第36話 言えなくてもいいから
最近、毎日が楽しい。
学校に行って、友達とお喋りして、大神くんと一緒にお昼ご飯を食べて、一緒に帰って。休日には凪ちゃん達と遊んだり、大神くんと映画を観に出かけたり。
三年生になってから私だけクラスが離れてしまい、最初こそ寂しかったけど。それでも、二年生までとは比べものにならないくらい。
理由なんて考えるまでもなく明白で。
ただ、好きな人と同じ時間を共有できる。それだけのことで、私はとても幸せを感じることが出来るんです。
これ以上を望むのは、もしかしたら欲張りなのかもしれない。もしも今以上の幸せを手に入れたら、どうにかなってしまうかもしれない。それでもいい。
それでも私は、今日よりも幸せな明日が欲しいから。それをあなたと共有したいから。
「夜露ちゃん、今日も噂の彼のとこに行くの?」
「えへへ、はい」
四時間目が終わってお昼休み。いつものように屋上へ向かおうと教室を出る前に、クラスで一番仲のいい友達、小渕舞ちゃんに声をかけられた。
私が大神くんとお昼を過ごしていることはそれなりに知られていて、大神くんが先週捻挫した時、つまり学校で初めて、あの目を曝け出した日から、女子の間ではちょっとした話題になっていた。
本人はそんなこと気づいていないみたいですけど。でも、大神くんはあんなにかっこいいんですから、噂になるのも当然ですよね。
「大神くんだっけ? 彼と同じクラスの子に聞いたけど、凄いイケメンなんでしょ? あー、そんなイケメンを見逃してだなんて、なんか損した気分!」
「ふふっ、普段はメガネと前髪で隠してますから、中々分かりませんよ」
いわゆるイケメンと呼ばれる男子なら分け隔てなく好きな舞ちゃん。そのいつも通りの物言いに、つい微笑んでしまう。
伊能くんのこともたまに話してますけど、ごめんなさい。伊能くんは私の親友が好きな人ですから。伊能くんにも好きな人がいるって言ってけど、その相手ももしかしたら。
「七組はいいなー。伊能くんに大神くんでしょ? 坂上くんも性格はともかく顔はいい方だし、あそこのクラスイケメンパラダイスじゃん。イケパラだよイケパラ。掛け算し放題だよ」
ぐふふ、となんだか危ない笑みが漏れている。掛け算、とは舞ちゃんがたまに口にする言葉だけど、私にはその意味がイマイチ理解できない。多分、数学的な意味の掛け算じゃないとは思うんですけど。
これ以上深く考えるのはやめておきましょう。こう、なにか、本能的な部分がダメだと言ってる気がします。
「じゃ、今日も頑張ってきなよ!」
「は、はいっ!」
とん、と背中を押され、教室から一歩外へ。笑顔で手を振る舞ちゃんに会釈してから、屋上へと足を向けた。
手には二つのお弁当箱とレジャーシートの入った袋。足取りは軽く、ついスキップなんてしてしまいそう。彼に会いに行く道中はいつもワクワクして、けれどほんのちょっぴりドキドキしちゃう。まるで冒険者みたいな気持ち。
でも、冒険と言う表現もあながち間違ってないかもしれないです。私はまだ、大神くんの全てを知っているわけじゃないから。知らないことの方が、多いから。
だからこれは、大神くんを知るための冒険。なんて、言ってみたりして。
屋上に辿り着き、そこへ繋がる扉を開ける。いつもは私が先に来ているけど、今日は違った。どこまでも広がる青空の下には、見慣れた後ろ姿が既にいた。
「あっ、大神くん。今日は早いです、ね……?」
その背に声を掛けて駆け寄るも、しかし振り向いた彼は未だ見慣れたとは言えない格好で。
「今日はちょっとお前に話があったんだが、どうかしたか?」
「い、いえ、その……」
赤くなってしまった顔を見られたくなくて、それ以上に、大神くんの素顔を直視出来なくて、思わず目を逸らしてしまう。
そう、何故か大神くんはメガネもせずに髪も整髪剤で整えて、本人曰くの遠出仕様になっているのです。まだそのかっこよさに慣れていない私は、彼の金色の瞳と自分の目を合わせることができない。
「どうしたんですか? 学校にその格好で来るなんて……」
今日の朝は会えなかったから、今日大神くんと会うのはここが初めて。それはなにも珍しいことじゃなくて、クラスも違えば登校時間も違う大神くんとは、中々朝に会うことができない。
可能なら、帰る時だけじゃなくて登校する時も一緒にいたいと思うんですけど、それを口にするだけの勇気がまだない。
「あー、これか。ちょっと、気合い入れるため、みたいなもんだ」
「気合い?」
ポリポリと薄く朱に染まっている頬を掻く様を見て、小首を傾げる。そんな私の仕草が可笑しかったのか、大神くんは柔らかな微笑を浮かべた。
胸のあたりがきゅーってなるから、不意打ちはやめてほしいです。
「おう。お前に、大事な話があるんだ」
一転して、真剣な表情を見せる。私を見つめる金色の瞳は綺麗に輝いていて、そこから目が離せない。釘付けになる。
ただならぬ雰囲気に心臓がドクドクと煩く脈打つ。五感の全てが目の前の男の子に集中している。風が運んで来るさわやかで清涼感のある香りは、男性用の香水だろうか。小さく漏らした吐息の音ですら、鋭敏な聴覚は拾ってしまう。
「葵」
「はい……」
私の名前を呼んだ音が、耳を通じて胸の中へあたたかななにかを浸透させる。お陰で体は火照ってしまい、多分私の顔は真っ赤になってるんだろう。
やがて意を決したように小さく息を吸い込んだ大神くんは、簡潔な、それでいて大きな衝撃を伴う言葉を口にした。
「お前が好きだ。だから、俺と付き合ってくれ」
「……へ?」
頭の中を直接鈍器で殴られたような。それくらい強烈な一言だった。たった今発せられた言葉が、頭の中で反響する。
好きだと。大神くんが、私を好きだと。たしかに、そう言った。
遅れてその事実を理解したら、ブワッと全身が暑くなる。そしてその後に、頭の中でぐるぐると思考が回り始めた。
なんで? どうして? 昨日までそんな素振りは見せてなかったじゃないですか。たしかに私は、大神くんの気を引くために色々とやって来たけど、それでも迷惑をかけたことだってあったのに。
嫌われているとは思っていなかったけど。
あなたに好かれているなんて、思いもしなかったのに。
でも、嬉しい。嬉しくて、嬉しくて嬉しくて、嬉しすぎて死んでしまいそう。
だから返す答えはただ一つ。
私は、私も、大神くんのことが──
「ご……」
「葵……?」
「ごめんなさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!!!」
「えっ、ちょっ、おいっ⁉︎」
やっばり無理です言えないですぅぅぅ!!
頭と一緒に目までぐるぐる回してしまった私は、情けなくもその場から逃亡してしまったのでした。
ああ、強烈なデジャビュ……穴があったら入りたい……。
人間というのは、どのような精神状態であっても腹は減るらしい。とりわけ俺たちのような成長期の子供なんかは顕著だろう。その上食欲とは、人間の三大欲求にも数えられるほどだ。なにかを食べる気にならなくても、体の方は欲してしまう。
情けなくもぐうぐう鳴る腹の虫を黙らせることなんて出来ないし、その気力すら今の俺にはなかった。
「おーい、真矢生きてるかー」
「……死んでる」
「パン買ってきてあげたから、とりあえず食べなさい。さっきからあんたのお腹うるさいから」
「お腹の虫のせいで、シリアスな雰囲気が台無しだもんねー」
「……食う」
まさかあれから昼からの授業をまともに受けられるわけもなく。茫然自失のまま午後を過ごしてやってきた放課後。
机に突っ伏した俺の周りに、わらわらと集まるリア充ども。まあ、格好だけ見れば俺もリア充みたいなもんだが。ほら、俺ってちょっと髪弄ってメガネ外したらイケメンだし。フフフ……。
なんて馬鹿なことを考えてしまうほどに俺は参っていた。広瀬がわざわざ買ってきてくれた購買のパンも、頬と側頭部を冷たい机に熱烈なキスをかましながらモキュモキュと食べるしかできない。
「なんつーか、予想以上にダメージ受けてんな……」
「大神ってこんなに夜露のこと好きだったの……?」
「わたし一応相談受けてたけど、そこまでは聞いてないや」
俺を見下ろしながらも口々に話し始める朝陽、広瀬、柏木の三人。
そうなんですよ広瀬さん。こんなに好きだったみたいなんですよ。朝陽のいう通り、自分でも予想以上のダメージを受けてしまうくらいには、惚れ込んでしまってたんですよ。気づいたのめっちゃ最近だから、柏木に言う暇もなかったし。
あー、焼きそばパンおいちー。
「まあまあ大神! 元気出しなって!」
他の奴らが立ったまま俺を見る中、朝陽達の後ろに控えていた黒田だけが、しゃがみ込んで俺と視線を合わせてくれる。
黒田、お前っていいやつだったんだな……。さすが朝陽にエロ本貸すだけはあるな……。
「失恋の傷はパーっと騒いで癒すしかないっしょ! ほれ、今日はみんなでカラオケでも行こうぜ!」
「まだ失恋したわけじゃねぇよ!!!」
あんまりな物言いに、思わず立ち上がって声を荒げてしまった。
やっぱこいつ最低だわ。広瀬にエロ本処分させられるだけはあるな。
「おっ、元気になった」
「ちょっと、焼きそば飛び散ってるから。汚いんだけど」
「食べ方汚いとか、そりゃさすがの夜露もお断りするよねー」
「別にまだ振られたわけじゃねぇよ!」
そう、よく考えたら別に振られたわけじゃない。あいつの性格を考えてみろ。なんか色々考えすぎてよく分からなくなって恥ずかしくなって思わず逃げた、と言ったところだろう。絶対そうだ。そうに違いない。
「ま、普通に考えたらそうだろうな。あの葵だし。真矢を振るとかありえねぇよ。大方、真矢がいつもよりカッコよくて羞恥心が限界点を超えたってとこじゃないか?」
「……この格好にしたのお前だけどな」
昼休みが始まってすぐ、朝陽にトイレの中へ連行されたと思えば、なぜか持参していたワックスと香水でおもちゃにされてしまった。
その結果が現在の俺。なんかいつもよりおしゃれ度が上がってるらしい。おしゃれ度ってなんだ。
いつもより遅れたから、てっきり葵を待たせてしまっているだろうと思ったけど、予想に反して葵はまだ屋上におらず。可能な限り心の準備を整えた末に、見事爆発四散したというわけだ。
いやだから、まだ振られたわけじゃねぇって。
「たしかにいつもよりもかっこいいけど、やっぱり顔が好みじゃないんだよねー」
「おいそこ、傷心の俺に追い打ちかけて楽しいか」
「うん!」
満面の笑みで言いやがったよこのエセ清楚ギャル。そこまで言ったらもう小悪魔じゃなくてただの悪魔だろ。
「ていうか、夜露からあたしになんも言ってこないのが怖いんだけど」
「あれ、夕凪にも連絡ないの?」
「ってことは世奈にも?」
「夕凪に連絡してないなら、わたしのとこには来ないよ」
「それもそっか」
うーんと考え込む女子二人。なんか、ごめんなさいね? 俺たちのせいで余計な心配かけちゃって。
しかしどうしようか。こいつらのお墨付きをもらったのだから、あれは断られたと言うわけでもなさそうだが。だからと言って、ここから直ぐにコンタクトを取ってもいいものか。また逃げられたら、さすがに立ち直れる気がしない。
「おっ、真矢」
「なんだ朝陽……」
「お姫様のご到着だぞ。行ってやれよ」
教室の扉の方を顎で示し、俺の視線もそちらへ向かう。
そこには、扉から顔だけをちょこんと出している葵が。まさかあんなことがあった後でも来てくれるとは思わず、息がつまりそうになる。
しかし、俺まで逃げ出すわけにはいかない。葵が勇気を出してここまで来てくれたのだから、それに応えなければ。
「……んじゃ、行くわ」
「おう。行ってこい」
朝陽に背中をバチンッ! と叩かれ、葵の方へ足を向けた。叩かれたところがヒリヒリと痛むが、今日だけは許してやろう。
「葵」
「あ、あの、大神くん……」
随分と縮こまってしまっている葵。そんな姿を見ていると、昼休みのことを咎める気なんてなくなる。まあ、元からそんなつもりは毛頭ないのだが。
「とりあえず、帰りながら話そうぜ」
「……はい」
苦笑しつつそう言えば、俯きがちに頷いた。
今度こそ、ちゃんと返事を聞かせてもらおう。
「で、二人はこれで良かったの?」
「親友と幼馴染がくっついて大団円。あたしも夜露の相談に乗ることはなくなるだろうし、これ以上の結果はないでしょ」
「凪に同じく。そもそも、真矢を唆したのは俺だしな」
「ふーん」
「なによ世奈、言いたいことがあるんなら言えば?」
「べっつにー? 二人が本当に心の底から納得してるなら、わたしからはなにも言うことないけどなー」
「俺たちが納得してないってか?」
「じゃあ逆に聞くけど、朝陽くんも夕凪も、ちゃんと自分の気持ちに素直になってる?」
「当たり前でしょ」
「当然だな」
「ま、それなら良いけど」
「なになに、なんの話?」
「黒田には関係ないから黙ってて」
「お、おう……柏木って俺にだけ当たり強くね?」
隣り合って歩く俺たちの間には、沈黙が降りている。その代わりに鼓膜を震わせるのは、行き交う車のエンジン音。下校途中の小学生達がはしゃぐ声。井戸端会議に花を咲かせる主婦達や、同じ高校の生徒達の声も。
「あの……」
そんな喧騒の中、先に口を開いたのは葵だった。周囲の音にかき消されてしまいそうなほどに小さな声が、しかし俺の耳にしっかり届く。
「お昼休みの時は、すみませんでした。逃げたりしちゃって……」
「いいよ。ちょっとショックだったけど、屋上で葵に逃げられるのはあれが二度目だしな」
「あぅ……」
揶揄うように言えば、葵は余計に小さくなってしまう。
どうやら俺は、それなりに余裕を持てているらしい。さっきまで自分でもどうかと思うほど凹んでたのに、現金なやつだ。
でも、だからこそ。昼休みと同じ言葉を、なんのてらいもなく口に出せる。
「俺は、お前のことが好きだ」
「……っ」
「おっと、今度は逃がさないからな」
隣を歩く葵の肩が震えたのを見て、咄嗟にその手を掴んでしまう。決して逃がさないよう強く、けれど傷つけないよう優しく。葵の小さな手を握る。
やがて抵抗の意志を失ったか、そもそも元からなかったのか、弱々しくはあるが、葵の方からも俺の手を握ってくれた。
「ちゃんと、返事を聞かせてくれ」
「私、は……」
「うん」
「私も……大神くんのことがっ……」
開かれた口からは、しかし言葉にならない吐息が漏れるのみ。まるで迷子のような表情を浮かべた葵は、やがて再び口を閉ざしてしまう。
きっと、葵本人も辛いはずだ。言うべき言葉は見たかっているのに、それが喉の奥につっかえてしまうもどかしさ。
足を止めずに言葉を待っていれば、学校からそう離れていない葵の家の前に到着してしまった。
タイムリミット。けれど、ここで退くわけにはいかない。
「じゃあ、言葉を変えるから、はいかいいえで答えてくれるだけでいい」
手を握ったまま、葵の目を見つめる。お前が好きだと言ってくれた、お前のお陰で少しは好きになれそうな、金色の瞳で。
俺を見上げる葵の目は濡れていて、目元の泣きぼくろも相まって妙に色っぽく見えてしまう。一文字に引き結ばれた口は、彼女の緊張を表している。
「俺は、お前と恋人になりたい。その申し出を受け入れてくれるか?」
言った。今度こそ、本当に伝えた。紛れもない俺の本心。俺の気持ちを。
わなわなと口を震わせる葵は、手を握る力を僅かに強める。
「私は、自分の気持ちもちゃんと伝えれません……」
「ああ」
「言いたいのに、大神くんに、伝えたいのに……」
「そうだな」
「緊張して、恥ずかしくなって、頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃって、よく分からなくなって、それで、逃げちゃうような女です……」
「知ってる」
「……それでも。そんな私でも、いいんですか?」
夜の輝きを秘めた瞳には、今にも溢れ出しそうなほどの涙。
おそらく本人も無意識なのだろう。強くなっていく手を握る力は、彼女の不安を表している。
それを払拭させてやるために浮かべた笑みと投げる言葉。
「当たり前だろ。そんなお前も好きなんだよ。だから、もう一度だけ言うぞ。俺と付き合ってくれ」
「はい……はいっ!」
ついに流れ落ちた雫は、まるでその名通りの夜の露。
泣きながら笑う葵はとても綺麗で。
こうして、俺たちの関係は変化した。明確な定義の元に名前がつけられた。
先のことはなにも分からないけど、とりあえず。こいつに好きと言ってもらうのを目標にしてみようか。
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