第30話 曖昧なままではいられなくて

『まあ、友達の距離感じゃないよねー』


 電話口のから聞こえるのは、どこか呆れたような色を含んた声。言外に、今更そんなこと聞くな、と言われている気がする。

 とはいえ仕方ないのだ。四人の今後の関係にばかり注視していた俺としては、葵と俺の二人の関係なんて、見落としてしまっていたのだから。


『でも付き合ってないんだから、恋人でもないでしょ?』


 俺への質問というよりも、確認するための独り言だろう。通話相手である柏木は、んー、と唸ってなんとか答えを捻り出そうとしてくれている。

 捻挫した足をびっこ引きながらもなんとか帰宅し、飯も風呂も済ませた夜。昼休みに葵から投げられたあの問いかけが忘れられなくて、こうして柏木に電話で相談してしまっていた。

 ともすれば、本当に些細な質問。特に気にする必要のないものかもしれないけれど。

 それでもそれは、俺の胸の中にしこりを残している。


『でも、たしかにちょっと変だよね。わたしの知ってる限り、夜露はこういう時、友達って言うと思ってたんだけど』

「やっぱりそうだよな……」


 どうやら柏木も、俺と同じく違和感を覚えていたらしい。もしくは、広瀬もそう感じたからこそ、あの場で仲裁してくれたのか。

 なんにせよ、葵の性格を考えると、あのタイミングでのあの問いかけはやはりおかしく感じてしまう。


『んー、でも……』

「でも?」

『夜露って、良くも悪くも素直で純粋な子じゃん? 未だ大神くんにちゃんとした告白できてないこと以外は』

「まあ、そうだな」


 本当にその通りなんですけど、それ、本人には言わない方がいいぞ。多分結構なダメージを受けるだろうから。


『その夜露が口に出したってことは、多分夜露もどこか引っかかるものがあったんじゃないかな』

「俺との関係でか?」

『うん。多分夜露も気づいてる。っていうか、分かっててやってるんだろうね。自分達のしていることが、友達同士のそれじゃないって』


 分かっていてやっているのだとしたら、なおさらだ。どうしてあんなタイミングで口に出したのか分からない。

 俺たちの関係が曖昧だなんて、思えば最初から。それこそ、四月のあの屋上での出来事から今日までずっとだった。

 てっきり葵の中では、俺は一応友達に位置する存在だと思っていたのだが。彼女の中で、そう定義づけるにはできないなにかがあったのだろう。


『じゃあわたしから質問。大神くんは、夜露とどんな関係を望むの?』

「さあな。少なくとも、今みたいに仲良くできるに越したことはないんじゃないか?」

『ふーん』

「なんだよ」

『ふぅぅぅぅぅぅぅん?』

「だからなんだよ……」


 無駄に意味深かつやけに長いそれは、ため息とも取れてしまう。とか考えていたら本当にため息が聞こえてきて。

 多分今の柏木の質問は、先日の質問と通じるものだ。

 俺が、葵をどう想っているのか。

 それが分からないことに、あいつとどういう関係になりたいかなんて、分かるはずもない。


『まあでも、今は曖昧なままの方がいいのかもね』

「なんで」

『大神くんはさ、意識的か無意識的か知らないけど、どうしても四人にとっての最善を探してるんだと思うよ』


 電話越しのはずなのに、背筋がゾッとした。

 どうしてこの女の子は、そこまで言い当ててしまうのだろうか。

 意識していなかったと言えば嘘になる。少なくとも、心のどこかで考えてはいただろう。俺と葵二人だけじゃなくて、朝陽と広瀬も含めた、四人にとっての結末。それが、出来る限りで幸せなものであるように。

 誰一人として傷つくことなく終わる、そんな幻想を。


『そんな大神くんの意思を尊重するなら、大神くんと夜露の間に明確な関係を定義づけるのは、悪手だと思うけどな』


 四人にとっての最善。そんなもの、探すまでもない。

 今のまま、現状維持で卒業を迎えること。

 誰も傷つかず、みんなが可能な限り幸せに高校生活を終えるには、それしか方法がない。

 誰かが動けば、誰かが傷つく。俺たちはそんな危ない橋の上を渡っているのだ。それは、朝陽も広瀬も理解していることだろう。

 それでも、それを理解した上で、二人のうちどちらかが動くのなら。

 傷つき、傷つける覚悟が出来たのなら。


『わたしから出来るアドバイスはこれくらいかな。なんにせよ、大神くんの意思が固まっていない限り、これ以上は何も言えないし』

「悪い……」

『悪いと思ってるなら、今度クレープ奢ってね』


 また明日、と別れの挨拶を告げて、通話が切れる。スマホを枕元に投げ捨て、ベッドに転がり天井を仰ぎ見る。

 自分の家の自分の部屋は、どうしても落ち着いてしまうから、他の場所よりも思考が捗ってしまう。ともすればそれは、自分が望まないほどに。


「現状維持、ね……」


 呟いた言葉は、考えうる限り最善の方法。誰も傷つかない代わりに、誰も最高の結末を迎えられない。俺たち四人にとっての最高の結末とは、それぞれによって違う。それは当たり前の話だ。俺たちはみんな違う人間なのだから。

 朝陽は、自分が葵に告白することのリスクを承知している。あいつは自分の校内での立ち位置をよく理解しているし、人気者のあいつが葵に告白して、あまつさえ振られたなんて話になると、どうなるのか。

 そして広瀬は、自分が葵に対してしていることの罪深さを自覚している。親友をダシにして、なんとか想い人との距離を詰めようとしている、その醜く浅ましい行いを。そんなタイミングで自分の気持ちを葵に知られたら、どうなるのか。

 他方で俺は、自分が葵に対してどのように想っているのか。延いては、あいつとどんな関係に落ち着くべきなのか。いや、あいつとどうなりたいのか。未だに答えが出ないままでいる。そんな状態で葵からちゃんとした告白をされてしまえば、どうなるのか。

 それでも葵は、俺たち三人の気持ちを知らず、ただ純粋に、自分の気持ちに素直になろうと努力している。それでいいと思っていた。あいつが二人の気持ちに気付いてしまったら、一番傷つくのは葵だろうから。けれど、朝陽が告白して、広瀬の気持ちにも気付いてしまったら、あいつはどうなるのか。

 ああ、やっぱり現状維持しかないじゃないか。なにがどう転んでも、全員が平等に傷を負う未来しか見えない。それだけで終わればまだいい。

 親友だと言い合う広瀬と葵の関係が壊れたらどうする? 朝陽と広瀬、親戚二人の関係は?

 なんにせよ、誰かが行動を起こしてしまえば、なにかが変わってしまうのは確実だ。

 最悪、俺とあの三人の関わりが途切れても文句はない。好意を寄せてくれている葵には悪いけど、元から灰色の青春を送るつもりだったのだから。幼馴染二人は恩人とも言えるけど、だからこそ俺一人消えるだけで上手くいくなら、どこへでも行ってやるから。


「違うだろ。そうじゃないだろっ……!」


 部屋にいると、余計な思考が止まらなくなってしまう。呻くように発した言葉と歯ぎしりで、自らの愚かな考えを取り消す。

 違う。それは、ダメだ。朝陽に言われただろ。広瀬に忠告されただろ。

 俺が身を引くなんて馬鹿なことは許されない。俺はすでに傍観者ではなく、当事者として人間関係の中に組み込まれている。三人の性格を考えるまでもなく、こんなこと許されるはずがない。

 なら、どうすればいい。いや、それも違う。間違えるな。柏木にアドバイスを貰ったばかりだ。

 どうすればいいかではない。

 俺がどうしたいのか。考えるのは、その一点のみだ。







 昼休みに自らが発した言葉の意味を、私自身も正確には捉えられずにいた。

 私と大神くんは、果たしてどういう関係なのだろう。

 名前も知らない男子生徒から問われたその言葉を、そっくりそのまま大神くんへ投げる形になってしまったけど。

 どうして、そんなことをしてしまったのか。

 分からなかったから、というのは理由じゃない。多分、私と大神くんは友達の範疇に収まると思うから。だから、あの場はそう答えたら良かったはず。実際、仲裁に入ってくれた凪ちゃんもそう答えた。

 でもそうじゃなくて。私は多分、大神くんを友達と定義することが、嫌だったんだと思う。


『じゃあさっさと大神に告ればいいじゃん』

「それが出来ないからこうして悩んでるんですよぉ……」


 我ながら情けない声を返してしまったと思う。電話口から凪ちゃんのため息が聞こえてくるのも当たり前ですよね……。

 お店の閉店準備を手伝って、お風呂にも入って宿題も終わらせて、あとは寝るだけの夜十一時。こんな時間にも関わらず電話に出てくれた凪ちゃんには、感謝しかない。


「って、今日相談したいのはそういうのじゃなくてですね」

『でも、夜露の相談って大抵がさっさと告れで済むし』

「うぐっ……」


 痛いところを突かれてしまった。事実なだけに反論できない。

 まあ、たしかに私が大神くんに告白して、結果断られようとも私を煩わせている悩みは全部無くなって、こうして凪ちゃんに相談することもなくなりますけど。


「そうじゃなくってですね……大神くんは、今の私たちの関係を、どう思ってるのかなって……」


 友達、と。そうハッキリ言えたなら、楽だったのに。けれど、私の心はそれを拒んでいる。彼との関係を、たかが友達程度で表すなんて。そんなこと出来ない。

 でも、それは私だけだとしたら? 大神くんにとって私は、ただの友達としか認識されていなかったら?

 昼休みの一瞬で、そんな不安が一気に押し寄せてきて。だから、聞いてしまった。

 結果的に見れば、恐らくは彼もただの友達としか認識していない、なんてことはなさそうだったけど、そのせいで困らせてしまった。

 あの時の大神くんの表情は、答えを探しあぐねているようなものだったから。


『まあ実際、あんたらをただの友達で済ますには、無理があるわよねぇ……』

「なら、凪ちゃんから私たちは、どう見えてますか?」

『んー、友達以上恋人未満、ってとこじゃない?』

「本当ですかっ⁉︎」

『うるさっ……。嘘ついてどうすんのよ。少なくともあたしにはそう見える、っていうか、それ以外に妥当な言葉がないわね』


 思わず大きな声を出してしまった。ごめんなさい凪ちゃん。でもそれだけ嬉しかったということなので、どうか許してください。


「でも、大神くんはどう思ってるんでしょうか……」

『あー、それはさすがに分かんないわね』


 周りからはそう見えていると言っても、やはり友達以上恋人未満なんてのは曖昧な関係だ。だからこそ彼はあの場で答えを出せなかったのだろうし、私もこうして悩んでいるのだから。

 そして彼は。大神くんは、そんな曖昧な関係を良しとするのだろうか。


『まあ少なくとも、夜露が大神に嫌われてるってのはないから安心しなさい』

「で、ですよね……私、嫌われてなんかないですよね……?」

『そこはちゃんと自信持ちなさいな。そもそも、夜露みたいな可愛い子があんだけ好き好きアピールしてて、嫌われてるわけがないでしょ』

「そんなにアピールしてません、よ……?」

『だから、自信持ちなさいって……』


 だって、思い返してみればぐうの音も出ないほどにその通りですし……。やっぱり、大神くんに私の気持ちは気づかれてますかね……。

 いえ、ここはポジティブに考えましょう。このままアピールし続ければ、きっと大神くんも私のことを……!


『結局、これからの二人の関係は二つに一つなのよ。夜露がヘッポコなまま告白せず、友達として終わるか。告って恋人になるか。でもどうせ、夜露の中じゃ答えは決まってるでしょ?』

「はい」

『ん、ならよし』


 すでに二度も失敗している身ではあるけど。それでも、いつか絶対に伝えると、決めているから。

 今の関係がなんと呼ぶものか分からないけど、どういう関係になりたいかだけは、ハッキリしている。


『それじゃ、そろそろ眠いから切るわよ』

「はい、ありがとうございました」

『親友からの相談なんだから、これくらい当たり前よ。おやすみ』

「おやすみなさい」


 あくび混じりの声が聞こえたあと、通話が切られる。

 曖昧な関係のまま終わらせたりなんてしない。今の関係は確かに心地いいけど、でも、こんなぬるま湯みたいな関係に、いつまでも浸っているわけにはいかないから。

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