第32話 真昼の月
葵の誕生日まであと一週間を切った土曜日。当日になにかするわけでもないのだが、なぜか妙にソワソワしてしまっている。
しかし、今週は本当に疲れた。月曜日は葵が弁当を作ってきてくれて、火曜日は柏木に振り回され、水曜日は坂上との一件があり、木曜日は葵が地雷原にヘッドスライディングからのブレイクダンス。
金曜だけはなんとか平和に過ごすことが出来たものの、頑なな葵のお陰で昼は教室で過ごしているから、俺の胃がマッハ。足の捻挫もそろそろ大丈夫なのだが、心配性な彼女は首を縦に振らなかった。
とまあ、この一週間は決して平和と言えない日々だったし、考えることが増えてしまったわけだが。
ようやく訪れた休日である今日は、息抜きに朝から遠出して、あの人に会うことにした。
「あれ、真矢出かけるのー?」
「ん。夜には帰ってくるから」
リビングを経由して玄関に向かおうとすれば、ソファでダラけている姉に捕まった。
暑さゆえか生気のない顔だが、なにか思いついたのかニヤリと口元を歪ませる。
「そんなにおめかししちゃってー。もしかして、夜露ちゃんとデート? 朝まで帰って来なくていいんだよ?」
「高校生になに言ってんだ。葵じゃなくて、今日はあっちだよ」
「まひるちゃんのとこ?」
「そう」
素っ気なく返し、一応行ってきますと告げて家を出る。
駅まで歩いて向かい切符を購入。この電車賃もバカにならないよなぁ、と考えながら千円札を投入してお釣りの600円を回収した。
ここから電車で一時間ほど。正直、遠出と言うほどの距離ではない。同じ県内だし、車だったら一時間もかからないだろう。
ただなんとなくそう言っているだけ。実際、朝陽と広瀬を一度連れて行った時には、思ったよりも近かったと聞かされている。
やってきた快速電車に乗り込み、空いていた車内の席に腰を下ろす。動き出した電車は、外の景色をあっという間に追い抜いて行く。
生まれ育った街の風景が見えなくなった頃に電車を乗り換え、そこから先に広がるのはちょっとだけ田舎っぽい風景。建物が多いわけではなく田んぼがそこかしこに見受けられ、しかし一応は街としての体裁を整えている、中途半端な景色が広がっている。
そうして電車に揺られ、目的の駅に辿り着いた。改札を出ると目の前には大きな付属病院がある。今日の目的地はそこだ。
「そういや、連絡すんの忘れてたな……」
いや、今までもここに来る時はわざわざ事前に知らせたりしていなかったのだが、なんだかんだと結構久しぶり、進級してからは初めてだから、驚いてしまうかもしれない。
それはないか。この程度で驚くような人だったら、俺はこれまで苦労していないのだし。
病院の敷地内に入り、受付であの人が病室にいることを確認してから、エレベーターで五階へと上がる。通い慣れた廊下を歩いた先、503と表記されてる部屋番号の下には「
コンコン、と二回ノックして、病室の扉を開いた。
中は広々とした個室だ。入ってすぐ右手側には洗面台、左手側には小さな棚がある。それからベッドと点滴があるくらいで、ひどく殺風景な部屋だ。病室なんてそんなもんなんだろうが、ここには見舞いの花一つすらない。
そのベッドの上であの人は、月宮まひるはいつものように、開け放たれた窓の外を眺めていた。まるで人形のように美しい横顔に、儚げな雰囲気を纏わせて。
「まひるさん」
名前を呼べば、こちらに振り向く。陽の光を浴びてキラキラと輝く長い銀髪。左手でそれを耳にかけながら、まひるさんは美しい顔を子供のような笑みへと変えた。
「君が来るのは、随分と久しぶりな気がするね。お陰で結構寂しかったぜ?」
「たった二、三ヶ月でしょ。いちいち大袈裟なんですよ」
「ボクの見舞いなんて、君以外に誰も来ないんだ。毎日看護師の人としか話さないんだから、退屈にもなるし寂しくもなる。君はそんな乙女心をもう少し理解すべきだ」
「それ、乙女心関係ないでしょ」
肩を竦めてベッドのとなりに置いてあったパイプ椅子へと腰を下ろす。久しぶりに顔を出したが、どうやら相変わらず元気に減らず口を回しているみたいで安心した。
月宮まひるさんは、中学の頃の先輩だ。とは言っても俺は部活に所属していたわけでもなく、だからといって委員会に入ったわけでもなかったから、少し変な出会い方をしたが。
生まれつき体の弱いまひるさんは、中学を卒業して以降、この病院で入院している。本人の言葉を信じるなら、一応はどこかの高校に籍を置いているらしい。
「関係あるとも。ボクはれっきとした一人の乙女なのだから。そんなボクの気持ちを汲み取れないと、いつまで経っても君は童貞のままだぜ。魔法使いにはなりたくないだろう?」
「さて、どうですかね」
「なんだ、もしかして彼女でも出来たのか? ボクにあれだけ熱烈な愛の告白をしたくせに?」
「彼女は出来てないし、その告白とやらもあんたのせいで出来なかったんですけどね」
「おっと、そうだったか。これは失敬」
「わざと言ってんだろ」
「当たり前さ」
そしてなにを隠そう、この俺が人生で唯一愛の告白を試み、あっさりと振られた相手でもある。
忘れもしない、この人が卒業する日。意を決して想いを伝えようとした俺の言葉を途中で遮ったまひるさんは言ったのだ。
好きと憧れは違う。そこを勘違いしてはいけない、と。まるで俺を諭すように。
こうして今も付き合いが続いているどころか甲斐甲斐しく見舞いにまで来ているのは、まひるさんに頼まれたからに他ならない。これからしばらく入院生活を送る自分の話し相手になってほしい、と。
因みに、葵をも凌ぐほどの美少女のくせして一人称がボクなのは、単なるキャラ作りらしい。リアルのボクっ娘とか気持ち悪いだけだと思っていたが、なかなかどうして、まひるさんには似合っている。
「しかし珍しいね。君がここまでボクの元へ来なかったのは初めてじゃないかい?」
「まあ、最近は色々あったんで」
「ほう?」
まひるさんの目が輝く。髪とは違って綺麗な黒をした瞳が、さっさと話せとばかりに爛々としている。
この人は基本的に、俺が困ることが大好きなのだ。だから割と口汚く罵ってくることもあるし、俺の話の中で俺が酷い目にあったりすると喜ぶ。
とは言っても、それもからかいの範疇だが。俺が本気で嫌がることは、これまでただの一度だってされなかった。
「長くなりますよ」
「いいとも、聞いてあげようじゃないか。君の話を聞くのが、ボクにとって一番の娯楽だからね」
心なしかワクワクしているまひるさんに、四月からの一連の出来事を全て話した。
葵のこと、朝陽のこと、広瀬のこと。そして、俺のこと。四人の複雑すぎる関係から、葵が俺を知るきっかけになった出来事まで、余すとこなく全て。
家族や学校のやつらにはおいそれと話せないが、この人にならなにを教えたところで問題はない。
そもそも、まひるさんから誰かに話すなんてのが有り得ないから。だって話し相手が俺か看護師くらいしかいないし。
やがて全てを話し終えた頃には、ここに来て一時間以上が経過していた。
「なるほど、これはまた楽しいことになってるじゃないか」
「当事者としちゃ、堪ったもんじゃないですけどね」
「それにしても、夕凪はまだそんな体たらくなのかい? 悲しくて笑いが込み上げてくるぜ」
「せめて嘘でも涙って言ってくださいよ」
本当に笑い出したまひるさんは、心底愉快そうだ。俺たちがなにに悩み、苦しんでいるのか、それを理解した上で笑っているんだろう。いい性格をしていらっしゃる。
「いやはやしかし、最近の昼ドラでもここまでドロドロしてないぜ?」
「昼ドラとか見るんですか。意外ですね」
「見たことないけどね」
「ならなんで言った?」
まあ、この人と昼ドラというのもあまり結びつかないし。どちらかと言うと、サスペンスとかの方が似合いそうだ。
「さて。今回のキーマンは葵夜露か」
「ええ、そうですね。キーマンというか、全部の中心ですよ」
「いや、違うな。それは間違ってるぜ。中心にいるのは君だ」
「は? 俺?」
某悪逆皇帝じみた言い回しに突っ込むことすら忘れ、本気で疑問符を浮かべてしまった。
たしかに俺は葵から好意を寄せられ、朝陽や広瀬とも親交が深いけれど。しかしそれでも、どう考えても中心は葵夜露だろう。
顔に笑みを貼り付けたままのまひるさんは、スッと左手の人差し指を掲げた。病院服の袖から伸びているチューブが痛々しい。
「そもそも、だ。ボクは君から話を聞いた。この時点で、話の中心には君がいることが確定している。なにせ、君の主観に基づく話だからね。これがもし、朝陽から聞いた話なら彼が中心となっていただろうし、夕凪から聞いたとしてもまた然りだ」
「そういうことでしたら、まあそうでしょうね」
「もちろんこれだけじゃないとも。案外君本人には見えていないのかもしれないが、よく考えて欲しい」
次に、中指を立てる。こちらに向けられた二本の指は、病的なまでに白く細い。
「現在の君が置かれている状況。その原因はなんだ?」
「んなもん、遡ったらきりがないですよ」
「ああ、そうだとも。君が葵夜露から好意を持たれていること、告白紛いのことをされてしまったこと、電車で助けてしまったこと。どれも違うな、これではベクトルが間違っている」
「と言うと?」
「全ては、君の態度が原因なんだよ。分かるかい?」
相変わらず大仰な言い回しをするから、正直半分ほどしか理解できていない。ベクトルが違うってなんだ。俺の態度も含めての、現在の状況という意味なんじゃないのか?
「一つずつ片付けていこうか。まず、葵夜露が君に好意を抱いている。これはどうしようもないことだ。人の感情というのは、時に言語化することが不可能な場合がある。理屈じゃないからね、こういうのは。だから、これを原因と断定するにはあまりに酷だ。次に、四月にあったと言う告白紛いの件。嫌いだと言われたとはなんとも愉快だが、それでも葵夜露は己の感情を君に伝えようと努力した。それを責めることは出来ない。結果がどうあれ、だ。最後に、二年前の満員電車内での出来事。ボクに会いに来る途中でそんなことがあったなんて聞いていないのだが、まあそれは置いておこう。君の勇姿は少しでも早く記録したかったのだがね。嘘じゃないぜ? さて、これもまた、ほかの二つと同じく責めることが出来ない。むしろ、ここで被害に遭っていた葵夜露を見捨てるような君なら、ボクはあの日、もっと手酷く振っていただろうからね」
こちらが遮る暇もなく、愉快そうな笑みを消さぬままにまひるさんは捲し立てる。
この人の言葉には不思議な力でも宿っているのだろうか。なぜか、口を挟もうとは思えない。ただ、その鈴のような音色の声を聞くのみ。
「注目すべきは、葵夜露の行動だ。つまり、二年前のことは一旦置いておこう。だがなにも、葵夜露の行動に問題があるわけではない。先も言ったが、彼女は己の感情がままに行動している。それは責められるべきことではないんだよ。ここで責めるべきは、彼女の感情が向けられた先だ」
「つまり……」
「いつまでもウジウジ悩んでんじゃねぇよヘタレ野郎。ってことさ」
口角を上げているまひるさんに、苦い表情を返す。言われなくても分かってる、なんてのは、それこそまひるさんの方こそ言われずとも分かっているだろう。
「君が葵夜露に対して曖昧な態度のままだから、君たちの関係は泥沼に沈んでいくんだよ。さっさと受け入れるなり拒絶するなりすれば、こんなことにはならなかったんだぜ?」
「いや、でもですね」
「可愛い女の子に言い寄られていい気分だったってかい? 下心全開でその関わりを断たなかったとは、女の敵だね」
「あんた、誰の味方なんだよ……」
あまりにもあんまりな物言いに、ついため息を漏らしてしまう。この人はいつもそうだ。的確なアドバイスをくれるのはいいが、俺に対して口が悪すぎる。
地味にメンタルが削られるから遠慮してほしいのだけど、それで辞めてくれるような性格はしていない。
「もちろん。ボクは君の味方だよ、真矢君。分かり切った質問はするもんじゃないぜ」
「その割には、結構容赦なく罵倒して来ますけどね」
「ははは、楽しいからついね。許してくれ」
ほんっとにいい笑顔で言いやがるな……。そこまで笑顔だとつい許してしまいそうになる。いや、まあ別にそこまで怒ってるとかでもないんだけど。
「さて、話を戻そう。君を中心として形成されている四角関係だが、今のところ動けるのは君しかいない。それは分かるね?」
「まあ……」
朝陽と広瀬は、ダメだ。色んなことが雁字搦めにあの二人を縛っていて、本人たちが動きたくても動けない。
学校内での立場だったり、それぞれが知ってしまっている誰かの気持ちだったり。
でも、それは俺も同じなように思えるのだが。
「少しだけ話に出て来た、柏木世奈だったか。彼女には焦らずに答えを見つけたらいい、とか言われたらしいが、それも間違いだ。さっさと決着つけないと、取り返しのつかないことになるぜ?」
「また大袈裟な」
「大袈裟なもんかよ。話の中心は君だが、キーマンが葵夜露であることに変わりはない。もし君が、四人全員ハッピーエンドなんて幻想をいつまでも持ち続けるつもりなら、彼女を動かしてはいけないんだよ。動くべきは君からだ」
「どう動くべきかが分からないから、こんなことになってるんですけどね」
「その通り。だからさっさと答えを出せと言っているんだよ。君は強情だからね。自分の気持ちには素直になるべきだぜ? ボクに告白して来た時のようにね」
「その話はやめてください……」
忘れたいわけではない。それどころか、ちゃんと覚えておかないといけない記憶ではあれど。だからと言って振られた本人からそれをネタに弄られるのは、ちょっと色々とキツいものがあるわけでして。
「なんだ、ボクのことはもう好きじゃないのかい?」
「んなことひとつも言ってないでしょ。てか、俺のは好きじゃなくて憧れだったんじゃないんですか」
「なんでもかんでも恋愛に結びつけるもんじゃないぜ。一口に好意と言っても、その実種類は様々なんだからね。今は友愛、とでもしておこうか。そう言った感情をボクに抱いてくれてはいないのかな?」
「ノーって答えたらどうなります?」
「ボクが死んだら、君の枕元に化けて出ることになるだろう」
「笑えない冗談はやめてくださいよ……」
入院するほどに体が弱いのだから、そういう事は笑って言わないでもらいたい。一応命に関わるような病気を患っているわけではないらしいのだけど、それでもまひるさんには、触れれば壊れてしまうような儚さがある。ふとした拍子にいなくなってしまうのではないのかと、怖くなる時があるのだ。
しかし、この人は今日もこうして笑っている。俺と言葉を交わして、あまつさえ頭も働かせて、俺のためにアドバイスもくれる。
ちゃんとここに生きているのだ。
「そうだ、今度来る時は、葵夜露さんも連れてきてくれよ。君に手を出すってんなら、まずはボクの許可を得てもらわないとね」
「あんたは俺のなんなんだよ……」
「さっきも言ったじゃないか。ボクは君の味方さ」
開け放たれた窓から入ってきた風が、まひるさんの銀髪を靡かせる。美しくも柔らかい笑みを浮かべているこの人と葵を会わせるのは、正直気が進まないけれど。
まひるさんには逆らえないから。夏休みあたり、一度あいつも連れて来ることにしよう。
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