第22話 スポーツ万能ガール夜露ちゃん

 バスケットボールのバウンドする音があたりに響く。

 正面にはボールを地面につく朝陽。その目は至って真剣だ。対する俺は両手を広げて腰を落とし、前髪をカチューシャで上げてメガネも取っている。こいつとバスケをするのに、その辺りのことを気にしてはいられないから。

 頭上の線路から、電車が通過する大きな音が聞こえてくる。高架下にあるこのコートには俺たち以外誰もいなくて、思う存分体を動かせる。

 右か、左か。はたまた、そこから直接ゴールを狙うか。どこからどのように攻められても対応できるように構えていると、朝陽の体が動いた。

 右、と見せかけて左にドリブル。巧みなフェイントに騙されて一歩目が遅れたが、この程度のスピードなら追える。ゴールへの道を塞ぐべく回り込めば、しかし急停止した朝陽はクルリとターンして俺を躱し、軽くボールを放った。パスッと間抜けな音と共にゴール。

 10点先取の10点目。即ち、俺の負けである。


「衰えたんじゃねぇの?」

「こっちはもう、何年もまともに、運動してないんだから、当たり前だ」


 体力の限界が近く、言葉も途切れ途切れになる。足腰も結構キツくて、その場にへたり込んでしまった。情けなさすぎないか、俺。いやまあ、10本先取2セット休みなしでしてたらこんなもんか。

 最近は気温も高くなるばかりだから、余計に体力を消費してるのかもしれない。汗もかなり掻いてしまって、今すぐ風呂に入りたい気分だ。

 一方の朝陽は、汗こそ流してるものの、へばってる様子は全くない。さすが現役バスケ部。小学生のミニバスで辞めた俺とは大違いだ。比べるのすら烏滸がましい。

 しかしそれでも、定期的にこうして朝陽の練習に付き合ってはいたのだが。進級してからは一度もしていなかっただけなのに、こうまで体力が落ちるものだとは。


「勿体ねぇなぁ。真矢、スジはいいんだから、続ければよかったのに」

「勘弁してくれ。面倒な人間関係のゴタゴタに巻き込まれるのは嫌なんだ」

「それもそうか」


 中学からの部活動というのは、小学校のミニバスと違い、上下関係が明白になる。必然的に人間関係の問題というのは浮き彫りになってしまい、トラブルが絶えないのはどの学校、どの部活でも同じだろう。

 表向きはなんともなさそうでも、裏ではその限りじゃないのだ。


「つか、部活自体めんどいし、家帰ってさっさと寝たいし。お前とこうやって、たまにバスケするくらいが丁度いいんだよ」

「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか」


 笑い合いながら立ち上がって、朝陽からパスされたボールを受け止める。


「ほれ、スリー打ってみろ」

「多分入らんぞ」

「でも入ったら気持ちいいぞ?」


 俺と入れ替わる形で座り込んだ朝陽に急かされ、ボールを構える。五年もブランクがあろうが、習っていたのが小学生の頃だろうが、案外体は覚えているものらしい。

 我ながら綺麗なフォームでのジャンプシュート。ボールは弧を描き、しかし無情にもリングに弾かれ、あらぬ方向へと転がってしまった。

 ため息を吐きつつも転がっていったボールを追うと、いつの間にかコート内に入ってきていた誰かが拾った。


「下手くそ」

「こんにちは、大神くん」


 俺に心ない言葉を浴びせたのは広瀬、その隣でボールを拾ったのは昨日ぶりに会う葵だった。

 朝陽とここでバスケする時は大体広瀬も一緒だったから、来るものだとは思っていたが、まさか葵も一緒とは。俺は呼んだ覚えがないから、朝陽が呼んだのだろう。


「おっす、二人とも」

「伊能くんもこんにちは」

「朝陽、あんた練習終わったばっかでしょ? よくやるわね、本当」

「来月には最後の大会だからな。ちょっとでも練習しときたいんだよ」


 四人で集まるのは、随分久しぶりな気がする。いや、そもそも、四人で集まる機会というのもそこまでなかった。最後はたしか、葵がうちに初めて来た日。あれから既に、一ヶ月以上が経っている。

 それに、葵に至ってはここ最近、朝陽と広瀬とはあまり話していなかったんじゃないだろうか。


「大神くん? どうしました?」

「いや……」


 視線を葵に向けていると、こちらに気づいた彼女と目が合った。キョトンと小首を傾げてる葵の格好は、どこからどう見ても運動着。ハーフパンツにTシャツ、しかもポニーテールと、バスケする気満々の格好だ。

 それが抜群に似合ってやがる。特にポニーテール、いいですね。好きだよそういうの。


「葵ってバスケ出来んの?」

「球技なら一通り出来ますよ」

「……なんか転けそうで心配なんだけど」

「転けませんっ!」


 俺たちのやり取りに朝陽と広瀬の二人が吹き出す。葵はムッと頬を膨らませたフグ夜露ちゃん状態。そういう子供っぽいところが、転けそうだと思ってしまった一因なんだが。


「葵は結構上手いぞ? 今の真矢なら多分1on1しても負けるんじゃねぇかな」


 えぇーホントにござるかー?


「むっ、信じてませんね大神くん。見ててくださいよ」


 持っていた手荷物を、運動する気なんてさらさら無さそうな服装の広瀬に預け、葵はボールを構える。

 サイドラインギリギリから華麗なフォームで放たれたジャンプシュート。見たことないような凛々しい顔に一瞬見惚れるも、直ぐにボールの軌跡を追えばいとも簡単にスリーポイントが決められた。

 朝陽と広瀬は当然のような顔で拍手しているが、俺は呆然。葵は自慢げにドヤ顔。さっきの凛々しい顔はどこ行った。


「マジで上手いじゃねぇか……」


 運動神経もいいって噂は嘘じゃなかったのか……。絶対嘘だと思ってたのに……。


「だから言ったじゃないですか」

「なんか、こう、葵のイメージが今完全に覆されたんだけど」

「どんなイメージ持ってたんですか⁉︎」


 そりゃお前、自分の胸に手を当てたら分かるんじゃないですかね。

 とは思っても口には出せない。女子に対して胸に手を当ててとか、セクハラで通報されてもおかしくないのだ。ただでさえそれなりに大きい広瀬の隣なのだから、「手に当てられるほど胸なかったです!」とか自虐ネタが飛んで来るかもしれない。

 いや、葵は別に貧乳じゃないけど。多分。


「そりゃ大神は、基本的にポンコツな夜露しか見てないからでしょ」

「ぽ、ポンコツじゃないですよ!」

「勉強が出来るのと頭いいのは別だもんなぁ」

「伊能くんまで!」


 もう、とまた頬を膨らませる葵だが、その表情は満更でもなさそうだ。

 色々と懸念することあるけど、こうして四人集まってワイワイ楽しくやれてること自体は、とても喜ばしい。もしかしたら朝陽も、最近のことで少し気を遣ったから、葵も呼んだのかもしれない。

 まあ、本人が葵と会いたかった、というのもあるだろうが。


「よしっ、んじゃ再開するか」

「俺はちょい休憩させてくれ……」

「なんだ真矢、もう体力切れかよ」

「お前と違って俺は帰宅部なんだよ。家に帰るだけの体力があればいいわけ」

「じゃあ私と伊能くんで勝負ですね!」

「よし来た」


 コート内で位置につく葵と朝陽を見守りながら、俺と広瀬は後方のベンチに移動する。

 ベンチに腰を下ろして一息つけば、ドッと疲れが押し寄せて来た。


「情けないわね。もうちょい鍛えたら?」


 悪態をつきながらも、広瀬は持って来ていた大きめのカバンの中からスポーツドリンクを渡してくれる。どうやら、ここに来る途中で買って来たらしい。

 カバンの中には他にも、朝陽に頼まれて俺たち二人分の着替えも持って来ているのだろう。俺と朝陽がバスケではしゃいで、広瀬がマネージャーの如く色々と準備して持ってくる。それが、俺たち幼馴染の日常だった。

 一言礼を入れてペットボトルのキャップを開き、喉に通す。それだけで完全に回復するわけでもないが、汗もかなり掻いていたから有難い。

 休みの日に脱水症状とか、マジでシャレにならんから。


「朝陽が体力馬鹿なだけだ。10本先取の1on1、休みなしで2セットした後だぞ」

「本当、よくやるわ……」


 呆れたようにため息を吐く広瀬。だが、未だコート内で動き回る朝陽を見る目は、どこか優しいものだ。それは恐らく、同じコートの中で長いポニーテールを揺らしている親友にも向けられているのだろう。

 それにしても朝陽のやつ、随分とやりにくそうにしている。やっぱりあれか、相手が女子だと無理矢理ボール取りにいくのも憚れるのか。


「なに鼻の下伸ばしてんだか」

「いや、別にそういうわけじゃないだろ、あれは」

「あんただったらどうなのよ」

「……」

「あんまりあたしの親友を、変な目で見ないでよね」

「ごめんなさい」


 うん、まあ、仕方ないよね。たしかにバスケくらい相手と接近しちゃうスポーツなら、男として最早当然の反応だからね。

 うん、仕方ない。だからあれは朝陽が悪いわけじゃなくて、バスケットボールというスポーツのルールが悪いのだ。俺が変な想像しちゃったのも同じく。


「てか、それならお前が変わってくればいいんじゃね? 合法的に朝陽と接触できるチャンスだぞ」

「は? 本気でいってんの?」

「嘘です冗談ですごめんなさい睨まないで怖いから」

「はぁ……あたしがあんな動きについていけるわけないでしょ」

「ああ、お前運動音痴だもんな」

「うっさい」


 そう。この広瀬夕凪。カリスマギャルとしてクラスカーストトップに君臨しているにも関わらず、壊滅的な運動音痴なのだ。いや、これはカースト関係ないな。

 ともかく、そんなわけで広瀬は、合法的に朝陽と触れ合える機会を泣く泣く見逃すしかないのである。

 仮に運動が出来たとしても、ここで名乗りをあげて葵と交代するとは思えないが。


「そういや大神、昨日世奈と会ったんだって?」

「そうだけど、なんで知ってんだよ」


 藪から棒に尋ねてきた広瀬の視線は、動き回る二人の方に固定されている。

 ちょうど葵が朝陽からゴールを奪って攻守交代したところだ。それでも、まだ朝陽がリードしているが。


「夜露から聞いた。大神くんとデートしてたら世奈ちゃんと会いましたーって」

「それ、絶対脚色してんだろ」

「でもデートしてたんでしょ?」

「……」

「図星か」

「うるせぇ」


 それよりも、葵がちゃんと親友との交流を続けていたことに安心した。まさか、今日久しぶりに会ってまともに話した、なんてことじゃないだろうと思っていたけど、その心配も杞憂のようだ。


「で、その柏木がどうしたんだよ」

「世奈と大神が随分仲良さそうに話してたって夜露が言ってたから。そもそもあんた、世奈と話したことあったの?」

「いや全く。柏木がやたらグイグイ来ただけだ。あとなんか、俺の目のことも知ってた」

「え、嘘?」


 さすがにそれは広瀬も驚いたのか、前方に向けられたままだった視線がこっちを向く。


「目のことって、色のことでしょ?」

「それ以外にあるかよ。趣味は人間観察なんだーとか言ってたけど、まさかそんだけで気づかれるなんて、俺も思ってなかったよ」

「……まあ、世奈はちょっとあたしにも分かんないとこあるし」

「それで納得するのか」


 と、ここまで会話したところで、朝陽がこちらに戻ってきた。数分前はともかく、今は別に疚しい話をしているわけでもないのに、自然と会話は中断される。


「なんだ朝陽、ギブアップか?」

「バカ言え、ちゃんと10点取ったに決まってんだろ。ほれ、次は真矢の番。さすがに俺も休憩させてくれ」

「へいへい」

「凪ー、飲み物ぷりーずー」

「分かったから寝転がらないでちゃんと座って、ほら。服汚れるでしょ」


 ベンチの前で、限界だと言わんばかりに転がった朝陽と入れ替わって、コートの中へ。あれだけ動き回っていたにも関わらず、葵は全くバテた様子を見せない。


「次は大神くんですね! 負けませんよ!」

「元気だなお前……」


 果たしてその元気はどこから湧いて来るのやら。しかし俺も、女子相手に負けるわけにはいかない。そこまで負けず嫌いなわけではないが、男としてのプライドってもんが俺にもあるので。


「んじゃやるか。手加減なしだからな」

「はいっ!」


 絶対に負けられない戦いが、ここにはある。

 まあこの後コテンパンにやられたんですけどね。なんかやわこいもんが当たってきたらそりゃゲームに集中出来ませんわ。

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