとあの場で聞くような話でもなかった。

 嬉しい誤算というやつか。結局こうして向こうから連絡くれたのだから。


「で? 人間観察が趣味の柏木さんは、なにか分かっておいでで?」

『言い方が嫌味ったらしいなー』

「気のせいだ」

『そういうことにしといてあげる。……まあ、なにか分かったかって聞かれると、多分大神くんが持ってる情報以上のことは分からなかったかな。実際、ちょっと無理してるというか、違和感を感じる程度だったし』

「俺、お前にそこまで教えてないんだけど……」

『やだなー、これくらい見てたら分かるよ』


 恐るべし柏木世奈。俺が今の朝陽を見てどう思ったのかなんてカケラも教えてないのに、何故あの短いやり取りの中で読み取ってしまうのか。地霊殿に帰ってください。


「てか、どんな会話したんだ?」

『んー、当たり障りない普通の会話だよ。部活の大会近いねーとか、大神くんと夜露のこととか、夕凪のこととか』

「当たってるし障ってるんだよなぁ……」


 むしろ突進して当たりにいってるレベルじゃねぇか。


『いやいや、本当になんでもない会話しかしてないよ? 最近大神くん達と会ったのか聞いただけだしさ。全く表情変えずに話すもんだから、ちょっと突っついたくなっちゃった』

「興味半分で地獄見ることになっても知らねぇぞ」

『その場合地獄見るのは大神くんじゃん』

「見捨てるなよ協力者」

『気が向いたらね』


 柏木がいつ朝陽と会ったのかは知らないが、少なくとも昨日以降だ。分かっていたことだが、今日の朝からあいつがおかしかったわけではない。そのずっと前から。

 一月以上前から、ということはないだろう。俺はあいつの口から、あいつの声で聞いている。俺に向けた、真摯すぎる紳士な言葉を。

 ならば最も直近の転換となり得るのはいつか。


「なあ柏木。朝陽と話してる時、あいつなんか弱音みたいなの言ってなかったか?」

『朝陽くんが? まさか、この前に限らず今まで一回も聞いたことないよ』

「だよな……」


 俺と同じ言葉を聞いていて、しかし柏木がそう判断しなかった、ということはないだろう。こいつは俺よりもよほど洞察力と観察力に長けたやつだから。

 さて、となれば、だ。朝陽自身も俺に対してあんなことを、部活引退後のことを話してしまったのは誤算であったのだろうか。もしくは、敢えて俺には本音に近いところを漏らしたのか。それは本人のみぞ知るところだが、俺がその言葉を聞いた事実だけは変わらない。


『まあでも、なにか悩みがあるのは事実だよね』

「そうだな……身体動かしてた方が色々考えずに済む、みたいなこと言ってたし」

『順当に考えれば、四人のことだとは思うんだけどなー』

「その具体的なとこまでが見えてこないから、どうしようもない」


 朝陽にとって転換となり得るのは、直近で言えば先週の日曜日だろう。俺のバイトしてる様子を見に来たとか言って、広瀬と一緒に店に訪れた日。

 しかしあの日は、店も忙しくまともに会話しないままあいつらは帰ったはずだ。きっかけとなるような出来事はなにも起きていない。


「今はあんまし考えすぎても仕方ないか……」

『そうだね。そもそも、まだほんのちょっと違和感があった程度だし、わたしたちの考えすぎってこともあるしさ。案外、大会終わったらいつも通りに戻ってたりするんじゃない?』

「かもな」


 杞憂に終わってくれれば、それに越したことはない。あいつの大会が終わったら、みんなで遊びに行く予定だってあるのだ。今はそれを楽しみにしていよう。


『そ、れ、よ、りー。大神くんさぁ、今日のあのヘタレっぷりはなんなのかな?』

「……おっしゃる意味が分かりません」


 急に声の調子がからかい混じりのものに変わった柏木。しらばっくれてみるものの、どうやら逃してくれないようで。


『せっかく夜露が頑張ってるんだから、大神くんもそれに応えるべきだと思うけど』

「分かってるよ……」


 それくらい、分かっている。あいつから向けられる好意は嘘偽りのないものだし、それに答えたいとも思っている。


『タイミング逃したーとかは言い訳にならないよ?』

「それも分かってるし、言い訳するつもりもない」

『ならなんで呼んであげないの?』

「……どういう風に近づけばいいのか、分からないんだよ」

『は?』


 タイミングを逃したなんてのは理由にならない。言い訳でしかない。

 だから、強いて理由を挙げるなら。

 分からないのだ。葵夜露と、どのようにして距離を縮めればいいのか。

 今更どの口が、と思われるかもしれない。でも、いつだって俺たちの距離が近くなっていたのは葵の行動のおかげだった。四月に出会った時から今日の朝まで。

 告白は俺からしたかもしれない。あいつが塞ぎ込んでしまった時、声をかけに行ってやったかもしれない。けれど元を辿れば、その行動は葵に突き動かされたからで。

 ああ、白状しよう。なまじ今まで他人と距離を取りすぎたせいだ。他人に近づこうとは思わなかったせいだ。朝陽も広瀬もまひるさんも、みんな向こうから俺に近づいてくれた。こんな奴を気にかけてくれた。

 だから、いざ自分から近づこうとすると、どのように振る舞えばいいのか分からなくなる。なにが正解でなにが間違いなのか知らないから、臆病になってしまう。

 こんなことを話すのは柏木が初めてだった。朝陽や広瀬はおろか、まひるさんにすら話したことがない。話せるわけがない。

 だが、俺のそんな話を聞いた協力者は、呆れた声で言うのだ。


『大神くんって、ひょっとしてバカなの?』

「言うに事欠いてバカとはなんだ」

『いやだって、バカじゃん。大バカじゃん。空前絶後の超絶怒涛のバカ野郎じゃん。もはや今世紀最大だよ』

「いい加減泣きたくなって来たんだけど?」


 てか語彙力。バカ以外にもうちょいなんかあるだろ。なんかこう、バカにされ甲斐のある語彙でバカにしろよ。バカにされ甲斐のあるってなんだ。バカか俺は。バカだった。バカバカうるせぇ誰がバカだ!


『他人との近づき方に正解も間違いもないでしょ。いや、ちょっと違うかな。正解が分かってないからこそ、みんな人間関係に四苦八苦するんじゃん。朝陽くんだって夕凪だって、わたしだってそんなの分かんないよ。だからこそ面白いんでしょ』

「面白い、か?」

『面白いかどうかは置いといて、ちょっとは夜露を見習ったら? わたしとか朝陽くんみたいなのはあんまり大神くんの参考にならないだろうしさ』

「つまり後先考えるなと」

『そのとーり』


 葵の真似をしろ、と言われてさすがにその通りしようとは思えないけれど。こうしてウダウダと考えてる暇があれば行動に移せと、柏木はそう言いたいのだろう。

 逆にそれが出来ないからこそこうして考え込んでしまっているわけだが、そんな言い訳こいつに通用するとは思えない。


『ていうか、悩む要素ある? 今回に至っては名前で呼んであげるだけでいいんだよ? ほら、練習ついでにわたしの名前呼んでみたら?』

「世奈」

『おぉう……そうもあっさり呼ばれちゃったらそれはそれで複雑……』

「俺にどうしろと……」


 呼べと言われたから呼んだのに。この小悪魔的にはしどろもどろになる俺をからかおうという算段だったのだろうが、別に柏木の名前を呼ぶ程度造作もない。


『ま、好きな子相手だから意識しすぎてるだけかもねー。大神くん、夜露のこと大好きだもんねー』

「そうだよ悪いか」

『あれ、意外と素直に認めちゃうんだ』

「そこを認めないわけにはいかないだろ」

『ここまで開き直ってるんだから、名前くらいちゃちゃっと呼んじゃえばいいのに』

「おっしゃる通りですね……」


 全体的に柏木の言うことのほうが正しすぎて反論も出来なかった。ぐうの音も出ないとはこのことである。

 けれど、開き直れてるのは柏木が相手だからというのも大きな理由の一つであって。これが朝陽や広瀬相手なんかだと、ここまでのことは言えないだろう。葵が相手でも言わずもがな。


「まあ、あれだな。明日以降の大神真矢にご期待くださいってやつだ」

『打ち切り漫画じゃないんだから、今日から頑張って欲しいところなんだけど。まあ、仕方ないか』


 呆れというよりも諦めに近いため息を零した柏木から、最後に頑張るよう釘を刺されて通話は終了した。

 頼むから諦めないで。今のところ頼りになる味方はお前だけなんだからな!

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