第14話 勉強どころじゃないんですけど⁉︎
後ろをチラリと振り返ってみれば、ヤバイくらいに緊張している葵が。表情も見るからに固くて、正直まともに話が出来る状態とは思えない。
しかしそれでも、葵はちゃんと挨拶をしたいと言っていたのだから、この扉は開かざるを得ないのだけど。
葵につられて、俺まで変に緊張してきたが、それをため息で外に押し出し、リビングへの扉を開く。
その先にはもちろん、母親と姉がいたのだが。なぜか二人はダイニングテーブルに並んで座っており、しかもめちゃくちゃ笑顔でこっちを見ている。ニコニコニヤニヤニマニマと。
それに相対するは、緊張で今にも倒れそうな葵夜露。マジで大丈夫かこいつ?
「連れてきたぞ」
「は、ははは、はじめましてっ! おおぎゃみくんの友人の、葵よちゅゆともうしましゅ!」
大丈夫じゃなかった。幼児退行したんじゃないのかってくらい滑舌回ってなかった。
しかし、うちの母親と姉はその程度じゃ動じない。むしろ小動物でも見るような目で葵を眺めている。
「はい、いらっしゃい。取り敢えずこちらにどうぞ?」
「ひゃいっ!」
母さんに言われるがまま、葵は二人の向かいの椅子に腰を下ろす。いや、挨拶だけじゃなかったの? 早く部屋行って勉強したいんだけど?
「久しぶりだね夜露ちゃん。私のこと覚えてるー?」
「も、もちろんです!」
「真矢もそこ座りなさい」
「いや、俺は部屋に」
「いいから」
「うっす……」
謎の圧力に負け、俺も葵の隣に座る。
え、いや、なにこの状況? なんで俺、こんな面接みたいな状況に晒されてるの? しかも二人ともずっと笑ったままだし。なんか背中のあたりが痒いんですけど。やめてほしいんですけど!
「葵夜露ちゃん」
「はいっ!」
「うちの真矢とはただの友人? それとももしかして、彼女さんだったりするのかしら?」
「かっ、彼女なんて滅相もないです!」
母さんの問いかけに、葵は顔を真っ赤にして腕をブンブンと横に振る。普通息子がいる前でそんなこと聞きます?
「その割には、随分仲良さげにお話してたみたいだけど」
「へっ?」
「聞こえてたのかよ……」
いや、それも当たり前か。同じ家の中、しかもリビングの扉の真ん前で。それなりに小さな声じゃなければ、中まで聞こえるに決まってる。
顔が熱くなってきた。まさか肉親にあんな小っ恥ずかしい失言を聞かれていたなんて。穴があったら入りたいとは、こういう時のことを言うのか……。
「まさか私たちの聞こえるところであんな会話するなんてねー」
「ねー。それで、どうなの? 真矢とお付き合いしてるのー?」
「素直に吐いちゃって楽になった方がいいわよ?」
「そうだそうだー」
年甲斐もなくはしゃいでいる大人の女性二人に迫られ、葵はあうあうオロオロと困惑するばかり。普段なら可愛いし面白いしでしばらく止めないが、俺にまで被害が拡大しているので即刻やめて頂きたい。
てか、母さんも姉ちゃんも歳考えろよ。高校生を虐めてそんなに楽しいか。楽しいんだろうなぁ……。
「姉ちゃんはこの前広瀬から聞いてるだろ。俺と葵はそんなんじゃない」
「でもまさか、本当に夕凪の彼女なわけないでしょ?」
「まあ、そうだけど……」
「あ、じゃああれか。真矢の片思い中か」
「それも違う」
残念ながら逆なんですよお姉様。なにが残念かは知らんけど。
でもまあ、それを言ったところで信じてはくれないだろう。俺自身も前までは信じられなかったのだから。こんな美少女が、俺なんかを、と。
「うーん。じゃあ夜露ちゃん。真矢のこと、好き?」
「えっ、は、あ、う、え」
「あれ、壊れちゃった」
「母さんが変なこと聞くからだろ」
葵の頭から、煙が上がってるように見えるのは気のせいだろうか。気のせいでありたい。
ただ、葵のその反応からなにかしら察したのか、二人の笑みが深くなっていく。そして大人げなく、なおも追い打ちをかける二人。
やめて! 葵の体力はもうゼロよ!
「いやー初々しいねぇ」
「青春だねー」
「こんな息子だけど、末永くよろしくね?」
「バカな弟だから迷惑かけるかもだけど、なにかあったらお姉様に相談してくれたらいいからね?」
「うぅ……」
くそ、他人事だと思って呑気に言いやがって……。こっちは朝陽とか広瀬とかのこともあるから、色々面倒でややこしいことになってるのに……。
完全にフリーズしてしまった葵は、真っ赤な顔を俯かせてしまっていて、変なうめき声しか出せずにいる。
そろそろ潮時か。これ以上ここにいたら、この後の勉強にまで影響が及んでしまう。まあ、今の時点で大分ヤバイけど。これ、葵のやつは勉強に集中出来るのか?
「葵、もう行くぞ」
「は、はい……」
「えー、ここで勉強していかないの? お母さん、色々教えてあげるよ?」
「勉強以外の余計なこと教えそうだから却下。部屋入ってくんなよ」
立ち上がり、葵の手を引いてリビングを出る。後ろからヒューヒューとか聞こえてくるが無視。変に反応したらまたつけあがるから。
階段を上がって部屋に入り、ようやく人心地ついた。今度からはあの二人がいない時に誘うとしよう。
「あ、あの、大神くん……」
「ん?」
「手……」
「あっ」
か細い呟きで、葵の手を握ったままなのに気がついた。特に深く考えず、一刻も早くあの二人から逃れるために、葵の手を引いて来たけど。冷静になってみると、なんか凄い恥ずかしいことしてる気がしてしまう。
「悪い、ちょっと強引すぎたな……」
「いえ、その、大神くんに手を握られるのは、嫌じゃないですよ?」
離そうと思ったのに、何故か葵の方から強く握ってくる。柔らかな笑顔で、俺を見上げる。その表情がとても綺麗で、思わず目を奪われてしまった。
「……っ。と、とりあえず、勉強しようぜ。今日の目的はそれなんだし」
「そう、ですね」
赤い顔を悟られないように、そっぽを向いて目の前の綺麗な笑顔から逃れる。
強く握られていた手と手は離れ、ほんの少しの名残惜しさを覚えた。
気を取り直せ。今からテスト勉強だ。俺たちは受験生だ。恋愛やらなんやらが意味のないものと断じて、捨てるわけではないが。それ以上に、今しなくてはならないことがあるだろう。
用意していた丸机の上に、二人で勉強道具を広げる。俺は数学。葵は国語。
「さて、やるか」
「はい。分からないところがあったら言ってくださいね」
「ん、そん時は頼んだ」
向かい合わせに座って、広げられたノートに視線を落とした。
二人きりという状況ゆえに、集中力はどれだけ持続してくれるか不安だったけど。一度始めてしまえば、案外途切れないもので。
びっくりするくらい普通に勉強していた。
普段から家で勉強してるお陰か、特に躓くような問題に行き当たることもなく。
ただペンが走る音と、時計の針が時間を刻む音のみが響く。時折互いの身じろぎする音が聞こえてくるけど、視線を向けた先の大神くんは勉強に集中していて、とても話しかける雰囲気ではなかった。
せっかく二人きりだから、出来ればもっとお話したいと思うけど。でも、大神くんは頑張って勉強してるから。そう思っても、私の視線はチラチラと目の前の大神くんに向かってしまう。
綺麗な金色の瞳を、机の上のノートに注いで。サラサラと動くペンは、さっきから止まる気配を見せない。数学は苦手だって言ってたけど、やっぱり大神くんは、やればできる人なのかも。
けれど、順調に問題を解いていたその手が、不意に止まった。難しい問題にぶつかったのか、ペンでほっぺをむにむにと突いている。可愛い。
自分の勉強も忘れて、そんな姿の大神くんをジッと見ていると。
ふと、目があった。
「ぁ……」
「……あー、葵。ちょっとここ教えてほしいんだけど」
「は、はい。どこですか?」
もしかして、ずっと見てたの気づかれちゃったかな。大神くんの頬、ちょっとだけ赤くなってる。私のこと、意識してくれてるんでしょうか。
腰を上げて大神くんの隣まで移動する。問題を見て教えるだけなら、その必要はないけど。ちょっとでも、近づきたいから。
「あ、この問題はここの公式使えばいいですよ」
見てみれば、大神くんがぶつかっているのは良くあるひっかけ問題。入試にもよく使われているらしいやつ。数学が苦手な人なら、たしかにここは間違えてしまうだろう。
「えーっと、これ代入したらいいのか?」
「はい。それで、その数値をここに持っていって」
「……なあ葵」
「はい?」
「ちょっと、近い……」
「あっ……」
気がつけば、互いの体が殆ど密着してしまうほどに近づいていた。
肩と肩は今にも触れ合ってしまいそうで。赤く染まった大神くんの顔は、私の方を向こうとしない。
彼の息遣いが感じられるほどの距離。この前のデートの時、電車の中と同じくらいに近い距離に、彼がいる。
いつもの私なら、テンパってしまってすぐに元の場所に戻ってたのかもしれないけど。でも、大神くんのお母様とお姉様のせいで、今の私は少しネジが外れてしまっているから。
「大神くんは、嫌、ですか……?」
「……っ」
わかってる。こんな聞き方をしても、困らせてしまうだけだって。
でも、少しでも近くにいたい。あわよくば触れ合っていたい。そんな、邪な感情を抱いてしまったから。
せっかく二人きりなんだから。学校のお昼休み以外だと、こんな機会滅多にないから。だから、もう少しだけ、勇気を振り絞って。
「その、少し、休憩しませんか……? ずっと集中していると疲れるし、効率もよくありませんから……。だから、もう少しだけ、このまま……」
体を寄せる。前に色仕掛けした時は、すぐ止められたけど。大神くんは、私を諌めようとしない。
それに気を良くして、彼の肩に頭を乗せてみた。それでも彼は、何も言わない。
「ちょっとだけ。ちょっとだけ、ですから……」
「……すぐ再開するからな」
「はい……」
やっぱり、大神くんは優しいな。こんな不器用な近づき方しか出来ない私を、受け止めてくれて。
だからきっと、気づかれてるんだろう。バレてるんだろう。結局言えずにいる、この気持ちは。それでも彼から何も言ってこないのは、私を待ってくれているからか。もしくは、違う理由からか。
いつまでも、その優しさに甘えてるわけには、いかないんでしょうね。
でも、まだ私には自信がないから。勇気が出ないから。もしもの時を考えると、怖くなってしまうから。
もう少しだけ、今のままで。
「あらあら」
「っ⁉︎」
「んなっ⁉︎」
突然部屋の扉から声が聞こえてきたと思えば、そこには大神くんのお母様が。大神くんと同じ金色の瞳が、私達をしっかり捉えていた。
咄嗟に離れるが、時すでに遅し。私が彼の肩に頭を乗せているその姿を、バッチリ見られてしまった。
「お昼ご飯出来たから伝えに来たけど、お邪魔だったかしら?」
「勝手に入ってくんなって言っただろ!」
「ちょっと休憩して、もう降りて来なさいねー」
「聞けよおい!」
大神くんの叫びは虚しく響き、お母様はとてもいい笑顔で一階に降りていった。
頬の加熱が止まらない。冷静になって我に帰ってしまえば、私はなんてことをしていたんだと自己嫌悪に苛まされる。
さ、さすがに、大胆すぎましたよね……。
「はぁ……。とりあえず、飯食いに下降りるか……」
「そ、そうですね……」
この後、お母様とお姉様から存分に冷やかされたのは、言うまでもないだろう。午後からは全然勉強に集中出来なかったのも、同じく。
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