第12話 前よりも少しだけ近い距離

 長かったゴールデンウィークも明けて、十日ぶりの学校が始まる。

 夏休みのような長期連休ほどじゃないけど、道を歩く生徒達の顔は、どこか覇気のないものばかり。けれどそんな中で私は、内心とても浮かれているのだった。

 最後に大神くんと会ったのは、三日前の金曜日。その時に彼が言ってくれた言葉が、私が頑張ってなんとか伝えた想いが、今も昨日のことのように思い出せる。

 とても恥ずかしくて、顔から火が出そうだったけど。

 ちゃんと伝わったかな。分かってくれたかな。どうしても言えない私の想いに、オブラートを何重にも包んで放った言葉が。

 直接的な表現じゃなくて、かなり間接的な表現だったけど、それでも言えた。そして、初めて。初めて彼から、私に近づいてくれた。これからもそうしようとしてくれている。

 それが嬉しくて、気を抜けば頬がだらしなく下がってしまいそうで。


「よーつーゆー」

「あ、凪ちゃん。おはようございます」

「おはよー」


 背後に掛けられた声。それから私の横に並んだ凪ちゃんは、とても眠たそうな顔をしていた。連休中に不規則な生活をしていたのが祟ったのだろう。


「眠たそうですね」

「夜露は元気ねー。まあ、また毎日大神と会えるわけだし、そりゃそうか」

「べ、別に大神くんは関係ないですよ……」

「説得力ないから」


 にべもなく切って捨てられた。まあ、大体その通りなんですけど。でもそれだけじゃなくて。


「夜露、あんた今すごい顔してるよ」

「へっ⁉︎ そそそそんなことないですよ⁉︎」

「だから、説得力がないって」


 むぅ、そんなにおかしな顔してたんでしょうか。確認の意味も込めてほっぺたをむにむに。教室でも変な顔しちゃわないように気をつけなきゃ。


「連休中になんかいいことでもあった? 大神関係で」

「ええ、まあ……」

「お、ちょっとは進展した?」


 期待に満ちた凪ちゃんの目で、金曜日のことを思い出してしまう。自然とあの時の感情が蘇って、頬が垂れ下がってしまうのは我慢できない。ああ、凪ちゃんの言ってるすごい顔って、このことですかね。


「えへへ……」

「うわぁ、本当すごい顔ね。だらしない。大神に見せてやりたいわ」

「そんなことないですよ〜」

「はいはい。いいから、なにがあったか教えてみ?」

「えっとですね、金曜日に大神くんがうちにお昼ご飯食べに来てくれたんですよ」

「ほう」

「それで、お母さんもお父さんもいなかったから私がハンバーグ作ったんですけど」

「ほうほう」

「美味しいから毎日食べたいって! またうちに来てくれるって言ってくれたんですよ!」

「なにそれ、もう殆どプロポーズみたいなもんじゃん」


 ですよね、ですよねっ! これはもう確実に相思相愛ですよねっ! 私の想いがちゃんと伝わってる証拠ですよねっ!

 パァッと顔を輝かせる私とは対照的に、凪ちゃんの顔はなぜかウンザリしたものに変わっていく。まるで、砂糖を丸呑みした時みたいな顔に。


「ま、あんたが幸せそうでなによりよ。その調子で頑張んなさい」

「はいっ、頑張りますよ!」

「それで、告白再チャレンジはいつの予定?」

「それはまあ、追い追い……」

「ダメじゃない」


 だって仕方ないじゃないですかぁ……!









 休みが終わってしまった。

 休みが終わるとどうなる?

 知らんのか。テスト一週間前に突入する。

 三年生一学期の中間テストは、かなり重要なものだと個人的に思っている。なにせ、受験生になってから一発目の定期テストだ。これから具体的に決まっていく進路に、大きく影響してくるのではなかろうか。

 それ全てで決まるわけではないと分かってはいるが、それでもやはり、二年までの定期テストに比べると身構えてしまう。


「葵はテスト勉強とかしてんのか?」

「テスト勉強、ですか?」


 昼休みの屋上。いつの間にやら日課となってしまった葵との昼食の時間に尋ねてみれば、心底不思議そうな顔で小首を傾げられた。


「日頃から予習と復習をしっかりしてたら、そんなの必要ないと思いますけど」


 さすが成績上位者は言うことが違うぜ……。この口ぶりだと、宿題に合わせて更に予習復習も毎日している、ということだろう。葵の場合はおまけに家の手伝いもしているから、それってもう殆ど遊ぶ時間ないんじゃなかろうか。

 いや、受験生が遊ぶなって話ではあるんだけども。


「そういえば、大神くんって成績はどうなんですか?」

「下から数えた方が早いな」

「そんな自信満々に言われましても……」


 とは言っても、赤点を取るほど酷いわけではないし、中の下くらいの成績だ。受験も自分に見合ったところを選べば問題ないだろう。うん、問題ないはず。


「ちなみに、得意科目は?」

「文系なら大体得意だぞ。あ、英語以外な」

「英語は文系理系関係なく必要ですけど……じゃあ苦手なのは数学とかですかね?」

「まあそうな。数学ってあれ算数の延長にあるのに、英語が出てくるのマジで意味わかんねぇよな。数字の勉強なら数字だけ出しとけっての」


 数式とか見てたら頭痛くなるんだよな。サインコサインタンジェントとか、最初見た時セーブデータ復活の呪文かと思ったわ。

 その点暗記だけで済む日本史なんかは楽だ。一夜漬けでもしっかり点数取れちゃうから。


「でも私達も受験生ですから、もうそんなこと言ってられないですよ?」

「だよなぁ……」


 一応私立の文系を受けるつもりではあるから、受験に理系の科目はないのだけど。もしかしたらって言うのもある。勉強しておくに越したことはないのだろう。

 まあ、だからと言ってやる気があるのかと問われればイエスと答えられないわけで。


「んじゃあれやるか」

「あれ?」

「おう、勉強会。朝陽と広瀬も呼んでさ」

「いいですね、それ!」


 勉強会と言えば、友人を集めてノートや参考書を広げるも途中から休憩とか言って雑談が始まり、結局ろくに勉強せず終わってしまうとか言う、リア充がテスト期間中に遊ぶための建前。忌むべき文化だ。

 しかし、俺は違う。勉強会は勉強をするための会だ。俺はやると言ったらやる男だし、やらないと言ったらやらない男。つまり当日になってやる気がなくなって勉強したくないとか言い出す可能性が無きにしも非ずだが、まあそれはそれ。

 なんにせよ、リア充どもの青春お遊びごっこの真似事なんぞしてたまるか。


「場所はどうしましょうか?」

「俺んちでいいんじゃねぇの? うちの母親教師してるからさ。もし家にいたら教えてもらえばいいし」

「お、大神くんのお母様ですか……」

「いやお母様て」


 うちの母親はそんな大層な存在じゃないぞ。部活の顧問してるから休みの日も出勤しないとダメだって毎日のように愚痴ってるようなダメ人間だぞ。多分俺のダメ人間っぷりは母親から受け継いでる。


「わ、私、ちゃんと挨拶出来るでしょうか……?」

「そんな緊張するもんでもないだろ」

「だって、大神くんのお母様ですよ⁉︎」


 だってただの挨拶ですよ?

 いやまさかとは思うけど、変に妄想膨らませて末永くどうちゃらこうちゃらとか言うつもりじゃなかろうな、こいつ。

 それは俺も巻き添え食らうやつだから是非とも普通に挨拶してもらいたいんだが。


「とりあえず、朝陽と広瀬にも声かけとくから、いつやるかはそれから決めようぜ」

「そう、ですね……」


 神妙な顔で頷き、止まっていた食事の手を動かし始める葵。なんかいつもタコさんウインナー入ってるな、こいつの弁当。

 てか、ただの勉強会だからね? そこまで真剣になる必要も、ないことはないけど、真剣になるところ間違ってるからね?

 いやでも、なんか心配になってきたな……。朝陽も広瀬もいるタイミングで葵が母親に変な挨拶したら、確実にその後の勉強会が気まずい雰囲気に包まれる。一歩間違えたらお通夜。死ぬのは俺。

 なんで勉強会程度でこんな気を揉まなくちゃいけないんだ……。やはり俺の青春ラブコメはまちがっているとでも言うのか……。


「母親の方はどうでもいいから、目的の勉強の方頼むぞ? ぶっちゃけ、お前に色々教えてもらう気満々だからさ」

「それは任せてください! 大神くんの助けになるならなんでもしますよ!」


 ん? 今なんでもするって言った?

 冗談はさておき、思う存分葵を頼ることにしよう。そして今回のテストで点数をがっぽり稼いで、お小遣いを増やしてもらうのだ。

 そしたら葵のとこの店に行ける回数も増えるし、映画を観に行く回数だって増やせる。

 ナチュラルに葵準拠の思考になってしまってるのは、まあ気のせいということにしておこう。


「それに、教えるのもひとつの勉強になりますから。久しぶりに100点取っちゃおうと思います」

「そ、そうか……」


 笑顔でなんの気負いもなしに100点取っちゃうとか言えるあたり、やっぱりこいつは優秀なんだな……。

 関わるようになってからは、どうにもポンコツっぽいとこばかり見てる気がしてならないから、たまに忘れそうになる。運動神経もかなりいいとのことだが、そっちの方がイメージ出来ない。


「大神くんも、やるなら100点取る気で頑張りましょう!」


 両手の拳をグッと握って、やる気満々な表情をしているが、残念ながら俺に100点は無理だろう。

 100点は無理だが、お小遣いアップが叶うくらいには、頑張らねばなるまい。

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