第二十六話:虚影の王
立体魔法陣。その言葉を口の中で転がす。
僕は魔術に関してはほぼ素人である。魔導書を読んで何とか生活に使えるような魔法を幾つか覚えたが、覚えた魔法の中に攻撃に使えるようなものはない。
殴ったほうが早いというのもあるが、強力な攻撃魔法というのはそもそもが秘匿技術なのだ。
センリが集めてきてくれた魔導書の中にも、僕があえて覚えようと思うようなレベルの攻撃魔法は含まれていなかった。
魔術師の師に教えを請わねば強力な魔法は覚えられない。資質も必要だ。故に、魔法という奇跡が存在しているにも拘らず、科学技術が発展してきた。
僕が何日も掛けて覚えた魔法は初級中の初級、身一つで起動できるようなものだけだ。
だが、本来魔術とは多数の道具や触媒、儀式を使って行使するものだったりする。
魔法陣。単語だけだったら聞いたことがあった。
強力な魔術を行使するための儀式の一つだ。
立体魔法陣という単語は初耳だが、立体魔法陣というからにはそれはきっと………………立体なのだろう。
セーブルの呪いのせいで頭が、身体が引きちぎれるように痛い。
まだ涙を流していないのはただの強がりである。こんな状況なのに情報をはっきり言わないロードは今すぐに滅ぶべきだ。
僕の口を通したロードの言葉に、センリが眉を顰める。
「立体……魔法陣?」
「あ、あ。つまりそれは……立体の、魔法陣だよ。立体、なんだ」
「それは…………つまり?」
センリは僕の中にロードがいることをまだ知らない。ロードがちゃんと情報伝達してくれないせいで怪しんでいる。
僕は時間稼ぎをするために周囲をきょろきょろ見回し調べている振りをした。
縦横無尽に周囲を飛び回っていたロードが笑う。
『術者はなかなかの――強者だ。が……ふん。虚影の魔王…………誤ったな……』
ナタで真っ二つにしてやりたい。
どうやら僕には勉強が足りていないようだ……何か改善方法を考えるべきだろう。
よく考えてみれば、センリと共に旅を始めてから僕は戦いっぱなしだった。
ふらついた振りをしてセンリに抱きつき時間稼ぎしたかったが、ゴーレムが襲いかかってくる状態ではそんな事もできない。
センリがじっとこちらを見て言葉を待っている。
「つまり…………?」
「……つまり…………全部、虚影の魔王が、悪いのかも、しれない」
「そう……」
駄亡霊のせいでセンリの眼差しが冷たい。ロードの言葉を使ってセンリの好感度を稼ごうとした僕のミスだった。
骨だけのロードがケタケタと笑う。
『くくく……エンドよ、しかと見よ。これほどの魔法陣を組む術者、既にそうおらぬぞ。これは――かつて、『転生』と呼ばれた、
転生の死霊魔術。なんとも言えない不気味な言葉の並びだ。
だが、そもそも僕は死霊魔術により蘇った。それもある意味転生(生きてないけど)と呼べるのではないだろうか?
この地下通路自体が魔法陣だとしたらかなりの規模だ。ロードの屋敷は広かったがそれでも比べ物にならない。
魔術とは準備の規模に比例して威力が上がるという。
………………で、何を壊せばいいの? 魔法陣をぶち壊せばいいの? センリを上に戻して地下をぶっ壊せばいいの?
ねぇ? どうすれば手っ取り早く帰れるの?
『たわけがッ! この陣には既に相応の力――死者の力が満ちておるッ! むやみに破壊すれば消滅しかねん』
「…………センリ、壊しちゃ駄目だ。この魔法陣には既に死者の力が集まっている、絶対に破壊しちゃ駄目だッ! とりあえず壊そうかとか考えているかもしれないけど、絶対に駄目だッ! 我慢してッ!」
「…………」
さて、しっかりセンリへの警告もした。
どこからともなく放たれたゴーレムの矢をセンリが剣で切り落とす。随分力が入っていた。
だが……そうだな。手っ取り早い解決方法を思いついた。
まず地上に出る。遠くからセンリの『滅却』で城の地下を吹っ飛ばす。
死者の力が暴走して爆発するかもしれないが、遠くからやるので僕たちは平気。城はなくなるが【デセンド】も文句は言うまい。知らんぷりして出ていけばいい。
夜の結晶の予備が手に入らないのは惜しいが、まあ諦めよう。
『ッ…………エンド、貴様のような力押しで来る者が一番恐ろしいのだッ! 経緯はどうあれ、叡智を受け継いだ者として、誇りはないのかッ!』
僕だって冒険心くらいあるが、今は早く帰ってセンリから血を貰いたい。
近くにあるはずの夜の結晶にはたどり着けないし、お腹は痛いし背中も痛いし頭も痛いしセンリが危険だしで僕のテンションはもうぎりぎりまで低下していた。
大体、ロードはいちいち話が長いのだ。つまり、独善的である。
周りを見ていないので僕に裏切られたりルウに裏切られたりするのである。馬鹿でもわかるように説明して欲しい。
無言で思念を送ってやると、ロードはついに諦めたのか深々とため息をつく。
『エンド、これは――転生の魔法陣だ。死者の力を集め、アンデッドの呪いを無理やり変える、そういう術よ』
ようやく本質に入ったか。アンデッドを……無理やり変える?
ロードは人間の死体だった僕を呪いにより死の力で動くアンデッドに変えた。そのアンデッドを更に変えるというのは、どういう事だろうか?
現れる魔物はゴーレムばかりでアンデッドは含まれていない。
眉を顰めセンリに伝えるタイミングを測る僕に、ロードは愉快そうに鼻を鳴らして言った。
『これは……
だから言ったのだ、虚影の王は――選択を誤った、と。ロードが肩をすくめる。
だが、ロードの言っている事が理解できない。
骨人を死肉人に……変える? 何のために?
確かにセンリは以前、虚影の魔王は骨人系列のアンデッドだったと言っていた。だが、魔王と呼ばれる程に変異を重ねたアンデッドが自らを変えるような理由があるだろうか?
ロードの言葉からは、この城が立てられた目的そのものが儀式のようなニュアンスが感じられる。
確かに、不思議だとは思っていた。
虚影の魔王は終焉騎士から気配を隠す力を持っていたという。ならば、たとえ城の場所がバレて終焉騎士団に狙われたとしても逃げるのはそう難しくはないはずだ。逃げても逃げても追いかけられる僕とは違うのだ。
にもかかわらず……魔王はこの城で滅ぼされた。当時の事はわからないので終焉騎士団が強すぎた可能性もあるが、軍勢を率いる魔王が逃げることすらできないというのは考えづらい。
だが、その事に思考を割く前に、ロードが前――夜の結晶の気配がする方向を見て、信じられない事を言った。
『そして、エンド。魔法陣はまだ動いている。儀式はまだ――終わっていない。蘇るぞ――古き世界に君臨した闇の王が』
§ § §
その王は、まさしく夜そのもののような神々しい姿をしていた。
光を吸い込む漆黒の身体。骨からなる身体はしかし微塵も弱さを感じさせず、千年の時を生きた大樹に似た荘厳さを持っていた。
生命こそ欠片も感じさせなかったが、その存在には停滞した者故の『超越性』があった。
肉体を代償に力を得た魔導師。光を飲み込み停滞した時を生きる死の王。
『
虚影の魔王と呼ばれ、人魔問わず怖れられたその魔導師がしかし、実は『人』を捨てきれていなかった事を知っている者はほとんどいない。
『過ち、だった。如何に人を憎み世に飽いても、肉体を捨てるべきでは、なかった』
その言葉は酷く乾いていた。
それはきっと、人の身で神に至った故の副作用。
肉体を失い、生を失い、欲を失った。
長く付き従った右腕。その御力により生み出された
元人間の魔神の心は、生み出された
「心中、お察しします。だが、御身は限りなく夜に近い」
「この先には――何もない。呪いにより作られた憎悪はあるがその理由がわからぬ。満たされぬ。あぁ、完全な停滞に…………
膨大な魔力により生み出された死者の軍勢は全てその王の無聊を慰めるためにあった。
記憶はあっても感情がない。残されたのは力だけ。王の嘆きに、
「この身を捨て――取り戻すしかあるまい。ただの現象に成り下がる前に――」
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