第11話 あなたにだけの特別な隠し味
葵が我が家にやってきてから三日が過ぎた、金曜日。ゴールデンウィークはまだまだ継続中である。
帰宅部のエースである俺としては、毎日のようにお布団ちゃんと長いこと触れ合えるのは嬉しいが、こうも休みが長いと学校が再開してから大変だ。夏休みのような長期休暇じゃないから余計に。
さすがに曜日感覚が狂うことはないけれど、着々と近づきつつある登校日を思えば憂鬱になってしまう。一日でも長く休みが欲しいと考えるのは、全人類共通じゃなかろうか。
生憎と俺には休みの日を謳歌するための趣味なんぞないのだが、それでも休日というのは値千金の価値があるものだ。
例えば葵なんかの場合、休日には好きな映画を観に行ったりするのだろう。もしくは、レンタルビデオ屋で借りてきたDVDを家で観ているかもしれない。いや、家の手伝いもあるみたいだし、学校は休日でも彼女にとっては休日ということにならないかもしれないか。
朝陽は部活があるし、広瀬も友達と遊びに出掛けたりしてるんだろう。
それぞれがそれぞれの休日を謳歌している。その方法は十人十色だ。俺の場合は睡眠。
ということでもう一眠りさせてもらいましょうかね。まだ朝の九時だし、出来れば夕方くらいに起きたい。
さよなら世界また会う日まで。でもnice boat. は勘弁な。
「真矢起きてるー?」
「……今から寝るとこなんだけど」
完全に寝る体勢へと移行していた俺のことなんぞ知るかとばかりに、姉がノックもせず部屋へ侵入して来た。ちょっと今映像差し替え中なんで遠慮してもらっていいですかね。
「今日ちょっとおつかい頼みたいんだけど」
「今から寝るんだって」
「お釣りは好きにしていいから、これで洗剤買って来てくれない? 今日中ならいつでもいいから」
「もちろん行かせていただきますお姉様」
五千円を出されたらこれである。我ながら清々しいほどの手のひら返し。多分そのうち大嘘つきになる。僕は正直者です。だからお姉様のことも大好きですとも。ええ。本当に。
だってお釣り四千円ちょっとを好きにしていいって言われたら、そりゃあねぇ? 人間、金の誘惑には勝てないもんなんだよ。
「姉ちゃん仕事?」
「違うわよ?」
スーツを着てるから今から出社かと思ったが、どうやら違うらしい。じゃあなにしにスーツ着てんだこの人。
「じゃあ自分で行けばいいのに」
「今日は婚活パーティーなのー」
「ああ、そう……」
姉のそんな話聞きたくなかった。よく見れば化粧もいつもより気合入ってるし。どうせ惨敗して帰ってくるんだから、無駄な努力はしなくていいと思うが。
「じゃあおつかい頼んだわよー。今日こそはお義兄ちゃん連れて帰ってきてあげるからねー」
「遠慮しときます」
てかまだ朝なんですけど。婚活パーティーってもっと遅い時間からじゃないの?
姉が部屋を出て行けば、残されたのは俺と、手元の樋口。まあ、金くれたし、一応は姉の健闘を祈ってやろう。あと出来れば骨も拾ってあげよう。
しかしこの金、どうしようか。別に今日一日で使い切らなければならない金ではないが、どうせだからなにかに使いたい。昼飯をちょっと奮発するか? でも、それだけのいいお店を知ってるわけでもないし。
いや、ひとつだけ知ってるか。値段は手頃だけど味は一級品の店を。
あーでもなー。なんか、一人で行くってのもなぁ……。しかも俺から会いに行くとか、今まで一回もなかったし……。
いやいや、別にあいつに会いに行くわけじゃなくて、ただ昼飯を食いに行くだけだから。それなら別に一人で行ってもおかしくはない。
ぼっち飯はなにも恥ずかしいことではないのだ。むしろ、飯時に大勢でペチャクチャ喋りたがる連中の気が知れない。飯くらい黙って食え。口の中に物入れて喋るな。最低限のマナーも守れないやつが外食なんかするんじゃねぇ。
まあでもとりあえず、行くにしても行かないにしても、頼まれた買い物を済ませてからの話だ。もうちょっとゆっくりしてから、家を出るとしますかね。
「いらっしゃいませー……って、大神くん⁉︎」
「おう」
結局来てしまった。そしてしっかり葵もいた。
あれだけ家で葛藤していたのはなんだったのか。洗剤をしっかり買った俺は、自然とこの場に足を向けていたのだ。
うん、まあ、美味しいからね、ここの料理。朝はなんも食ってないから腹減ってるし。家から近いし。それ以外の理由なんて特にない。本当だよ。
「えっと、今日はお一人、ですか?」
「朝陽は部活、広瀬はどっか遊びに行ってるだろうし、姉ちゃんに頼まれたおつかいのついでだよ」
「そ、そうですか……。とりあえず、こちらにどうぞ」
案内されたのはカウンター席。前来た時と同じく、店内は見事なまでに閑散としていて、葵と俺の二人しかいない。マジでこの店の経営は大丈夫なのかと心配になってしまう。
「なあ」
「はいっ⁉︎」
「……そんな緊張しないでくれよ。こっちまで肩肘張っちまうだろ」
「あ、すいません……」
「いやいいけどさ」
シュンと項垂れる葵を見ていると、なにも悪いことをしていないのに罪悪感が湧いてくる。てか、ここは葵のホームなのだから、どちらかといえばリラックス出来そうなものを。そんなに緊張する要素ありますかね。友人に料理を振る舞うとか、朝陽や広瀬で慣れてそうなのに。
俺が葵の友人かどうかは、置いておくとして。
「んで、今日は葵一人なのか?」
「はい、そうですよ。お母さんもお父さんも買い出しに出かけているので」
いくらか緊張も薄らいだか。その顔には柔らかな微笑を浮かべている。うんうん、美少女は笑顔が一番。可愛いからね。
かと思えば、次はドヤ顔にシフトチェンジ。忙しいやつだなおい。
「あ、心配しなくても、私だってメニューにあるものは一通り作れますからね!」
「そこは心配してねぇよ」
前回食べたオムライスがあれだけ美味しかったのだから、他のメニューもかなりのクオリティで提供されるのだろう。
だから俺が気にしてるのはそれじゃなくて、まさしく今この状況。葵と二人きりということが、何故だかひどく落ち着かない。
学校のある日は、いつも昼休みの屋上で二人きりになっているにも関わらず。
理由は察しがついている。多分、俺から葵に会いに来たからだ。
ここには昼飯を食べに来ただけだし、葵しかいなかったのはたまたまだと何度でも言おう。けれど客観的に見たら、俺は葵に会うためにこの店に来ているようなもの。そしてその結果を見ればご覧の通り二人きり。たまたまだろうが、この状況を覆せるわけもない。
「決まりましたか?」
「んじゃ、デミグラスハンバーグのランチセットで」
「かしこまりました」
カウンター越しにお冷とおしぼりを受け取って、代わりに注文を告げる。
いつもは葵から色々と迫って来て、俺は常に受け身だった。だから、今日が初めてなのだ。俺の方から彼女に近づいたのは。
目の前で調理している彼女の姿を見る。前の時とは違って私服の上からエプロンをしていて、髪もアップに結い上げ、チラリと見えるうなじが少し色っぽい。
フライパンで挽肉を焼いているその表情は実に楽しそうだ。今にも鼻歌を歌い出しそうなほどに。上機嫌な理由を考えようとして、やめた。どうせ恥ずかしくなるだけだから。
でも、ありがたいことだとは思う。嬉しいとも思うし、出来れば応えてあげたいとも。
しかし、そんな中途半端な理由と感情で応えるべきではないとも、また。
「お待たせしました!」
調理を開始して十五分ほど経ってから、完成したハンバーグとサラダ、コンソメスープにライスがテーブルに並べられた。
綺麗に焼き上げられた肉の香りが腹を刺激して、気を抜いてしまえば虫が鳴いてしまいそうだ。食べる前からもう美味しいと分かってしまう。
「じゃあ、いただきます」
「はい、どうぞ」
ニコニコ笑顔の葵に見守られながら、ナイフで一口大に切ったハンバーグをフォークで口に運ぶ。あんまり見られてると食べづらいのだが、まあ我慢だ。
デミグラスソースで味付けされたハンバーグを咀嚼していると、気がつけばライスに手が伸びていた。ナイフとフォークを動かす手は止まらず、気がつけばどちらも半分ほどを腹の中に収めてしまっていた。
「美味い……」
一度手を止めれば、半ば無意識に言葉が漏れる。そこらのチェーン店やファミレスなんかとは比べものにならない。長くない人生で食べたハンバーグの中で、一番美味しいと自信を持って断言できる。
「ほ、本当ですか……⁉︎」
「いや、マジで。めちゃくちゃ美味いよ。もう毎日食いたいくらい」
「ゑっ」
「ごめん今のなし」
はいやらかした。
なんか葵からよく分からないうめき声みたいなのが聞こえたけど、今のは俺は悪くない。ハンバーグが美味すぎるのが悪い。
顔が熱いのは、ここ最近上昇して来た気温のせいなんかではないだろう。そもそもここはいい感じに温度調整がなされた室内だ。
カウンター越しに立っている葵は、今の俺の言葉を理解するのに時間を有しているのか、徐々に顔が赤くなっていて。
「あっ、えっ、あっ、あっ」
「悪かった。俺が悪かったから落ち着いてくれ……」
最終的に人の言葉を発せなくなってしまった。マジでごめんね? いや別に嘘を言ったわけじゃないんですけど、言葉以上の他意は含まれていないと言いますか。
あーダメだ。俺も顔が熱いの治らねぇ。
真っ赤になった顔を俯かせて完全にショートしてしまった葵。こうなってしまっては、もう食事に戻ることにしよう。またなんか変なこと言っちゃいそうだし。
そう思っていても、やはりこの沈黙は気まずいわけで。よせばいいのに、俺の口は動いてしまう。
「あー、その、だな」
「……はい」
「こんだけ美味いんだし、なんか隠し味でも入れてんのか?」
「……隠し味、ですか?」
勝手なイメージで申し訳ないが、こういう個人経営のお店で出る料理には、隠し味とか秘伝のタレとかそういうのがありそうなものだ。もしかしたらこの店でもあるのかもしれない。
「一応そのデミグラスソースは自家製のものを使ってますけど、隠し味ってほどじゃないですね」
「へぇ、これ、自家製なのか」
「はい。お母さんが考えたんです」
「んじゃ、別に隠し味って言うほどのもんは入れてないのか」
「いえ、その……」
言い淀んで、マシになっていたはずの葵の顔が、また赤く変色してしまう。ただ、さっきまでみたいなひたすらに恥ずかしそうな、穴があったら入りたい級のものじゃなくて。
ちょっと照れ臭そうな、控えめな笑みとともに。
「ひとつだけ、特別な隠し味を入れてるんですよ」
「そうか……」
「はいっ」
その正体に気づいてしまうくらいには、彼女から好意を受け取ってしまっている。でも、それを明らかにするつもりはない。
だって隠し味なのだから。
言葉にして形を持たせてしまえば、それは隠し味ではなくなってしまう。
残り半分のハンバーグが更に美味しく感じたのは、気のせいだろうか。
「お会計、880円です」
「ほい」
「千円ですね。120円のお返しです」
食事が終わって少しの間談笑してから、俺は店を出ることにした。その間も新しい客が来ることはなく、結局終始葵と二人きりのまま時間は過ぎていった。
悪い時間ではなかったと思う。それどころか、むしろ好ましく思えるほどの。
俺が入店した時の緊張や食事中の事故はどこへやら、ただ緩やかに他愛のない話をしていただけ。それが、とても心地よかった。
だから、と言うわけでもないけれど。
「また来るよ」
「え?」
お釣りを財布にしまいながら言えば、どこか呆けたような声が返ってくる。顔を上げて再び視界に入った葵の表情も、やっぱりそんな顔をしていて。
「そのうち、また来る。朝陽達と一緒か、一人かは分からんけど、そのうち」
葵と関わりを持ってから。あの屋上での出来事から一ヶ月近く、ずっと受け身でいて、 急速に距離を縮めて来る葵に戸惑ってばかりだったけど。
これからはもう少しくらい、俺からも近づいてみよう。葵の好意と向き合って、葵のことを知るために。
もし応えられないとしても、ちゃんと答えたいから。
「はいっ、お待ちしてますね!」
隠しきれない気色を滲ませた笑顔は、やはり微かに赤くなっていたけど。それでも、今日一番の笑顔に違いなかった。
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