第31話 あたり一面地雷原

 最近考えることが多いからか、睡眠時間が減ってきてるように思う。

 睡眠とは人間の三大欲求が一つでもあり、生きていく上で欠かせないものでもある。食べて寝て運動して、人とはそうやって成長していくものだろう。今の時期なんか、日中はただでさえ暑くて体力の消費も激しいのだから、睡眠によって十分な休息を取らなければやってられない。睡眠の重要性を理解していなければ、藪犬のポーチをつける羽目になってしまうかもしれないのだ。壁に頭突きとか、俺は嫌だぞ。

 いやしかし、マジで眠たい。結局昨日は色々と考えた末に答えも出ず、素直に寝れるわけもなかったからなんだかんだで四時間しか寝れていない。ついでに言えば、まだ多少痛む右足もその一因となっているが。

 若干足をかばいながら歩き、欠伸をかみ殺すこともせず朝の教室へ入り席につく。

 ひどい眠気故か頭もいつも以上に回っていなくて。そのせいで、接近してくる人物に気づけなかった。


「大神」

「んぁ?」


 我ながら緩慢すぎる動作で声の方に振り向くと、そこに立っていたのは、威圧するように俺を見下ろす坂上俊が。

 一瞬で脳が覚醒した。こんな朝早くから、普段は全く絡みのない坂上がわざわざ話しかけてくる。十中八九、昨日の一件に関することだろう。もしかして、今から校舎裏に連れていかれてボコられるのだろうか。

 いや、さすがの坂上もそこまで落ちぶれていないだろう。そう思いたい。そもそも、いつもの取り巻き二人はまだ登校していないようだし、その他坂上グループの面々も見当たらない。

 こんな状況で、一体俺に何の用があるのか。

 若干身構えながらも坂上の動きを待っていると。


「昨日は悪かった」

「へ?」


 予想外の言葉に面食らってしまった。軽くではあるが頭も下げて、決してぶっきらぼうとは言えぬ、たしかに感情のこもった謝罪の言葉。

 気がつけば、数人のクラスメイトがこちらに注目している。昨日の今日で俺たちが話しているだけでなく、あの坂上が頭を下げているのだから、それも当然か。

 どうしたもんかと頭を掻く。視線を浴びるのはあまり好きではないのだけど、俺が何か言わない限り坂上もこの場を離れないだろう。

 サッと教室内を見渡せば、既に登校済みだった柏木と目が合う。パチコーンとウィンクかましてきたあたり、これはあいつの差し金だろうか。ウィンク上手いですね。可愛いからいいけど。


「あー、別に謝らんでいいぞ。俺も昨日は煽るようなこと言っちゃったし」

「いや、でもな……」

「てか、葵と柏木には謝ったんだろ? ならいいよもう」

「その柏木に脅されてんだよ……」

「マジか……」


 周りに聞こえないよう、小声で呟いた坂上。もう一度柏木の方へ視線を移すと、そこにらニタニタ笑っている小悪魔が。お得意の人間観察とやらで、坂上の弱味でも握ったのだろうか。なにそれ怖い。


「あー、うん。そう言うことなら分かった。うん。お前も大変だな……」

「うるせぇ……」


 その声に覇気はなく、随分げっそりしたものだ。柏木さんマジでなにしたんすか。

 自分の席に戻っていく坂上の背中は、可哀想なことに小さく見える。それを同情の視線で見送ると、入れ替わりで柏木がこっちにやって来た。


「おはよ、大神くん」

「おはよう。坂上になに言ったんだよ」

「えー? 別に変なことは言ってないよ。ただちょっとお願いしただけ」


 ふふっ、と笑ってみせるが、俺にとってその笑顔は恐怖以外のなにものでもない。こいつは敵に回さないようにしなきゃ。


「そもそも、俺はそんなこと頼んでないんだけど」

「でも、ケジメはちゃんとつけないとダメでしょ?」

「ケジメって……」

「それに、大神くんにそんなこと言われる筋合いはないかな。わたしと夜露だって、大神くんに頼んだわけでもないのに、坂上くんを謝らせたじゃん」

「まあ、そうな」


 それを言われると弱ってしまう。柏木がやったことは、手段が違えど俺と同じことなのだから。

 しかしそれでも、あいつが俺にまで謝る必要性はないだろう。昨日の一件は明らかに葵と柏木の二人を馬鹿にしたもので、俺はあくまでその巻き添えを食らっただけなのだから。

 そして、坂上にそう思わせてしまう俺自身も、本来ならこいつらに謝るべきだと思う。

 きっと昨日坂上の言ったことは、彼だけが思っていることではないはずだ。俺みたいな地味で目立たないカースト下位のやつが、なぜ葵や柏木、朝陽や広瀬と対等に話しているのか。葵に至っては、あんなに距離を詰めているのか。

 端的に言えば、相応しくないのだ。

 葵はまず明らかに学年で一番の美少女で勉強も運動も非常に優秀だし、柏木もこの見た目の上に高いコミュ力と明るい性格。朝陽と広瀬は言わずもがな。

 そんな奴らに、俺みたいな陰キャは相応しくない。四人がどう思っていようが、それが周りの評価である。


「てかさ、大神くん。分かってないでしょ」

「なにが」

「わたしが昨日、坂上くんと口論した理由。わたしだけじゃなくて、多分夜露とか夕凪とか朝陽くんも、怒ってたんじゃないかな」


 いや、まあ、それは一応分かってはいるつもりなのだけど。葵からはあれだけ思い知らされたし、朝陽と広瀬は中学の頃も同じだった。

 ただそれでも、俺がこいつらに相応しくない人間なのは事実で。

 変わりたいと思いはしても、現状なにも変われていない。


「そんな調子だと昨日の夜のことも、まだ答え出てないでしょ?」

「んぐっ……」

「やっぱり。まあ、急かすことはしないけどさ。ちゃんと考えないとダメだよ?」

「分かってるよ……」


 顔をそらしながらも答えれば、それで一応は満足してくれたのか、柏木は自分の席に戻った。友人の窪田もすでに登校していて、そちらとの会話に興じる。

 なんか、朝から疲れてしまった。ただでさえ睡眠不足なんだから、こう言う話はやめてもらいたかったのだけど。

 午前中の授業は睡眠時間にあてるかな。






 一時間目から四時間目までの午前中全ての授業を無事睡眠時間へと昇華させ、昼休みに葵からそのことを怒られて、午後の授業も完全に寝て過ごしていたら一日が終わっていた。お陰様で気分はスッキリ爽快。あとは帰るだけである。


「大神くん、まさか午後の授業も寝てたんですか?」

「……そんなことないぞ?」

「今変な間がありましたけど」


 葵と二人で廊下を歩いていると、ジト目で問われてしまう。どうして分かってしまうのか。いや、俺の顔が明らかに寝起きだからですね。


「もう。あとで大変な思いをするのは大神くんなんですから。授業はちゃんと受けないとダメですよ」

「分かんないとこはまた葵に聞くよ」

「最初から理解することを放棄するのは良くないです」


 ごもっともな正論で返された。ぐうの音も出ない。さすがの葵も、俺からのお願いだからと言ってなんでも聞くわけではないようだ。

 勉強というのは本来、多人数よりも一人で行う方が向いている。リア充どもは多くの友人を集めるが、勉強会と称しておきながら遊ぶための建前が欲しいだけだろう。果たして、その中で何人が真剣に勉強するのだろうか。

 出来る範囲のギリギリまで一人で頑張り、それでも理解できない問題にぶち当たって、そこで初めて誰かの力を借りなければならない。最初から諦めていてはなにも身に付かないだろう。

 もしかしたら、勉強に限った話でもないのかもしれないが。

 実際、前回開いた俺と葵の勉強会だってそうだった。葵から教えてもらいはしたものの、それも必要最低限に留めていた。葵自身の勉強もあるし、俺が自分自身の力で問題を解こうとしなければ意味がないから。


「あれ?」

「どうした?」


 昇降口に向かう途中、葵が声を上げた。視線は廊下の端に向かっていて、それ追った先には、見慣れた幼馴染の後ろ姿が。


「伊能くん、ですよね?」

「だな。こんなとこでなにやってんだあいつ」


 ここはバスケ部の部室から遠いし、付近には選択授業でしか使われない教室ばかりだから、人通りも少ない。廊下の角に隠れて見えないが、あの様子だと誰かと会話しているのだろうか。

 葵と二人して首を傾げていると、角から女子生徒が飛び出してきた。こちらに向かって走ってくるその子は、俺と葵には目もくれず通り過ぎていく。

 僅かに見えた顔には、涙が流れていたような。


「今の……」

「まあ、そういうことだろうな……」


 放課後、人通りの少ない廊下で二人きり。それが朝陽ともなると、導き出される結論は一つのみ。

 視線の先にいる朝陽がため息を溢す。その表情にいつもの爽やかさはなく、暗い影が差しているのみ。

 やがて俺たちの視線に気づいた朝陽が、苦笑を浮かべながらこちらに歩み寄ってきた。


「よう、今から帰りか?」

「おう。お前の方は、また告白されてたのか」

「まあ、な……」


 単刀直入に聞くと、朝陽の視線が俺たちから外れる。俺たちの背後、さっきの女の子が走り去っていった方向に。すでにその後ろ姿は見えていないだろうけど、果たして俺の幼馴染はそこになにを見ているのだろうか。


「いつも通り、好きな人がいるからって断ったよ」

「え、伊能くん、好きな人いるんですか?」


 意外にも、葵が食いつきを見せた。いや、意外というほどでもないのか。この二人はなんだかんだで長い付き合いだし、朝陽本人は俺以外にその手の話をしていなかっただろうから。

 葵本人になんて、なおさら出来ない。


「告白してくれたような相手に嘘はつかねぇよ。それに、断る理由としてはこれが一番だからな」

「たしかに、そうかもしれませんね」


 葵まで苦笑いを浮かべて肯定する。朝陽と同じく、葵もそれなりに告白された経験があるのだろう。だから、朝陽の苦悩も分かるはずだ。

 モテるやつは大変だな、なんて茶化すことはできない。朝陽がこれまで、どれだけこのことで苦心していたか見てきたから。


「断ってしまう以上は、何を言っても相手を傷つけてしまいますから……だからと言ってお受けすることも出来ませんし……」

「そうなんだよなぁ。相手に変な希望持たせるのと悪いし、葵の場合は女子連中が裏で変なこと言い出すかもしれないしな」

「そこは凪ちゃんがフォローしてくれるから大丈夫ですよ」


 さすが広瀬強い。頼りになりすぎる。


「でも、たまに無理矢理迫ってくる男の人もいるんですよね……適当にあしらいますけど、さすがに怖くなってきて……」

「あー、手段選ばないやつはいるよな……俺なんか下駄箱に入ってた手紙、自分の髪の毛とかつけてるやついたわ……」


 はぁ、と重なる二人のため息。全く共感できない。なぜなら俺はモテないから。だからこの二人の悩みを分かってやりたいと思っても、それが出来ないのだ。

 ごめんねモテなくて。こんな悲しい謝罪初めてだわ。

 ところで、葵の言うあしらうって、もしかして暴力的なあれだったりするのだろうか。もしくは護身術的な? こいつなら空手とか出来てもおかしくないもんなぁ。


「そ、それより! 伊能くん、好きな人がいるんですよね!」


 重苦しくなってきた雰囲気を霧散させるために、葵が元気よく声を上げた。

 でも申し訳ないことにそれは地雷なんですよ。特にお前が発言する場合はあたり一帯消しとばすくらいの威力持ってるんですよ。


「ん、ああ」

「誰かは聞きませんけど、私、応援しますね! 頑張ってください!」

「おう、ありがとな」


 朝陽は爽やかに笑って受け取る。本当に感謝しているかのように。その笑顔の裏でなにを思っているのかまでは、俺じゃ分からない。

 広瀬なら、ひょっとしたら理解してやれるのかもしれないが。


「朝陽、そろそろ部活行かなくていいのか」

「そうだな。そろそろ行くわ」

「部活も頑張ってくださいね!」

「サンキュー葵。真矢も、また明日な」

「おう」


 笑顔を崩すことなく、朝陽は廊下を駆けていった。しばらくしてから俺たちも昇降口へと足を進める。


「伊能くんの好きな人、誰なんでしょうね」

「さてな」


 お前だよ、とは言えるわけもなく、適当にはぐらかす。

 なんかキリキリと胃が痛くなってきた。マジでめんどくせぇなぁ……。

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