第23話 雨音に掻き消されて
「くぁ……」
大きなあくびを漏らしながら、雨の中の通学路を歩く。今年の梅雨はあんまり雨降らないと思っていたらこの大雨だ。ただ歩くだけでズボンの裾は濡れてしまうし、靴の中なんて大洪水。靴下の替え持って来て正解だった。なんでこれで警報出ないんですかね。気象庁仕事しとんのか。
おまけに昨日のバスケのせいで、全身筋肉痛ときた。学校に向かう足は精神的にも物理的にも重くなっている。あくびの一つや二つ、漏れるのも必然というものだ。
「よう真矢。今日は一段とやる気のない顔してんな」
「普段からやる気なさそうだって言いたいのか、お前は」
筋肉痛の元凶である朝陽が、路面の水たまりも気にせずに駆け足で俺の隣へやってきた。おかげさまで制服は余計に濡れてしまったが、正直ここまで濡れてるともうどうでもよくなる。文句を言う気すら起きない。
「筋肉痛だよ。どっかの誰かさんに無理矢理運動させられたからな」
「情けねぇなぁ。これからはもうちょい頻度高めに呼ぶわ」
「しんどいからやめてくれ……」
当然だが、朝陽に筋肉痛の様子など見られない。普段から運動してる上に、普段の部活よりも軽い運動だったのだから当然か。
おまけにこの雨の中でも爽やかな雰囲気は損なわれないのだから、もはやその名の通り、お前が太陽なんじゃないかと言いたくなる。その時不思議なことが起こりそう。俺は悲しみの王子貰っていきますね。
「でも、たまには体動かすのもいいだろ?」
「たまにならな」
「しかも葵もいるし」
「あいつとはあんまりやりたくねぇんだよなぁ……」
昨日の葵はとても楽しそうにバスケをしていたから、1on1の時に少しでも邪な気持ちを抱いてしまったのが、とても申し訳なくなる。
「まあ、多少やりづらくはあるな」
「だろ? しかも広瀬の監視まであるんだから、なんかあったら即死刑だぞ。お前なんか昨日、広瀬に凄い目で見られてたからな」
「マジ? いやでもしょうがないだろ。だって葵、普段とバスケしてる時とのギャップがヤバイし」
「分かる」
いやマジでそれ。それある。それしかないまである。
普段はあんなにポンコツで、なにかあったら広瀬に泣きついて、その上変にネガティブなのに。昨日の葵はそんな片鱗を全く見せず、てことはないな。割とポンコツというか、子供っぽいところは見せてたけど。
まあなにせ、いざ勝負となった時の葵は、まるで人が変わったかのように思えた。ボールに集中する鋭い目つきとゴールを狙う俊敏な動きは、凛々しさすら感じたほど。
「集中力が凄いんだよな、葵は」
「おかげさまで、俺も真矢もいい思いさせてもらったじゃん」
「それな」
いや本当、敗北を引き換えにとんでもないものをご提供いただいたと言いますか。ガッツリボール奪いにくるもんだから、身体的接触は避けられなかったと言いますか。
いつものポンコツ夜露ちゃんなら、少しでも俺と触れてしまっただけでもう顔真っ赤だったろう。勝利を掴めと轟き叫ぶレベルで。
しかし全くそんなことなく、それどころか葵は完全にバスケに集中してしまって、いつもと違う凛々しい目なんて光って見えたほど。お前を倒せと輝き叫ぶレベルで。
「普段からあれくらい凛々しいと、また違った印象だったんだろうけどな」
「真矢は分かってねぇなぁ……今の葵だからいいんじゃねぇか。勉強はできてもどっか抜けてて、つーかバカで、でも一生懸命になるのが葵だろ?」
失礼な言葉を並べた気もしたが、それでもやはり、朝陽は葵のことをよく見ている。それも当たり前か。
朝陽にとって葵は友人で、それ以上に恋している相手なのだから。ともすれば、こいつと広瀬は本人以上に葵のことを知っているかもしれない。自分のことなんて、案外他人の方が知っていることも多いものだから。
「まあ、あいつがいきなり、どこぞのラノベヒロインみたいに毒舌振り撒き出したら、俺は精神科を進める」
「それはさすがに極端ってもんだろ」
「朝陽は葵からの毒舌なら喜んで受けそうだな」
「まあな」
「威張るなよ」
俺の幼馴染はいつの間にドMの扉を開いちゃってたの? 是非とも勢いよく締めてそのまま永遠にCMを垂れ流していて欲しい。謎は謎のままで終わってくれ。
「で、その葵の誕生日がもうすぐな訳だが」
「らしいな」
「なんだ、お前知ってたのか」
意外だと目を丸めた朝陽だが、広瀬から聞いたことを教えればすぐに納得。まあ、俺が自主的に葵から聞くなんてありえないし。
「知ってるなら話は早いな。当日の夜、俺の部活終わった後くらいに、葵の家でパーティやるんだよ。真矢も来るだろ?」
「それはあれか、黒田やら柏木やらも連れてきてウェイウェイやるやつか。リア充式誕生日パーティってやつか」
「ちげぇよ。世奈はともかく、他の奴らはあんまり葵と接点ないから呼ばねぇよ。つかなんだよ、ウェイウェイとかリア充式とか」
そりゃお前、パーティの様子を写メで撮って、そこに変なハッシュタグつけてインスタに投稿するだろ? #最高の仲間達、みたいな感じで。インスタやってないから知らんけど。
そうじゃないと言うならつまり、俺たち四人プラスで葵の両親のみか。なら、ありだな。
「わかった。そういうことなら参加する」
「よっしゃ、決まりだな」
しかし、葵の誕生日か……。来週の金曜日の6月21日なわけだが、俺は未だにプレゼントを選べていない。葵にも先日リクエスを聞いたが、あれ以降向こうからなにか教えてくれたわけでもないし。
どうすっかねぇマジで。
「朝陽は葵にプレゼント買ったのか?」
「ハンドクリームでもあげようと思ってる。真矢は?」
「俺はまだ」
なるほどハンドクリームか。葵は店の手伝いで料理も良くしているし、それに異性の友人が贈るにしては丁度いい消え物。さすがは朝陽と言ったチョイスだ。
こいつ、女子に誕プレあげるのとか慣れてそうだもんなぁ。今でも広瀬には毎年なにかしら上げてるみたいだし。
「時間があれば選ぶの手伝ってやるんだけど、今週から部活毎日だからなぁ……」
「さすがにお前待ってたら遅くなるもんな」
夏の大会に向けてやる気を漲らせている我が校のバスケ部は、県内でもそれなりの強豪校らしい。普段は週に一日、たまに二日休みがあれども、三年生最後の大会が一ヶ月前まで迫ってきているのだから、呑気にしている場合ではないのだろう。
一方で葵の誕生日当日まで残り二週間を切っている俺は、もっと呑気にしてる場合じゃないのだけど。
「凪に相談したらどうだ?」
「自分で考えろ、だけ言われて一蹴される未来しか見えないな」
「違いない」
「もっかい葵に聞いてみるかぁ……」
「私がどうかしましたか?」
「うぉっ!」
ひょこっと横から顔を出したのは、話題の中心である葵。いつからそこにいたのか。いや、この様子だと今隣に来たのだろう。
「おはよう葵」
「はい、おはようございます伊能くん。大神くんも」
「ん、おはよ」
「それで、私がどうかしたんですか?」
話は聞かれていなかったようで、傘の下にある葵の顔はコテリと右に傾く。相変わらず可愛い。
「お前の誕生日プレゼントだよ。なんか思いついたか?」
「うーん……」
「葵は欲しいもんとかないの?」
眉を顰める葵に朝陽が聞いてみれば、苦笑が返される。
「あるにはあるんですけど……」
「ほう、例えば? 取り敢えず言ってみなって。真矢なら買ってくれるから」
「おい。無責任なこと言うな」
「そろそろ出てる新しい夏服とか、あとは新しい包丁とか欲しいと思いますけど……」
無理だな。うん、無理だ。
まず服とか買う度胸ないし、サイズもわからんし。包丁とか、料理全くしない俺にはどれがどんな風にいいやつなのか全然知らんし。
「服とかは、ちょっと違いますよね?」
「まあ、そうだな」
「だからって真矢が包丁の良し悪しを分かるはずないもんな」
「まあ、それ以外で特に欲しいもん思い当たらないなら、俺でもうちょい考えてみるわ」
「すいません……」
「謝る必要ねぇよ。そもそもお前の誕生日なんだからな」
葵に喜んでもらうために悩んでいるのだから、その過程で謝らせてしまえば本末転倒もいいところだ。
とにもかくにも、葵の誕生日プレゼントで悩むのはまた後で、だ。さっさと学校に辿り着きたい。靴の中がグショグショで気持ち悪いし。
「そうだ。大神くん、今日のお昼なんですけど」
「ん?」
「あの、お弁当、大神くんの分も作って来たので、今日は購買に寄らなくても大丈夫ですからね?」
「マジで?」
葵さんこのタイミングでサプライズですか。俺、そんな話全く聞いてなかったんだけど。そういうのって普通、事前に知らせてくれるもんじゃないの?
「羨ましいねぇ。葵の愛妻弁当とは」
「あ、あああ愛妻とかっ、そんなのではないですからっ!」
朝陽が揶揄うように笑えば、葵は顔を真っ赤にして大声で否定する。傘を叩く雨の音よりも余程大きい声で。
「本当、羨ましいな……」
だから、今の朝陽の呟きは、葵には聞こえていなかっただろう。すぐ隣にいる俺でさえ、雨音に掻き消されて聞き逃してしまいそうになったのだから。
思わず振り向いた先にあった朝陽の顔は、しかしいつものような爽やかな笑顔を浮かべていた。俺に聞かれたのに気づいてないのだろうか。
「そ、そういうことですからっ! 今日からはあんな不健康な食事とはさよならですよ!」
「お、おう。……って、別に購買のパンは不健康なもんでもないだろ」
「男の子なんですから、お昼ももっと食べないとダメですっ」
「よしよし、もっと言ってやれよ葵。真矢のやつ、気がついたら雑な飯しか食わなくなるからな」
「朝陽まで……」
聞き間違い、ということにしておこう。
少なくとも今、こうして笑い合っている間くらいは。
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