23.つまらない余興

 あの日の夜に振りかざした包丁より何倍も威力があるはずの澪の魔球は、何発放とうと当然のようにエプシロンには届かない。

 エプシロンの一、二メートルほど手前で見えない壁に衝突し、脆く崩れ去る。

 わかっていたことだ。魔力結晶の魔法では、精霊が行使する魔法の威力を上回ることはできない。

 勝機があるとすれば、おそらくただ一つ。

 精霊にはなく魔法少女にはある、精霊が魔法少女を恐れる理由たる唯一の力――特異魔法だ。


「受け止めてばかりもなんだから、私もちょっと手を出してみようかしらねぇ。殺さない程度に」


 エプシロンが手をかざすと、その背後に、魔力で形作られた一つの図形が現れた。

 魔法陣。人間には理解できない、精霊のみが解する世界の理だ。


「くっ……!」


 魔法陣から槍のように伸び、まっすぐに迫ってきた物質化した魔力の塊を、澪は間一髪で回避する。

 澪がいた箇所を通り抜けた細長い塊は、澪の背後に着弾すると、地面に穴を開け激しい土埃を撒き散らした。

 まともに受けたらただでは済まない。本当に殺さない程度に撃ったのかと疑うような威力だった。


「あらぁ? ちょっと加減を間違ったかしら。でもまあ大丈夫よねぇ。魔法少女は四肢をもがれても案外生きてたりするものだしぃ。まぁ、数分で死んじゃうけど」


 エプシロンが再び手をかざす。

 さきほどよりも魔法陣の数はさらに増え、四つとなっていた。


「ほらぁ。必死に避けなさいな。晩餐前の余興だもの。せいぜい楽しくいきましょう?」


 何度も何度も、絶え間なく魔槍が放たれる。

 変身の副次的効果で動体視力は飛躍的に向上し、ある程度身体能力も上がっているが、だからと言って簡単に避けられるわけではない。

 エプシロンがさきほど言っていたように、澪はまだ未熟な魔法少女だ。魔法少女になってからほとんど時間が経っておらず、戦闘経験も乏しい。

 今はなんとか避け続けることができているが、このままではやられるのは時間の問題だった。


「なら……!」


 ステッキに意識を集中させ、合計六つの魔球を一気に形成する。

 そして避けるために動かしていた足の先をエプシロンの方へ向け、一直線に走り出した。


「そんなもので私の魔法を相殺できるとでも?」


 エプシロンが魔槍を撃つ。

 狙いは澪の脚だ。逃げる手段をなくし、少しずついたぶるため。

 その槍の軌道を見極め、澪も魔球の一つを放った。

 エプシロンの言う通り、普通なら澪の魔球はエプシロンの魔槍を前に容易く消失し、澪の脚を射抜かれていたことだろう。

 だけどあくまで普通なら、だ。

 エプシロンが予見していたであろう未来に反し、澪の魔球と衝突したエプシロンの魔槍は、ともに脆く砕けるようにして消滅した。


「これは……」


 エプシロンは瞠目しつつも、二の槍、三の槍を射出する。

 明らかに澪の魔球より単純な威力は上の魔法だ。

 だがそのすべてに澪は自身の魔球を合わせ、さきほどと同じように相殺してみせる。

 ここまでやってみせれば、エプシロンもこの魔球がただの魔球ではないことに気がついたようだ。

 この魔球には澪の特異魔法、《破壊》の要素が混ぜ込まれている。

 そのせいで徐々に自壊が始まっており、持続時間が短いなどの欠点もあるが、その名の通り破壊力だけは折り紙つきだった。

 四の槍も同じく相殺し、エプシロンが四つの魔法陣を使い切ったことで、次の魔法を準備するまでの一瞬の間が生まれた。

 その隙を縫って、澪は五つ目の魔球をエプシロンに向けて放つ。

 その魔球はあと一歩エプシロンには届かず、少し前の地面に着弾し、激しく舞い上がった土埃がエプシロンの視界を遮る。


(槍の方はなんとかできても、自壊してる魔法なんかじゃ、きっとあの固い障壁は破れない……でも!)


 澪は迷いなく土埃の中に身を突っ込むと、最後の魔球を斜め上に向けて放つ。

 エプシロンは埃を払うように横切った魔球の方に目線がつられ、再装填した魔槍の先端を向けた。

 だが、澪がいるのはその反対側だった。魔球を放つと同時、身をかがめて左側に潜り込んでいる。


「直接わたしの魔法を打ち込めば……!」

「っ、背後を……」


 ステッキを振るい、障壁にぶち当てる。


(か、たいっ……! でも……!)


 力を入れれば入れていくほど、バキバキと魔力の障壁がひび割れていく。

 あの日の夜は破れなかった。だが澪のこの魔法は、この壁を打ち破るためにこそ発現したものだ。

 ならば打ち破れない道理などない。


「っ、やった……!」


 卵の殻が割れるかのようにパリンッと障壁が破れて、澪の顔に喜色が表れた。

 だが次の瞬間、ぞっとした感覚が澪の中を駆け抜ける。

 急に時間が遅くなったかのように鈍くなった感覚の中、ふと視線を上げれば、それまでの空気が一変し、冷徹に澪を見下す精霊獣の姿がそこにあった。


「調子に乗らないでよねぇ、獲物風情が」


 澪のステッキの先端がエプシロンに触れる――その寸前で、澪とは比較にならない凄まじいスピードで手が伸びてきた。

 その手はステッキを持つ澪の腕を難なく掴み、それから。

 バキンッ――と。

 なんの容赦なく、凄まじい握力をもって握りつぶす。


「ぎっ、あ――!?」

「ちょっと手加減してあげればいい気になって」


 新たに魔法陣が展開される。そしてその箇所は、澪の真下だ。

 痛みに吹き飛びそうになる意識をなんとか持ち直して、澪は体を後ろにのけぞらせて回避を図る。

 しかし完全に避けるには至らなかった。なにせ、澪の潰れた腕がまだエプシロンに掴まれている。

 脚が持っていかれた。魔槍が地面から天へと昇り、血しぶきの噴水が宙に上がる。


「おっと、危ないわねぇ」


 澪は自身の潰れた腕を介して、エプシロンの手に《破壊》を打ち込もうとした。

 しかし、今までの人生で一度として感じたことのない凄まじい痛みに意識が乱され発動が遅れ、危なげなくエプシロンに手を離されてしまう。

 澪は腕が解放されたことで、ぐちゃり、と自身の血溜まりの中に沈んだ。

 片腕と、両足。それが、今の攻防で使い物にならなくなった部位だ。

 腕は握られた前腕部分が見るも無残なほど細く圧縮され、前後の手首と後腕に押し出された肉が膨張し、ぶちぶちと皮膚を破って出てきている。

 脚は、膝から先がない。絶え間なく赤黒い液体がこぼれ続けている。


「は、ぁ……はぁ、ぁ……ぁ、あぁ……ぎ、ぅぅ……」


 視界が歪む。音が遠くなる。

 口の中が乾いて、おびただしい血の異臭に吐きそうだった。


「ぎっ!?」


 落としてしまったステッキを掴もうと伸ばした、無事だったもう片方の腕も、躊躇なく踏み潰された。

 声にならない悲鳴を上げて、這いつくばる。

 ステッキを握るための手も、逃げるための足も失った澪には、それ以外にできることがもうなかった。


「あなたのように自分の能力に振り回されるだけの小娘が、この私に太刀打ちできるわけないでしょうに……私の障壁を破って、よもや私に勝てるだなんて思い上がったのかしらぁ? 勘違いも甚だしいわ」

「あぐぅっ!?」


 腹を蹴りつけられる。腕を潰した時とは違い、殺さないようにある程度加減されているが、今の澪にはそれだけで形容しがたい激痛が走る。

 苦しみ、ひれ伏し、呻き声を上げる澪を眺め、多少溜飲を下げたのか、エプシロンの表情に笑みが戻った。


「まあ、いいわぁ。もう身のほどはわきまえてくれたみたいだしねぇ。余興はもうおしまい。そろそろあなた自身を頂くとするわ」

「ぁ……ぅ……」

「さようなら。そしていらっしゃい。私が待ちわびた、愛しい記憶」


 澪の首根っこを掴み、エプシロンが大きく口を開ける。

 魔法少女になった時と同じ、自身の心に触れられる感覚がした。


(……ごめんね……栞里ちゃん……)


 やはり結局一人では、エプシロンには敵わなかった。

 すべてを失う。その直前に澪が思い浮かべたのは、こんな自分とともに未来を生きたいと願ってくれた、一人の少女の姿だ。

 たくさんの初めての気持ちをくれた人。ただ一緒にいるだけで幸せで、自然と笑顔がこぼれた人。

 もっと一緒にいたい。その思いが溢れて止まらない。

 ……でもこの思いさえも、もうなくしてしまう。忘れてしまう。

 その事実に、澪の心は耐えられそうになかった。だけどすでに、澪に抗うすべなんて存在しない。

 失意のまま、ぽろぽろと涙をこぼすしかなくて。

 気がつけば、澪の口はぽつりと、最期の願いを紡いでいた。


「たす……けて……しおり、ちゃん……」

「――――っ」


 その願いは、叶うはずがなかった。

 澪は約束を破って、一人でここに来た。今はもう澪とエプシロンしか知らない思い出の場所へ。

 だから涙で滲んだ視界の向こうに、雲から顔を出した月を背にする彼女の姿が見えた時、澪は一瞬、それが幻覚ではないかと疑った。


「照準補正!」

「障壁」


 エプシロンが澪の記憶を喰らう行為を中断し、一度は澪に破られた全方位への障壁を再展開する。

 栞里が不意打ち気味に上空から放った魔弾は激しい衝突音を奏でたものの、エプシロンの障壁には傷一つつけられずに消えてしまう。


「どうやってここが……でも、無駄なことを。そんなものじゃ私の魔法には敵わない」


(栞里……ちゃん? 本当、に……?)


 もう会えないと思い込んでいた想い人の姿を見て、諦めていた澪の心に、再び小さな火が灯った。

 歯を食いしばり、激痛に耐えながら可能な限り上半身を捻って、その反動を乗せて潰れた両腕を思い切り振り回す。

 そしてその両手の指先が、エプシロンの体と障壁の内側、それぞれに触れた。


「っ、あなた……!」


 エプシロンの方は魔法の効果が及ぶ直前で澪を手放し体を離したことで、傷を与えることはできなかった。

 だけど障壁の方は違う。ほんの一瞬しか触れていないため壊すには至らなかったが、触れた箇所には大きな亀裂を入った。

 その亀裂に栞里の魔弾が炸裂し、エプシロンの障壁が砕け散る。

 エプシロンは小さく舌打ちをすると、続く魔弾を回避するため、澪を置いてその場を飛び退いた。

 そしてエプシロンが立っていた場所に入れ替わるようにして栞里が着地する。


「しおり、ちゃん……」


 エプシロンと相対する、幻ではない、確かにそこにいる大切な人の背中を見て、澪はその名を呼ばずにはいられなかった。

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