第15話 クラスカーストトップに君臨する者

 今回のテストで、私は一つ、目標を立てた。

 もしも五教科全てで100点が取れたら、もう一度、大神くんに気持ちを伝える。今度は逃げずに、ちゃんと。

 全て100点は簡単なことではないけど、そう難しいことでもない。ちゃんと勉強すれば可能な範囲だ。

 だから、それで私自身の逃げ道を塞ぐ。

 凪ちゃんにも伝えていない、私の目標。私の決意。

 正直、とても怖い。拒絶されてしまうかもしれない。この一ヶ月で築き上げた彼との関係が、全て崩れてしまうかもしれない。

 それでも、伝えたいから。

 私の素直な気持ちを。あなたへの、溢れてしまいそうなこの想いを。

 今度こそ、ちゃんと言うんだ。

 あなたが、好きだって。





 我が校の中間テストは、二日に分けて行われる。一日目は二時間、二日目は三時間のみだから、学校自体は午前で終了するのだ。つまり昼休みがないということで。要するに、葵との時間はテスト期間に限り皆無となるのだ。

 昼飯を食いに葵の家の洋食屋へ行こうとも思ったが、そこは高校生の財力。さすがにそこまでの余裕はない。葵と俺の仲を変に勘ぐってるあの母親に言えば、昼飯代くらい出してくれるとは思うが、それはなんか負けた気がするのでなしだ。

 さて、そんな葵との接触がなかったテスト期間も終わり、通常授業が始まった水曜日。テストの答案用紙は各授業で返却されるから、残念ながら今の俺の手元には数学しかないものの、その数学の点数は自己最多の67点。

 平均点には及ばないだろうが、赤点は余裕で回避できた。去年の俺からは想像出来ない点数だ。


「やりましたね大神くん! 勉強会の成果ですよ!」

「おう。色々教えてくれてサンキューな」


 昼休み、いつもの屋上で。数学の点数を報告すれば、葵はまるで我が事のように喜んでくれた。

 土曜日の勉強会は、まあ色々とあったものの、今回の点数はその成果と言っても過言ではないだろう。午後からはあんまり勉強に手がつかなかったが、それでも葵は物分かりの悪い俺へ懇切丁寧に教えてくれた。

 思い返すだけで顔から火が出そうなこともした気がするが、そこはそれ。結果はちゃんと出しているのだから問題ない。


「葵はどうだったんだ?」

「私は数学と国語が返ってきました。しかもですね! なんと、二つとも100点だったんです!」

「マジか……」


 やべぇなこいつ。成績優秀だとは聞いていたし、まだ三年になって初っ端のテストとはいえ、二教科も100点取るとか。素直に感嘆する他ない。その脳みそをちょっとでも俺に分けて欲しいくらいだ。

 ていうか、テストの点数は取れるくせに、普段のあのポンコツっぷりはなんなんですかね。その頭の良さをもうちょいそっちに活かしてもいいのでは?


「今回は自信ありますから! 全教科100点も夢じゃないですよ!」

「へぇ、それは楽しみだな」

「はいっ!」


 決して豊かとは言えない胸を張ってドヤ顔をしてみせるその様は、とても微笑ましい。全教科100点とはかなり大きく出たと思うが、しかし実際、すでに返却された二教科は二つとも100点だったのだから、笑い飛ばすことも出来ない。

 一方で俺は、得意な国語ですら80点を超えていればいい方かなーなんて考えているのだから、葵とは月とスッポンの差がある。

 まあ、そこは仕方ない。俺と葵では、基本スペックが違いすぎるのだから。ストフリとジンくらいは差がある。それだと足元にも及ばねぇじゃん。せめてグフイグナイテッドくらいのスペックはあると思いたい。


「今度の勉強会は期末テストの時ですね」

「だな。今度こそ朝陽と広瀬にも来てもらおう。じゃないと色々とキツい」

「あはは、そうですね……」


 思い返されるのは土曜日の悪夢。あの二人がドタキャンしやがったばっかりに、俺たちは母親と姉から変に生暖かい目で見られる羽目となってしまったのだ。葵が帰った後も、追及こそしてこなかったものの、晩飯中の二人の視線がめちゃくちゃむず痒かった。

 一人意味がわからず頭にハテナマーク浮かべてた父さんが、仲間になりたそうにこちらを見ていたし。

 その点、幼馴染二人がいてくれればいくらか気も紛れるというものだ。朝陽はもちろん、なんだかんだで広瀬のやつも、いてくれるだけでだいぶ楽だから。


「さて、そろそろ戻るか」

「はい」


 飯も食い終わったし、テストの点数も報告できた。時間もいい頃合いだから、そろそろ教室に戻らないと次の授業に間に合わなくなる。それぞれゴミと弁当箱をまとめてから立ち上がり、屋上を出た。

 校舎の中に入ってからも、葵と隣り合って歩く。周りの人間は、案外俺たちに興味なんてないもんで。俺たちが一緒に歩いてても、こちらに注目するやつなんてそういない。

 アニメや漫画の中じゃないのだから、いくら葵が成績優秀だろうと、とびきり可愛かろうと、同学年全員がその存在と名前を知っているわけでもないのだ。同じクラスの連中ならまだしも、全く関わりのないやつらからしたら、俺たちなんて眼中にないらしい。それこそ、朝陽や広瀬みたいな顔の広いやつらくらいじゃないと。

 いや、それもある意味で当たり前か。彼ら彼女らは、自分たちの青春を謳歌するのに精一杯なのだから。そこにほんのちょっぴり、スパイスのような噂話が混じったとしても、友人知人の範囲に収まるレベルだろう。

 諸君らは存分に青い春を楽しんでくれたらいい。こちらに害を及ばさないのなら、お前らの青春模様なんざ道端に落ちてる軍手なみに興味がないのだから。

 ただまあ、現実だろうがフィクションだろうが関係なく、自分たちの地位カーストを勘違いして調子に乗るリア充ってのは、どこにもいるもので。


「なんだか七組の前が騒がしいですね」

「ホントだ。なんかあったのか?」


 うちのクラスの前まで辿り着くと、なにやら入口の付近に人だかりが出来ていた。数人が様子を見るように教室の中を伺っていて、よく見れば同じクラスのやつらばかりだ。

 なぜ入らないのかと不思議に思いつつ、俺と葵も中を覗いてみたのだが。


「あのね、あたしはちゃんと謝れって言ってんの。人の話聞いてるわけ?」

「はいはいごめんなさいでしたー。これでいいのか?」

「てか夕凪、なにムキになってんの? そういうのダサいよ?」

「は? あんた本気で言ってんの?」


 騒ぎの中心にいたのは、我が幼馴染の広瀬夕凪。そしてその広瀬に庇われるようにして立っているのは、柏木かしわぎ世奈せなという女子生徒。広瀬の友人で、朝陽や黒田とも同じグループに属している子だ。

 そして広瀬と言い争っている、椅子にドッサリと腰を下ろしたやつは坂上さかがみしゅん。クラス内カースト的には二番手に位置するグループのリーダー。なぜか一方的に朝陽や広瀬達のグループを敵視してるやつ。その坂上の隣でケラケラ笑ってるのは、同じ坂上グループの小鳥遊たかなし梨花子りかこ。それからその取り巻きが何名か。

 登場人物が多いな、おい。


「友達のためなんだから、怒って当然だし」

「そーいうのがダサいって言ってんのー。なに、少年漫画の真似事なわけ?」


 ギャハハと下品に笑う小鳥遊梨花子とその取り巻き女子達。なにが原因でこんな状況になってるのかは分からないが、朝陽のやつはどこにいる? こんな時にいないとは、なんともタイミングの悪い。

 いや、朝陽がいないタイミングだからこそなのか。

 とりあえず状況を把握するために、なにがあったのか誰かに聞こう。ちょうど、俺でも比較的話しやすいやつがすぐそこにいるから。


「黒田」

「おう? ああ、大神じゃん」

「あれ、なにがあったんだ? てか朝陽は?」


 広瀬によって処分されたエロ本の持ち主、朝陽の友人である黒田。軽い性格をしていて、俺にも挨拶してくれるいいやつ。でもここで出ていかない辺りはかなりの小物。

 そんな小物くんに話を聞いた限りだと、どうも坂上と小鳥遊達が教室に戻ってきた際、佐伯の机にぶつかり、その上に置いてあった筆箱が落下。更に坂上の足に当たって蹴飛ばされた、らしい。

 黒田も人伝てに聞いたらしいから、果たしてその一連の流れが坂上達の故意によるものか、単なるアクシデントなのかは分からないが。広瀬はどうも、謝罪の一つもなかった坂上に腹を立てているらしい。


「で、朝陽は?」

「バスケ部の顧問に呼ばれてんのよね、これが。朝陽のいないタイミングって分かっててやってんだぜ、あれ」

「じゃあお前が助けに行ってやれよ」

「いや、なんか怖いじゃん。広瀬が」


 怖いのはそっちなのか。さすが小物。もはやこれは小物界の大物と呼んでも差し支えないのでは。でも女子はアクセサリーとかの小物好きだから、意外と女子には好かれそうですね。

 なんて言ってる場合ではない。

 とりあえず葵には教室に戻ってもらおうかと、彼女の方に振り向くと。

 葵は、土曜日に俺の母親と対峙した時以上に体を強張らせていて、どこか追い詰められているような表情を浮かべていた。


「葵?」

「大神くん……凪ちゃんを、助けないと……」


 一歩、足を踏み出す。しかし、二歩目が出ることはない。

 脳裏をよぎるのは、先日のデートの時に聞かされた、葵の願い。

 誰かを助けられるヒーローになりたいと、この子は言った。

 けれど、葵夜露は普通の女の子だ。画面の向こうにいるスーパーヒーローじゃない。あんな場面に乱入する勇気も、無事に収めるだけの力も、葵は持っていない。

 だとしても、今の葵の様子は、明らかにおかしい。


「落ち着け。お前がが出て行ってもなんも解決しないし、それどころか状況が悪化するだけだ」

「でも……凪ちゃんが……!」


 その純粋な性格が災いしているんだろう。ヒーロになりたいと願い、親友を助けたいと思っても、足を動かせない自分に対する歯がゆさで、必要以上に追い込まれてるのかもしれない。

 葵がそこまで思い詰める必要はなにもない。

 言ってみれば、今の状況は謝罪をしなかった坂上達も悪いが、しつこく食い下がる広瀬にだって非がないとは言い切れない。そこが広瀬夕凪の長所であるかもしれないが、同時に短所でもある。


「それに、俺たちは特になにもしなくて大丈夫だ」


 俺と葵が助けるまでもない。広瀬夕凪にとってのヒーローは、昔から一人と決まっているのだから。


「あんまり俺の幼馴染を虐めないでくれよ」


 突然乱入した声に、ヒートアップしていた場が瞬時に冷却される。坂上はあからさまな舌打ちを見せて、広瀬と柏木はホッと息をついた。

 俺たちがいるのとは、反対側の扉。そこから現れたのは、我らがイケメン伊能朝陽。


「なにがあったのか知らねえけど、ガキみたいな態度はやめとけよ、俊」

「あ? 誰がガキだっつった?」

「お前だよ。ちゃんと謝れって言われてんのにその態度は、拗ねた小学生にしか見えないぞ。ママに怒られて虫の居所が悪かったか?」


 ハッと鼻で笑いながら、明らかな挑発の一言。それを聞いた野次馬の誰かが、クスリと笑みを漏らした。

 それは瞬く間に周囲へ伝播していき、クスクスと波紋が広がる。

 別に坂上達を笑っているわけではない。朝陽の一言が面白かったから。しかし、自意識が肥大化した思春期の高校生は、それを理解していながらも自分が笑われていると思い込んでしまう。


「お前ら……!」


 怒りを露わにしながらも、坂上はそれ以上なにも言わない。この状況が不利だと本能で悟っているのだろう。

 現れてから数秒で場を支配した朝陽。その朝陽の言う通り、小学生のガキみたいに喚き散らすことしか出来ない坂上。

 どちらが上でどちらが下か、それこそ小学生でも分かる。


「ほら! お前らも教室の前で突っ立ってないで、さっさと中入れよ! 次は英語なんだから、お楽しみのテスト返しだぞ!」


 パンッ! と朝陽が手を打ったのを皮切りに、教室の外で見守っていたクラスメイト達が、雑談を交わしながら中へ入っていく。黒田は朝陽に絡みに行き、広瀬と柏木もそこに合流。礼でも言ってるんだろうか。


「私も、教室に戻りますね……」

「あ、おう」


 俺の隣に立っていた葵は、どこか落ち込んだ表情で自分のクラスである四組の教室へ戻っていった。

 屋上にいた時は、いつもと変わらぬ笑顔を浮かべていたのに。

 教室内がいつもの雰囲気へと戻り、昼休み終了の予鈴が鳴る中。俺はどうしても、葵のことが頭から離れなかった。

 一体、なにが彼女を、あそこまで思い詰めさせたのだろうか。

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