第43話 昼と夜

 全く予想していなかったといえば嘘になる。現在彼女が過ごしているのはすぐそこにある病院なのだし、このひまわり畑の具体的な場所を聞いた時から、もしかしたらとは考えていた。それでも、この人が病室から出るところなんて見たことないしそんな話も聞いたことなかったから、確率はかなり低いと高を括っていたのだ。

 なるべく避けたい事態でもあった。理由を聞かれれば明確な答えを返せるわけではないのだが。それでも、今このタイミングでは避けたかった。出来れば朝陽と広瀬も一緒にいて欲しかったというのが本音だ。いつかは紹介するつもりでもあったし。

 果たして邂逅してしまったのは、夜露滴る葵の花と真昼に輝く月。

 そんな二人がお互いを認めた時の反応は、やはり対象的だった。一方は眼前で佇む銀に見惚れて息を呑み、もう片方はそんな黒を見定めるように不躾な視線を投げる。

 隣の少女と繋いでいる手から、僅かな緊張が伝わってきた。葵が我に返っても、まひるさんは視線を外す気配はない。それを見兼ねて苦笑を浮かべながらも、まひるさんの視線を遮るように間に立つ。


「久しぶりです、まひるさん。外出ても大丈夫なんですか?」

「なんだ、君には話したことがなかったか? 入院したての頃はよく来てたんだよ」

「初耳ですね。そもそもこのひまわり畑の存在すら今日知りました」

「それはさすかにどうなんだ……。もう少し周りにアンテナ張り巡らせなよ。君は視野が狭すぎるんだ」


 呆れたように言うまひるさんは、それで、と言葉を区切り、再び俺の背後にいる葵へ視線をやる。


「その子が噂の葵夜露か。その様子だと、上手くいったみたいだね」

「お陰様で」

「ははは、もっと感謝したまえ」

「調子乗んな」

「つれないね」


 肩を竦めて戯けてみせるまひるさんに、ついため息が漏れてしまう。こんな時でも相変わらずらしい。そのマイペースっぷりがらしいと言えばらしいのだが、はてさて今回はこの人にどの程度見破られてしまうだろうか。

 どうせ、幼馴染二人も含めた四人の関係に進歩がないことくらいは、容易く見抜いてくるだろう。

 いつも通りの会話を交わした俺たちに、怪訝そうな声を上げたのは俺の後ろにいる葵だった。


「あの、そちらの方は……?」

「ああ、この人は──」


 紹介しようとして、しかし。ひまわり畑に似つかわしくない寒々とした銀鈴の声が響く。


「初めまして、月宮まひるだ。君のことは彼からよく聞いてるよ。いやはや本当、ボクの娯楽に刺激を加えてくれて感謝してるぜ?」


 こちらに歩み寄って来たまひるさんが、白い腕を伸ばしてくる。その意図を察したであろう葵は、彼女らしい笑顔で握手に応じた。


「葵夜露です。えっと、一応、大神くんの、か、彼女、です……」

「ククッ、一応、ねぇ?」

「あ、いえ! ちゃんと彼女です! はい!」


 顔を真っ赤にして訂正する葵は大変可愛いのだけど、このままではまひるさんの餌食になるだけ。俺にもとばっちりが飛んで来そうなので、あんまり虐めないであげて欲しい。

 含み笑いを消さないままのまひるさんが、こちらに視線を寄越す。


「話に聞いていたよりも可愛い子じゃないか」

「そりゃどうも。立ったままもなんですし、俺らこれから昼飯ですから。一緒に来ますか?」

「おや、二人の邪魔をしても?」

「あんたが邪魔しようと思わない限り邪魔にはならないんで。葵もいいよな?」

「はい。私は全然いいですよ」

「ではお言葉に甘えようか」


 上機嫌な笑顔のまひるさんが歩き出し、俺たちもその後ろに続く。

 このひまわり畑には広場が存在していて、そこでレジャーシートを広げて弁当を食べてる人も少なくはない。夏休みだから子供連れも多く、さっきちらっと見た限りでは広場では父親とキャッチボールをしている男の子や、追いかけっこをしている兄弟などがいた。

 そしてその広場へ向かう道中。当然と言えば当然なのだろうけど、周りからめっちゃ視線を感じる。

 陽の光を浴びて輝く銀色の髪を持ったまひるさんは、俺たちと一つしか歳が違わないのに完成された美しさを醸し出している。

 一方の葵は、艶やかな黒髪に白のワンピースと麦わら帽子がよく似合っている。たしかに美人ではあるのだけど、未だ幼さを残した顔立ちだ。未完成ゆえの美しさ、とでも言える

 ものがそこにはあった。

 そんな二人を侍らせて歩くのは、柏木曰くイケメンらしい俺。老若男女問わず視線を集めるのは仕方ないことか。

 ほら、そこの小学生くらいの男子なんか完全に二人に見惚れてるし。まあ、見た目だけなら完璧だからな、この二人。中身はともかく。

 広場に到着した俺たちは、木陰でシートを広げることにした。日傘を差してたまひるさんに配慮した結果だ。そうじゃなくてもこの直射日光は俺も避けたい。


「おぉ、これは中々……」


 シートの上に広げられた弁当を見て、まひるさんが感嘆の声をあげた。唐揚げやエビ天などの揚げ物に、ハンバーグやミートボール。店で使ってる自家製のドレッシングがかかったサラダも。おにぎりはしゃけと昆布と梅干しの三種類らしい。

 いつも病院食のまひるさんからすれば、とんでもないご馳走だろう。


「どうぞ、召し上がってください」

「ではこいつから頂こうか」


 まず最初にまひるさんが手をつけたのは唐揚げだ。店にはないメニューだが、葵が作る中で俺が一番美味しいと思ってるもの。

 上品な所作でそれを口に含んだまひるさんは、カッと目を見開いた。どうやらご満足いただけた様子で。俺が作ったわけでもないのに、つい得意げな顔になってしまう。


「美味しいな。これはたしかに、君が胃袋を掴まれるわけだ」

「ふふん、そうでしょうそうでしょう」

「なぜ君がドヤ顔になる。自分は誇れるものがないからって人の手柄を取るのは感心しないぜ。ムカつくからその顔はしまってくれ」

「一言余計なんだよなぁいつも」


 ため息を吐きながら俺も弁当に手をつける。うん、ハンバーグもやっぱりいつも通り美味しい。これをいつも食べれてる俺ってやっぱ幸せ者なのでは?


「ボクが毎日味気ない病院食だと言うのに、君がこんな美味しい料理をこんな可愛い彼女に作ってもらってると思うと、羨ましいどころか憎く思ってしまうよ」

「そこは素直に羨むだけにしてくださいよ」

「丑の刻参りでもしようか」

「病院に新しい怪談が生まれるから勘弁してください」


 なんていつも通りの会話をまひるさんと繰り広げていると、隣からクスクスと笑う声が。


「お二人とも、仲が良いんですね」

「まあ、まひるさんとは中1の時からの付き合いだからな」

「なんだかんだでもう五年は経ってるのか。時の流れというのは残酷なものだが、君は相変わらず可愛げがない」

「そりゃ悪うござんしたね」

「そんなに前からお知り合いだったんですか?」

「なんだ、彼から聞いてないのか?」


 その問いに葵が頷く。まひるさんの口元にはいやらしい笑みが。マズイ、これはいらんこと言われる兆候だ。早急に話題を変えなければ。


「ところでまひるさん、本当に外出てきても良かったんですか?」

「真矢君とは中学の時に色々とあってね。まるで金魚のフンみたいに私の後ろを付いてきていたものだよ」

「無視すんなよ」


 金魚のフンは言い過ぎじゃない? なんでそんなに悪意マシマシなんだ。もうちょい言いようがあるだろ。カルガモとか。


「しかしまあ、そのあたりはそのうち本人から聞いてくれたまえ。ボクが勝手に教えていいものでもないからね」

「……」


 その言葉があまりにも意外すぎて、思わず目を瞠った。まひるさんのことだから、面白がってあることないこと吹き込むもんだと思っていたのだけど。

 まひるさん的にも、あの頃の出来事には思うところがあるのだろうか。

 不躾に視線を投げすぎていたのか、それを見咎めたまひるさんがこちらを向く。その顔には尚も笑みを消さずに。


「おや、どうかしたかい? ボクに告白しようとして結局出来なかった大神真矢君?」

「俺の感傷を返しやがれ!」

「そんなものボクの知ったことじゃないな」

「ちょっとは可愛い後輩を思いやってくれてもいいんじゃないですかね」

「可愛い後輩? はて、誰のことを言っているのか。今のボクは君と同じ学年だぜ」

「大神くん、月宮さんのこと好きだったんですか?」


 問うてきた葵は、キョトンとした顔にいつも通りの声音と、純粋に疑問を抱いているだけに思えた。ただほんのちょっぴり、そこには嫉妬のようななにかが見える。

 そのことが嬉しくて。微苦笑を浮かべながらも当時のことを話した。自分でも驚くほどにすんなりと。


「いや、好きじゃなかったよ。好きだって勘違いしてたんだ」

「それって……」

「ああ、ただ憧れてただけなんだよ、この人に。ほら、前に言っただろ? 俺ってこんな色の眼してるから、昔は周りから色々言われててさ。で、まひるさんも髪がこれだから、ある意味俺と同じ境遇だったわけ」


 言いながら、当時のことを思い出す。たしかに周りのやつらから色々と言われるのは耐え難いことだったし、苦い思い出だけれど。

 でも、それを上回るほどに楽しい思い出があるのは、他の誰でもないまひるさんのお陰だ。勿論それは、朝陽や広瀬だって変わらない。

 まひるさんは体も弱く、体育の授業なんかはいつも見学していた。髪の色とそのことも合わせて、学校のやつらはあることないこと囁いていたのだ。

 それでもまひるさんは堂々としていた。同じ境遇の俺に、手を差し伸べてくれた。

 だから、勘違いした。憧れと好意を履き違えた。そしてまひるさんが卒業する時、そんな俺を窘めてくれた。


「今思えば、なんでこんな性格悪い人のことを一瞬でも好きだなんて勘違いしてたのか、全く分かんないんだけどな」

「当時からボクは美人で有名だったからね。仕方ないことさ」

「間違ってるけど間違ってないのが腹立つ……」


 話し終え、葵の様子をチラリと伺う。とても真剣な顔で、話した内容を咀嚼するように、けれどどこか悲しい目をしていた。

 昔のことを具体的に話すのは初めてだ。心優しい葵のことだから、俺たちの境遇に心を痛めているのだろう。

 だがそれは余計なお世話と言わざるを得ないし、もう既に終わったこと。過去の出来事だ。葵がそんな目をする理由はどこにもない。

 まひるさんも同じことを思ったのか、苦笑を浮かべて気遣うような声を出す。


「さて、昔話はこれくらいでいいだろう。そんな過ぎ去ったものよりも、ボクは今の方が気になるからね。たしか、ボクが外出しても大丈夫なのか、って話だったかい?」

「そういえば、月宮さんはどうして入院してるんですか?」


 葵もまひるさんの気遣いを察したのか、先程の悲しそうな目は消して純粋な疑問を投げかける。止まっていた昼食も再開された。

 おにぎり頬張る葵可愛いな。


「詳細な症状は伏せさせてもらうけど、ボクは生まれつき体が弱くてね。取り敢えず義務教育を終えた後、ここに入院したんだよ。通信の高校も一応入っていたんだが、去年から治療に専念するためにそれも辞めた。だから、ボクは現在君たちと同じ学年と言うわけさ」

「でも、外に出てこれるってことは」

「ああ、かなり体の具合も良くなってるよ。と言っても、外出出来るのはとても限られた時間だけどね」


 その言葉にホッとしたが、なんとか表情には出さないようにした。それを見られるとまひるさんからまたなんと弄られるか分かったもんじゃない。

 そんなに回復してるなら、もしかしたら近いうちに退院も出来るんじゃないだろうか。


「というわけだから、ボクはそろそろお暇するよ」


 などと希望を持ったのも束の間、まひるさんは唐揚げを一口で頬張ってしまった後に立ち上がった。あまりにも早いお別れに、葵が声を上げる。


「え、もうですか?」

「悪いね。この後色々と検査があるんだ」


 残念そうに顔を顰める葵。せっかく出会ったのだからもうすこしお喋りに興じていたかったのだろうが、検査があると言われてしまえば諦めるしかない。


「まあそんな顔をするな。夏休みはまだまだあるんだから、会いたくなれば会いに来てくれればいいよ。お弁当も美味しかった。その調子で真矢君のこと、離すんじゃないぜ?」

「は、はいっ!」


 靴を履いて日傘を差し、シートの上から降りる。太陽の光で輝く銀色の髪を風に靡かせ立つ姿は、儚さを感じさせない力強いものだ。


「送りましょうか?」

「いや、いい。デート中に他の女と二人きりになるもんじゃないぜ。君はそのあたりの乙女心をいい加減学びたまえ」

「なんで善意を出せば悪意で返されるんだよ」

「日頃の行いというものさ」


 ため息をなんとか飲み込み、浮きかけていた腰を下ろした。

 そしてこの場から立ち去る前、まひるさんは何か思い出したように手を叩くと。


「ああそうだ。夏休み明けの新学期、楽しみにしてなよ。面白いことがあるから」

「は?」

「面白いこと、ですか?」

「そう、面白いこと。なにが起きるかはその時のお楽しみだ。それじゃあ、どうぞデートの続きを。お邪魔したね」


 よく分からない言葉を残し、まひるさんは去っていった。その背中が見えなくなるまで黙っていた葵が一言。


「なんだか、不思議な人でしたね……。女の子なのに自分のことをボクって言う人、初めて見ました」


 まあ、そこ気になるよな。


「本人曰く、特に深い理由があるわけではないらしいけどな。俺はそれより、最後の言葉が不穏にしか聞こえないんだが」

「新学期、なにがあるんでしょうね」

「今から怖いわ……」


 だが夏休みはまだ一ヶ月以上も残っている。今のうちから考えていても仕方ないだろう。

 夏休み明けにこの判断を後悔することを、この時の俺はまだ知らない。

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