放課後の勉強時における彼女との距離感の縮まり方を答えよ。

キム

第1話 放課後の勉強時における彼女との距離感の縮まり方を答えよ。

 放課後。


 今日の授業が終わった。

 部活に行く人、家に帰る人、残ってお喋りをしている人がそれぞれの行動を開始する。

 大半の人たちが教室から出ていくのを眺めながら、僕は今日習った数Ⅱの教科書を開いていた。

 親の帰りが遅い日はこうやって放課後の教室に残って復習をするのが日課となっている。


「えっと、今日習った公式は……これか。これを使えば問題も解けるはず……なんだよな?」


 正直に言って、数学はかなり苦手だ。

 公式を覚えるだけでも大変だと言うのに、そのうえ問題文を読んでどの公式を使うかを判断して、さらには計算までしていかなければならない。

 世の中の何人が思っていることかわからないが、こんなものは解けなくても将来に困らない。むしろこんなことを覚えている時間があるなら、少しでも別のことについて勉強していたほうがよっぽど意味のある時間を送れるだろう。

 とは言っても、この意味のない数学でもちゃんと点数が取れなければ良い大学にも進学できないため、仕方なくやらざるを得ない。


 * * *


 復習を始めてから一時間が経過する頃には、クラスには僕以外の人影が残っていなかった。

 グラウンドから聞こえる運動部の掛け声と、遠くの音楽室から聞こえる吹奏楽部のロングトーンが心地よいBGMとなり、勉強が捗る。

 が、今日習った部分の問題も残り三問といったところで、手が止まってしまった。

「え、これどうやって解けばいいんだ……」

 頭を悩ませていると、教室の前のドアが開いた。

 視線だけをそちらに向けると、一人の女子が教室に入ってきた。

 ピンク色のカーディガンを可愛く着こなしている彼女の名前は確か……そうだ、風月 澪(ふづき れい)だ。

 廊下から入る夕日に照らされる金髪は、生徒指導の先生にいつも注意されているが、本人は地毛だと言い張っている。

 クラスではいつも男子からも女子からも『れぇピ』という愛称で親しまれている彼女だが、こんな根暗な僕とは住む世界が違うものだと思い、今まで一度も話したことがない。

 いや、そんなことはどうでもいい。この問題を解かなければ。

 再び頭を抱えて問題文とにらめっこをしていると、頭の上から声がした。


「お前、何やってんの?」


 顔を上げると、目の前に風月さんの顔があった。その距離、およそシャープペンシルの芯三本分。

 先程まで悩んでいた問題の内容も一瞬で吹き飛んでしまうほど頭の中が真っ白になったあと、今度は風月さんのことで頭がいっぱいになった。

 まつげ長いな瞳の色が左右で違うこういうのオッドアイっていうんだっけちょっと髪が外にハネてるなブラウスのボタンちゃんと閉めないとその白くて綺麗な肌がほら見え

「なーにやってんの、って聞いてるんだけど」

 再び尋ねられて、意識を取り戻す。

 完全に"持っていかれていた"思考回路が戻ってきた。なんだこの女……情報量が多すぎるだろう。

「え、いや、今日の数Ⅱの復習だけど」

「ふーんどれどれ」

 机の前にいた風月さんが机の横を通り、僕の後ろまで回ってきた。

「ふんふんふん、今日習ったやつか。なんか解けないのがあるの?」

「え、ええっと、ここ、この問題が……」

 僕の視界からはいなくなったけど、先程より距離が縮まったことが分かるぐらい近い場所から声が聞こえる。

「えー、お前こんなのも解けないのー? ばっかだなぁ。ほら、れぇちゃんが教えてあげるからさ。見せてごらん」

 そう言って身を寄せてきて、僕の頭の中が書き出されたノートを覗き込む。


 というか、近い近い近い。なんだこの距離感。めっちゃいい匂いするし。デキる人は初めて話す人とこんなに近い距離で接するものなのか。

 よく漫画なんかで見る「あーワタシの心臓の音、カレに聞こえてないかな」という心配は、今なら痛いほどよく分かる。短距離走を全力で走り終えたときよりも、今の方が僕の心臓は全力で鼓動を刻んでいる気がする。

「ほら、これを当てはめればいけるっしょ」

 そんな僕の気も知らずに、彼女は淡々と問題を解きあげていく。

「あれ、本当だ。こんなあっさり解けちゃうなんて、かしこいなあ」

 見た目だけで判断していた自分が恥ずかしい。どうやら彼女のかしこさは僕の想像を上回っていた。


「あ、れぇちゃんそろそろバイトの時間だから行くね」

 残りの問題も全部解いてくれた風月さんは、そう言うと教室を出ていこうと準備を始める。

 こんな一方的に教わりっぱなしじゃ、流石に申し訳が立たない。せめてお礼を言わないと。

 そう思って、もう一度心臓に頑張ってもらい、全身にある勇気を振り絞って声を出す。

「あ、あの、風月さん」

 教えてくれてありがとう。

 そう言おうとしたときに、風月さんが割り込んでくる。


「あーその風月さんっていうの、堅苦しいからさ。やめやめ。お前もれぇちゃんと同じクラスの友達なんだからさ」

 そして彼女はニヤっと笑ってこう言った。


 ––––『れぇピ』って呼べよな。

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