第18話 過ちは繰り返されるもの
腹がいっぱいになれば眠たくなってしまうのが、成長期の男子というものだ。
昨日は葵の家でハヤシライスをたらふくご馳走になってしまい、疲れもあったからか、家に帰って風呂入った後は、あっという間に夢の世界へ落ちてしまった。お陰様で今日は朝から調子がいい。
足取り軽く、なんて浮ついた気持ちになっているわけでもないが、いつもよりかは若干機嫌よく朝の登校となった。
「おはよ、大神」
「おう、おはよう広瀬」
家と学校のちょうど中間あたり、葵の家を過ぎたくらいのところを歩いていると、後ろから広瀬がやってきた。
軽く挨拶を交わした後の広瀬は、なにか言いたそうにしているが、それを切り出そうとはしない。まあ、なんの話をしたいのかは察しがつくが。
「葵なら大丈夫だったよ。お前らの言った通り、勝手に悩んで勝手に落ち込んでるだけだった」
「……あたし、まだあんたになんも聞いてないんだけど」
「俺も一応報告しときたかったんだよ」
「あっそ。まあ、ありがとね」
「礼ならもう葵から言われた」
そっか、と小さく呟く広瀬は、どこか安堵しているようだった。親友のことをそこまで想えるのだから、羨ましい限りだ。親友からこうも想われている葵もまた、同じく。
「しかし、改めて振り返ってみると、昨日は大変だったな」
「ああ、あの子、結構頑固だったでしょ? いつもはそこまで頑なでもないのに、ネガティブ方面は本当に人の話聞かないから」
「いや、そっちじゃなくて。お前の方だよ」
「あたし?」
自分の話になるとは思っていなかったのか、広瀬はキョトンとした顔で首を傾げる。
てか、葵も昨日はそんなに頑固じゃなかったけど。割とあっさりゲロってくれたし。女子に対して使う言葉じゃないなこれ。吐露してくれた、くらいがちょうどいいかも。
「坂上達のやつだよ。黒田にちょっと話聞いたけど、相変わらず喧嘩っ早いのな」
「それ、朝陽にも昨日言われた。どうせあそこに朝陽がいたら、あたしよりも早くなんか言ってるくせに」
「違いないな」
朝陽はカーストトップでカリスマもあって、他人の心の機微にも敏感だが、だからといって誰が相手でもいい顔してるわけじゃない。
むしろ、敵対者には容赦ない方なのは、昨日の広瀬を助けた時の一幕を見れば分かるだろう。特に、身内への悪意には頗る敏感なやつだ。昨日はあれだけで済んだのがラッキーなくらい。
困ってるやつに迷わず手を差し伸べられる。葵が憧れている、ヒーローみたいに。あいつはそんなやつだ。
まあそのヒーローも、今頃は朝練で汗水垂らしてるところだろうが。
「ぶっちゃけた話するとさ」
「なに?」
「葵は、俺じゃなくて朝陽の方を好きになるようなやつだって、最近思うんだよな」
「は? なにそれ」
心なしか語気が強い。少し怒らせてしまっただろうか。
「あいつの親友なら、あいつの夢というか、願いみたいなもん、知ってるだろ?」
「そりゃ知ってるけど、だからってそうはならないでしょ。だって」
「好きと憧れは違うから、か?」
「……分かってんじゃない」
「まあな」
昔、ある人に同じ言葉を投げられたから。俺が憧れていた、それが恋愛感情なんだと思い込んでいた、ある人に。
でも、だからって、その二つの感情が両立しないとは限らない。好きと憧れは、心の中で共存できる。
だからこそ、たったの一度助けただけの俺なんかより、よほどヒーローらしい朝陽に好意を向けるべきだと。最近よく思うようになった。
「それが分かってるなら、いい加減素直に夜露の好意を受け止めなさいよ。最近あの子から、あんたのことが好き好き大好きーって電話ばっかなのよね」
「俺に言われても困る……」
「それに、人を好きになる理由なんて、案外単純なもんなのよ。そいつの顔が好きとか、声が好きとか。ドラマみたいに大それた理由があるわけじゃないの」
「なるほど、広瀬は朝陽の顔と声が好き、と」
「ぶん殴るわよ」
「ごめんなさい」
ちょっと調子に乗ればすぐこれである。残念ながら俺は、美少女に殴られるのをご褒美と捉えられるような奇特な趣味は持ち合わせていない。
「まあ、冗談は置いといて。それでも葵が俺に好意を寄せるってんなら、俺なんかでも朝陽に勝てるなにかがあるってことだろ?」
「……今日の大神、ポジティブすぎてキモいんだけど」
「泣くぞ」
言うに事欠いてキモいとはなんだ。それが幼馴染に対する言葉なんですかね。
「なに、なんかあったの?」
「いや、別になんかあったわけじゃねぇよ」
ただ、今日の俺は機嫌がいいのだ。少しくらいはポジティブに考えていても、バチは当たるまい。
なにより、俺が葵を助けてから今日までの年月が、その証拠となる。俺以上に朝陽と触れ合っていたのに、それでも俺への感情を捨てていない。なら、葵は俺になにかを見出したのだろう。それがなにかは、残念なことに分からないのだが。
「ま、そう思ってんならさっさとくっついちゃいなさい」
「俺があいつを好きになれたらな」
「めんどくさいやつね」
「お前には言われたくない」
片思いを拗らせてるくせに、人のことは言えないだろう。なんて、間違っても本人には言えないが。
そもそも、くっつくとかそんなん以前に、俺は別に葵から告白されたわけでもないのだから。俺があいつを好きになれるか、向こうから告白されるかしないと、付き合うなんてのはありえない。
「そうそう、六月の二十一日は夜露の誕生日だから」
「いきなり話題変えたな」
「なんかプレゼントでも用意しといてあげなさいよ」
「へいへい」
まだ一ヶ月以上先の話だが、ちゃんと覚えておこう。どうせ、プレゼントを選ぶのに時間がかかってしまうのだし。
テスト結果が全て返却された。
結論から言えば、二年の時に比べれば、だいぶいい点数を収めたことになった。赤点は一つもなく、一番苦手だった数学は67点、一番得意な国語に至っては、87点と自己最多を記録したのだ。これも全部勉強会の、延いては葵のお陰である。
昼休みに聞いた話だと、葵のクラスも今日中に全ての答案用紙が返却されるとのことだ。しかも、昼休み時点で返ってきていた四教科は全て100点。残された英語で100点を取れば、驚異の500点満点である。
葵本人は昼休み時点で喜ぶどころか、少し緊張した面持ちになっていた。やはりそれくらいの点数を取るようになると、100点どころじゃそんなに喜ばないのだろうか。
全教科100点じゃないといけない理由でもあれば、緊張するのも分かるけど。
さて。というわけで放課後だ。今日も今日とて帰宅部の活動に精力的な俺は、さっさと家に帰りたいのである。だがどうやら、そうは問屋が卸さないようで。
授業が終わってから届いたライン。差出人は葵夜露。内容は『放課後になったら屋上に来てください』というもの。
こうして改まって屋上に呼び出される、というのは、あの日以来一度もなかったことだ。いつもは二人とも自然と昼休みに足を向けていた場所。今や日常の風景と化してしまった場所。そこへ、俺は向かっていた。
思い返されるのは、今朝に広瀬と交わした会話。葵から告白されたわけでも、俺が葵のことを好きになったわけでもないのだから、付き合うわけがないと。幼馴染にはそう言った。
なら、実際に葵から、ちゃんとした告白をされたら。俺は、どうするのだろう。
それを受け入れて、彼女と恋人関係になるのか? 葵に対して恋愛感情を抱いているわけでもないのに?
どうするのだろう、じゃない。考えるポイントを間違えるな。俺はどうするのかじゃなくて、どうしたいのかが肝心だ。
仮に告白されたとして、それを受け入れたいのか、否か。そう考えると、答えは自ずと見えてくる。
あの子のことを好きになったわけじゃない。恋愛感情を抱いたわけでもない。朝陽に対する負い目だって、完全には払拭しきれない。
──それでも、俺は。
辿り着いた屋上への扉。そこに手をかけ、錆びた音を鳴らしながらも開く。
屋上は地上よりも少しだけ風が強くて、気温が上がって来た最近はそれが涼しくて心地いい。空を見上げれば、そこはどこまでも広がっている青。雲ひとつない晴空は、あの日と同じだ。
そんな屋上の中心に、なびく髪を片手で抑える女の子が一人。
「ごめんなさい、突然呼び出してしまって」
「いや、いいよ。どうせあとは帰るだけだったしな」
眉尻を下げた葵は、申し訳なさそうに笑っていた。だから俺も、それに笑顔で応じる。
その顔を見ていると、本当に可愛い子だと思ってしまう。たった一ヶ月ちょっと近くで接しただけでは、慣れるはずもない。
「それで、どうしたんだ? 放課後にここへ呼び出すとか今までなかったのに」
「実はですね、さっき返ってきた英語のテスト、100点だったんですよ!」
「おお、マジで全教科100点取ったのか」
「はいっ、マジですよ!」
素直に驚いた。葵ならやれるだろうと思っていたけれど、こうして報告されればやはり驚いてしまう。だって全教科100点だぞ? 普通に考えて出来るわけがないだろそんなん。葵半端ないって。そんなんできひんやん普通。
「その、それでですね。もし全部100点だったら、やろうって決めてることがありまして」
まさか、点数の報告だけのために呼び出したわけでもなしに、ここからが本題だろう。
純粋に喜んでいた先ほどとは一転して、真剣な雰囲気が屋上に漂う。葵の頬は急に紅潮しだして、丁寧に前で組んでいた指はもじもじと動き始めていた。
「私、あなたに伝えたいことが、あるんです」
それでも、夜の輝きにも似た美しい瞳は、強い光を携えて俺を見る。
そこから決して目は逸らさない。瞳の色がコンプレックスで、誰かと目を合わせることが苦手な俺だけど。葵が相手なら、目を逸らすなんて出来ない。その必要も、今は感じない。
「あの、ですね、私……」
あの日と同じだ。言いにくそうに言葉を詰まらせるのも、葵の顔の色も、この雰囲気も。
まるで焼き直し。なぜか嫌いだと言われたあの時の。
でも、あの時と違うことの方が多い。たった一ヶ月ではあるけど、彼女と接して、彼女のことを知って、少しだけ、彼女が素直に気持ちを表せられるようになって。
俺の答えは、もう決まっている。覚悟と決意を固めて、この場に来ている。
だから俺は、お前からの言葉を待つだけだ。
「私っ……!」
だが、忘れたのか? 葵夜露は、その成績からは考えられないくらいのポンコツであることを。
「うちの洋食屋を継ごうと思うんです!」
「……は?」
「……あっ」
発せられたのは、想像していたものとは程遠い言葉。急に聞かされたそれに、思わず失礼な声を上げてしまえば、向こうからもやっちゃった、みたいな声が。
聞かされた俺も、言った本人である葵も状況がイマイチ飲み込めず、互いに見つめあって無言の時間が訪れる。
が、先に再起動したのは葵の方だった。
「そ、そう! そうなんです! うちの洋食屋を継ごうって、決めたんですよ!」
「いや、うん、それは今聞いたけど……」
「えっと、その、えっと、昨日大神くんが帰った後に、色々と考えたんです。私が出来ることとか、どうしたいのかとか。それで、大神くんの言葉を思い出して」
たしかに、美味い飯を作って云々とは言った気がする。言った気がするけど……。
慌てたような、焦ったような表情で、葵は更に言葉を続ける。
「大神くんのお陰で、私なりになりたいヒーローの姿が見えてきた気がするんです。だから、あとはそこに向かって努力するだけ。お店に来てくれる人たちが、私の料理を食べて、少しでも幸せになってくれたり、救われたりするために」
「そうか……」
紛れもなく本心からの言葉なのだろう。本来俺に伝えようとしていた言葉とは違うのかもしれないが、これは本当に、葵が考え抜いた末に到達した結論なのだろう。
出来れば、もうちょっとマシな状況でそれを聞きたかったのだが、ポンコツ夜露ちゃんにそれを望むのは酷というものだ。
まあ、そんなところも可愛いんだが。
「でも、ですね」
「ん?」
直前までの焦った様子は消え失せ、至極穏やかな笑みが向けられた。いつもの年相応の笑顔じゃなくて、どこか大人びた雰囲気を纏う、そんな笑顔が。
不覚にも、見惚れてしまう。
今まで見たことのなかった新たな一面に、思わず釘付けになる。
「一番の理由は、そうじゃなくて。大神くんに、もっと私の料理を食べて欲しいから、なんですよ」
その笑顔とその言葉で、自分の頬が熱くなるのを自覚した。胸に込み上げるなにかがあった。言葉では形容できない、なにかが。
果たしてついに逸らしてしまった視線は、アテもなく宙を漂う。ただ、空の青が視界に映るのみで、それでもその端っこに、目の前の女の子の笑顔が映ってしまうから。
「そっか……。なら、楽しみにしてる」
「はいっ!」
照れ隠しに放った言葉の返事は、いつも通りの元気な満面の笑みだった。
葵夜露は今日も素直になれず。けれどその代わり、大切な願いを、夢を、聞かせてくれた。
今はそれだけでも、俺としては十分だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます