魔法使いの王様

木兎 みるく

魔法使いの王様

 一昨日は、ニンフたちが戯れる池のほとりで。

 昨日は、花の精たちが踊る花畑で。

 そして今日は、金色の穂が揺れる美しい小麦畑が見える丘で、私たちは午後のひと時を過ごしていた。

「ねえメアリー、明日はどうする?」

 読み終わった小説を閉じ、私は立ち上がった。ふんわりと膨らんだドレスが、動きに合わせて柔らかに揺れる。横に座っていたメアリーの前に立って顔を覗き込むと、自分と同じ、可憐な乙女特有のほのかな甘い香りがした。

「どうって?」

 メアリーも詩集を閉じ、あくびを一つ。

「明日は雨が降るの。だからお城で刺繍をしてもいいし、妖精たちにお菓子作りを習ってみるのも楽しそう。ダンスのレッスンは短めがいいな」

「ルイーズのしたいことに付き合うわ」

 メアリーはつまらなそうに答え、立ち上がった。

「今日はもう帰りましょ。ほら、畑が燃えるよう」

 メアリーの指さす方を見る。赤い夕陽に照らされて、小麦の穂は確かに燃えているように見えた。



 お砂糖、スパイス、素敵なものいっぱい。そんなもので出来ていて、可愛くて、素敵で、優しいものだけに囲まれて暮らしているお姫様。それが私たち。

 それなのに、メアリーは最近、なにか悩みがあるようだ。楽しそうにしていても、ふっと遠くを見るような目をしたり、別のことを考え始めて、なにを悩んでいるのか尋ねても答えてはくれない。

 隣国からメアリーが来てくれた時は本当に嬉しかった。星のように輝く金色の巻き毛、ビスクドールのように白く滑らかな肌、くりくりとして澄んだ瞳――憧れのお姫様が、そこにいた。一緒にいるだけで、体の奥から力が湧いてくるようだった。だから私は――素敵なドレスに靴、宝石、ドールハウスやぬいぐるみ、本や、刺繍セットをプレゼントして、素敵なものだけで出来たこの城に案内した。その時はメアリーもとても喜んでくれた。

 それなのに。最近は何をしていても、途中で考え事を始めてしまう。ケンタウロスと星見をしても、風の精と空を散歩しても、人魚たちから、歌を習っても。

 どうしてなのだろう……ここでは、争いも、政治も、民の生活も……何も考えず、楽しいことにだけ浸っていていいのに。



 その夜、ココアを飲もうと談話室に下りると、メアリーが何か紙を広げて読んでいた。新聞だった。

「やめて!」

 思わず新聞を取り上げ、暖炉に投げ入れる。王室の贅沢、国王の無能、無関心、敵国の軍備増強――恐ろしい文字の数々が、燃えて塵になっていく。

「ねえ、ルイーズ」

「やめて」

「私はこの国の王に嫁ぎにきたの。それなのに、まだ彼に会っていないわ。彼はどこなの?」

「知らない!」

 談話室を飛び出し、自室へ。扉を閉めて座り込み、震える体を抱きしめる。

(知らない! 知らない! 考えたくない!)

 姿見が目に入る。白く細い手足、銀色の巻き毛、瑞々しくて滑らかな肌、涙に濡れた、子犬のような瞳。

(大丈夫。私は、私は……お砂糖、スパイス、素敵なものいっぱい。そんなもので出来ていて、可愛くて、素敵で、優しいものだけに囲まれて……)

「ルイーズ、入るわ」

 凛とした声。扉が開き、真剣な顔をしたメアリーが、動けずにいた私を見下ろしていた。

「ここは夢の中よね。あなた、私の夫になるはずの、国王陛下でしょう?」

 ただ下を向いて首を振る。するとメアリーは私の腕をつかみ、立ち上がらせた。

「鏡を見て。ねぇ、私が来たとき、あなた本当に喜んでくれたわね。話には聞いていたの。私の夫になる人は、私に会うのをとても楽しみにしているって。とても優しい人だから、きっとよくしてくれるって」

「……」

「私を待っていたのはあなただった。私が来て、とても喜んでくれたのも、とてもよくしてくれたのも。だから、あなたね。あなたが、国王陛下なのね」

 魔法がとける。妖精も、ニンフも、可愛くて、素敵で、優しいものは、何もかも消えてなくなってしまう。そして、私は。私は――

 小太りで、くせ毛で。疲れ切った顔をして。その構成要素に、お砂糖もスパイスも素敵なものも含まれていない、甘い香りだってしない……ただの男に、戻っていた。

「ああ、やっぱりあなたなのね」

 メアリーだけはそのままだ。花のような微笑を浮かべて、私を優しく抱きしめる。けれど私はそっと、体を離した。

「終わりだ。なにもかも。魔法はすべてとけてしまった。素敵なものは何もかも消え去った。あるのはつらい現実だけだ」

「いいえ始まりよ。やっと始まるの。私たちの新婚生活が」

 メアリーは私の唇に優しくキスをした。

「こんな素敵な魔法が使えるあなただもの。この国だってきっとよくできます」

「今までだって無理だった。私の魔法は、何の役にもたたないんだ」

 新聞には散々な書かれようをされていたが、民の生活に、決して無関心でいたわけじゃない。政治的にも手を尽くしたし、魔法だって使おうとした。だけど何もかもうまくいかなかった。

「お城を夢でくるんで、妖精や、ニンフや、素敵なものに溢れた世界を作って、自分の姿も変えてしまって、そのまま何か月も暮らすことができたのに? そんなすごい魔法が使えるのに?」

「それは……」

「できるのよ。一人ではできなくても、私と一緒ならあなたはできるのよ」

 彼女が力強く手を握る。できるだろうか。今度はちゃんと、この国全土に魔法を。夢で終わらない、本物の。

「あなたは本物の、素敵な魔法使い。一緒に夢の国で暮らした私が保証します。あなたにならできます。夢のような、けれど今度は本物の国を、ここに」

 自信に溢れた、太陽のような笑み。その笑みで、私は魔法にかかってしまった。つまり、できるような気がしてきたのだ。



 むかしむかしあるところに、魔法の国がありました。

 王様はさえない小太りの男性で、けれどとても優しい心の持ち主。お妃さまは輝くように美しく、少々気が強く、王様を支えるしっかり者。

 そして実は王様は魔法使いで……国には常に王様の魔法が行き届き、素敵なもので溢れていたそうです。

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