最終回 憎めぬあいつは奮闘中

「その人、本当に来るのかい?」


 雑居ビルの前に所在なく立ちながら雷郷は言った。


折しも小雨がぱらつき始め、人通りの絶えた往来は死んだように静まり返っていた。


「来るわ。……必ず」


 私はそう念を押しながら、どこかで警戒されたのではとの懸念を拭えずにいた。

 やがて通りの向こうから見覚えのある人影がこちらに向かってやって来るのが見えた。


「……来たわ。彼よ」


 私が声をかけると、雷郷が小さな傘から億劫そうに顔を覗かせた。人影は私たちを視認できる距離まで来ると、足を止めて目を瞠った。


「……あなたは」


「以前、ここでお目にかかりましたよね。芦川尊利あしかわたかとしさん」


「……なんのことでしょう」


 私が手帳をかざしながら身分を明かすと、人物は「警察の方……」と言って口を噤んだ。


「実は折り入ってお話したいことがあるのです」


「警察の方が、私なんかに一体何を……」


「一年前、ここで一人の女性が殺害されました。名前は北条美咲。ご主人は北条正人さんです。このお二人の名前に聞き覚えはありませんか?」


「北条美咲……正人……」


「そうです、正人さんです。あなたにアリバイ工作を依頼した、双子の弟さんです」


 私が辿りついた推理を告げると、男性――尊利の顔に動揺の色が広がった。


「なんのことだか……私に弟などいません」


「確かにあなたと正人さんとは苗字が違います。でもそれは三十年前、あなたが他家に養子に貰われていったからです。違いますか?」


「…………」


「たとえ苗字が違っても、お二人血縁関係にあることは顔立ちを見れば一目瞭然です」


「あなたは何を言おうとしているんですか」


「正人さんは、SNSで複数の男性とやり取りをしていた奥様のことを疎ましく思っていました。殺害の動機はもしかすると他にあるのかもしれませんが、とにかく正人さんは美咲さんの殺害を計画していました。そして捜査の手が自分のところに及んだ時のことを考え、アリバイ工作を目論んだのです」


「それを請け負ったのが私だというんですか。しかしなぜ、三十年も前に生き別れた兄のためにそこまでします?」


「あなたはアリバイ工作を依頼された時、それが殺人の隠ぺいを目的とするものだとはご存じなかったのではないですか?正人さんはあなたの消息をつきとめた時、同時にあなたが養父母の愛情に恵まれず、不遇な少年時代を送ったことを知りました。そして落ちぶれた兄と再会を果たした時、そのことを喜びつつ、幾らかの現金を見せて大したことじゃないといった調子で依頼を持ちかけたのだと思います」


「私がはした金欲しさにアリバイ工作を引き受けたとでも?」


「あなたは嬉しかったのではありませんか?何をやってもうまくゆかず、自暴自棄になりかけていた時に、突然、生き別れの弟が現れて自分との再会を喜んでくれた。誰一人、自分のことなど顧みてくれないと諦めていた時に現れた、ただ一人の肉親。自分にできる事があればしてあげたい、そう思ったとしても不思議はありません」


「だが、仮にそれが事実だとして、人一人を殺めるという大それた犯罪の工作にしては随分とずさんな気がしますが」


「正人さんには二つの確信がありました。ひとつはあなたに自分の仕草や口癖を覚え込ませれば、友人たちもきっと入れ変わったことを見抜けないだろうということ。もう一つは、仮に捜査の手が自分に伸びたとしても、三十年も前にかかわりを絶った兄のことなど誰も気づくはずがないだろうということです」


「それで私をどうします?ここで逮捕し、連行しますか?」


「今はまだ、逮捕することはできません。私はまだ上層部にあなたのことを報告していないのです。今日、こうして会いに来たのはあなたにあることをお願いするためなのです」


「お願い……?」


「これから私と殺人現場に同行して欲しいのです」


「殺人の現場に……なぜ」


「そこに、あなたを待っている人がいるからです」


「私を……」


           ※


 殺害現場の路地は、通り雨に洗われて黒く濡れそぼっていた。


「……現れたようだな」


 壁に凭れて目を閉じていた雷郷が、かっと赤い目を見開いて路地の一点を見遣った。同時に尊利が「おお……」と呻き声を漏らし、地面に膝をついた。


「見えるな?女が」


 雷郷――ガミィが言うと、尊利は濡れた瞳で何度も頷いた。


「あれがお前さんの弟が殺めたた女性じゃ。どうやらお前さんのことは嫌いではないらしい……見えるのなら近寄って何か言葉をかけてやれ。それで女は成仏するはずじゃ」


「……実は事件の後、ここを通るたびにあの人が見えていたのです。私はあの人が弟の妻であることを直感していました。私は己の罪を咎められていると思い、姿を見るたびに心の中で「ごめんなさい」と繰り返していました。


 ……でもあの人は寂しい微笑みを投げかけてくるだけで、一度も恨みがましい目をすることはなかったのです。本当は弟に彼女を見せ、一言だけでも償いの言葉をかけさせたかった。でも、弟には彼女が見えないのです」


 尊利は長い独白を終えると、「双子なのに……どうしてなのでしょう」と打ちひしがれたように言った。


「お間の弟は自分が殺めた女の姿を見ることも叶わぬ哀れな男なのだ。……お前が代わりに言葉をかけてやるといい」


 ガミィに促され、尊利は一歩前に進み出ると、何もない空中に向かって手を差し伸べた。


「なぜあなたが殺されなければならなかったのか、私にはわかりません。でもあなたが優しい方だということは、こうして私に見せてくれた姿からもわかります。できれば生きているうちにお会いしたかった……」


 尊利は声を詰まらせると、両手で顔を覆って嗚咽を漏らし始めた。


「……おお、浮かばれぬ霊がやっと成仏したようじゃ。安心せい、もう彼女は誰も恨んではおらぬ」


 ガミィはそう言うと、手の中に何か見えぬ物をそっと押し頂いた。


「刑事さん。私は……自首します」


「そう。気休めかもしれないけど、それほど大きな罪には問われないと思うわ。……だって、彼女はあなたを許していたんですもの」


 私がそう声をかけると、尊利は肩を震わせて頷いた。


            ※


「そうですか、じゃあ希志さんと言う方は殺人事件の真犯人じゃなかったんですね」


 ショッピングモールの駐車場で、クレープの移動販売車を背に紗央里が言った。


「ええ、だからといってガスブージンの手先になって行った悪事すべてを見逃すってわけにはいかないけどね」


 私は一連の出来事を思い返しながら言った。甦った愛車の試乗も兼ねて紗央里の元にやってきたのには理由があった。


「あのね、紗央里さん。一つ聞きたいことがあるんだけど……」


「なんですか」


 私はずっと抱き続けていた疑問を紗央里に耳打ちした。


「えっ……ど、どうして私が妊娠してるってわかったんです?」


 紗央里は驚いたように目を見開くと、私を問い詰めた。


「ふふふ、あなたを救出した時、ガスブージンが「この女は『花嫁』にはできぬ」と言ったでしょ。……なぜかというと、ガスブージンには死神が憑りついていて、死神は仔猫や赤ん坊が苦手なのよ。きっとあなたのお腹に宿っている小さな命に反応したんだわ」


 私はふと、ガミィが雷郷の口を借りて言った「苦手なものがおる」という言葉を思い出した。あれもガスブージンが口にしたのと同じ意味だったのだ。


「それじゃ、譲太さんとお幸せにね。赤ちゃんが生まれたらお祝いのメッセージを送るわ」


 私は食べ終えたクレープの包みをポケットにしまうと、新品同様に輝くバイクに跨った。


                ※


「しかし犯人が双子だったとはなあ。どうして気づかなかったんだろ」


 雷郷がさも失点だったと言わんばかりにぼやいてみせた。


「どうして桜城さんは、北条正人が双子だって見ぬいたんです?」


 レオンが真新しい義手を撫でさすりながら、問いを放った。


「雑居ビルの前で偶然、出逢ったお兄さんが、あまりにも正人さんにそっくりだったのよ」


「でも似てたからってだけじゃあ、なかなか双子って仮説には辿りつかないわよね」


 デスクに頬杖をついたママが、感心したように言った。


「ええと、それは……」


 私が言葉を濁しかけた、その時だった。ふいに処理室の扉が開いて、風のように小柄な人影が入ってきた。


「はあい、蓮那ちゃん。差し入れもってご挨拶に来たわよっ」


 可愛らしい声を狭い部屋一杯に響かせたのは、ベレー帽にワンピース姿の女性だった。


「えっ?……お、桜城さんが二人?」


「ぶー。同一人物ではありません。私、桜城蓮那の双子の妹で、凜音りんねっていいます。姉がいつもお世話になっております。以後、お見知りおきを」


「凜音……来るなら来るで、前もって教えておいてよ」


 私が苦言を呈すると、私にそっくりの妹は「だって驚かせたかったんだもん」と膨れてみせた。


「おどろいたなあ、桜城さんが双子だったとは。だから正人のトリックにも気づけたのか」


「双子っていっても、似てるのは顔だけ。私には警察なんてお堅い仕事は絶対無理だもん」


「何のお仕事をなさってるの?」


 ママに興味深げな眼差しを向けられた凜音はへへっと笑うと、突然、名刺を配り始めた。


「桜城凜音、またの名を四コマ漫画家『ちえり鈴』です。良かったら読んでくださいね」


「ええっ、漫画家だったんですか。それはまた、随分と姉妹で得意分野が違いますね」


 部屋中の注目を集めた凜音は得意気に胸を反らした後、「それじゃ、お邪魔しましたっ」と言ってなぜか敬礼すると、ふたたび風のように部屋を去っていった。


「なんだか癖の強い連中ばかりが集まってくるわね、この部屋は」


 ママが口元を悪戯っぽく曲げて言い放つと、雷郷が「いいんじゃないですか、うちらしくて」と他人事のような口調で言った。


 私はふと、名月さんが言った「あなたの能力を伸ばしてあげたいの」という言葉を思い出した。同時に名月さんは「人には適性を最大限に生かせる環境がある」とも言っていた。


 ――もしかしたら、ここはそういう場所なのかもしれない。


 私がそう思って命を預け、共に事件を解決してきた仲間たちを感慨深く見つめた、その時だった。


「すみません、ちょっとうちの馬鹿な弟、貸して頂けません?勤務時間中にサボってるところを、うちの課の子が目撃したみたいなの。十分くらいでお返しするわ」


 凛々しく澄んだ女性の声がドア越しに聞こえた途端、雷郷がにわかに青ざめ「い、いません」と震え声で言った。


「ちゃんといますよ、名月さん。遠慮せずに連れて行ってください」


 私が間髪を入れず返答すると、雷郷が恨めし気なまなざしを寄越した。


「桜城さん、待ってよ。ずっとコンビを組んでた相方を裏切るなんて、ひどいじゃないか」


「雷郷さんのために言ったのよ。これからもコンビを組むなら、お説教してもらわないと」


 私はこみ上げる笑いを噛み殺しつつ、憧れの人を出迎えるためドアの方へと歩き出した。


            〈憑撃スカルバディ 了〉

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憑撃スカルバディ 五速 梁 @run_doc

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