第13話 緊張MAX

 土曜日の割には早く起きた八時半。リビングに向かえば、ソファでだらしなく寝そべっている栗色の髪が見えた。テレビは朝のニュース番組を垂れ流しにしていて、女性アナウンサーがご当地グルメの紹介なんかをしている。

 思わずため息が漏れてしまう。今日は来客があると、昨日のうちに伝えているはずなのだけど。


「おい」


 呼びかければ、緩慢な動きで体を起こす。それから猫のように体を伸ばして、俺と同じ金色の瞳が、ようやくこちらに焦点を合わせた。


「おはよう真矢。珍しいわね、こんな朝早くから起きてくるなんて」

「珍しいわねじゃない。今日は友達が来るって言ってただろ。さっさと身支度整えて来てくれ」

「友達って、朝陽くんと夕凪ちゃんじゃないの?」

「あの二人ならわざわざ母さんに伝えるわけないだろ」


 堪らずに再びため息。

 栗色の髪と金色の瞳、少し堀の深い顔をしているこの人こそ、俺の母親。名前は大神早苗。思いっきり日本人の名前ではあるが、一応はヨーロッパ人とのハーフである。

 なお、具体的にヨーロッパのどこの国なのかは俺も母さんも知らない。母さんの髪の色から、なんとなく地中海付近の国かとは予想できるが、いかんせん祖父から聞いている話はどれもメチャクチャだし、自分がどこの国で生まれたのかとか話してくれないから分からないのだ。


「加奈は?」

「知らん。まだ寝てるんじゃねぇの?」


 ちなみに先週の姉ちゃんは婚活パーティでぼろ負けしてきたとかでひどく荒れていた。まあ、毎度のことなので慣れたものだが。

 父親は今日も元気に休日出勤。社畜として会社の歯車になっている。お勤めご苦労様です。


「それにしても、真矢が朝陽くん達以外に友達を作るなんてねぇ……。あ、まさかこの前加奈が言ってた子かしら」

「姉ちゃんから聞いてんのかよ……」

「可愛い女の子って言ってたから、会うのが楽しみだわ」

「分かったから、さっさと着替えて来てくれ。十時には来るから」

「はいはーい」


 背中に妙なむず痒さを覚えたので、母さんをリビングから追い出した。あんまり思春期の息子の友達事情に干渉して来るなよ。なんか恥ずかしいから。

 とりあえず朝飯を食うために、キッチンに行って食パンをトースターに入れる。それから朝の紅茶用に電気ケトルへ水を入れ、コップの中にティーパックを準備。

 さて。週が明ければ早くも中間テストが始まるわけだが。

 今日は葵と話してた通り、四人で勉強会。とはならなかった。朝陽と広瀬の二人に予定があるとのことだから。どうも家の用事らしいが、それが本当なのかは問わないことにした。広瀬はまだしも、朝陽が意図的に俺と葵を二人きりにしようなんてのは、考えられなかったからだ。

 忘れがちだがあいつらは親戚同士だし、家の用事で二人とも予定が合わないと言われれば、納得できる理由ではある。

 と言うわけで、今日は葵と二人きりで勉強会。土曜日と言うタイミングもあり、最後の追い込みみたいな感じだ。葵には、今日までにある程度勉強しておいてください、と言われている。もちろんした。もうビックリするくらい勉強した。俺はやればできる子なので、これはもう今回のテスト100点も余裕なのでは、と思ってしまうくらい勉強した。

 ちなみに、やればできる子とか自分で言う奴ほどなにもやらない。


「真矢ー、私の紅茶も淹れてー」


 焼きあがった食パンにバターを塗っていれば、キッチンに姉が現れた。つい先ほど起きたのだろう。着ているのはタンクトップに短パンだけだし髪はボサボサだし、おまけに大きなあくびまで。

 どうしてうちの女は、こうも残念なのか。こんなんでも大手のホワイト企業でエリートキャリアウーマンやっていけてるんだから、世の中不思議なことだらけだ。


「自分でやれよ」

「めんどくさーい」

「そんなんだから嫁の貰い手がごめんなさいなんでもないです」


 寝起きとは思えないくらいの眼光で睨まれた。怖い。絶対人殺してるでしょその目は。俺と同じ金眼だったらもっと怖かったぞ。自分の目が黒で感謝するんだな。(震え声)

 幸いにも電気ケトルの中には大目に水を入れたので、二人分の紅茶も作る余裕はある。


「ほれ」

「ありがとー」


 お湯を入れたコップを渡し、二人でリビングに。俺はダイニングテーブルの席に着き、姉はソファの方へ向かった。


「今日十時から葵来るから」

「知ってるー」

「姉ちゃんには言ってなかったんだけど」

「さっき夕凪からメールあったから。夜露ちゃんが今日こっち行くから、仲良くしてあげてください、だってさー」


 過保護かよあいつ。親友っていうか母親のすることじゃねぇか。まあ、心配になる気持ちも分からんではないが。


「それにしても、真矢が家に女の子連れ込むなんてねー」

「ただの勉強会だから。邪魔するなよ」

「馬に蹴られるのは嫌だから、その辺りは弁えまーす」


 いや、勉強会なんだから勉強するだけなんだけどね? 邪魔して馬に蹴られるようなことしないし、期待もしてないから。ホントだよ。




 十時になった。

 母親と姉がリビングでめっちゃニコニコしてる。控えめに言って怖い。ってかキモい。おまけに恥ずかしい。マジでやめて欲しい。

 しかし、既に十時になったと言うのに、家のインターホンは未だ鳴らなかった。


「真矢、もしかして振られたんじゃない?」

「ありえるかもねー」

「ちょっと黙ってろ」


 ただの友人に振られるもクソもないだろ。

 まあ、しかし。葵が中々来ない理由はなんとなく想像はできる。葵が時間守らないなんてのはまず考えられないので、可能性としては緊張しすぎて昨日寝るの遅くなって寝坊しましたってオチか、緊張しすぎてチャイムを中々押せずに玄関の前で挙動不審になってるか。

 どっちにしても緊張が原因で笑ってしまいそうになる。

 とりあえずは後者の方から確認してみるべきか。寝坊しているのなら、後で連絡も来るだろうし。


「ちょっと見てくる」

「どこを?」

「玄関前」


 俺の答えに首を傾げた二人を置いて、リビングを出て玄関へ。途中、ポケットからスマホを取り出して時間を確認してみれば、現在十時十七分。ここまで遅れてるとなると、遅刻の方が可能性が高いかと思い玄関の扉を開けば。


「すぅ……はぁ……よし……」


 大きな深呼吸をして、今まさしくインターホンを押そうとしてる葵の姿が。

 俺には気づいていないのか、その視線はジッとインターホンに注がれていて、緊張からか表情も少し固い。面白いからちょっと見てようかな。

 葵の指はインターホンを押す寸前で止まってしまい、力なく垂れ下がる。それと同時に顔も俯いてしまって、大きなため息がひとつ。気合いを入れるためか頬を両手で叩いて、再び深呼吸。もう一度指を伸ばしたその時、通りがかった散歩中の柴犬がワンッと吠えた。


「ひゃにゃっ⁉︎」


 ピンポーン。

 可愛い悲鳴を上げながら、驚いた拍子に指がインターホンを押してしまった。なんだこのポンコツっぷりは。しかも押してしまったら押してしまったで、めちゃくちゃあわあわしてるし。可愛いかよ。

 柴犬は飼い主のお爺ちゃんが宥めるのも無視して、葵に向かって吠え続ける。それにビビって屁っ放り腰に涙目は葵。さすがに可哀想だから、そろそろ助けてやるか。


「葵」

「おっ、おおお大神くん! 犬が! 犬がぁ……!」

「落ち着け落ち着け。とりあえずこっち来い」


 適当なサンダルを引っ掛けて外に出る。門扉を開けてやれば、葵は素早い動きで俺の背中に隠れてしまった。シャツを指で摘んでるのがちょっと擽ったい。

 気が済んだのか、柴犬は吠えるのをやめて飼い主のお爺ちゃんとともに去っていった。すまないねぇ、とか言われたけど、葵が過剰にビビってるだけだからなんかこっちこそ申し訳ない。


「ほら、もう行ったぞ」

「す、すみません……」

「いいよ別に。それより、犬嫌いなのか?」

「嫌いじゃないですけど、あんなに吠えられたらさすがに怖いですよ……」

「たしかに」


 結構ガチで吠えられてたもんな。なに、葵さんまさか前世は猿かなんかだったの? 文字通り犬猿の仲なの? 女子に対して前世は猿とか失礼にもほどがあるな。


「それにしても、ちょっと遅かったな。この前の時は結構早かったし、五分前くらいには来ると思ってたぞ」

「あ、いえ、その、ちょっとだけ、寝坊しちゃいまして……」


 寝坊もしてたんかい。どうせ理由も俺の予想通りだろうから聞かないでおこう。寝坊してインターホンも中々押せなかった挙句犬に吠えられるとか、ちょっと可哀想すぎて涙がちょちょぎれる。

 もしくはあの犬は、中々インターホンを押さない葵に痺れを切らして、背中を押すために吠えたのかもしれない。なんだよ、いいやつじゃないか。


「んじゃ中入るか。母親いるけど、大丈夫だよな?」

「た、多分……」


 緊張を思い出したのか、葵の表情が強張る。マジでそんな身構えるような相手じゃないんだけど、言ったところで緊張が和らぐもんでもないのだろう。

 とりあえず葵を伴って家の中に入る。お邪魔します、の声は蚊の鳴くようなものだったが、本当緊張しすぎて倒れたりしないだろうか。心配だ。


「あー、葵。俺の部屋行くだけならリビング通らなくていいから、このまま部屋行くか?」

「それはダメですっ! ちゃんと大神くんのお母様には挨拶しておかないと……!」


 うーんダメか。なんか、俺まで変に緊張して来たから、いっそこのまま部屋に直行したかったのだけど。律儀な葵らしい。

 そもそもインターホンは一度鳴らされているのだから、母親と姉は葵が来たことに気づいているわけで。ここで逃げの一手を打ったとしても、後で部屋に凸られるだけだろう。


「まあ、そこまで言うなら分かったよ。あと、姉ちゃんもいるから」

「おおおお姉様までいらっしゃるんですか⁉︎」


 いや、お姉様て。あんな生き遅れにお姉様て。なに、もしかして前うちに来た時、なんか唆されたりしたの? もしそうだとしたら姉に接触させたくないのだが。純粋な葵が穢れてしまう。

 廊下の途中で、聞いてないですよーとか今にも言い出しそうな感じで頭を抱えている葵は、やっぱり見てて面白いし可愛い。これは我が家の女性陣にウケが良さそうだ。


「ほれ、観念して行くぞ」

「うぅ……。お、大神くん、今の私、変な格好してないですよね? 大丈夫ですよね?」

「大丈夫大丈夫。いつも通り可愛いから」

「かっ、かわっ……⁉︎」


 背後で足を止めた気配がしたが、直ぐに再起動したようで、てくてくと足音が聞こえてくる。

 振り返ってどんな顔してるのか確認したかったが、そうはせずにリビングの扉の前に立つ。そんなことをしてしまえば、俺の顔色までバレてしまうから。

 まあ、今のは口が滑ったってことで。

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