第44話 かけてやりなよデミグラス
ひまわり畑でまひるさんと予想外の遭遇をしてから二日後。水曜日である今日はバイトの日だ。
別れ際にまひるさんから投げられた言葉の意味を昨日までずっと考えていたのだけど、それで簡単に分かってしまえばあの人の相手は苦労しないというもので。新学期になれば分かると言っていたのだし、とりあえずは置いといていい問題だろう。
今俺が対面すべきはそんなものではなく、もっと重要で難易度の高い問題だ。
「うん、十分及第点には達してるわね。道具とか火の使い方も問題ないし、ちゃんとレシピ通りにこなせる上に手際も悪くない。普段から料理してるのが分かるわ」
「ありがとうございます」
俺の作ったハンバーグを一口食べた小夜子さんが満足げに頷く。どうやらお眼鏡に叶ったらしい。まずは第一歩、と言ったところか。
俺がバイト先の店で料理を、それも店のメニューを作っているのには勿論理由がある。
そろそろホール作業にも慣れてきたから、今度は厨房の方をやってみないかと小夜子さんに持ちかけられたからだ。
正直、願ってもない提案だった。むしろこちらから頭を下げて頼みたいくらい。
一応それなりに自信はあった。休日の昼は家に誰もいないか俺と姉しかいないかなので、必然的に飯は俺が作っていたのだ。朝陽や広瀬がうちに来た時だって、じゃんけんなりなんなりでその日の昼飯当番を決めていたりした。とは言っても、今まで作って来たものなんて炒飯や野菜炒めやパスタなんかの簡単すぎるものばかり。ハンバーグなんて今回が初めてだったが、用意されたレシピ通りに調理すれば難なく完成させることができた。これは俺の腕以上に、レシピが正確に書かれていたお陰だろう。
そしてそのレシピを作成した張本人こと葵は、さっきから小夜子さんの隣で物欲しそうに俺の作ったハンバーグを眺めている。
「お母さん、私も食べていい⁉︎」
「それは大神くんに聞きなさい」
「大神くん……!」
いっそ悲壮な面持ちで、葵はこちらに顔を向けた。元より断るつもりなんてなかったし、葵にも食べてもらう前提で作っていたから問題ないのだけど。そんな顔を向けられては、思わず苦笑が漏れてしまう。
「勿論いいよ。美味しくなくても文句はなしな」
「やったっ! 頂きます!」
箸で一口サイズに切り分けたハンバーグを口に運ぶ。咀嚼する葵の顔は満面の笑み。幸せオーラ全開である。
作った側からするとありがたいのと同時に、どこか照れ臭くなってしまう。俺が葵の料理を食べて褒める時、葵も似たような気持ちだったんだろうか。
「とっても美味しいです!」
「それは言い過ぎだろ」
「いえ、そんなことないですよ!」
「だったらお前のレシピのお陰だよ」
「えへへ、ありがとうございます」
ポンポンと軽く頭を叩いてやれば、葵の口元がだらしなく歪む。うん、可愛い。こういう事を普通に出来るくらいには、俺たちの距離も縮まっている。
頭から手を離せば、葵は続けざまにパクパクとハンバーグを食べて行く。その姿が微笑ましくて一人和んでいると、しかしそれを打ち切るように鋭くも厳しい言葉が響いた。
「イチャついてるところ悪いんだけど、それで満足しないでもらえる?」
「え」
言葉とは裏腹に笑顔の小夜子さん。しかしそこには、謎の凄みが。
思わず一歩後ずさってしまう俺。ハンバーグを頬張りながらキョトンと小首を傾げる葵。
「いや、でも、さっき十分だって……」
「及第点、とも言ったわよ。レシピ通り作ってたんだから、そりゃうちの味をちゃんと再現出来てるけどね。じゃあ大神くん、これをお客様に出す時も、同じように作れる?」
「それは……」
出来る、とは言えない。試食してもらうだけではなく、商品として提供する。つまりそこに金銭が絡む。そうなる以上、半端なものを作るわけにもいかないし、ミスして食材を無駄になんて出来るわけもない。
緊張感が違いすぎるのだ。さらに言えば、客は一人ではない。次々とやってくる注文を一つ一つ丁寧に作る。しかし速さは損なわず。
「まあそういうわけだから、大神くんにはまだまだ頑張ってもらわないと困るってわけ。とは言っても、初めてでここまで作れてるんだから後は慣れの問題。私と夜露で色々教えてあげる」
「大神くんならすぐに出来るようになりますよ!」
そこまで言われれば、頑張るしかないか。それに、これで少しでも葵の助けになるのだと思えばモチベーションも上がる。
「でも、なんで急に厨房の方まで教えてくれるんですか?」
「さっきも言った通りよ?」
「いや、そうじゃなくて。いくらホール作業に慣れたからって、さすがに性急すぎじゃないかなって思いまして」
「……夜露。あなたもしかして言ってないの?」
「へ?」
気がついたらハンバーグを全部食べてしまっていた葵は何か考える素振りを見せた後に、あっ、と声を上げた。
なに、どしたの?
「はぁ……我が娘ながらなんでこんなに抜けてるかな……」
「ごごごごめんなさい忘れてましたぁ!」
「……あの、なんの話?」
さっきまで呑気にハンバーグを食べていた葵は突然慌てふためき、小夜子さんが呆れたため息をこぼす。話についていけない俺は頭の上に疑問符を浮かべるのみ。
でも小夜子さんと勇人さんの子供がこんなに抜けてるのは本当にどうしてなんでしょうね。世界三大七不思議の一つだわ。
「ああごめんね。今週の土日の話なんだけど、私も勇人さんもいないから、夜露と大神くんにお店を任せたいのよ。月曜にちゃんと伝えときなさいって言ったのに、この子は……」
「俺たちにって、大丈夫なんですか?」
「心配しなくても問題ないわ。夜露には今までも何度か一人でお願いしてるから、ある程度のことは叩き込んでるし」
思い返せばたしかに、ここに来た時は何度か小夜子さんも勇人さんも姿を見ないことがあった。勇人さんに至っては一度しか見かけたことがなかったし。
話を聞けば、どうやら新しい食材の調達先に色々と交渉してくるらしい。場所は東北の方。向こうで一泊して帰ってくるとのことだ。その土日の間に葵が一人で厨房に立つことになるのだが、もしも一人でも捌き切れないくらい忙しくなった時のために、今日俺に色々と教えてくれたらしい。
「そういうことなら分かりました」
「迷惑かけるわね。夜露が変なことしないか見張っててちょうだい」
「へ、変なことなんてしないもん!」
もん、ってお前。可愛いなおい。
だがまあ、これまでも葵一人に任せたことがあると言うなら大丈夫だろう。むしろ俺が余計なことをして足を引っ張ってしまう可能性の方が高い。や、余計なこととかするつもりないんですけどね。
その後も土日のことについて色々と話し合っていたら、店の扉が開く音がした。どうやらここで中断らしい。まあ、後は葵と小夜子さんで話し合って貰えばいいか。
そう思い客を迎えるために厨房から出れば、店に入って来たのは見知った人物が二人。
「やっぱ平日は空いてるわね」
「あ、大神くん本当にいるじゃん! しかもイケメンモード!」
「なんだお前らか」
広瀬と柏木だ。どうやらいつも一緒にいる窪田はいないらしい。
勝手知ったるなんとやら。広瀬は適当に空いてる席へ向かい、初めて来たらしい柏木が店内を見回しながらもそれに続く。
てかイケメンモードってなんだよ。
「大神、敬語」
「えぇ、他に客いないんだしよくない?」
「そっちの方があんたを顎で使ってる感じがして楽しいし」
とんだ幼馴染である。たんなるクソ野郎じゃねぇか。
こうなれば意地でも敬語なんて使ってやるか、と思っていたのだが、コップに水を入れた葵が来てしまった。
「いらっしゃいませ、凪ちゃん、世奈ちゃん!」
「やっほー夜露」
「久しぶりだねー」
ここは葵に任せて俺はその場を離れる。あいつらの相手をしてると疲れるから。特に柏木。夏休みになって直接会うのは今日が初めてだから、なにを聞かれるか分かったもんじゃない。
「別に他にお客様がいなかったら、無理して敬語使わなくてもいいのよ?」
「俺も敬ってもいない相手に敬語なんて使いたくないんですけどね」
カウンター越しに話しかけて来た小夜子さんにため息交じりで言えば苦笑が返ってくる。
どうやら女子三人は夏休みに入ってからの話で盛り上がってるらしい。どこに行っただのなにをしただの、まだ数日しか経ってないのによくもまあそんなに話せるものだ。さすがはリア充。
やがて話がひと段落ついたのか、葵がパタパタと小走りで戻ってきて受けた注文を告げる。
「ハンバーグセットとミートドリアお願いします」
女子なのに随分と肉肉しい注文だな。あれか、いっぱい食べる系女子か。聞いてた感じ柏木がハンバーグ頼んだっぽいけど、こりゃまたイメージにそぐわない。
「そうだ、せっかくだから大神くんが作ってみる?」
「いいんですか?」
小夜子さんから唐突な提案。作らしてもらえるならありがたいが、まさかお鉢が回ってくるとは思わずつい聞き返してしまった。
「言ったでしょ、慣れの問題だって。お友達に振る舞うならいくらか気が楽なんじゃない?」
「まあ、見知らぬ他人に作るよりは」
「じゃあハンバーグお願いね。夜露、手伝ってあげなさい」
「はい! 大神くん、なにか分からないことあったら遠慮せず聞いてくださいね!」
というわけで、半ば強引に俺がハンバーグを調理することになってしまった。どうやら広瀬と柏木の二人にも聞こえていたようで、柏木なんか何故か無駄に期待した目でこちらを見ている。
やめろ、ハードルを上げるな。別に特別なハンバーグなんて出てこないぞ。付け合わせのスープも特別じゃないからな。
とは言え、調理自体はとてもシンプルだ。ひき肉と野菜を捏ねるところから始まるわけではなく、開店前に下拵えした分が既にある。それをフライパンで焼いて、盛り付けに野菜を幾つか乗せ、最後に自家製デミグラスソースをかければ終わり。ただし焼き加減やひっくり返すタイミングなんかを間違えるわけにはいかない。
レシピ通り、手順通りに調理を進める。葵の手を借りるまでもない。これくらいは一人で出来ないと、葵の助けになんてならないだろう。
しばらくしてから完成したハンバーグを皿に盛り付け、セットのライスと付け合わせのスープと一緒に葵が運んでくれた。ドリアはハンバーグよりも多少手間がかかるからまだ完成していない。
「お待たせしました、ハンバーグセットです」
「おおー、すごい。大神くんって料理も出来るんだ」
「あいつ、休みの日は自分で昼ごはん作ってるからね」
「さすが幼馴染、よく知ってるねー」
言いながら割り箸を割っていただきますと告げる柏木。一口サイズに切り分けられたハンバーグが、その小さな口へと運ばれる。
はてさて、お味の方はいかに。
「ん〜〜〜! 美味しい!」
「ですよね! 美味しいですよね!」
美味しいのはレシピを考えた葵家の人のお陰だから、俺の実力ってわけじゃないんだけどね。俺に一人に全部任せてみろ。肉と野菜に焼肉のたれぶっかけるだけで終わるぞ。
それからしばらくも経たないうちにドリアも出来上がり、小夜子さんに頼まれて席へと運ぶ。
「お待たせしました。ミートドリアでございます」
「うむ、苦しゅうない」
「お前はどこ目線なんだよ」
「お客様目線だけど?」
お客様目線ってそれ、店側が使う言葉じゃなかったっけ。お客様目線でカスタマーサイドに立つ、的な感じで。
いかん、一瞬意識が高くなってしまった……ろくろ回ししちゃうとこだった……。一歩間違えればこの場でラップバトルにまで発展しちゃってたぞ。
「大神くん、ハンバーグめちゃくちゃ美味しいよ!」
「はいはい、さっき聞こえてたから」
「もうやばいね! このお店のリピーターになっちゃう! 毎日大神くんのハンバーグ食べたいくらい!」
「できればハンバーグ以外も頼んでくれ」
毎日ハンバーグは胃もたれするよ? それともそれに耐えられるくらい柏木の胃は頑丈なのだろうか。あと、毎日食べたいとか紛らわしいこと言わないでください。そこに葵がいるんだぞ揶揄うのちょっと自重しやがれ。
しかし葵は柏木の発言になにも思わなかったのか、ていうか単に気づいていないだけなのか、平然とした顔で広瀬とお喋りに興じている。さすがの柏木もこれには困り顔。
お得意の揶揄いが通用しない葵は、もしかしたら柏木の天敵なのでは。
てかお前ら、くっちゃべってないではよ食え。そんで店出ろ。
「そう言えば夜露、あんたちゃんと言えたの?」
「なにがですか?」
「ほら、あれよあれ」
はて、葵はまだ俺になにか言ってないことがあるのだろうか。広瀬が知ってるということは店に関係することじゃないだろうし、答えは限られてくる。
俺なりに考えてみて答えに行き当たったのと、隣に立っている葵が小さく声を上げたのはほとんど同時だった。
「いえ、その、まだ、というか……」
葵が俺に言えていなくて、広瀬がわざわざ言葉を濁すようなこと。そんなの、一つしか思い当たらない。
口ごもる葵の方をちらりと見やれば、タイミングが良かったのか悪かったのか。同じく俺の方に視線を向けていた葵の、濡れた瞳とぶつかる。
ほんの一瞬だった。闇夜の瞳と金色の瞳が絡まりあったのは。けれど俺には、その一瞬がとても長く感じてしまって。
永遠とも須臾とも取れる時間が終わったのは、目の前にある綺麗な顔の白い肌が真っ赤に染まったから。
「あああああのあのあの私まだやることあるので失礼しますね⁉︎⁉︎」
言うや否や、厨房の奥どころか家の中までダッシュで逃げ去る葵。うーん、この感じなんか久しぶりだな。瞬間湯沸かし器かよ。
取り残された俺は、恐らく彼女と同じ色になっているであろう顔を片手で覆った。
「先は長そうだね、大神くん」
「長すぎて欠伸出るわよ。まあ、こればっかりは大神に言っても仕方ないか」
果たして俺は、あんな調子の葵から『好き』の一言を引き出せるのだろうか。
女子二人のため息と、若いっていいわねぇと呟いた小夜子さんの声が店内に響いた。
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