第十七話:古城の戦い③

 力が漲る。アルバトスがどうしてあんな暴れっぷりを見せていたのかがよく分かる。

 この力ならば、小細工をするよりも魂の底から湧き上がるような野性に身を委ねた方が強いのだ。


 吸血鬼の弱点はそのまま残っているのでその点には気をつけねばならないが、相手も同じ吸血鬼である。用意していないだろう。

 小細工なしの勝負になった場合、恐らくセンリから『力だけなら既に並の吸血鬼を上回っている』というお墨付きを貰っている僕の方が有利だ。

 どうやら下位吸血鬼からの変異で手に入るものは異能力であり、身体能力はそこまで変わらないらしい。そりゃ一回の変異であれほど多彩な能力を得られるのだから、基礎能力まで大幅に上がったら反則だろう。


 狼人が散開し、僕を取り囲む。変身状態の視界は人間のものとは少し違うが、たとえ死角にいても居場所は匂いでわかる。

 僕と戦う際のアルバトスやライネルももしかしたら、こんな気分だったのだろうか。


 空高くに浮かぶセーブルに向かって咆哮する。今の身体能力で跳べば十分届くだろう、だが空中でまともに動く手段のない僕にとってそれは悪手だろう。


 後ろ足で大きく立ち上がり、セーブルに前足を伸ばす――と見せかけ、一番手近にいた狼人に飛びかかる。


 狼人が慌てて攻撃を受け止めようとしたが、構わずに踏み潰す。手が削られるが、ただの爪で僕に傷を残す事はできない。そして、狼人は銀の武器でしか傷つけられないが、眷属故の悲しさか、例外的に吸血鬼からの攻撃は受けてしまう。


「ッ……取り囲めッ! 四方から拘束しろッ!」


 セーブルが命令を出す。僕を舐めすぎだ。四方から一度に襲いかかられたところで、物の数ではない。

 そもそもセーブル本人は、多少鍛えられた狼人程度に、しかも殺さないように手加減までされているのに、後れを取るのだろうか?

 自分だったら、と考えれば、対策などいくらでも打てるだろうに、笑うしかない。


 狼人達は焦燥を浮かべながらも襲いかかってくる。全力で振り下ろされた豪腕を身を震わせて吹き飛ばす。

 この身体だと剣は持てないが、爪がある。そしてこちらに手加減をする理由はない。


 セーブル達の部下さえ片付けてしまえばもう終わりだ。

 邪魔が入らない状態ならば、いざという時のセンリが後ろに控えている僕には万が一にも負けはない。

 殺せば殺す程、後が楽になる。狼人を作るのは能力持ちの吸血鬼さえいればなんとかなるだろうが、受けた呪いを使いこなせるようになるには訓練が必要なはずだ。


「ッ…………クソッ!」


 不利を悟ったのか、僕の考えを読んだのか、セーブルが吐き捨てる。


 そして――血の雨が降った。


 比喩ではなく、それは血液で生み出された雨だった。勢いよく射出された血の一滴一滴が弾丸となり回避の余地もないくらい降り注ぐ。

 まだ残っていた古城の外壁が血の雨を受け崩壊する。僕に取り付いていた狼人達が弾丸を受け、激しく吹き飛ぶ。まさしくそれは、怪物の所業だった。

 広範囲を対象とした高威力の攻撃魔法は複数の魔導師が協力して時間を掛けて唱えるものだと聞いたことがある。

 そういう意味で、ほとんどタイムラグなく屈強な狼人達を消し飛ばせる攻撃を放てるセーブルは一騎当千と呼ぶに相応しい。


 だが、この形態の僕の肉体は、狼人や古城の外壁よりもだいぶ頑丈なのだ。

 血の雨が止む。僕は頭を上にあげ、わざわざ目でセーブルを見た。


「何かやったか……?」


「ぐッ……おのれ、『始祖』……」


 重い衝撃はあった。血の弾丸の幾つかは肉に食い込んだ。だが、それだけだ。

 既に傷は癒えていた。血の雨による攻撃をぎりぎり耐えきった傷だらけの極少数の狼人達が、警戒するように後ろに下がる。


 セーブルの顔色には先程よりも明らかに余裕がなかった。まだ戦意は残っているようだが、疲弊は隠せていない。


 まだほとんど戦っていないのに何故そんなに疲れているのだろうか。ふとよぎった疑問を、ゆっくり咀嚼する。

 地面に生み出された血溜まりを見る。なるほど……。


「飛ばした血は――動かせないのか」


「ッ……」


「血が足りないんだな? これは――お前の血だ」


 動かせないというよりは何か条件があると考えるべきだろう。僕だって切り離した腕の爪に『尖爪』をかける事はできない。

 そして、セーブルの顔に疲弊が見えるのはきっと体内の血のほとんどを使ってしまったからだろう。


「欠陥能力……というよりは、使い方が悪いな」


 デメリットがあるのならば身体から離さず使うべきだ。血の雨は大量の人間を殺すのには最適でも、ライネルのような怪物を殺すには威力が足りていない。

 さてはこの女――命懸けの戦いをしたことがないな。


 セーブルの目が細められ、ぎりりと噛み合わせられた口の端から鋭利な牙が見える。そこで、僕はため息をつき、呆れたように言った。


「所詮この程度か…………この分だと、『杭の王』も大した事がないな。見逃してあげる、帰っていいよ」


「ッ……あからさまな、挑発だッ!」


 自分でもあからさまだなーと思いながら言ったので、指摘されて恥ずかしくなってくる。


 だが、セーブルはその場で血の翼を解除すると、地面に降り立った。

 何故今更……? 挑発だとわかっているだろうに。


 予想外の行動に思わず思考する。その時には、変異が始まっていた。


 セーブルの細い腕が膨れ上がり、顎が大きく伸びる。僕のそれとは異なる銀色の体毛が伸び、めきめきと音を立てる。

 アルバトスはずっと黒犬の姿で僕の前に現れていた。変異を目で見るのは初めてだがこれは――少し、気味が悪いな。


 屈強な四肢が穴だらけの地面を砕く。

 セーブルが変異したのは美しい白銀の大狼だった。身の丈は三メートルを越え、唯一変わらない赤の目が僕を見上げる。


「いい、だろう。本物の、吸血鬼を、見せてやろう」


「狼と犬か…………狼の方が強そうだ」


 威嚇のための呪炎の交じった息を吐き、本音を漏らす。

 狼になった吸血鬼は戦闘力が増す、と、センリは言っていた。恐らくこの犬化の本質は索敵能力の強化にある。それだけ見たら不利なのは僕だ。


「まぁ、大きさが同じだったらの、話だけどね」


 セーブルが変身した狼は巨大だが、僕と比べたら半分の大きさしかない。

 彼女はわかっていない。小さい者より大きい者の方が強いのだ。だから、僕はずっとこれまで苦戦してきた。


 セーブルが牙をむき出しに飛びかかってくる。それを僕は、前足で思い切りぶん殴った。



§




 空気が震える。満月が輝く空の下、巨大な獣二匹が暴れている。

 その様子を遠目に観察しながら、センリは複雑そうな表情をしていた。


 エンドが変身した黒い犬は白銀の狼を圧倒していた。

 白銀の狼の方も決して弱くはないのだが、体格が違い過ぎる。吸血鬼の変身した後の大きさはその力に比例していると言われている。つまりそれは、エンド・バロンの基礎能力が既に『杭の王』の眷属を上回っている事を示している。既にその前のやり取りで相手は消耗していたとはいえ、恐らく相手はまだ全力ではないとはいえ、変わってまだ数ヶ月しか経っていないエンドがその域に達しているというのは普通ではない。


 強い。強すぎる。まだ吸血鬼の能力を持っていないので終焉騎士からすればそこまで苦戦する相手ではないが、強力な吸血鬼の異能を得れば一気に化けるだろう。

 センリはエンドの事を信用しているが、自分の血がエンドにそこまでの力を与えたとすれば――なんとも言えない気分だ。


 エンドの様子は出会ったその時からほとんど変わっていない。いや、余裕ができた分だけ、ゆるくなってすらいる。


 恐らく、これは――素だ。

 彼にはもともと戦士としての才能があった。病弱だった肉体というハンデが消え、多数の経験を経て、それが開花した。

 大きな力というのは得てして妖魔を惹きつける。一大勢力にその力がバレてしまった以上、平和に暮らすのは難しくなってくる。終焉騎士団に駆け込むのも無理だ。何があろうと、終焉騎士団は吸血鬼を許さない。


 果たして手に入れた『夜の結晶』がその吸血鬼にどれくらい平穏を与えてくれるのか、センリには全くわからなかった。


 爪がその肉体を深くえぐり、セーブルが怖気が奔るような咆哮を上げる。

 だが、エンドは油断しない。艶のある闇色の大犬は一切時間を与える事なく、吹き飛ばした狼に連続で食らいつく。


 連続攻撃で決めるつもりだ。だが、殺し切るのは無理だろう。事前準備なしであのクラスの吸血鬼を殺し切るのはたとえ終焉騎士が複数人揃っていても難しい。ましてや、相手はエンドの側に、センリがいる事を知っている。備えなしでのこのこやってくるほど馬鹿だとは思えなかった。

 仮に今の狼の肉体を全て消し飛ばしたとしても、平然と復活することだろう。経験を積んだ吸血鬼は限りなく不死に近い。


 既にアンデッド達はエンドの手によってあらかた滅ぼされていた。傭兵たちに魔の手が伸びる可能性は低い。

 ピンチになったらいつでも助けに入れるよう注意しながら、歩みを進める。


 地面には無数の骨が散らばっていた。アンデッドの多くは死霊魔術師によって生み出される。アンデッドの死骸から更にアンデッドが作られるパターンはそう多くはないが、これだけの量になると放置してはおけない。後で浄化しなければならないだろう。


 冷たい風が頬を撫でていた。蔓延したアンデッドの気配が消え去るまではもう少しかかりそうだ。


 と、そこでセンリの目が、城壁の陰で控える騎士を捉えた。漆黒の禍々しい鎧で武装した騎士だ。

 右手には明らかに強い呪いが掛けられた脈打つ剣が。そして左腕には――。


「『首なし騎士デュラハン』……」


 左腕に抱えられた干からびた首が、センリを見る。奈落を想わせる眼窩は吸血鬼とはまた別の意味で非常に不気味だ。


 デュラハンは死の象徴であるアンデッドだ。骨人の変異形であるそれは、厄介な能力こそ少ないものの、純粋な戦闘能力だけならば吸血鬼をも凌駕する。このレベルになると『解放の光ソウル・リリース』では消し飛ばせないので、場合によっては終焉騎士が殺される事もある。


 これまで襲ってきたアンデッドの傾向から考えても、間違いなく襲撃者の切り札だろう。切り離された首の黒い唇が僅かに歪む。その剣がぴたりとセンリに向けられる。

 力の代償として所有者の命を吸い取るタイプの呪われた剣は、アンデッドにとって最強の武器だ。洗練されたその動きを見て、センリは眉一つ動かさず剣を抜いた。

 

 生暖かい風が吹く。風のように静かに、風のような速度で、デュラハンが踏み込んでくる。振り下ろされた刃を、センリは聖銀の剣で緩やかに受け流す。

 正面から相手にはしない。力で大きく負けているのは刃を交えるまでもなく、わかっている。


 巨体が泳ぐ。その時には、センリの剣は、左腕を大きく弾いていた。

 抱えられた頭が宙を舞う。余計な攻撃はしない。相手が慣れる前に殺す。


 一呼吸。三撃目がヘルムで覆われた首の断面を貫く。


 それで、終わりだった。


 残された身体が痙攣し、膝をつき、地面に倒れ伏す。優れた耐久力も再生能力も、聖なる銀の剣で弱点を突かれては意味はない。


 ほぼ同時に、セーブルが一際大きな咆哮を上げた。頭を、二倍近い大きさのエンドが思い切り踏み潰す。


 吸血鬼は不死身だが、頭や心臓は人間と同様に弱点だ。踏み潰せば再生まで明らかな隙が出来る。


 そこから先のエンドの動きはセンリが見ていて恐ろしくなるくらい速やかだった。

 変異を解き、一瞬で人間の姿に戻ると、そのまま右手の五指の爪を伸ばし、倒れ伏した銀狼の胸部を一瞬の逡巡もなく貫く。


 銀狼が痙攣する。吸血鬼の力の象徴――心臓を抜くつもりだ。心臓を抜けば再生能力は格段に落ち、能力にも制限がかかる。


 だが、そこでエンドの表情が変わった。

 明らかな焦りを浮かべ、手を一度抜き、少しずれた場所に突き刺す。何度か確認し、愕然と呟く。


「馬鹿な……ありえない」


 そこで、センリはエンドの前に進んだ。散々エンドに殴られたセーブルの気配は消え去る寸前だ。

 不死身の吸血鬼とは思えない程の脆さだ。エンドがセンリにすがるような目で言う。


「センリ……心臓が……ない。ないんだッ!」


「…………そういう手もある。心臓を、隠している」


 心臓のみを摘出して棺桶に保管しているのだ。力は大幅に下がるが、いざという時に死なずに済む。

 セーブルの潰れた頭がゆっくり回復していく。心臓がないので、もう力が底をついているのだろう。


 再生した目がエンドとセンリを見て、憎々しげな声で言う。


「まさ、か、ここまで、強くなっているとは……見くびって、いた」


「心臓を隠すなんて卑怯だッ! アンデッドや死霊魔術師ネクロマンサーには卑怯者しかいないのかッ!」


「何故、それほどの、力を、持ちつつ、敵である『終焉騎士』に迎合するのか……」


 本気で口惜しそうな言葉。蝙蝠に変化して逃げる力ももうないのだろう。ここまで消耗させたのは間違いなくエンドの力だった。

 もしも変身して逃げる力を残していたとしても――センリが絶対に逃したりはしないが。


「『始祖アンセスター』、手口は、見た。次は、油断しない。次は、頭だけ、連れて行くぞ」


「や……やめて、くれ。僕の負けだ、もう放っておいてくれッ! 僕は平和に過ごしたいだけなんだッ!」


 エンドは今にも泣きそうな顔でそういうと、その場で崩れ落ちる。

 セーブルの口元に僅かに笑みが浮かぶ。その瞬間、エンドは牙を伸ばし、銀狼の首元に突き立てた。

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