第35話 決意の夜

 即答だった。考えるより先に、反射的に答えてしまっていた。

 口にした俺自身でも驚くほどなのだから、言われた朝陽は目を丸くしている。しかしそれも一瞬のことで、その顔にはすぐに穏やかな笑みが浮かべられた。


「予想通りの答えだけど、想像以上の反応だな」

「……カマかけたってわけか」


 目の前の幼馴染をつい睨んでしまう。俺がどう答えるのかは分かっていたが、こうも即答されるとは思ってもいなかったのだろう。

 そして恐らく、葵の誕生日に告白するなんてのも嘘だ。自分の校内における立場と、告白したことによる周囲への影響をよく分かっているこいつが、そう簡単に動くわけがない。


「いや、悪いな。でも半分は嘘じゃないぞ? 俺はいつか、絶対あいつに告白する。これは決定事項だ。真矢が葵とどうなっても、それだけは変わらない」

「んなこと、前から知ってる」

「そうか。そりゃそうだよな」


 ククッ、と喉を鳴らす朝陽は、なぜか少し楽しそうに見える。こちらは不意に本音を出してしまったから全く楽しくないのだが。

 暗闇のどこかからホーホーと鳥の鳴き声が聞こえてくる。なんとなしに見上げた空には、綺麗な半月と幾つもの星が輝いていた。


「でもな。多分俺は、あいつがこっちに振り向いてくれることを望んでるわけじゃないんだよ」


 俺につられて空を見上げる朝陽。その声には、諦念のようななにかが含まれていた。気になって視線を下ろした先の表情も、同じく。


「あいつの横顔が綺麗だと思った。でも、その目が向かう先は俺じゃなくて。仮に俺がそこに立てても、俺が綺麗だと感じたあの横顔は見れなくなる。そりゃ今でこそ、あいつの好きなとこを挙げろって言われたら、幾つでも出てくるけどさ。それでも、この感情の源泉はそこだったんだよ」


 懐かしむように細められたこいつの目には、なにが映っているのだろうか。それは幼馴染の俺でも推し量ることができない。

 分かったことは、こいつが葵を好きになった理由だけ。

 誰かに恋しているやつの横顔は美しい。

 いつか、広瀬も言い訳のように口にしていた言葉だ。俺だってそれくらいは知っているつもりだった。傍観者の立場で、何年も見続けていたから。


「真矢。お前はどうする?」

「……」

「正直、お前がどうするつもりかなんて、俺には関係ない。さっきも言ったが、お前が葵とどうなっても俺のやることは変わらないからな」

「なら、なんで聞くんだよ」

「同じやつを好きになった敵としてじゃなくて、幼馴染、いや親友として聞いてんだ。お前は、どうしたいかを」


 過度な優しさは、時として相手だけじゃなく自分までも蝕む毒となる。

 だと言うのにこいつは、どうしてこうも俺を気にかけてくれるのだろう。その理由が分からない、とは言わない。決して言えない。

 今まさしく、朝陽本人も口にしたじゃないか。俺たちは幼馴染で親友だから。朝陽にとって、理由なんてそれだけで十分なんだ。

 なら俺は、そんな朝陽に答えを示さなければならない。

 幸い、さっき即答してしまったせいで、確信がより強固なものになったばかりだ。咄嗟に口から出たということは、紛れもなく俺の本心なのだから。


「伝えるよ。ちゃんと、あいつに伝える。それこそ、誕生日の時にでもな」


 言葉は思っていたより素直に出た。頭の中も至極冷静だ。

 口にしてみれば、たったこれだけ。けれど、ようやく見つけた俺のやるべきこと。やりたいと本心から思ったこと。


「そうか」

「それでどうなっても、俺を恨むなよ」

「さて、どうだろうな。ちょっとくらいは恨むかもしれないぜ」

「おい、さっきと言ってること違うじゃねぇか」

「ははっ、冗談だ」


 実際、どうなるかは分からない。俺と葵の関係も、俺たち四人の関係も。最悪の展開になってしまえば、朝陽からも広瀬からも恨まれて仕方ないと思う。こればかりは未来の話だから、誰にも分からなくて当然だ。


「んじゃ真矢。明日にでもちゃんと伝えろよ?」


 一転して揶揄うような笑みを向けてきた朝陽は、とんでもないことを言い出しやがった。こいつ、さっきの俺の話聞いてなかったのか。


「誕生日当日って言っただろうが」

「こういうのは早い方がいいんだよ」

「だとしても急過ぎる」


 たしかに早い方がいいのかもしれないけれど、それにしても早過ぎだろ。そもそも、まだ自分の気持ちに気付いたばかりで、感情の整理もいまいち上手く出来てないんだぞ。

 その上ちゃんと伝えると決めたのはつい今さっきの話だ。さすがに早い。早過ぎる。サラマンダーよりずっと早い。


「なんだ、ビビってんのか?」

「は? んなわけあるかよ。むしろ勝ちが見えてるのに、なんでビビる必要があんだよ」

「じゃあ明日でも問題ないな」

「いや、それはまた別の問題ってか……」

「よし! 明日は頑張れよ! じゃあまたな!」

「あ、おい待て朝陽!」


 とてもいい笑顔でサムズアップ。からの家の中へと逃走。呼びかけた声は夜の暗闇に虚しく溶けて消えていき、俺は一人ポツンと取り残されてしまった。


「あいつは……」


 我が幼馴染の強引さに思わずため息を吐きつつ、俺も家の中に入った。俺は一言もイエスとは言っていないのに勝手に決めやがって。

 とりあえずリビングに向かえば、家を出た時からずっとソファでだらけている姉が。母さんはキッチンに、父さんは風呂の途中だろうか。


「おかえり真矢。遅かったね。私のアイスは?」

「朝陽の会って話してたんだよ。多分溶けてるから冷凍入れとく」

「えー、すぐ食べたかったのにー」

「自分で買いに行かない姉ちゃんが悪い」


 ぶーぶー文句を垂れ流す姉を無視してキッチンに向かうと、母さんが紅茶を淹れていた。家事は一通り終わって一休み、と言ったところか。


「真矢も飲む?」

「やめとく。風呂空いてる?」

「さっきお父さんが出たばかりだから空いてるわよ」

「んじゃ風呂入ってくるわ」


 一度着替えを取りに部屋へ戻り、それから風呂場へ向かう。その道中、リビングの方から「ダッツじゃん!!」と叫び声が聞こえた。風呂から出たら既に食べられてるとかありそうだけど、あまり考えないようにしとこう。

 そういや姉ちゃんに金返してないな。まあ、言われるまでは別にいいか。あわよくば懐に収めてやる。

 脱衣所で衣服を脱ぎ、風呂に入って頭と体をさっさと洗い終え、ゆっくりと湯船に浸かった。


「はあぁぁぁぁぁぁぁぁ……」


 肩までしっかり浸かり、天井を見上げる。思わずおっさんみたいなため息が漏れてしまったが、それだけ疲れていたということだろうか。疲れるようなことなんて特にしていないのだけど。

 となればやはり、原因はあっち。


「明日って言われてもなぁ……」


 言うタイミングはある。昼休みと放課後は二人きりになるのだから。

 言うべき言葉も、ちゃんとある。しかしそれを葵本人に対して言えるのかと聞かれれば、首を縦に振れそうにもないのが現状で。


「しっかし、ダメだ、はないだろ」


 十数分前に自分が放った言葉を反芻してみるが、思い出すだけで呆れた笑いが溢れてしまう。けれど、紛れもない本心なのだ。

 今更、そこを誤魔化すことなんて出来ないし、そんなことをするつもりもない。


「まあ、頑張ってみるか……」


 朝陽に対してあそこまで言い放って、自分の気持ちも確認出来たんだ。

 たまには、葵の向こう見ずさを見習ってみてもいいかもしれない。

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