リバーズ・エッジ

 機械マシンは疾走する。河川が束ねられるところである海へと。


 同胞が死に絶えても、その本能と目的性に促され、宇宙の真空が囁く神秘を聞き逃すまいと機械はひた走る。計算と解析に倦み疲れる心配はついぞなかった。また郷愁や追憶とも無縁だった。


 流れが尽きるところへ。すべての疑念が明瞭となり、あらゆる仮説が統合される一点へ向けて。追跡者たちの存在さえ知覚していない。機械は疾走し、計算し、構築する。ただそれだけのために在る。それが機械の比類なき本性だった。


 しかし、この時、機械は自らの進路を阻むモノの存在を覚知していた。機械と同じく、ソレは人の手によって造られたが、その習性は少しばかり壊れていたから、互いの目的性が膠着する恐れがあった。


 本来ならば、機械はそれを異物と見做すことはなく、したがって行動の自由を妨げることはなかったはずが、いまやそれは怪しく思われた。永い時の浸食作用によって、地殻はわずかに変化し、埋設された演算回路は、かつて重なることのなかった河口部と交わってしまっていたのだ。


 だから、そこに棲む者との衝突は避けられぬ、確実な未来となりつつあった。


× × ×


「汽水域の生態系は独特だ。ロドニーの人間はここをある種の実験場にした形跡がある」

「アーカイヴで知ったのか?」

「ああ。気をつけるんだ」


 ウェスに警告されることは、スタンの記憶において幾度もない。ラトナーカルも何かを察知しているのか、体毛を逆立てて、耳をぴくぴくと動かしている。


 ウェスは八角形のレンズの眼鏡を中指で持ち上げた。それはロドニーの宮殿でトライロキヤから餞別としてもらったものだ。スタンの眼のように驚異的な視力を与えてくれるわけではないが、自動的に指定した視力にウェスの眼を調節してくれるのだ。連日の読書で眼を疲弊させたウェスにとっては願ってもない代物だった。べっこう縁の眼鏡をかけると傲岸不遜なウェスがちょっぴり知的に見えるから不思議だった。


「ラトナ、何か異変があったらすぐに教えるんだぞ」


 ――キキキっ!!


 餞別を貰ったのは、スタンだけではない。ラトナは〈猿王の棍棒〉という武器を宝物庫から持ち出してきた。ラトナの膂力でようやく扱うことができる、とてつもなく重たい得物だった。


「そんなもん捨てろよ、邪魔だ、ラトナ」

「耳を貸すなラトナ。道具を扱うのは進化のステップだぞ。棍棒で動物や他の部族の頭をぺしゃんこにするのはボクたちの先祖の必修科目だったんだ」

「無駄だってわかってるけど、最後に言うぞ、ラトナ、棍棒よりオールを取れ。おまえこのままウェスに流されてっとゆくゆくは人類の敵だぞ」


 ひっきりなしに舟を漕いでいたせいで、スタンの腕と背中は分厚く、さらに逞しくなっていた。


「ひゃぁ、これが河で、あっちが海かぁ。やぁ、宮殿を離れてみっと世間は広れぇって心底実感すんなぁ」


 そんな感慨を漏らすのは、生首のジャックスだ。


 宮殿を出発するにあたってウェスが連れてきたのだが、ずっと宮殿の巡回警備しかしていなかった生涯においてはすべて新鮮なのだろう、何を眼にしても子供のように驚いている。


(やっぱりこりゃチンドン屋じゃねえかよ)


 スタンが呆れたとおり、猿と生首と旅をするウェスらは、まさに大道芸人の旅一座としか見えなかった。前方を走る犬たちも含めるならば、ますますそう見えるだろう。


 たった三頭にまでなった犬たちに曳かせた新しい橇にレイゼルが乗っていた。

 

 機械化されて犬たちは数を減らしてもいまだ力強かった。以前よりもっと速く、また疲れを知らず疾駆する。アーロンに壊された橇は、あの剣が刺さっていた車を代用とした。娘の出立に張り切ったトライロキヤは、エンジンが引き抜かれたボンネット部分を切り落とし、屋根をコンバーチブルに改造することまでやってのけた。これまでのような雪上用ソールは廃止し、タイヤに凹凸の多いオフロード用を装着することでどんな悪路にも応じられるようになった。


「ミレハ、ネロ、ワイム!」


 レイゼルは犬たちに檄を飛ばす。犬たちの嗅覚は玉座の臭いを記憶していた。さらに獲物がそう遠くないことを、その仕草は示していた。


 ――北を救うレシピはウェス・ターナーの頭の中にある。


 トライロキヤは別れ際にレイゼルにそう告げた。


 もし長陽石を北の大地でも精錬できるようになれば、食糧問題のかなりの部分が解決することになるだろう。王弟ルパートの目指した企図を、王となったスタン・キュラムなら実現することができるに違いない。


 はじめから王となることを望んではいなかったレイゼルだったが、ここへ至ってようやく、彼女自身が本当の王を望んでいることを知った。それは少女サルキアを排してまで施政者の地位に上り詰めたベイリーではない。その右腕ルードウィンでも、南の商売人でもない。


(スタンを王に即ける、それが北の未来を拓く。あの二人であれば……氷に鎖された大地を変えることができる)


 思えば、密林で出会ったあの瞬間から運命は動き出していたと言ってもいい。フランケル山脈で共に竜とあいまみえ、砂漠では決闘に割って入ってきた。さらには宮殿で夢の脇道から救い出してくれた。


(しかし、スタンは幕引きの王となるという。最後の王となり、ハゼムよりはじまる王政を終止符を打つと)


「ふん、大それたことを言う」


 湿気を帯びた空気を吸い込みながら、レイゼルは呟いた。


 中央に煙たがられているとはいえ、それでもレイゼルにとって王政はすべての基盤としてある。主従の秩序のないところには、暴力的な混沌が招来されるほかないとさえ考えている。これはレイゼルの保守性を証づけるものではなく時代の限界であったと言えよう。


 この時代、この惑星において、王や皇帝による独裁制を超える代替案オルタナティヴは提示されていなかった。


 それゆえにウェス・ターナーやガラッド・ボーエンのような革命児を、可能性を認めつつも竜は危惧したのだろう。


(しかし、スタンは違う。奴は時代を変えようとは考えていない。それでいて湖水地方のただの漁師でいることを肯んじえなかったのだ。ウェスの影響か、それともただの気まぐれな浮き雲なのか)


 水の、そして潮の匂いだった。河の側道を犬たちは走っていた。向こう岸はだんだんと遠ざかっていく、川幅が広くなっているためだ。スタンとウェスの乗り物は船というだけあって水の上も走ることができる。


 ウェスの作戦は、疾走する玉座を左右から挟みこむように追い込み、渡し掛けた網で機械を絡めとるといったものだ。水への耐性は未知数だが、演算回路と呼ばれる磁力の筋から脱線させれば機械は停止する理屈だった。捕縛したまま河の中央あたりまで引きずれば、きっと機械は止まるに違いない。


 ――できれば海、いや汽水域に達するまでにケリをつけたい。


 ウェスはそう言った。


 演算回路サーキット、つまり王たちの遊歩道は海で途切れる。その後の古代機械の挙動は不明だったからだ。同じ道を引き返すのかもしれなかったし、玉座を抱えたまま海へと失踪する可能性もあった。


 手筈は整った。ぶっつけ本番の原始的なプランだったが、ここは正攻法で攻めるほかなかった。犬とそれが曳く新たな橇は、水にも強い。レイゼルの呼吸さえ確保でくるならば、ある程度の深までなら走行が可能だった。


 やがて巨大な橋に出くわした。


 橋げたの下からは氷柱のような構造物が垂れ下がっている。人が住んでいるのかもしれない、とレイゼルは見て取った。ウェスたちも興味深そうに橋を眺めていたが、すぐに前方を向き直る。ついに見つけたからだ。


 ――それは墓標のようだった。


 水面から突き出した赤い玉座。機械は完全に水中に没していたが、玉座だけがまるで泳ぐ墓石のように――そして血塗られたような赤さ――川面から突き出し、誘うように水を切って漂っている。


「見つけたぞ」


 レイゼルはウェスらに合図した。犬たちも事態を察していた。闘争本能を剥き出しにして獲物に迫ろうとする。


「やっと追いついたな」


 スタンが感情を込めて頷く。


「接近しよう、あのあたりなら、まだ深くはない」


 飛躍的に能力を向上させたスタンの眼は河の深度を精確に見抜いた。


「ラトナ、おまえは玉座に飛びつくんだ。可能であれば玉座を機械からひっぺがせ」


 甲高い声でラトナは武者震いをした。


「俺は〈はた迷惑な微罪コイツ〉で機械の脚をなます切りにしてやる。それでいいなウェス」

「うん」

「しかし、不気味な眺めだな。赤い墓石が泳いでやがる」


 ロドニーのアーカイヴで見た玉座の映像を思い出す。あれはロドニーの住民たちを幸福な死へ誘ったのだった。


「――この世の果てだ」


 光走船と犬橇は並んだ。スタンの述懐に応じたのはレイゼルだった。


 生身の肉体を信奉するレイゼルにとって、それは自殺に等しい行為であった。おぞましい目つきで河面を見据える。あれこそが生の彼岸なのだった。


「ここらで決着をつけよう。作戦に変更はない。疾走する玉座。この世で一番価値あるものといえば、あいつだ」ウェスがついに最後の局面が到来したことを告げた。


「ふん捕まえろ。蜘蛛はきれぇだもんよ。見っけたら踏みつぶすんが一番だぁ」


 生首がけたたましく皆を鼓舞するが、士気を上げたのは猿ばかり。


 ラトナは棍棒を片手に持ち上げて吠えるが、犬たちはむしろ静かな野生を孕んで身を撓めている。


 ――さぁ、行くぞ。最後の狩だ!


 そう、レイゼルが号令を発する瞬間だった。


 対岸に騒ぎが起こった。立て続けに鳴り響く銃声。疾走するふたつの運動体。


「悪魔の中指……それにありゃガラッド・ボーエンの草刈り機か」


「ちっ、こんな時に邪魔くせぇ」ウェスが吐き捨てる。


 ベイリーの装甲車は随分先行していたはずだった。玉座を探しあぐねて彷徨したあげくグルグルと同じ場所に足止めを食っていたのかもしれない。


 考えを巡らせるが早いか、ヒュンと流れ弾が犬橇の車体を掠める。


 ついに多くの別々の流れがここにおいて交わり、合流しようとしていた。織りなされた多くの因縁が結実するかに見えた。綾なす新たな模様の発端。それとも本当の終端か。


「やつらに構うな。ここで玉座を逃したら、その先は――」


 調節された視力でウェスは下流を見つめた。


× × ×

 

 ガラッドがベイリーを見つけたのは、ベイリーがガラッドを見つけたのと同じ瞬間だった。


 ルードウィンがウルスラの遺品であるバングルを装甲車の操作レバーに引っ掛けたのも、ひと気の絶えた宮殿の洗面室で顎鬚を剃り終えたトライロキヤが泡立てたクリームを拭い取ったのも同じ瞬間だった。


 砂漠の街では、彫り師ダーシュワイが少女の二の腕に貝殻と蛇の刺青を彫り上げた。ナドアの子供たちはといえば、祈りの時間を退屈そうにやり過ごしていた。


 ともあれ舞台を河の縁リバーズ・エッジに戻すべきだろう。


 ガラッドとベイリー。互いを認識した二つの点は接近してく。


 ベイリーを殺すことを念願とするサルキアは、いまやヴェローナという切り札を擁していたし、そのヴェローナだってレヴァヌで殺し損ねたベイリーを遅まきながら始末できたらと息巻いていた。


 もちろん双子の兄弟ナローを殺した射撃手が〈大喰い〉に乗っているとルゴーが気付くのも時間の問題だ。さらに言えば、殺したはずなのに殺せなかったサルキアを眼前にしたベイリーがどんな感情を抱くのか、誰にもわからなかった。そしてクラリックは?


 二点は恩讐の糸に結ばれて近づき合い、それでいながらある距離を保ったまま、並走する。


 殺しの距離はわずか1エスロー。


 しかし、その距離は、じりじりと目減りしていくのだった。吊るした羊肉をナイフで削ぐように。


「ベイリー・ラドフォード。見つけたよ」

「やつを殺してヴェローナ! 海に出たらシェストラ海軍の基地見せてあげる。恋人とクルージングしたいならボートじゃなくてももっと立派なのをあげる」

「ううん、波に巻かれて沈んじゃいそうな心細いボートがいいな。海や空と見分けがつかないブルーに塗って。まるでわたしと彼とが波間にぽっかり浮かんでるみたいに。そう裸よりも無防備にね」


「仰せのままに」と戯れに臣下の礼を取ったのはサルキアの方だった。


 年頃の近い二人の少女は想いの他、馬が合った。


 我の強い性格がぶつかり合うかとハラハラしていたジヴだったが、心配が取り越し苦労に終わりホッとしていた。悪魔の中指の砲撃が〈大喰い〉を狙っているものの、切り詰めた砲身が威力と命中率に変動を加えていた。ジャングルであわや命中と思われた曲射弾道だったが、ここでは、さして脅威とは感じられない。


「呪弾がないとあの装甲は破れないね」

 とはいえ、ヴェローナの方も決め手を欠いていた。


 ライフル弾は過たずに悪魔の中指に的中していたが、それを貫くことはできなかった。


「悪魔め、砂漠じゃ半分に切り詰めてやったってのに、しぶといぜ」


 忌々しげにガラッドが、罵れば、

「モノホンの悪魔に比べりゃあんなの――」

 とヴェローナが知ったふうな口を利くから、ジヴも思わず、首を傾げた。


「死神が悪魔を恐れるのか?」

「あんたらはルードウィンと少し似てる。この世界には神も悪魔も居やしないって思ってる」

「だってそうだろ? 神なんてものがいないから僕たちは奴隷として生まれた。そして悪魔がいなかったから奴隷から這い上がれた」


「それはそっくりそのまま真逆の言い方もできるじゃん」


 一回りも年下の少女の言葉にジヴは押し黙った。不在と存在を入れ替えることで

同じ現象を説明できる。


 ――悪魔によって奴隷にされ、神によって抜け出した、と。


 遠回しな気休めにするならどちらの語法を選んでもよかった。とはいえ、気休めなら歌に勝るものはない。


「一本取られたなジヴ」とガラッド。ヴェローナのナイフに傷つけられた片目はパッチに覆われている。失明したとしてもヴェローナを引き込んだ代償であれば、安いものだと自覚していた。


 ガラッドやジヴは竜紋のことだって信じてはいない。王になることを約束する徴などは、おとぎ話の中でだって陳腐な代物だった。


 マイルストームが見せた出来の悪い偽物を拝んだことで、ガラッドたちの確信はより強まった。


(この世に運命は存在しない。自由だって存在しないが、それなら出来は悪くとも作り出すことならできる)


 ウェス・ターナーが理智すら超えた現象さえも、ことごとく知性の血肉としたのに対して、あるいはルードウィンが正気を揺るがすほど恐ろしいものを目の当たりにしてなお進んだのに比して、ガラッドたちは常識を踏み越える出来事と真に遭遇してはいない。まだこの時においては。


× × ×


「ダメだ、やっぱゼロッドがいないと全然当たらないわ」

 

 メリサがため息を吐く。

 砲撃手のゼロッドの鮮やかな手並みがいまでは懐かしい。


「真面目にやれ、裏切り者のことを言うな」


 弟を失ってからというものルゴーの表情は険しく、まるで十歳も老け込んだようだ。ひっきりなしに口をついて出ていた冗談は影をひそめ、気詰まりな沈黙だけがルゴーを支配した。


「珍しく口を開いたんだからもっと気の利いたこと言えば?」

「なんだと?」


 血走った眼でメリサを睨みつけるルゴー。メリサの方はどこ吹く風といった態度で受け流しているが、それがますますルゴーを苛立たせるらしい。


 車内の雰囲気は最悪だ。


「だいたいメリサ、お前も得体の知れない組織の人間だなんてことを隠してやがった。ゼロッドと同じ裏切り者じゃないとどうして言える?」


「やめろルゴー」


 見かねたベイリーが咎める。このままでは密閉された車内の中で刃傷沙汰だって起こりかねないムードだった。外の空気でも吸わせてやりたいところだが、残念ながら接敵中ときている。


(やつらをあなどってはならない。悪魔の中指を切り落としたのはガラッド、あの南の商人なのだから)


「やつら女を二人も乗っけていい身分だな」


 ルゴーが舌打ちをすると、クラリックが同意した。


「しかも若い女です」

「成金が女を侍らせて海までドライブってか。ついでに玉座でも拾って帰ろうって算段だとしたら、わがシェストラも安く見られたもんだな」


 ベイリーも双眼鏡でぼんやりと四人の姿をぼんやりと確認したが、増えた二人が色気のある女性だとは思われない。少なくともひとりは、異常な精度で装甲車を射撃し続けているのだから。


(この殺気には覚えがある)


 ベイリーは背中の毛がそそけ立つような感覚に襲われた。


「金持ちとそれに侍る女か。そんなに可愛いもんじゃないぞ、あれは――」


 一瞬の躊躇の後、ベイリーはそれを口にした。


「あれは死神だ。レヴァヌで悪魔の中指を穴だらけにした。そして……ナローを殺した女」


(やつらは二人ともマイルストームの元にいた。仇を討とうと? たぶん違う。やつらはそもそも簡単に人に飼われるようなタマじゃない。では、もうひとりの女は?)


 ベイリーの仮説をよそに、引きつった笑みを浮かべたルゴーが、操向ステアリングをクラリックから奪うと、


「大将、ここからは俺に付き合ってもらいますよ!」


 衝突の軌道に向けて急激に舵を切った。




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