24.お母さん式お仕置き
倒れ伏す澪を見下ろすと、栞里はその凄惨な様相に顔をしかめた。
「……動かないで」
澪のそばにかがんで肩に手を添えると、栞里の特異魔法が発動し、澪の傷が治り始める。
潰れた腕は元の大きさを取り戻し、腫れていた皮膚も正常な色彩に変化する。
飛び散った血は脚の中に戻っていき、失った部位さえ再生して、澪の肉体は万全の状態を取り戻した。
ついさきほどまで絶えず感じていた耐えがたい激痛も嘘のように消え失せている。
澪が栞里の魔法を見たのは彼女が包丁で手を切ってしまった時の一度きりだったので、ここまでの効力があったとは知らず、目を丸くした。
「これは、《回復》の特異魔法……? それも相当強力な……」
あのエプシロンも、これには驚かずにはいられないようだ。
「立てる?」
「う、うん」
起き上がり、体の状態を確認してみるが、違和感は少しもない。
さすがに戦いで失った魔力までは戻らないが、それ以外の身体的な要素はやはりすべて、エプシロンと相対する前の不自由ない状態を取り戻している。
これだけのことをしてみせたというのに、栞里にはほとんど疲労の色は見られない。
これが特異魔法。精霊が唯一恐れる力なのだと、澪は再認識する。
「栞里ちゃん……わたし……」
家族の記憶を取り返すためには半ばしかたなかったとは言え、澪は一緒にエプシロンを倒すという栞里との約束を破って、一人でここに来た。
エプシロンに記憶を喰われる寸前にこそもう一度その顔を見ることを望んでしまったが、いざ目の前にするとどうにも合わせる顔がなくて、澪は目を伏せた。
「……澪。顔を上げて」
栞里が澪の正面に立って、澪の両肩を掴んだ。
澪はその時なんとなく、栞里は優しいから落ち込んだ自分をなぐさめてくれるのだろうと、そんな予想をしながら言われた通りに頭を上げた。
しかしそんな甘い期待をしていた澪に炸裂したものは、思いっ切り振りかぶった凄まじい頭突きであった。
「ゔぇっ!? え、なん、えっ? い、いたっ、痛い……」
「っ、つぅ……」
せっかく治ったのに新しい怪我が増えてしまった。だってこれ絶対たんこぶもんである。
あまりの威力に、食らった澪ばかりでなく栞里までも頭を押さえて顔を歪めている。
ちょっと遠くの方でエプシロンでさえ、唐突な頭突きにポカンと呆けていた。
「し、栞里ちゃん? なんでいきなりこんな……」
「……お母さん式お仕置き……昔危ないことした時に、一回だけやられた……」
「お、お仕置き?」
「平手だとぶたれた人だけ痛いけど、頭突きなら二人とも同じ痛みを味わえるから、って……でも、ほんとに痛い……」
ふるふるとかぶりを振って、栞里は額に当てていた手を下ろした。
赤く充血して、見るからに痛そうだ。きっと自分も同じ惨状になっているのだろう、なんて澪は思う。
「……一人で勝手に突っ走ったことは、これで許す。けど……」
栞里は澪にふらふらと近づくと、澪の手をぎゅっと握りしめる。
澪はそこでようやく、栞里が小刻みに震えていることに気がついた。
「本当に……心配したんだから」
「あ……」
栞里は、今にも泣きそうな顔で怒っていた。
栞里が震えている理由も、澪はすぐに察する。
ここに来るまで、ずっと彼女は不安だったのだ。
怖くて怖くてしかたがなかった。
澪が無事かどうか。もう手遅れではないか。
もしかしたら澪はもうすでに、病院で見た澪の家族と同じように、すべてを忘れた廃人になってしまっているかもしれない。
したくもないそんな妄想が頭の中にこびりついて、離れてくれない。
そんな思いを胸の内に抱えながら、きっと栞里はここまでやってきたのだ。
「……ごめんね。本当に……ごめんなさい」
どんななぐさめの言葉なんかよりも、栞里のその思いこそが澪の心を強く打って、澪は本心から頭を下げた。
栞里はそんな澪をじーっと見つめ、肩をすくめると、澪の頭を撫でる。
だけどその撫で方はいつもと違って少々乱暴だ。
なんというか、本当にわかってるの? って感じの疑わしそうな手つきで。
……どうやら申しわけないと思うと同時に、それと同じくらい心配してくれたことが嬉しいと感じていたこともバレてしまっているようである。
澪がいたずらっぽく舌を出して笑ってみせると、栞里は追加のお仕置きと言わんばかりに人差し指で澪の額のたんこぶをつつく。
それからようやく、栞里は安心したようにかすかに口元を緩めた。
「あらあら……のけ者にしてくれちゃって、妬けるわねぇ」
栞里と澪のやり取りを傍観していたエプシロンが、冗談交じりによよと泣き真似をする。
エプシロンの声を聞くだけで眉をひそめ、不快感をあらわにする澪を手で制し、栞里はエプシロンと相対した。
「……一応確認する。あなたが精霊獣エプシロンで相違ない?」
「ええ。そういうあなたは、そこの澪ちゃんのパートナーちゃんねぇ」
「……私のこと、知ってるの?」
「もちろん。なにせ今日は日がな一日、あなたたちを空から観察してたもの」
「空から……」
栞里も精霊が動物に姿を変えられることは当然知っている。
鳥類に変化し、尾行されていた。その答えにたどりつくまで時間はかからなかった。
「昨日の朝方、澪ちゃんが一人で私を探してる姿を見つけてねぇ。やっと協会の監視が外れたみたいだったから、昨日のうちにこの場所を作り上げて、今日はずっと機会を窺っていたの」
「……
驚くことなく、平坦な声音で栞里がそう返答すれば、エプシロンはぴくりと目元を動かした。
「やっぱり? どういうことかしらぁ」
「どうもこうもない。あなたが澪に目をつけていたことは知っていた。そして、いずれ必ずまた接触を図ることもわかってた。ただそれだけのこと」
「え……え? い、いつの間にそんな……?」
栞里のその答えには、エプシロン以上に澪が瞠目する。
当たり前だ。だってそんなこと、澪は栞里から一ミリたりとも聞いていない。
だが、ハッタリではないだろう。栞里はなにか確固たる自分の考えを持ってそう言っている、と澪は感じた。
栞里は困惑している澪の方に振り返ると、なにか言うか言わまいか迷うような素振りをしてから、結局言うことにしたようで口を開いた。
「……澪に教えると、自分を囮にするとか言い出しそうだから黙ってた」
「し、信用がない……」
……でも確かに言っていただろう。自分が狙われていると知っていたなら。
「澪には悪いけど……私にとっては澪の家族の仇を討つことよりも、澪の方が大事だったから。できることなら澪をそんな危険に晒したくなかった……ごめんね」
「……えへへ。気にしないで栞里ちゃん……ありがとね」
「……ん」
結局は栞里のそんなささやかな望みは叶わず、二人が離れた隙に澪一人だけが誘導され、危惧したこととほとんど同じ展開になってしまったが……間に合ってよかったと栞里は心底から思う。
加えて、こうして実際にエプシロンをあぶり出すこともできた。
結果オーライと言うにはまだ早すぎるが、二人揃ってエプシロンと相対している今の状況は、決して悪いものではないはずだ。
「……どうして私の狙いに気づいたのか、参考までに聞いてもいいかしら」
笑みを引っ込め、少し警戒したように。
そんなエプシロンに、栞里はいつ攻撃されても対応できるよう神経を張り巡らせる。
「簡単な話。私は澪の家族があなたに襲われる夢を見た」
「夢……魔法少女同士が近くで眠りについた時にたまに起きるっていう、共鳴現象ねぇ」
「そう。そしてその夢を見た時から、私はずっと不思議でしかたなかった。どうしてあなたはあの時、澪を見逃したのか」
あの時エプシロンは、気分がいいからだとか、もうすぐ協会が駆けつけてくるからだとか、適当な理由を口にしていた。
上位の存在として振る舞い、哀れな澪に慈悲を与えてやろうと言わんばかりの、傲慢な態度。
だけど、栞里にはどうもそれがしっくり来なかった。
「エプシロンは、人の記憶を食べたい欲に飲まれた低俗な化け物。そのくせして協会からは怯えて逃げ回るだけの、弱い者いじめが大好きな臆病者」
「……言ってくれるわねぇ」
「そんなエプシロンに、目撃者の澪をただ見逃す心の度量なんてない。もし本当に食べないつもりなら、その場で澪を殺してたはずだって私は思った。でも」
栞里には精霊の常識はわからない。だけどそれを人間に当てはめれば、自ずと答えは見えてくる。
エプシロンは人間社会で言うところの、連続殺人犯だ。警察に所属していながら、警察を恐れて逃げ続ける犯罪者。
そんな犯罪者が、人をその手で殺めたところを誰かに見られた。そうなった時に取る行動なんて一つ以外にありえない。
すなわち、その目撃者を始末すること。
だけどエプシロンは、
「あなたは澪の記憶を食べず、殺しもしなかった。他の人間にはそうしていたはずのことをしなかった。その時点で、あなたの狙いが澪に関係するなにかであることは明白だった」
魔導協会に所属しているのなら、わずかでも証拠を残す恐ろしさは身にしみて知っているはずなのに、必要もないそんなリスクをわざわざ冒して。
今まで散々大勢の人間を手にかけてきたくせに、その大勢のうちの一人でしかないはずの澪だけは見逃した。
澪をなんらかの目的のために利用する気満々だ。
まさかそれが、今日すぐに起きる出来事とまでは読めてなかったけれど……。
「……なるほどねぇ。澪ちゃんと違って怒りや恨みに囚われていないぶん、物事の本質がよく見えているみたい。褒めてあげるわぁ」
エプシロンは獰猛に口の端を吊り上げて、演説でもするかのごとく両手を広げた。
「あなたの言う通りよぉ。私の目的は、魔法少女の記憶を食べること。そろそろ協会の目を欺くのも難しくなってきたから、最後にそれだけは食べてみたくてねぇ」
「……そんなことのために澪を?」
「そんなこと、そんなことねぇ。おいしいものを食べたいという衝動は、全生物に共通する欲求でしょう? 私も、そしてあなたも」
「……」
「ふふ。自分の感情も制御できず、たった一人でも私を探そうとするだろう澪ちゃんは、まさしく適任だったのよ。いっそ愛おしいほどに愚かでしょう? 敵うはずがないことなんて本人が一番知っているはずなのにねぇ」
くすくすとあざ笑うエプシロンを、澪は悔しそうに睨みつけた。
「でもねぇ……栞里ちゃん、と言ったかしら? あなたが言うことが本当だとして、それでもまだ一つわからないことがあるのよ」
「わからないこと?」
「簡単な話。あなたがどうやってこの場所を探し当てたのか、ということよ。目に魔力を通そうと、この結界領域の魔法は外からじゃ見えないはず。なのにこの短時間で、あなたはどうやってここまでやってきたのかしらぁ?」
エプシロンが澪に招待状を送り、澪がスーパーを飛び出してから栞里が今この場にやってくるまで、さほど時間は経っていない。
エプシロンは澪の行動を逐一注意して観察していたから、なにか目印を残していたというわけでもなかったはずだ。
そんな状況で、この短期間でただ闇雲に探すだけでここに来るのはまず不可能である。
「それこそ簡単な話。澪とあなたの関係を知ってから、私は万が一に備えて澪に私の持ち物を持たせていた」
「えっ? そ、そうだっけ? で、でも、わたし、栞里ちゃんからなにも受け取ってなんか……あ」
澪はそこで、昨日栞里を澪の家族のもとに連れて行く前、校門でクマ柄のお守りをもらったことを思い出した。
もしかして、あれが?
「あなたの持ち物……ということは、追跡の魔法ねぇ」
「そう。服に匂いが移るように、長く持ち続けたものには少なからず魔力がこびりつく。それは本来、魔力を通した目にすら映らないくらい薄い。普通は、魔法を使おうと追跡することはできない……」
「でも自分自身の所有物に限れば、自身の魔力を手がかりに容易に追跡することができる、か……ふぅん、考えたわねぇ」
栞里の知識はレンダからの受け売りだが、同じ精霊であるエプシロンも栞里が語った現象については把握しているようだ。納得したように頷く。
「で、でも、あれはレンダちゃんからだって……」
「……半分嘘。でも、半分は本当にした」
「本当にした?」
余計わからないという風に疑問符を浮かべる澪を横目に、栞里は新しい魔法を魔力結晶に入れてほしいとレンダにお願いした時のことを思い出す。
『はい、これでご注文の魔法は入れたよ。代わりに修復とか、他の魔法をいくつか消しちゃったけどね』
レンダから魔力結晶と腕輪を返してもらうと、栞里はそれを元の腕に取りつけた。
そして今度は懐から別の物を取り出す。
『問題ない。あとレンダ、これ』
『うん? なにこれ。お守り? くれるの?』
『上げる。けど、すぐに返してほしい。澪に渡し忘れたから渡しといてって言いながら』
『ちょっと言ってる意味がわからないんだけど……』
『これを澪にプレゼントしたいけど、私のものだって知られると遠慮されると思うから、レンダのものってことにしたい』
『……それ、本当に一度僕に渡さなくても、そういうことにして渡しておくけどいい? って聞いておくだけでいいんじゃない?』
『……お母さんがよく言ってた。言葉は大切にしなさい、って。だから私はできることなら嘘はつきたくない。こうやって一度レンダに渡せば半分は本当になる。それが私のギリギリの許容範囲の嘘』
『はあ……不器用なんだねぇ、栞里は。まあでも、そこが君の魅力なのかもね。じゃあ、はい。澪に渡し忘れたから渡しといてー』
『承った』
レンダはあの時、栞里が澪と心の共鳴を果たし、澪の夢を見たことに気がついただろう。
直前に追跡の魔法を魔力結晶に入れてもらっていたから、お守りを渡す本当の意味にも気がついていたかもしれない。
澪に万が一のことがあった時、駆けつけるようにするためのものだと。
だけどレンダはそんな栞里を見逃した。
理由は簡単だ。
協会はまだ栞里と違って、澪が再度狙われる確率が高いことを把握していなかった。
おそらく協会は、自分たちが駆けつけるのが早かったから澪が助かったと思っている。
きっとエプシロンがそう見えるように細工したのだ。
でなければ、ただ一人の生き残りである澪の監視を解いたりしなかったはずだ。
お守りも魔法もしょせん万が一のためのもの。そう判断し、パートナーを心配する一心での栞里の行動を、レンダは見逃したのだ。
「そのお守りは元々は私の持ち物。子どもの頃、お母さんからもらったの……栞里のぬいぐるみと同じクマさんのお守りだって……」
「あっ……」
そこで澪がした表情は、なんとも言えない苦笑いだ。
だって栞里のぬいぐるみと言えば、あれだ。疑いようもなくコアラのぬいぐるみだ。
澪はなんだか、母からそれを受け取った時、ぷくーっ、とむくれる幼い頃の栞里が目に浮かぶようだった。
「……今はもう澪の持ち物だから、あと数日もすれば私の魔力なんてすっかり消えてるはずだった。時期が悪かったね、エプシロン」
過去を振り払い、エプシロンに銃口を向け、銃弾代わりに言い放つ。
そんな栞里に、エプシロンは堪えられないという風に、くつくつと喉を鳴らした。
「時期が悪い? ふふっ、良いの間違いじゃなくてぇ?」
「……嬉しそうだね」
「もちろんよ。だって私、あなたの話を聞いて安心したもの。変に警戒して損しちゃったわぁ」
「安心?」
「あなた、他のどこにも行かず一直線にここまで来たでしょう? じゃないと早すぎるもの。電波妨害は今も使っているし、誰かに連絡できたわけでもない……つまり、他に増援が来ることはない」
「……」
「今日はずっとあなたたちを見てたから、私、知ってるのよぉ? あなた、まだ魔法少女になって間もないでしょう? メガネ、つけてたものねぇ」
七夏からもらった、魔力の残滓を見られるようになるメガネ。
見た目は普通のメガネで、時折見かけた協会の関係者らしき人にも気づかれなかった代物だが、さすがに一日中観察されていれば、その正体にも感づかれる。
「力の使い方もまともに知らない小娘が二人……ごちそうが一つ増えたのに、喜ばないはずがないじゃない」
そこでエプシロンは一度、栞里と澪から視線を外す。
そうして彼女が見たのは、この公園の時計台だ。
(とは言え……協会もバカじゃないから、あまり悠長にもしていられないわねぇ。遊べるだけの時間はまだまだありそうだけど、ね)
エプシロンが両手を広げると、その背後の空中に魔法陣が出現する。
それを見て、澪は表情を険しくした。
澪一人だけが相手の時、エプシロンは手加減していたと言っていたが、どうやら本当だったようだ。
澪を相手にする時は四つだったものが、今は倍の八つになっている。一人につき四つで、八つがちょうどいいとでも言うように。
「さぁ、行くわよぉ? 死んだらおいしくなくなっちゃうから、私のために、頑張って避けてねぇ? ふふっ」
魔法陣が光り、魔法の槍が一斉に放たれる。
栞里と澪はそれぞれ逆方向に飛び退いて、再び戦いの幕は上がった。
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