第二十七話:虚影の王②
「くくく……愚かだ。愚かだなぁ、アルバ。ああも明らかな罠に引っかかるとは」
「……」
「終焉騎士団の弱点は、高潔であることだ。彼らは……敵には強いが、味方に甘すぎる」
度し難い事だ、と、カイヌシは笑う。杖をつくカイヌシに付きそうようにして隣を歩くアルバは何も答えない。
日は沈み空は薄闇に包まれていた。
不死者は夜に活動を活発にする。吸血鬼のように陽光を浴びた瞬間灰になるような者はいなくとも、大抵の魔性の昼夜の能力差はかなり大きい。
昼間に現れた狼人。その言動は明らかに罠だった。
そもそも、ろくに攻撃をしかける事なく逃げ去った時点で隠すつもりすらない。あからさまだ。
狼人を生み出す呪いの根源である『獣の王』亡き今、狼人という魔性はそれなりに希少だ。それを使役しているという事は、バックにいる者はかなりの大物だろう。
だが、ルフリー達はそれを追わなかった。それどころか、夜の結晶すら放り出して、狼人が口走った吸血鬼に与する終焉騎士への対応にかかった。
全て相手の思う壺だ。更にそれを自覚して動いているのだから、たちが悪い。
続いて、カイヌシはかつて戦った青年を思い嗤う。
「くくくくく…………人類の敵は、本当に……大変だなぁ、エンド・フォメット。よもや同族からも厄介者扱いとは」
「…………殺す」
吸血鬼に与する終焉騎士などそうはいない。目を細め笑うカイヌシに、呪いを奪われたアルバが押し殺すような声で吐き捨てる。
何故このような所にいるのか――事情はわからないが、十中八九、夜の結晶を追って来たのだろう。何という奇縁だろうか。
エンドは強かった。人の理性を持った吸血鬼にこれまでのセオリーは通じない。おまけにあの青年はまだ――未熟だ。あれからしばらく経った今は更に力を蓄えている事だろう。
センリ・シルヴィスは――卓越していた。もともとカイヌシから見たら相性の悪い相手ではあったが、これまで数多の魔性を葬ったカイヌシがあらゆる手を尽くしても足止めしかできなかった。そして精神についても――祝福と正反対の負のオーラを発する吸血鬼を間近で見守るなど強靭な精神力なくしてできる事ではない。
だが、いくら強力なペアでも所詮は二人。彼らには敵が多すぎる。
「忙しく、なりそうだ」
「殺すッ」
数多存在する魔王達は強力な配下を求めている。あの狼人はエンドを捉えるためのその布石だ。人の精神を持った吸血鬼からすれば耐え難い事だろう。
助けてはやらないが同情くらいはしてやってもいい。
アルバが眉を顰め、カイヌシを見上げる。
「リーノ、私達も、行こう」
「……そうしたいところだが…………今回の仕事のターゲットは、奴じゃない」
「…………」
「潰しあいは、したいやつに、させておけ。我々は……人間だからな」
アルバは不服そうに顔を顰めるが、それ以上何も言わず黙ってカイヌシについてきた。
いかなる摂理か、呪いを奪われたカイヌシ達の戦力は大幅にダウンしていた。
アルバの吸血鬼への恨みは薄れておらず、新たな訓練もしているが、ただの人間にあの頃の戦闘能力は出せない。
ならば、できるのは知恵を振り絞る事だけだ。
悠々と街を歩きたどり着いたのは、昼間も訪れた市庁舎だった。
既に日は暮れているが門の前に立つ衛兵の数は減っていない。調査通りの光景に、カイヌシは小さく吐息を漏らした。
「やはり…………何か、隠しているな」
【デセンド】はそこまで大きな街ではなく、市長はそこまで周囲に恨みを買ってはいない。昼夜問わず衛兵を待機させておく理由などないはずだ。
それが、まるで何かに怯えるように見張りを置いている。
カイヌシの長年の勘が、彼には何かあると囁いていた。
ルフリー達が城に突入してしまったのは痛手だった。雇い主の行動がどれほど馬鹿げていても止められないのが雇われの辛いところだ。
もしもあの狼人が誘導にやってきていなかったら、ルフリー達は怪しげな城に二人で突入するような事はなかっただろう。増援を待っていたはずだ。
まったくもって――忌々しい。
人目につかないよう気をつけながら市庁舎の周りをぐるっと回る。
衛兵は立っていたが、そこまでやる気はないようだ。平和な街なのだろう。
前回に起こった事件と言えば地震で古城の一部が崩れたくらいで、それ以降は何も起こっていない。
――表向きには、だが。
カイヌシはこつこつと塀を杖で叩くと、愉快そうに嗤った。
「さて、市長に秘密の挨拶と……いこうじゃないか」
§
ずっと、注目していた。終焉騎士は策を練るが、吸血鬼狩りは更にその上を行く。
アンデッドに恨みを持ち、正義の味方である終焉騎士団をよく思わない人間、全てがカイヌシ達の味方だ。
そして、そういった者達はきっと、終焉騎士団が考えている以上に多い。
ひっそりと夜の結晶が出回り始めた時から情報収集は始まっていた。
【デセンド】はかつて死者の王と戦っていた街だ。協力者がいたのは偶然ではない。
塀を乗り越え、窓を音を立てないように割って、慎重に市庁舎に侵入する。
仄かな光が照らす廊下に侵入する。市庁舎の中には誰もいなかった。
音一つない市庁舎はなまじ清潔で調度が整っているため、気味が悪い。
「アルバ、臭いはわかるか?」
足元に這うようにして鼻を近づけていたアルバが眉を顰め、首を横に振る。
「死者の臭いがする……が、わからない」
アルバの能力は呪いを失い低下していた。
身体能力や嗅覚については、長い呪いの期間で鍛えられ、ただの人間にしては強力だったが、犬に変身できていた頃とは比較にならない。
カイヌシは肩を竦めると、懐から屋敷の見取り図を取り出した。
この街には様々な不審な点がある。
古城の一部が崩壊したという大きな地震。
急に病的なまでの吸血鬼の対策をはじめた事。現れ始めたアンデッドを倒すために外部から傭兵を雇い始めた事。
そして――それらの傭兵が生きて帰らなくても、【デセンド】が沈黙を貫いている事。
傭兵とは基本的に根無し草だ。仕事を求めてあちこちを旅する傭兵がいきなり消えても、不審に思う人間はほとんどいない。
だが、注目していれば話は違う。
協力者の調査によると、これまで【デセンド】を訪れアンデッド退治のために雇われた傭兵チームは十を超える。
中には依頼を完遂していなくなったチームもあるだろう。だが、円満に依頼を達成していなくなったパーティには前兆というものがあるものだ。
何の痕跡も残さずいなくなった傭兵達は一体どこにいってしまったのか?
足音を立てないように注意して先に進む。
アンデッドは強力だ。高い不死性に加え、変異を繰り返したアンデッドの中には人間を遥かに超えた知性を有する者もいる。
だが、そういったアンデッドでも人里に完全に紛れる事は難しい。誰にも気づかせず、違和感を抱かせずに行動するには限界がある。
人の街では人の理に従わねばならない。カイヌシはプロだ。見るべきところは知っている。
カイヌシが持っているのは、数年前、市庁舎の改装工事を行った時に使用された図の写しだった。既に工事をとりおこなった業者は消えているが、その当時に協力者が手に入れていた地図にはしっかりと新たに作られた地下室について書かれている。
「どうして奴らは地下に潜みたがるのか…………冥府への帰巣本能でもあるのか?」
「…………」
吸血鬼は棺桶を好む。他のアンデッドは棺桶に入ったりはしないが、光の届かないジメジメした地下に潜むことが多い。
市庁舎には昼間は一般人もいたはずだが、どうやら夜には誰もいないようだった。
だが、市長は外に出てきていない。まだ中にいるはずだ。
市長は間違いなく人間だった。という事は、裏で市長を操っている者がいるのだろう。
正体は何であれそれは――吸血鬼以外だ。そして、その者は吸血鬼の襲来を怖れている。
今日侵入したのは情報収集のためだ。終焉騎士であるルフリーやネビラがやってきた以上、市長は何らかのアクションを起こすはずだった。
といっても、市庁舎自体が敵の手に落ちている可能性はそこまで高くない。事は非常に慎重に――終焉騎士団が気づかない程静かに進められている。
恐らく各部屋を漁る必要はないだろう。周りを警戒しながら、改装工事で作られた地下の部屋に向かう。
と、その途中で、カイヌシは立ち止まった。
「…………」
「血の……臭いだ」
アルバが腰から銀の短剣を抜き、構える。カイヌシは額にシワを寄せて言った。
「……遅かった、か。行動が早いな…………刺激し過ぎたか」
カイヌシには終焉騎士のように負の力を察知するような能力はない。だが、これまでの経験がある。
先に進む。現れた地下への階段を躊躇いなく下る。身も凍えるような冷たい空気が頬を撫でるが、足は止まらない。
既に――いない。気配の残滓は残っている。先程までは確かにいたはずだが、いなくなった。
一歩遅かった。これを幸運と呼ぶべきか不幸と呼ぶべきか。
地下の一室。血溜まりの中に、肉片が散らばっていた。
最低限の調度しかない地下の一室。壁には肉片がへばりついている。身体の中から爆発したのか――恐らく、攻撃魔法だろう。相当な威力がなければこのような跡はできない。
アルバは顔色一つ変えずに室内を物色している。
血溜まりの中に沈んだ布切れ――服の切れ端をつまみ上げ、カイヌシは眉を顰めた。
最初の話し合い時。闇の眷属の天敵。終焉騎士を連れて行くべきではなかった。
カイヌシは闇の眷属を追い詰めるためならば何でもするが、人は死ぬよりは死なない方がいい。
死人に口なし。死人に吐かせるには禁断の魔法を使うしかないのだ。
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