第十六話:古城の戦い②

 観察は僕を強くする。杭の王の勢力はとても手に負えないくらい巨大だ。だが、セーブルはたった一人だ。

 僕も人の事は言えないが、力が強すぎるせいか、吸血鬼は油断がすぎる。人間に狩られる事があるのも当然である。


 月明かりのみが照らす闇の中、僕の目には周囲の状況が鮮明に見えた。


 セーブルが剣を片手に前に出てくる。気配を隠すには集中力がいるのか、完全に消えていた気配が僅かに戻っていた。

 剣のリーチはそこまで長くないが、元は血なのだ。間合いなどあってないようなものだろう。


 「楽しませて貰おう、『始祖』の、『死者の王』の力を!」


 その瞳が蹂躙の愉悦に細められている。得体の知れない寒気が足元から全身を駆け巡る。


 既に吸血鬼との戦い方は知っていた。僕がこれまでも強敵にやられて嫌だった事をやれば良いのだ。セーブルには油断がある。


 一歩後退る。セーブルが僕の動きを見て、薄い笑みを浮かべ、まるで見せつけるように前に出る。


 その瞬間、僕は全力で踏み込んだ。


 血の剣? 警戒? 間合いを測る? くだらない。僕は人間ではない。


 僕は学んだ。

 吸血鬼を倒し得るのは――それを超える力だ。


 どうせ血の楔はそう簡単に使えるものではないのだろう。そこまで条件が緩いのならば、ライネルに苦戦するわけがない。


「!?」


 弱点をつけないのならば、相手が格上ならば、全力を出させる前に制圧する。


 セーブルの目が驚愕に歪む。血の剣が弾け、矢になってこちらに放たれる。

 数本の矢が僕の身体を貫く。鈍い痛みと衝撃が身体を揺らす。だが、全て覚悟していた。僕の脳裏に巡った思考はたった一つだ。



 ――また一張羅がぼろぼろになってしまったな。



 僕はそのまま鉈を振るい、セーブルの右腕を肩から切り落とした。


 セーブルの端正な顔が一瞬歪む。だが、反撃の機会は与えない。

 吸血鬼の再生能力は高いが力を使うし、腕程の大きさの物を直すには時間がかかる。


 油断はしない。今までやられて嫌だった事を、全てやってやる。


 切り落とした肩から流れた血が蠢き、一瞬で盾を成す。

 なるほど、厄介な能力だ。変幻自在だ。成形速度も早い。肉体の一部を変形するのは『尖爪』や『鋭牙』と変わらないが、自由度が違う。


 と、そこで僕は気づいた。まるで天啓を得たような気分だった。

 特に有利になるわけではない。だが、格上との戦闘の中にあって、しかしとても気分がいい。未知への探究心は僕が生前全く満たせなかったものだ。


「そうか……わかるぞ。杭の王の力は――『尖爪』と『鋭牙』の発展型だ」


「!?」


 僕の『吸呪カース・スティール』が『吸血』に手を加えたもののように、杭の王を作った死霊魔術師ネクロマンサーはきっと『尖爪』と『鋭牙』に手を加え『血の呪いブラッド・ペイン』を生み出したのだ。


 慧眼である。吸血は吸血鬼ならば誰でも使えるが、『尖爪』や『鋭牙』は厳密に言えば屍鬼の能力なので、眷属化の力で直接吸血鬼になった者には使えない。

 杭の王が一大勢力になったのも、眷属に引き継がれる力がとても使い勝手が良いものだったからなのだろう。



 『光喰らい』を叩きつけ、血の盾を割る。吸血鬼の膂力で放たれた一撃に対して、血の盾は刹那の瞬間しか保たなかった。


 だが、それだけで十分だったのだろう。指を伸ばせば触れる程の距離にいたはずのセーブルが文字通り『霧散』する。


 『霧化』の能力だ。警戒はしていた。だが、どうしようもなかった。僕の持つ力に霧化に対応できる力はない。



「ッ……見くびっていた、『始祖』ッ! まさか、躊躇いなく向かってくるとはッ……」



 数メートル離れた位置に、セーブルが現れる。

 闇に溶ける黒の衣装。肩口から切り落とされた右腕は、目に見えてわかる速度で再生を始めていた。

 血のような赤の瞳孔が開いていた。強い殺意に身体が震える。


「実は――僕の力は案外大した事はないよ」


 なるほど、霧になっている間は再生できないんだな。そして、霧に変化できる時間は長くない。

 恐らく、大きな力を使うのだろう。気配を隠す『潜影』でも無視できない力を使うのだ、道理である。とても、勉強になるな。


 地面を強く蹴り、まっすぐセーブルに突進をかける。女吸血鬼の目が細められる。


「ッ……何度も同じ手が効くと、思うな……ッ!」


 流れた血が渦巻き、一瞬で巨大な三角錐――血の大槍を生み出した。

 全力の吸血鬼の脚力に間に合わせるとは、何たる練度。だが、僕も考えなしに突進したわけではない。


 左腕の変形は既に完了していた。間に合ったのは練度が高いわけではなく、踏み込むと同時に能力を使っていたためである。

 使った力は『尖爪』。ただし、血の力を注ぎ込み過剰に変形させている。セーブルの表情が歪む。


「ッ!?」


 『人食い』との戦いの時は腕全体を刃にした。だが、今回生み出したのは――表面がなだらかな流線を描く、『骨の盾』だ。


 血を剣にするほどではないが、この力を発展して『血の呪い』を生み出したのならば、似たような事ができないわけがない。

 どうやら『尖爪』と『鋭牙』は厳密には、爪や牙を変形させる能力ではなく――骨を変形させる能力だったようだな。


 白い盾と真紅の槍がぶつかり合う。骨の盾と血の槍、どちらが強いのかは知らない。だが、盾を生み出したのは受け止めるためではない。

 槍先が表面を滑り、後ろに流れる。セーブルが残った左腕をとっさに持ち上げる。僕はそれに容赦なく鉈を叩きつけた。

 骨の、肉の潰れる感触が伝わってくる。そのまま連続で鉈を振るうが、さすがに頭の守りは硬い。


「最高のッ! 気分だッ! 多分、ライネルも満足しているはずだ」


 僕は助かったので結果的にセーブルの横槍は追い風になったのだが、それは別として強敵の仇討ちをするのもなかなか趣深いだろう。

 セーブルが消える。また霧化か。本当に厄介な力だ。


 黒い霧が高速で動く。夜闇の中黒い霧を見分けるのは難しいだろう。



 ――人間ならば、だが。



「!?」



 躊躇いなく黒い霧を追い、地面を蹴った。

 押している。セーブルに余裕を与えてはならない。霧化は強力な能力だが、いくら強力な能力でも弱点はある。

 霧が壁を登る。壁を駆け上がり、それを追うと同時に、僕は自分の、まだ珍しく残っている一張羅に向かって息を吹きかけた。


 黒い火の粉が燃え移り、一瞬で全身を覆い尽くす。鈍い痛みと熱が全身を苛む。

 油断はしない。霧を火で焼き尽くせるかは不明だ。だが、たとえ杭の王への宣戦布告になったとしても、セーブルはここで仕留める。血の力がまだ残っている今、肉体が燃え尽きてしまう心配はまずない。


「ははは、どうやったら、服がなくならないのか、教えてくれよッ!」


「ッ……正気か……? 『始祖アンセスター』」


 黒炎を纏った左腕を伸ばす。炎が霧に触れるが、通じているのかどうかはわからない。

 だが、霧には通じなくても、奴の操る血を蒸発させる事くらいはできるだろう。悪くない戦法である。服がなくならなければ更に完璧だったが。


 黒霧が天に昇る。さすがの僕でも空までは追えない。跳んでもいいが無謀だろう。

 空で霧が集まる。月を背に、ぼろぼろのセーブルが形作られる。


 吸血鬼には蝙蝠に変化する能力がある。だが……もしや、落ちてこないだろうか。


 淡い期待を抱き見上げる僕に、セーブルが言った。


「はぁ、はぁ、驚いた、どうやら貴方は――私の想定よりもだいぶ、戦いに慣れているようだ」


 セーブルは落ちてこなかった。その背には二対の真紅の翼が生え、宙にピタリと止まっている。

 苦労して与えた傷がじわじわと癒えていく。


 蝙蝠の力の応用ではない。背に生えているのは血の翼だ。


 冷静に考えてみると、血が自由に動くなど魔法そのものだ。僕は骨の形を変えているだけだが、セーブルの呪いは完全に『液体の操作』の域に達している。

 翼は動いていなかった。鳥のように飛んでいるのではなく、翼を空中に固定して浮いているのだろう。


「卑怯者だ、下りてこいッ! 吸血鬼の誇りはないのかッ!」


「なんとでも言え。私はもう――油断しない」


 僕は目を見開き、青ざめているセーブルを見上げた。


 だが、僕の抱いていた感情は怒りではなかった。



 ――欲しい。あの能力が、欲しい。


 『血の呪いブラッド・ペイン』があれば、空を飛べる。

 空を飛んで逃げる卑怯なセンリを掴まえられるし――それ以外にも、使い道はありそうだ。

 セーブルは油断しないと言ったが、僕はまだ彼女に『吸呪カース・スティール』を見せていない。


 知らないものは――対策できない。


 そこで、完全に傷を癒やしたセーブルが深々とため息をついた。


「押された状態で退くのも癪だが……残念ながら、私は主の命令で来ているのでね」



 ふと、獣の遠吠えが聞こえた。それも一つや二つではない。

 今更、周囲に生き物の気配が幾つもある事に気づく。先程までは確かになかったはずなので、セーブルが何らかの方法で呼んだのだろう。


 足音一つ立てず、巨大な影が幾つも現れた。見上げるような巨躯。発達した四肢。鋭い鉤爪に金色の瞳。

 嗅いだ事のある匂い――強い獣臭。狼人ウェア・ウルフだ。


 数は十。剣などの武器は持っていないが、その爪の鋭さは既に経験している。

 粘つくような殺意に、身を震わせた。狼人達は僕の姿を見せても身じろぎ一つしない。かつて姿を現しただけで降伏したオリヴァーとは違うようだ。


 眉を顰める。新たな生を手に入れてからしばらく経つが、弱者に群れられる事や格上に圧倒される事はあっても、格上に群れられる経験は初めてである。

 警戒する僕に、セーブルが宥めるような声で言った。


「大人しくしてくれ、エンド。悪いようにはしない。貴方は強い。貴方がいればきっと死者の国を作れる」


 死者の国、か。一体彼らが何を望んでいるのかは知らない。興味もない。

 だが……やはり、セーブル達の陣営は性に合わないな。


 僕は力を操作し、盾に変えていた左腕を戻した。呪炎を消し、握っていた光喰らいを地面に落とす。


 セーブルの目が一瞬緩む。格上の吸血鬼に制空権を取られ、周囲は精鋭の狼人達に囲まれる。絶体絶命と言ってもいい。


 そして、僕は遠慮なく力を注ぎ込んだ。


「これまで戦ってきた強敵達に倣うとしよう。今の僕は――アルバトスやライネルよりも強いよ、きっとね」


 何しろ、今日は満月で――僕は、昨日センリから愛情たっぷりの血を貰ったばかりだ。


 身体が引きちぎれるような膨大な力を感じる。外からの力ではない。内側からの力だ。


 肌が裂け、中から黒い針のような体毛が飛び出す。骨が音を立てて軋み、骨格が変わり筋肉が膨張する。視界がみるみる上がる。

 今ならば腕を伸ばせば空に浮くセーブルに届くかもしれない。だが、残念ながら今の僕では物を掴めない。


 身体が熱い。頭の中が燃えるようだ。力が湧いてくる。血の力を必要以上に注ぎ込んだかいがあった。


 先程まで僕より二回りは大きかった狼人がまるで子どものようだ。今の僕はライネル戦で変身した時よりも更に大きいだろう。


 聞こえる。臭う。恐怖の気配だ。僕がこれまで戦ってきた者達にはなかったものだ。狼人達が動揺している。


 やはり大きい事はいい事だ。前足の一振りで気に入らない奴らを潰せる。


 僕が犬に変化できることは既に知っているはずなのに、セーブルの顔が歪む。



「この力……貴方の、能力は――」


「ここだけの話だけど――火を吹く犬になる事だよ」


 目を細め答えると、僕は全身全霊を込め、咆哮をあげた。

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