エピローグ

ドミニオンズ(前)

 【レイゼル・ネフスキー】 



 領主の小屋ロッジは盛大な歓迎ムードに包まれていた。


 北部では大きな屋敷であっても小屋と呼ぶのが習わしだった。とはいえ、その佇まいは豪壮というよりは堅牢が際立つ。


 ただし、この日ばかりは色とりどりの飾りつけのせいで、どこかお菓子の家めいた趣きとなった。


 雪に閉ざされた北国に女王が巡行するのだ。厳しい環境に住まう臣民を慰撫するために女王は二年ごとにやって来る。それもわざわざ厳寒の冬に訪れるのは、その辛苦の一部でも共有しようという女王の気遣いからだ。


「今年は早かったな。女王陛下」


 北の領主は国家の最高権力者に対してもふてぶてしく接するのだから、お供の者たちも気が気でない。しかもレイゼルは遥かに高い位置より女王を見下ろすという不敬に頓着しない。


 対する女王サルキアは特段、感情を害したふうではない。


「ええ、ウェスの不凍剤がよく効いてね。今季は鉄道が使えたのです。それよりレイゼル、領主が手ずから雪下ろしをするのですか?」


「ああ、子供と老人以外は誰でもな」レイゼルは大ぶりのシャベルで手早く雪を屋根からかき落としていく。ウェスの不凍剤とは、かつて密林の亀から抽出した体液の成分をもとに作られたものだった。


「わたくしもやってみようかしら」

 とサルキアが興味を示すのだから家臣たちの顔はみるみる青ざめた。


 王都からの護衛はさすがにものものしく多勢だったが、世話回りの人数は呆気ないほどに少ない。美と虚飾の化身と呼ばれたイルムーサがただの散歩にとんでもない数を随行させたことを想えばあまりに質素な女王だった。


「無茶は慎まれるがいい。あの日々はもう遠い。家来が倒れるぞ」

「あら、冗談よ。この足ですし」

「ウェスのやつは同行していないのか」

「金遣いの荒い問題児ね、近頃は見かけないの。わたくしも探してるんですけど」


「ふん、なるほど」レイゼルは大胆にも屋根から飛び降りると「ようこそ」と長旅を労う抱擁をしようとしたが、家臣たちの棘のある視線を感じると、とっさに拝跪に取り替える。


 レイゼルの右腕バローキが従前から同じ姿勢で手本を示していたのだが、レイゼルの眼には入っていなかったようだ。


「親書で提案した件は考えてくださったの?」


 随分と上品な物言いをするようになったサルキアに娼館で下女を演じていたころの面影はなかった。それでもまだまだ庶民的すぎると貴族たちには陰口を叩かれてはいたが。


「北を自治領にするという話だな」小屋に一行を招き入れながらレイゼルは言った。 

 

 その眼は、本気か? と訝しんでいるようだった。


「もちろん。以前あなたはスタンに言ったそうではありませんか?」


 故郷に戻ったレイゼルは、スタンに宣言したように北部を独立させようとはしなかった。あれはスタンをウェスから離れさせないための狂言だったのだろう。むしろ北部は、王国への敵愾心を和らげ、新しい女王に従順で、中央との関係も円滑になったと言える。王国もまた北部への遇し方を改めたのだった。しかし、サルキアは北部の自律性をさらに高めようと企てた。


 女王は北部の叛意をあぶり出そうとしているのか。そんな想いもなくはなかった。が、サルキアに対面してみると違った印象が沸く。


「女王。あなたはどんな未来を描いているのだ?」

「ええ、わたくしは結婚は致しません。女王という立場では。子を成すにしても、その子は世継ぎにはなれぬでしょう。王国は、わたくしの退位の後いくつかの自治領から成る共和国へと変わります」


 並々ならぬ決意というより、重い荷物を厄介払いしたいというふうにサルキアは告げた。


「ああ」レイゼルは真意を探るように女王を見据えた。


 暖炉の前の長大なテーブルは頑丈だが、王族が座すにはやや無骨でみずぼらしい。この部屋に威厳をもたらしているのは、暖炉の上に飾られた宝剣〈神の赤い信条クレ・デジョーリョス〉の輝きだったろう。


「噂は耳にしている。陛下の私生活を詮索するつもりはないが…」


 レイゼルは言葉を濁した。噂とは、女王サルキアが身分違いの相手と将来を誓った、というものだ。その身分があまりに違い過ぎるので、万が一その相手との婚姻を断行するのなら、どちらにしろ王国はその体裁を保てなくなるのだと。


「いえ、王に公私の境など本来ないでしょう。しかし、これはわたくしの我儘だけではないのです。王制というものについて、ウェスはこう言いました。”耐用年数を過ぎた”」

「やつの言いそうなことだ。忖度を知らず、あけっぴろげに己をぶちまける」

「ふふ、でも、だって王権の象徴である玉座は永久に失われたのです。これは天意ではないでしょうか?」


 空っぽになった玉座の間には、河底から引き上げた〈大喰い〉の後部シートが据えられていた。ボロボロになったクッションから綿が飛び出した粗末な代物が、ちんまりと居座っている姿はまさに王という虚飾の存在を皮肉っているとも受け取れた。


「わたくしの他に王位継承者がいれば、王国をその方に預けられるのですが」


 香辛料を入れた北部の茶は慣れれば癖になる。ティーカップではなく杯で飲む作法にもサルキアはとっくに順応している。


「――そんな者は、いない」


 レイゼルの視線は不自然に泳いだ。


 サルキアとレイゼルが持っていた同じウグイスの長陽石。互いの父から譲られたとされるその品はある真実を仄めかしていた。すなわち二人の父とは同じひとりの人物であり、彼女たちは腹違いの姉妹である、と。


「ええ、あらぬ可能性に縋っても詮なきこと」


 サルキアもレイゼルのそれについて深追いするのを避けた。実父である王弟スパイラの思い出を、このテーブルにおいてサルキアはついぞ語ることはなかったし、レイゼルもことさら求めようとはしなかった。


 お茶を飲み終えて一息つくと「さあ!」とサルキアは勢いよく切り出した。


「会わせてくださるのでしょう? こどもたちがたくさん増えたと聞いたわ」

「犬たちも女王を待ちわびていた。去年、王都へ連れ帰った子犬は?」


「もちろん大きくなったわ」サルキアはふっくらとした笑みを浮かべた。「マゴットとラスはとっても元気!」


 レイゼルから譲り受けた二頭のコギト犬、その名は、娼館〈宵の蜃気楼エスタージュ〉でサルキア自身が使った偽名であった。もうひとりラスは彼女が一番仲の良かった娼婦の名だったが、その由来を知る者は王宮にはひとりとしていない。


「よし、バローキ、犬たちを連れてこい」



× × ×



 【ガラッド・ボーエン】



 ガラッド・ボーエンの隻眼は商機を見据えるのみならず、あやまたず政情を見通す必要があった。それは要するに同じことなのだが、愚か者はそこに気付かない。経済は理想を支えるが、理想を欠いた富に価値はない。


 ガラッドの自治領には、反動勢力がうようよいる。奴隷を解放しようという試みには妨害がつきまとった。


「ったくバカどもにいくら足を引っ張られりゃいいんだ。そのうち、身長が伸びるぜ!」


 ガラッド商会の乱雑なオフィスに、つい今しがたジヴが入室してきたところだ。会長の罵詈雑言はいくらか頼もしい。ガラッドの体調がここまで戻るとは、誰も予想していなかったからだ。かつては生涯をベッドの上で過ごすことになるかと危ぶまれたものだ。


 ジヴはもうガラッドをご主人とは呼ばない。


「会長、女王に話は通してきました。奴隷商とその私兵どもは、僕らの裁量で処置してかまわないそうです。もし後ろ盾に貴族どもいるなら、それも好きにしろと」

「さすがサルキア、話が早いぜ」

「ここを自治領と認めたからには、口出しはしないそうです」

「そうか、わざわざお使いご苦労だったな。で、王都はどうだった?」


 ガラッドはニヤニヤした。


 ジヴはガラッドの好奇心に応えるつもりはなかった。


「あっちも大変そうです。女王の改革は急進的すぎるのでしょう。表舞台に浮上した〈寄合〉も強大な経済基盤を築こうとしているうえに、彼らもまた一枚岩じゃなさそうです。王制派と革新派に分裂しそうですね」


「そうか」と貴重な情報に耳のそばだてながらもガラッドは「じゃなくてよ、もっとほら、報告しなきゃいけねえことがあるだろうが」と促した。


「ええ、あの猿の絵本が出回ってましたよ、なんでも有名な絵本作家の手になるものらしくて大ベストセラーです。お土産に一冊……」

「そうじゃねえよ、サルキアとはどうなんだってことだ」

「ノーコメントです」


「なんでだよ!」とうとうガラッドは下階にも響き渡る大声で喚いた。「もとはといえばあの砂っだらけの街で俺があの小娘を拾ったのがはじまりじゃねえか。そのあれだろ、俺が恋のキューピットってのだろうが。だから!」


「だから?」冷たくジヴは片方の眉を吊り上げた。

「俺には知る権利がある。なぁ、さすがにもう、あれだ、んだな?」

「ご想像にお任せします」


 ここでとうとうガラッドがキレた。


「てめえ、元奴隷風情が気取ってんじゃねえぞ!」

「あんただってそうだろう!」

「袖にされる前に紳士の心得ってのを教えてやろうってんじゃねえか」

「何が紳士だ。気取ってるのはそっちだろうが」


 二人は取っ組み合いの喧嘩をはじめるが、誰も止めようとはしない。大きな納屋を改造した事務所は建付けが悪く、大人二人が暴れれば、ギシギシを軋んだ。


 ややあって、ジヴの鉄拳にガラッドが沈む頃合いなると、元血盟団の下っ端だった男がやってきてガラッドを介抱した。さらにテキパキと二人分のグラスにマーヴァ酒を並々と注ぐと出ていった。


 ガラッドの呼びかけに応じて血盟団の残党たちの多くがガラッド商会に身を寄せていた。


 受け皿がなければ、ただの野盗になってしまいかねない連中だった。柄は悪くとも中には気骨のある者、目端の利く者もあり、熱心なジヴの教育も相まって、ちらほらと頭角を表す人材が現れた。


「ちっ相変わらず強いな。病み上がりじゃなければ俺に分があったがな」

「ふん、あの河っぺりで死なせとけばよかったですよ」

「それを言うな、そのせいでデカ女のレイゼルに頭が上がんねえんだからよ」

「そのデカ女に僕は半殺しにされたことがあるんだ!」


 はぁ、と二人の男がひとりの女を畏れてため息をつく姿は情けない。二人は弱々しくグラスを傾けた。


 あの岸辺でまさにガラッドは彼岸へと渡りかけたのだったが、レイゼル・ネフスキーがそれを阻んだ。あの機械の右腕が妙に温かったのをおぼえている。


「で、下世話な話は置いといて、サルキアとはどうなんだ? わかってると思うが、おまえの存在は三千年といくらかってシェストラ王国をぶっ壊す、少なくともその一因になるってんだぞ。女王をたぶらかした貧乏臭ぇポッと出のゴロツキを亡き者にしようってやつらはわんさかいる」

「サルキアは成し得るすべての改革を終えたら、生前退位するつもりです。国を切り分けて自由にするそうです」

「ふん、幕引きの女王か」


 そう、サルキアの名は、始まりの王ハゼム、中興の祖リアムと並んでシェストラの三人の賢帝として歴史に名を刻むことになる。たとえ、王国の存続を目指さなくとも、彼女は正しき王たらんとして最善を尽くしたのだと。


「おまえはたちは一緒になれるのか?」

「何年先になるのかわかりませんが、いずれは、ね」

 ジヴの眼の奥に懊悩が揺れる。ガラッドは飲み干したグラスを逆さに伏せた。

「そうかい。だったらなおさら、もっともっと走らねえとな……そうだ、ウェスの野郎は見つかったのか?」

「いえ、女王も行方を探してましたよ。どうやら雲隠れしちまったらしいです」

「あのガキ、やらせたいことがたんまりあるってのに」

「もう大人ですよ。会長には、旅の頃の記憶しかないんでしょ?」

「俺が言ってんのは頭の中身の話だ。あいつの頭の中は機械と怪獣と大爆発だけだ。スタンのやつはいっぱしになったって話だが」

「ウェス・ターナーはシェストラの持ち出し禁止項目の筆頭ですよ。あいつが気まぐれに生み出したモノがどれだけ暮らしを変えてしまったか――」


 ――数え上げればキリがない。


 後世ターナーの十大発明と呼ばれるアイデアや技術の他にも数限りなくウェスは創造していた。そのウェスがシェストラに籠っていたらガラッドの自治領は恩恵に与れない。とはいえ、行方不明というのも厄介だ。


「なぁ、俺は知ってるぜ。というか近頃ますます身に染みる」

「ええ」神妙にジヴが頷いた。

「あの天才の大馬鹿が消えるってことはだな、玉座がフラフラ突っ走ってるよりも余程危険なことだってな」

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