第2章 誰もが誰かのヒーロー
第19話 変化する日常、二度目のお誘い
気温はどんどん高くなり、学校でも半袖の夏服を着用するやつらがぼちぼちと増えてきた六月。外を歩くだけでも汗を流してしまい、俺も早々に夏服へとシフトした。
夏は嫌いだ。暑いし、汗はかくし、セミはうるさいし、木から落ちてくるし、小便引っ掛けられるし。あと暑いし。
未だ六月初旬ゆえにセミはまだ鳴いていないが、それでも暑いのに変わりはない。家では部屋のクーラーをガンガンに効かせ、学校にはうちわ持参。自販機で買うジュースの数も増えてしまう。お陰で夏は財布の中が若干寂しくなるが、熱中症や脱水症状になるよりはマシだと考えよう。
だがそれだけにあらず、六月といえば夏と言うよりかは、梅雨と言った方が正しい。真夏のような暑さとは違い、ジメジメとした湿気の多い暑さ。個人的にはこっちの方が嫌いだ。おまけに雨なんか降った日には目も当てられない。
だが、こんな日でも。クラスのリア充どもは、今日の気温に負けず劣らずの暑苦しさで放課後の時間に騒いでいる。
「朝陽、今日部活休みだったよな。ゲーセン行かね?」
「オーケー、どうせ暇だしいいぜ。凪達も来るか?」
「あたしは行くー」
「うーん、私はパスかな。今日からバイトなんだー」
「嘘、世奈バイト始めたん?」
「わたしだってお金は欲しいからね。バイトくらいするよ」
「どこ? どこでバイトすんの?」
「それは秘密ー」
失礼、特段暑苦しい騒ぎ方をしていたわけでもなさそうだ。そう思ってしまっていたのは、俺の偏見によるものか。
先日の坂上グループと広瀬との激突以降、クラスは至って平和。あれ以降は坂上達も大人しくしていて、朝陽と広瀬のグループもいつも通り仲良くつるんでいる。漫画とかでよく見る、あいつ最近付き合い悪くない? みたいなクソ野郎もいないのは、あのグループが朝陽と広瀬を中心として成り立っているからか、もしくはそれぞれの人の良さゆえか。
今も、今日からバイトだと言う柏木に各々が頑張れ的なことを言っていて、ゲーセンの話はどこかへ飛んでしまったらしい。まあ、それでもこの後ゲーセン行くんだろうけど。
「それじゃあ、そう言うことだからわたし先に帰るね!」
「おう、バイト頑張ってこいよ」
「また明日ねー」
グループの面々と挨拶を交わし、柏木は教室を出て行った。
さて、その柏木世奈だが。先日の騒動の際、被害者となっていた女子だ。セミロングの髪は全く染めていない黒。顔も化粧っ気がなく、それでも十分可愛い部類に入るのは、さすが広瀬の友人と言うべきか。だが、その広瀬のようなギャルっぽい見た目や雰囲気ではなく、どちらかというと葵寄りの清楚な感じだ。男子の間で隠れた人気とかあるんじゃないだろうか。そういう話する友達いないからどうかは知らんけど。
教室に残っている広瀬のもう一人の友人、
いや、そもそも見た目のステータスだけで人を判断しないのが、広瀬夕凪の長所の一つだ。
自分と似たギャルっぽいやつらとしか絡まないやつじゃないのは、葵と親友な時点で分かる。おまけにあいつは、あんなでも友達思いのやつだから、周りにいるやつらからも慕われていることだろう。
ただまあ、葵の件に関しては、広瀬的にも色々と思惑があるのだろうけど。そこは俺が詮索しても、意味のない領分だ。
とまあ、このように。各グループ単位で見れば変化はあったのかもしれないが、クラス全体で見れば平和そのものだ。
坂上グループと朝陽達は関わることなく、それぞれがそれぞれの時間を過ごしている。その他のカースト中位、下位のやつらも同じく、クラスの王様や暴君達が静かにしているこの平和を謳歌していた。
だが、俺一人に限った話になれば、ここ最近で大きな変化が一つ。
教室前方、黒板の上に設置された時計に目をやる。終礼が終わり放課後が始まってから、すでに十分以上が経過していた。以前なら直ぐに帰っているどころか、こんなに長く教室に滞在していないのだが。帰宅部のエースである俺が未だ教室にいるのには、れっきとした理由が存在する。
もうそろそろだろうかと教室前方の扉に目を向ければ、ちょうどいいタイミングで彼女が現れた。
ひょこっと顔だけ出して、席に座ったままの俺を見つければ、パッと華やぐ端整な顔。それにつられて俺も笑みを漏らし、纏めた荷物を持って席を立った。
「お待たせしました!」
「おう。帰るか」
「はいっ!」
これが、ここ最近で変わったこと。葵と一緒に下校するようになった。
葵から提案された時のことは、顔真っ赤にしながら一生懸命伝えてくれたという、まあいつも通りの感じだったので割愛するとして。
しかし葵は、ただの一度も教室の中へ踏み込んでは来なかった。違うクラスだから入りにくい、というのもあるのだろう。葵の性格的に、余計そう感じているかもしれない。
だが、それでも、だ。このクラスには葵の親友と友人が在籍している。あの二人は、決して自分から葵に話しかけ、帰りの挨拶をすることはなかった。
今みたいにグループの仲間内で話をしていて、そうなれば自然、葵がそこに入っていけることもなく。
ここ数日、葵、朝陽、広瀬の三人が会話しているところを、俺は見ていない。
俺が知らないところで話してるかもしれないし、広瀬とはラインや電話をしてるかもしれないが。この場においては、三者が言葉を交わすことはない。
葵の場合は違うだろうけど、朝陽と広瀬の場合、自らの意思で葵に言葉をかけていない。
他のやつらからどう見えているかは知らないが、俺からすればあからさますぎる。
「大神くん? どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない」
扉にいる俺たちに、背を向けて座っている朝陽と広瀬。葵の呼びかけにそこから視線を外して、教室を出た。
考えなければいけない、解決しなければいけない問題、なのだろうか。いや、そもそもこれは俺たち四人の問題として成り立っているのだろうか。仮にそうだとしても、俺に出来ることなんてなにもないし、ましてや今考えることでもない。
葵と二人で学校を出て帰路につく。葵の家までは学校からそう離れているわけでもない。歩いて十分もすれば到着する距離だ。週に一度くらいは、そのまま葵の家の店で夕飯を食べて帰るのだけど、今日はその日に該当しないから、葵を送り届けたらそのまま真っ直ぐ家に帰る。
「そういえば、葵って今月誕生日なんだよな?」
他愛のない会話の中で、ふと思い出した話題を切り出してみた。先月、葵の家で色々とあった日の翌日に、広瀬から聞いた話だ。今月の二十一日が葵の誕生日だと。
会話の前後で脈絡がなかったからか、俺が知ってるとは思わなかったのか、葵は不思議そうに首を傾げている。
「そうですけど、どうしてそれを?」
「前に広瀬から聞いた。なんか欲しいもんあるか? 俺に買えるやつならなんでも言ってくれよ」
変にサプライズを考えようとは思わない。そもそも、女子の誕生日プレゼントを用意するなんて、ガキの頃の広瀬相手くらいしか経験がないし。しかも、広瀬は幼馴染だから適当なものでも良かったが、今回は同級生の女子だ。適当に、とはいかない。
しっかりと事前のリサーチを行わなければ、ろくなものを用意できなさそうだ。
「な、なんでもですかっ⁉︎」
「……俺に買える、ってか用意できるやつなら、だからな?」
あんまり無茶苦茶なものを要求されても困るので、一応釘を刺しておく。いや、葵なら大丈夫だとは思うけど、一応ね? 念のためね?
「うーん、正直、大神くんから貰えるなら、なんでも嬉しいんですけど……」
「なんでもが一番困るんだけど」
「ですよね……」
うんうん唸りながらも悩む葵。具体的に挙げてもらわなくても、せめてどういう系統のものがいいのかだけ教えてくれればいいのだが。まあ、そんな様子も可愛らしいから放っておくけども。
「ま、なんか思いついたらそのうち教えてくれ。誕生日前日までにな」
「はい、頑張って考えますね!」
そこは別に頑張らなくてもいいというか、そもそも自分でプレゼントすら選べない俺が悪いから、ちょっと申し訳ない。
その後も、毒にも薬にもならないような話を続けていれば、あっという間に葵の家に辿り着いた。
「んじゃ、また明日な」
「あ、あの」
「ん?」
帰ろうと踵を返したところで、ちょこんと制服の裾を摘まれ、足を止めた。
振り返れば、思ったよりも葵との距離が近くて。一歩後ずさりそうになるが、制服を摘んでいる葵の手がそうさせてくれない。
「今度の土曜日、空いてますか?」
「まあ、土日は大体暇だけど……」
「じゃ、じゃあ、その日から公開の映画があるので、また一緒に観に行きませんか?」
これは、あれか。デートのお誘いか。
前の時に比べれば幾分かマシな誘い方だが、それでもまだスマートとは言えない。俺を見上げる葵の顔はやはり真っ赤になってるし、制服を摘む手に込められた力が、彼女の不安を物語っている。
断るわけがないと、いい加減わかって欲しいものだが。
「おう、オーケー。今度の土曜な。ちゃんと空けとく」
「は、はい! ありがとうございます!」
心底嬉しそうな笑顔を浮かべるとともに、制服から手を離してくれる。俺に対する警戒心がなさすぎて、今度はこっちが不安になってしまう。
「んじゃ今度こそ、また明日」
「はい。また明日、です」
笑顔のまま家の中に入っていく葵を見送り、俺も自分の家へと歩き出した。
土曜日は、二度目のデート。前回は驚きの過去を教えられたりしたが、果たして今回は普通のデートになるだろうか。
同じ映画館に向かうのなら、満員電車は必ず避けなければいけない。待ち合わせの時間もその辺りを考えて決めた方がいいだろう。
などと考え始めているあたり、俺は土曜日が、かなり楽しみらしい。
こりゃ時間の問題かもしれんね。
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