第十五話:古城の戦い

 ラザルさん達とアンデッド狩りをしていた時にも思ったのだが、今回死者たちを送ってきている者はどうやら骨人に傾倒しているらしい。後半は悪霊レイスも現れたが、明らかに数が違う。

 だが、そのどれもが今の僕にとって大した障害にはならない。悪霊だけは初めて戦うので(もちろん、ロードの亡霊を除いてだが、あれは例外としていいだろう)少しだけ不安だったが、僕だって彼らについて学んでいる。


 悪霊種の持つ様々な能力は生き物を対象にするものだ。すでに死んでいる僕には通じない。

 生物を恐慌させるという悍ましい叫びを受けても、僕の精神には波風程の乱れも発生しない。そして、ロードの遺産は幽霊を実体さながらに切り裂く事ができる。


 巨骨人ヒュージ・スケルトンの大ぶりの攻撃を回避し、滑らかな腕の骨の上を駆け上がる。

 馬鹿げた運動能力にもすでに慣れていた。相手の力は強いが、その大きさ故に小回りが利かない。その巨躯は多数の兵を蹴散らすのには向いていても、僕から見ればいい的だ。


 大きく体を回転させ、全力で鉈を振る。腕の肉がみしりと軋み、漆黒の刃が鈍い感触を伝えてくる。


 ――硬い。


 人間の骨より頑丈なのか、首元に振り下ろした刃は半ばで止まっていた。

 巨人の骨人が大きく体を震わせ、僕を振り落とそうとしてくる。


 だが、無駄な抵抗だ。『尖爪』を使い爪を尖らせ、骨の体に突き刺し、耐える。すでに呼吸をするかのように力を使える。


 そして、一度で断ち切れないのならば何度も斬りつければいいだけだ。


 力づくで鉈を引き抜き、鉈を振りかぶる。

 狙いを定めて放った刃はしっかりと巨骨人ヒュージ・スケルトンの首元――先程の半分程穿った場所に命中した。


 鈍い音が響き渡り、甲に包まれた巨大な頭蓋骨が宙を舞う。


 肩から飛び降りると同時に、そびえるような巨体が崩れ落ちる。骨と言ってもあれほどの大きさになると相応の重量があるのか、地面が激しく揺れる。


 どうやら骨人の核は頭にあるらしい。

 どうせ脳みそもないのに動いているのだから、核は体側にあったっていいと思うのだが、僕も体だけで動く事は多分できないのでそういうものなのだろう。


 あれほど大量にいた骨人達はだいぶ数を減らしていた。虚栄の魔王の城の跡地には無数の骨人の残骸が転がっている。

 僕も数え切れないくらい葬ったが、そのほとんどは巨骨人の大雑把な攻撃に巻き込まれたものだ。


 もう大物は大体倒しただろうか。

 油断なく周囲に注意を向けながら、僕は小さくため息をつき、高揚する精神を落ち着かせた。 



 ――この程度か。



 一般的な死霊魔術師がどのくらいの力を持っているのか気になっていたが、ロードはやはりかなり高位の術者だったのだろう。

 今回は相手に油断があった。僕の正体を知らなかった。だが、死霊魔術師の平均がこの程度ならば――何の問題もない。


 勝てる。こちらから攻撃をしかけられる。知識を、技術を、力を奪い取れる。センリも死霊魔術師を倒す分には、止める事もあるまい。


 僕はそこまで馬鹿げた妄想をした所で、眉を顰めた。






「…………潮時だな」




 長居をしすぎた。アンデッド達の中に、術者の姿はなかった。死霊魔術師は慎重だ、きっとこの戦闘も見られている事だろう。

 対策を立てられる前に、死霊魔術師の本体がやってくる前に、街を離れるべきだ。


 そしてまた、センリと一緒に旅をしよう。今回は『夜の結晶』がある。これまでほど、追手の心配はない。ちゃんとニンニクが余り出ない街にでも行って隠れ住むのだ。



 良からぬ考えを抱いてしまう程、最近はうまくいっていた。だが、自分が狩られる側だという事は忘れてはいけない。



『夜の結晶』はアンデッドにとって魅力的だ。いくら予備があってもいい。だが、いくらなんでも、死霊魔術師が全力で襲ってくるとなると、リスクが高すぎる。今回は運が良かったと思うべきだ。


 問題はセンリだ。死霊魔術師がいる事がわかっている状態で、果たして彼女は街を離れる選択を受け入れてくれるだろうか?

 センリは僕の味方をしてくれているが、未だその本質が終焉騎士である事は間違いない。もしも彼女が残る事を選択したのならば――僕も戦わねばならない。


 そんな事を考えながら無心に鉈を振るっていると、いつの間にか周囲に動くものはいなくなっていた。


 ばらばらになった骨と武具がちらばる夜の城跡はまるで地獄のような光景だ。

 アンデッドの死骸は終焉騎士が浄化でもしない限り、基本的にその場に残る。ラザルさん達の話では、アンデッドの死骸は街が弔うらしい。明日この光景を見たら、街の人たちはさぞ驚く事だろう。


 もう今夜の襲撃はないだろう。質はともかくとして、あれほどの大群を放出した上、変異に時間がかかったり特別な材料が必要だったりで代えの効かない『黒き骨』や『巨骨人』まで出してきたのだ。さすがにこれが小手調べだとは思いたくはない。


 センリのところに戻ろう。

 踵を返そうとしたその時、ふと聞き覚えのある声が降ってきた。




「さすがです、『始祖アンセスター』」




 目を見開き、反射的に鉈を構える。周囲を探る。

 僕にはアンデッドの放つ負のエネルギーが感じ取れる。たとえそれがなかったとしても、匂いでアンデッドを嗅ぎ分ける事もできる。

 だが、その気配だけは何故だろうか、捉えられない。先程戦ったばかりでアンデッドの気配が充満しているのもあるが、紛れているわけではない。



 前回も、そうだった。いきなり現れたのだ。



 冷たい声は僕を称賛していたが、全く嬉しくなかった。最悪のタイミングだ。



「確かに我らに疲労はないが、ここまで美しく破壊するなんて――まだ下位レッサーだとは思えない」


「隠れて覗き見か。趣味が悪い」


 セーブル。吸血鬼の魔王、『杭の王』の眷属。僕を支配しようとして、センリに焼かれたはずの吸血鬼。



 やはり……生きていたか。僕が言うのもなんなんだが、アンデッドのしぶとさは尋常ではない。



 道中、センリから情報は聞いていた。


 『杭の王』は終焉騎士団の宿敵らしい。無数の闇の軍勢や数多の元魔王を傘下にいれた、この世界で最も恐ろしい魔王の一人だ。

 終焉騎士団という絶対的な英雄が存在する現在もまだ勢力を保っている事からもその魔王の力はわかるだろう。センリ曰く、終焉騎士団とその王との闘いは長く、そして未だ決着がついていないらしい。


 終焉騎士の力は死者では抗えないものだ。強力な吸血鬼でも正面から戦えば相手にならないはずだが、勝負が決まらない理由もなんとなくわかる。


 終焉騎士団は生きている軍勢に弱い。三級騎士、デル・ゴードンが魔王ライネルに捕らえられていたように、極端な話、あれクラスの魔物を数揃える事ができれば、終焉騎士団とも戦えるという事になる。


 一瞬で様々な思考が脳裏を過る。


 セーブルは強い。まず僕とは変異回数が違う。僕ではまだ使えない吸血鬼の特殊能力も使用できるし、恐らく戦闘経験も豊富だ。

 センリが撃ち漏らした。僕が殺しきれる可能性はかなり低いだろう。正真正銘の格上である。


 心臓がどくりと強く鳴る。冷たい熱が全身を駆け巡る。



 だが、セーブルは敵だ。僕に血を仕込み支配しようとした。気は進まないが、始末しなくてはならない。

 どうやって追ってきたのか、何故今なのかはわからないが、厄介過ぎる。ライネルの時といい、横槍を入れないと気がすまない性格なのだろうか。



 警戒すべきは吸血鬼の能力ではない。この気配隠しだ。

 セーブルは杭の王に変えられた吸血鬼だ、『始祖』ではない。つまり、『屍鬼』や『闇の徘徊者』の能力は持たないはずで――『潜影』とは別の力で身を隠しているのだろう。


 幸いなことに、僕の武器は特別製である。アンデッドを殺すための武器ならば、吸血鬼を殺せぬわけがない。勝機はある。


 慎重に問いかける。



「どうしてここにいる? 夜の結晶でも探しに来たか?」



 僕の問いに対して返ってきたのは含み笑いのような声だった。

 どこからともなく吸血鬼の目でも見通せない闇の霧が集まり、形を成す。


 闇を思わせる漆黒のコートに、陶器のような生気のない白い肌。僕と同じ血のように赤い眼に、冷たい、しかしどこか傲岸不遜な笑み。

 女吸血鬼の姿はかつて遭遇した時と何一つ変わらなかった。死に際にライネルが放った一撃の傷も、センリの『滅却』の跡も、何一つ残っていない。



 目の前にいるはずなのに、未だ気配は一切なかった。匂いもしない。だが、幻ではない。

 ただの吸血鬼が有する能力ではないはずだ。魔法でもない。夜の結晶は匂いまでは消せないので、結晶の力でもない。



 セーブルが腕を差し伸べてくる。姿は僕と変わらないのに、何故だろうか、同じ人間だとは思えない。




「怖れる事はない。今日は――スカウトに来たんだ。我が主が貴方に――興味を示している。是非、同行を願いたい」


「……悪いけど、僕にはもう妻がいるんだ。お誘いはありがたいが、一緒には行けない」



 センリは果たして目の前の吸血鬼の気配を察知できるのか?

 ……難しいだろう。センリがアンデッド察知に使うのは漏れ出る負のオーラで、僕が察知しているものと同じものだ。


 夜の結晶以外にも隠す方法があるのか? 残念ながらここで聞いても教えてはくれないだろう。



 だが、それ以上に気になる事があった。



 凝視する僕に対して、セーブルはまるで説得するかのように続ける。


「できれば、我が軍に、幹部待遇で迎え入れたいと、主は仰られている。私と同格だ、大抵の望みは叶う。人間の女が欲しいのならば、いくらでも手に入る。それに――力も。貴方は強いがまだ未熟だ、吸血鬼の力の使い方を知らない」


 なかなかの好条件ではあるが、話にならない。

 僕は大好きなセンリと離れるつもりはないし、さすがのセンリでも杭の王の元に行こうとする僕についてきてくれたりはしないだろう。

 センリが杭の王と敵対している限り、僕もセーブル達の敵だ。惚れた弱みという奴だ。それに、人間社会に未練もある。




「嫌だと言ったら?」



「致し方ないな」



 セーブルが薄い笑みを浮かべたまま、肩を竦めて見せた。だが、諦めるつもりはなさそうだ。


 全く、これだから魔物は……『人食い』といい、ライネルといい、アルバトスといい、誰も彼もわがままで困る。

 いつも僕のわがままを聞いてくれるセンリの爪の垢を煎じて飲むべきだ。



 だが、それはともかくとして――僕は不思議で仕方がなかった事を尋ねた。



「ところで、どうして姿を現したの?」


「何だって……?」



 セーブルが訝しげな表情をする。



「正直に言おう。どういう理屈か知らないけど、僕にはお前の気配が読めない。奇襲をかけられたら回避できる可能性はまあ余り高くはないだろう。何故堂々と姿を現した?」



 僕ならば絶対にそんな危険な事をしない。そもそも、前回別れた時の状況を考えれば交渉など成功するわけがないのだ。


 いや、わかる。聞くまでもなく、理屈はわかっている。

 わかっているし、それはそれで好都合な事なのだが……こうもあけすけにこられると感情が納得してくれない。



「交渉の失敗は目に見えていた。それでも連れて行こうというのなら、力づくで連れて行くしかない。ライネルへの攻撃を見るに、奇襲が嫌いなわけではないんだろ? どうして正々堂々、目の前に現れた?」


「……貴方の意志はわかった。戯言は後でいくらでも聞くよ。悪いけど、主を余り長く待たせるわけにはいかない」



 セーブルが面倒くさそうに言うと、指を差し向ける。傷一つない白い指先。右手人差し指の爪の隙間から、血の糸がゆっくりと伸びると、宙を揺蕩うように舞う。


 『杭の王』の特殊能力だ。既に見ていたので驚きは無い。繊細だが束ねればライネルを拘束するほどの強度を誇る、恐ろしい力だ。変幻自在で回避も難しい。


 僕は鉈を強く握りしめると、左手でサングラスを外しポケットにしまった。目を細め、はっきりと言う。








「わかってるよ、セーブル。何も言わなくても、わかっている。お前、僕を押さえつけるなんて簡単だと思っているんだ。敵だと思っていない」


 だから、正面から現れた。だから、前回ライネルの城であんな事があったのに穏便に話しかけてきた。制圧を前提に置いているにも拘らず、だ。


 言葉にしてしまえばなんてことない事だ。それを自信の表れと取るか、舐めていると取るかは人にもよるだろう。

 だが、何故だろうか。少しだけ――モヤモヤする。


 これまで僕が戦ってきた相手は強さに差はあれど、皆、僕を敵として見ていた。圧倒的な格上だったライネルでさえ、ここまでこちらを軽視してはいなかった。驚きである。


 確かに、セーブルは格上だ。僕と同じ特性を持ち、しかし何もかもで勝っているはずだ。


 だが、僕が一部とはいえ死霊魔術を使える事も、ライネルとぎりぎりで引き分けた事も、そして今回の戦いも観察していたであろうはずなのに――。



 力を、尊厳を認めない相手に付き合うなど……あり得ない。



 セーブルが眉を顰め、宥めるように言う。


「逃げられはしない。私を貴方が倒した骨人と一緒にしてもらっては困る」


 僕はもう何も言わなかった。


 確かに、あの時は時間稼ぎしかできなかった。情けない事に、センリに助けて貰う事しかできなかった。

 あの時の僕は死にかけだったが、今は違う。


 今の僕は無傷だ。血の力も十分にあり、疲労もない。加えてそもそも、今の僕はあの時の僕よりも強い。

 僕の魂は落ち続けている。センリの血もわけてもらっている。


 格上との戦いはいつものことだ。僕を支配しようとしてきた相手は一人残らず叩きのめしてきた。


 相手が同じ吸血鬼だからだろうか? これが同族嫌悪という奴だろうか?

 自分でも驚くほどの闘志が沸いてくるのを感じる。不思議と、牙が疼いてたまらない。


 いや――違うな。


 僕はそこで一端、冷静に戻った。

 大きく深呼吸をして、唇を舐める。


 

 





 これはきっと――ロードの遺志だ。




「最近、運動不足だったんだ。名高い『杭の王』の眷属の力を見せて貰おう、先輩」


 わかる。理解できる。今、理解できた。それはまさしく腑に落ちるという表現にピッタリの感覚だった。


 ロードはきっと、吸血鬼を殺すつもりだった。


 ホロス・カーメンが『吸呪』の能力を与えた理由は、血を奪おうとした相手は――吸血鬼だ。間違いない。

 僕の身体には、魂には、ロードの執念が宿っている。


 ロードの妄執に付き合うつもりはない。だが、降りかかる火の粉は払わねばならない。


 どうせ逃げられはしない。血を自在に操れる吸血鬼を前に背を向けるのは自殺行為だ。


 今回は目的が一致している。吸血鬼の力とやらをちゃんと見てみたかったというのも別に嘘ではない。



 勝機はある。



「お前をふん縛って連れていけば、きっとセンリも褒めてくれる」


「終焉騎士に入れ込むとは、余りにも愚かだよ」


 糸のようだった血が集まり、一振りの紅の剣を成した。

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