第16話 ヒーローになれない私

「夜露の様子がおかしい?」


 放課後。昼休みにちょっとした一幕を演じた幼馴染二人を呼び出し、廊下の隅っこで要件を切り出した。

 これから部活の朝陽には悪いが、葵との付き合いが長い二人に聞いておきたいこともあるから。


「朝会った時はなんともなかったように思うけどな」

「昼休みの最初の方も、特におかしなとこはなかったんだよ。ただ、お前らのあれ、あいつも見てたんだ。おかしくなったのはそれから」


 ああ、とどこか納得したような表情を浮かべる二人。どうやら、朝陽と広瀬には思い当たる原因があるらしい。


「大神もだいたい分かってると思うけど、あの子、かなり思い込みが激しいとこがあるのよね」

「前も何回か似たようなことがあって、落ち込んでは俺たちが元気付けてたんだよな」


 本当に、それだけか? あの表情は、ただ思い込みが激しいだけでは説明のつかない、なにかがあるように感じたが。

 俺は比較対象である「前」を知らないから、俺が見たあの姿とこの二人が見てきた姿が同じなのかは分からない。そして、その時に彼女が落ち込んだ原因も、今回とは違うものだったのかもしれない。


「とりあえず、俺は部活行かなきゃだからさ。葵のことは、真矢に任せていいか?」

「俺に?」

「おう。葵が放って置けないから、俺たちに聞きにきたんだろ?」

「いや、そうだけどさ……。お前らが行った方が早いんじゃねぇの? 前も何回かあったんだったら、慰めるのも慣れてるだろ」


 むしろ、状況と原因を正確に把握していない俺が行ったら、彼女をより落ち込ませる結果になるかもしれない。

 それなら俺よりも、実績のある二人に任せたいのだけど。


「つか広瀬は」

「あたしもパス。夜露を慰めるのに乗じて色々可愛がってあげたいのは山々なんたけど、昼休みあんなんがあったから、さすがに疲れてるし。それに、あたしらのあれ見てってことは、原因はあたしと朝陽にあるかもしれないじゃん? そんならあたしらが行った方が、余計悪化すると思うんだけど」


 昼休みの件を持ち出されては、反論することも出来ない。

 俺だって行きたくないわけではない。短い付き合いではあるが、その中でも割と濃い時間を過ごしている相手、ましてや好意を寄せてくれている女の子だ。どうにか元気付けてやりたい。

 けれど、自信がない。

 もはや家族同然に育ったこいつら以外と、まともな人付き合いをしてこなかった俺に、そんなことが出来るのか。


「うじうじ悩んでねぇで、とりあえず行ってこいよ。お前なら大丈夫だって」

「根拠もないのによく言う……」

「俺がお前の幼馴染、ってのは十分な根拠になると思うぜ?」


 狡い言い方だ。そして同時に、ありえないくらいイケメンな言葉だ。朝陽以外のやつがこんなこと言ったところで、虫酸が走って溶鉱炉に突き落としたくなるだけだろう。


「……わかった。晩飯食いに行くついでに、ちょっと話してくる」

「おう、行ってこい」

「夜露のこと、頼んだからね」


 放課後になってから、すでにしばらくの時間が経っている。葵は既に帰宅してしまっているだろう。

 だから、ついでだ。あいつの美味い飯を食うついでに、ちょっと話しをしてみよう。




「いいの?」

「なにが」

「好きな女の子が落ち込んでるんだから、自分で慰めて点数稼ぎしたいのが男ってもんじゃないの、って聞いてんの」

「じゃあ逆に聞くが、落ち込んでる時には好きな男に慰めてもらいたいだろ?」

「まあ、ね」

「なら俺の出る幕じゃないな。これは真矢の役目だ」

「誰がやるべきとかじゃなくて。朝陽はそれで納得してるのかって聞いてんの」

「してなきゃ真矢に任せないだろ」

「してなくても大神に任せるでしょ、あんたは」

「……よく知ってるな」

「当たり前でしょ。あんたのこと、何年見てきたと思ってるのよ」

「そうだな……」

「嘘つき」

「そうだよなぁ……」

「ホント、バカなんだから」







 私は、ヒーローにはなれない。

 ずっと憧れていた、画面の向こうのスーパーヒーロー。弱きを助け強きをくじく、正義の味方。困っている人に手を差し伸べる、親愛なる隣人。

 そんな存在に、私はなれないのだと。今日、改めて痛感してしまった。

 親友が、凪ちゃんが困っていた。だと言うのに私の足は動かなくて。恐怖で体が震えてしまって。ただ、隣にいた彼に縋り付くことしか出来なかった。

 力が足りない。あの場を絶対に収めることが出来る。そう自信を持って言えるだけの力が。

 勇気が足りない。思い切って凪ちゃんの前に出て行く、横暴な態度の相手にも一歩も引かない勇気が。

 想いが、足りない。

 あそこで出て行けなかった私は、本当に誰かを助けたいと思っているのだろうか。親友を助けたいと、思えていたのだろうか。

 ヒーローになりたい。大神くんにはそう言って、けれど、そうなるためのなにかをすることもなく。

 心の底から、ヒーローになりたいと。そう、思えていないんじゃないか。

 今の私には足りないものだらけ。だから、願いを叶えるどころか、素直な気持ちを伝えることすらできない。


「夜露、お客さん連れてきたわよ」


 コンコン、と。閉じこもっていた部屋にヒビを入れる音。許可を出すまでもなく扉を開いたのはお母さん。

 その後ろに立っていたあなたを見つけると、私はどうしても嬉しくなってしまって。


「すいません、ありがとうございます」

「いいのよ。夜露のお友達なら無下にできないし。下でご飯作っててあげるから、好きな時に夜露と一緒に降りてきなさい」


 階下の店に降りていったお母さんを見送り、あなたは私へ振り返る。ベッドの上でうずくまった私を、綺麗な金色の瞳で見つめる。

 顔を上げた私と、視線がぶつかった。穏やかな笑みを浮かべて、一歩、部屋へと侵入してくる。


「よう。ちょっといいか?」


 呆けた私は、無言のまま頷くことしかできない。後ろ手で扉を閉める彼を見ていて、少し我に返る。

 お客様が来たのに、自分はベッドの上でうずくまったままとは、どういう了見か。

 急いでベッドから飛び降りて、大神くんに座布団を勧めた。


「悪いな」

「い、いえ……」


 思考回路が正常に戻る。状況を冷静に把握し始める。

 大神くんが、私の部屋に来た。

 ……………………え、いや、どういうことですか?

 どういうことかと聞いてしまえば、こういうことだと返されるしかないけど。いや、でも、え? ちょっと急すぎません? なんで? お店にご飯食べに来てくれたんじゃなくて、私の部屋に?

 あ、大神くんが部屋見渡してる。き、綺麗にしてましたっけ……掃除は定期的にしてますし、汚いところはないはすですし……禁断のあのノートもちゃんと隠してるはずですし……。

 大丈夫、ですよね? いや、これ大丈夫じゃないですね。控えめに言って緊張がマッハでやばいです。

 ていうか私、部屋着なんですけど! しかも最近暑くなって来たからかなり薄めの! はっはーんさっきから大神くんがキョロキョロしてるのは、目のやり場に困るからですね! さすが私! 名推理!

 じゃないですよ! なにが名推理ですかバカなんですか⁉︎


「あーっと、葵」

「ひゃいっ⁉︎」


 いきなり名前を呼ばれて、変な声が出ちゃった。恥ずかしい……穴があったら入りたい……もう自分で穴掘ってそこに一生入っていたい……。


「ホント悪いんだけど、出来ればなにか羽織ってもらえれば、助かる……」


 ほんのり朱に染まった頬。決してこちらを見ようとはしない金色の瞳。

 うぅ……やっぱりこの服のせいですよね……。ていうか、ここで恥ずかしがるんだったら、さっきの笑顔はなんだったんですか。タイミングがおかしいですよ。でもそんなところも、大神くんのいいところですよね……。

 さて。ここは逆に考えよう。チェス盤をひっくり返すのです。

 たしかに今は胸元とかゆるゆるのタンクトップで、ホットパンツ履いてるから太ももとか丸見えですけど。めちゃくちゃに恥ずかしいですけど。

 大神くんからそう言われるってことは、ちゃんと意識してくれてるってことですもんね……。ここは引くべきところじゃない。むしろ押すべきところ。そうですよね、凪ちゃん師匠……!


「その、大神くんは、この格好はお嫌いです、か……?」

「はい? いや、いやいやいや嫌いとか嫌いじゃないとかそういう話じゃなくてだな!」

「じゃ、じゃあ! このままでもいいですよね! ここは私の部屋ですし、私の部屋で私がどんな格好してようが私の勝手ですから!」

「…….好きにしてくれ」


 やったっ! 勝った! でも恥ずかしい!

 私、なにやってるんでしょう……。


「それで、どうしたんですか? いきなり部屋に上がってくるなんて」

「いや、部屋に上がったのはお前のお母さんに無理矢理だな……」

「あっ、いえ、別に責めてるわけじゃないんですよ? ただ、本当にいきなりだったなって」


 お店に来るたけなら、連絡なんてする必要もないけど。家の中、それも私の部屋まで上がってくるなら、連絡の一つくらいしてくれるはず。少なくとも、私の知ってる大神くんは、そういう人だ。

 お母さんに無理矢理というならまあ納得出来ないでもないけど、ちょっとびっくりしちゃうから。


「その、お前の様子がおかしかったから、さ。様子見に来ただけなんだよ」

「え?」


 聞かされたのは、思いがけない言葉。

 自分でも、今日のお昼休み以降の私はどこかおかしいと自覚はあったけど、まさか大神くんにまでバレているなんて。


「朝陽と広瀬にも聞いたよ。前にも、落ち込んではあいつらが元気付けて、ってことがあったんだろ?」

「そう、ですね……」

「朝陽は部活、広瀬はまあ、あんなことがあった後だから、ちょっと疲れてるって言って、俺にお鉢が回って来たわけだ」


 大神くんが来る前の、陰鬱とした思考が蘇る。あなたが目の前にいるのに、私は負のループから抜け出せなくなってしまう。

 私の願いは叶わない。

 私はヒーローになんてなれない。

 私にはなにもかもが足りない。

 誰かを助けようなんて、誰かの力になろうなんて、烏滸がましいにもほどがある。


「だから、とりあえず聞かせてくれよ。愚痴でもなんでもさ。その、なんだ。お前があんまり辛そうな顔してんのは、出来れば見たくないからさ。葵は、笑ってる方が可愛いんだし」

「大神くん……」


 なのに。あなたのその言葉、その声だけで。私の胸に溜まった暗いものは、全て吹き飛んでしまうのです。

 我ながら単純な思考回路で呆れてしまうけれど。私は、それだけあなたを想っているんだと、確かめることが出来るから。

 ヒーローになんてなれなくても、あなたへの想いだけは嘘じゃないんだと。


「私……私は……怖かったんです……」

「うん」

「凪ちゃんを助けたいのに、あの人たちが怖くて。体が動かなくて。だから、私は、凪ちゃんを助けられないんだって……。親友を助けられないのに、ヒーローになんてなれるわけがないって……」

「うん」

「私の、願いに対する気持ちなんて、所詮はその程度だったんだって……自分が、嫌いになって……」

「うん」

「そんな私じゃ、ヒーローになれない。いつか憧れた、カッコいい正義の味方には、絶対になれない……そう思っちゃったら、悔しさが止まらなくて……」


 鼻の奥がツンとする。視界は滲んでしまって、俯いた顔から、膝の上で握りしめた拳へと雫か落ちる。

 こんな顔、大神くんには見せたくない。こんな弱音も本当は、大神くんに聞かせたくなかった。

 だけど、あなたは。そんな私に、優しく言葉を掛けてくれる。


「葵は強いよ」

「でも、凪ちゃんを助けられませんでした……」

「それでも。葵は強い。俺なんて、朝陽が来るのを待つだけだった。周りにいた他の奴らだってそうだ。他の誰かが解決してくれるのを待ってた。でも、葵は違うだろ?」

「同じです……結果を見れば、私は結局、何もできなくて……なにかをするだけの力もなくて……伊能くんが来るのを待つことしか出来ませんでした……」


 数時間前のあの瞬間。思い出すだけで、悔しさが止まらない。

 私がなにを思っていても、行動に移せなかったという事実は変わらないから。だから、他の人達と一緒なんですよ。


「でも、一歩踏み出した」


 目の前に座っていた大神くんが、立ち上がる気配がした。つい反射的に顔を上げてしまえば、当たり前のように私の泣き顔が露わになってしまう。

 それを見て、思わずといったように苦笑を漏らす大神くん。そんな彼の手が、こちらに伸びて来る。


「葵はそれでも、一歩は踏み出せたんだ。二歩目は出なかったかもしれない。勇気とか、力とか、自信とか、色々足りなかったかもしれない。でも、一歩も動こうとしなかった俺よりも、葵の方がすごいんだよ」


 頭頂部に置かれた大神くんの手が、私の頭を撫でる。

 慰めている? 違う。彼の浮かべる笑顔はそんな、同情によるものじゃない。

 労ってくれている。一歩しか踏み出せなかった私を。それでも、頑張ったと言って。


「だから、そんなに落ち込むな。自分を卑下するな。もしも今日のことを後悔してても、次がある」

「でも、次も、なにもできないかもしれません……」

「そうだな……。んじゃこうしよう。次、もしも俺がなんか困ってたら。助けを必要としてたら。朝陽とか広瀬なんかよりも先に、葵が俺を助けてくれよ」

「私が、ですか……?」

「おう。葵夜露が、俺のヒーローになるんだ。どうだ? これなら出来そうだろ」


 ちょっと照れ臭そうに。でも、決して嘘なんかじゃない笑顔で。

 あなたはいつも、私が欲しい言葉をくれる。

 それがどれだけ、私の心を救ってくれるか。あなたは知ってますか?


「なにもさ、敵に立ち向かうだけがヒーローじゃないと思うんだよ。人には向き不向きってのがある。他にも手段はあるはずだろ。例えば、ここの料理とか。美味いもん食わせて、客に幸せな気分を味わってもらう。これだって、立派なヒーローの仕事だと、俺は思うけどな」

「本当ですか……?」

「おう。葵の料理は美味いんだし、間違いない。俺が保証する」


 しゃがみ込んで、私と大神くんの視線が合う。

 引いていた感情の波が、再び押し寄せて来る。彼の手が頭に置かれたままにも関わらず、感極まった私は、目の前の大神くんに抱きついた。


「ちょっ、葵……⁉︎」

「うぅ……うわあぁぁぁぁぁん!!!大神くぅぅぅぅぅぅん!!!」

「お前……マジか……」


 恥じらいなんて今は知らない。尻餅をついて、困った声を出したのも、今は聞こえないフリ。

 ただ、感情のままに。強く、強く、彼の体にしがみついて、涙を流して声を上げた。

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