第十八話:悲しき結末

 そして、セーブル・ブラッドペインは己の棺桶の中で再生した。

 重い蓋を再生したばかりの片手で持ち上げ、ゆっくりと身を起こす。

 青白い肌が闇の中、露わになる。傷一つない肌は陶器のようで、バランスの取れた肢体と容貌は一種この世のものとは思えないくらいに端正だった。

 だが、その顔からは血の気が引き、見開かれた双眸は赤く充血していた。胸を押さえ、荒々しい声で怒鳴りつける。


「クソッ、なんだ、あの王は――ッ!」


「セーブル様、何事ですか!?」


「黙れッ! あぁ、部隊は全滅だッ!」


 慌てて寄ってきた眷属の吸血鬼を振り払う。吸血鬼の力の源たる心臓がどくんと強く鼓動し、血の力を生み出す。


 その身体から染み出した血液が糸となり、漆黒の衣となり白い裸身を包み込む。立ち上がろうとして、セーブルは貧血のように大きくよろめいた。目を限界まで見開く。


「ありえない。あれで……下位だと!?」


 信じられなかった。確かに、あの時のセーブルは万全ではなかった。だが、決して手を抜いたわけではない。

 今のセーブルの本体の力は見る影もなく弱っていた。心臓以外の全てを失ったのだから当然だ。力が回復するまではしばらく時間がかかるだろう。


 確かにセーブルは念には念を入れて力の源を抜き取ったが、血の力の源泉が抜かれていたのでその使用には大きな制限がかかっていたが、それだけだ。それ以外、あの身体は間違いなくセーブル本人だった。


 魔王ライネルとの戦いを観察した限り、十分以上の戦力だったはずだ。狼人の部隊も連れていた。

 だが、負けた。圧倒的な力だった。セーブルが見誤っていたのはその成長力だ。


 明らかにライネルと戦っていた時よりも強かった。あの『死者の王』は急速に成長している。


 にわかに信じがたい話だ。本来『死者の王』とは、自らをアンデッドに変えるくらいに熟達した死霊魔術師がなるものである。

 当然アンデッドについては知り尽くしているはずで――慣れはあってもあそこまで急激に変わるというのは考えにくい。


 そして、一番警戒すべきなのは――セーブルが死んだ瞬間だ。

 まだ力が残っていたはずの、強力な再生能力を持っていたはずの分身が、一瞬で消えた。


 何をされたのか確認することすらできなかった。仮に頭を潰されてもああはならない。

 自分の身体に残っていたはずの力が一瞬で抜けていった。その感触を、セーブルはしばらく忘れられないだろう。


 分身が最後に聞いた『始祖アンセスター』の声は命乞いだった。その直後に消滅させられた。完全に馬鹿にしている。

 力任せに石造りの壁を殴りつける。分厚い壁が深く陥没するが、気分は全く良くならない。


 深く椅子に腰を下ろし、頭をかきむしる。

 必要なのは冷静さだ。既にセーブルは二度失敗している。次は失敗するわけにはいかない。


「狼人はいい。貴重ではあるが、あれは、まだ、代えがきく」


 青ざめた表情で控える己の眷属を睨みつける。己が吸血により生み出した眷属――ブラッドペインの力を受け継ぐそれなりに強力な吸血鬼だ。

 だが、駄目だ。連れて行っても役に立たない。それなり程度では話にならない。吸血鬼は狼人よりも遥かに強いが、相手に終焉騎士がいる場合はその限りではない。


 思考を繰り返すことで平静を保つ。あの瞬間、確かに感じとった死を忘却する。


「そうだ。問題は、『始祖』じゃない。あの男を未だ人間側に留めているのはあの終焉騎士だ」


 力ずくで襲撃し楔を打ち込むのは困難だ。できたとしても、こちらにもかなりの被害が出る。


 そもそも、もともと吸血鬼は闇に生きる者。今の状態は歪だ。

 終焉騎士と吸血鬼が共にいるなんて、他の吸血鬼に教えたら一笑に付されるだろう。あの『始祖』は少なくとも吸血鬼を忌避してはいなかった。何かきっかけがあれば状況はこちらに転がる。


 と、そこである事に気づき、セーブルは深い笑みを浮かべた。


「一人、たった一人か…………ふん……そうだな――」


 終焉騎士は基本的にチームを組んで動く。だが、あの銀髪の終焉騎士は前回も今回もたった一人だった。

 そもそも、吸血鬼が終焉騎士と共にいる事を許容するというのも稀有な話だが、終焉騎士が吸血鬼を即座に滅ぼさないというのは終焉騎士団の方針を考えれば更にありえない。攫って拷問して、弱点を探るなどならまだ理解できるが、あの始祖は一切拘束を受けていなかった。



 間違いない。あの終焉騎士の独断だ。ならば……取れる手もある。




§ § §




 そして、僕はクローゼットの中でお腹を押さえていた。


 止まらない凄まじい腹痛と吐き気は生前も含めて今まで味わったことがない類のものだ。僕は初めて、下位吸血鬼も限界になったら汗をかける事を知った。

 もう限界だ。だが、トイレにいっても無駄である。何故ならば吸血鬼はトイレなんていかない。食べ物は全部消化してしまうからである。だからこの腹痛は変なものを食べたとかそういう理由ではない。


「おなかいたい……」


「変なもの吸うから」


 センリの声も心なしか呆れていた。


 おのれセーブル、身体の中でも僕を苛むか。恐るべき相手だ。


 血を吸われたセーブルの変化は顕著だった。一瞬で塵になって消えたのだ。どうやら吸血鬼は呪いを吸われると消滅してしまうらしい。きっと存在が呪いそのものだからだろう。


 嚥下したその血はなかなかの味だったがとにかく濃厚で、後を引いた。僕のお腹に異変が発生したのは血を吸った直後だった。

 腕が千切れたり全身燃やされたり、首だけになったり、復活してから色々な目に遭ったが、そのどれよりも酷い痛みだった。身体の外側と内側がひっくり返りそうだ。吐こうとしたが吐けないし、トイレに行っても何も出なかった。腹をかっさばいてみたのだがそれも意味はなかった。もうどうしようもない。


「センリ、助けて……」


「吸血鬼の医者なんて知らない……」


 もう外は日が昇っているだろう。だが、痛みは全く引く気配がなかった。

 センリがずっとクローゼットの外から話し相手になってくれていることだけが僕の救いだ。


「僕が死んだら……お墓に毎日血を撒いて」


「……多分、大丈夫、貴方の力、全然減ってないから」


 センリが優しくない。どうやら僕の力は減っていないらしい。つまり、痛いだけで死なないという事だろう。

 それは、この腹が反乱を起こしているような苦しみは永遠に続くという事だ。




 ………………死ぬよりはマシか。



『ふむ……まさか、そんな事になるとはな』


 クローゼットの中。久しぶりに出てきた骸骨のロードが興味深げに言っている。僕はぶん殴りたくなった。だが、ぶん殴ろうとしても結局透けるのだ。ロードの姿はセンリにすら見えない、ただの幻である。


 こいついつもそれっぽく出てくるけど助けてくれないよね。なんなの?


『仕方あるまい。失敗はつきものだ。試すわけにもいかん。一度それで失敗した』


「セーブルの、血が、原因、なのか?」


『下位吸血鬼より吸血鬼の方が呪いが強いからな』


 先に言えよ。完全に吸い損である。おまけに、結局セーブルの力も手に入っていない。

 おのれ、セーブル。己の血を吸わせることで僕を無力化する高度な戦術だったのか。まさか僕自身も気づいていない弱点を突くとは、杭の王の眷属の力を見誤っていた。


『まぁ、貴様ならば死ぬことはあるまい。死ぬならもっと早く死ぬ。腹が痛くなるだけで済んで良かったと思え』


 こいつ、他人事だと思って……これ、いつか治るの?


『知らん』


 ロードの幻影が消える。言いたい事だけ言いやがって。

 だが、これはまずい。この街を出るつもりだったのに、これでは動くに動けない。戦闘は……出来るだろうか?


 僕は『ノー』と訴え始めたお腹を押さえ、身を捩った。


「エンド、変身できる?」


「わから、ない」


 子犬に変身すればセンリが運んでくれるだろう。全力で頑張れば変身できるような気もするが、変身だけならばともかく、今の精神状態で制御できるかどうかかなり怪しい。自信がない。

 子犬を連れて入ったセンリが巨大な犬を担いで出ようとしたら間違いなく止められるだろう。成長したなんて言い訳は通じまい。


「センリの血を吸えば、治るかもしれない」


「……次の分、吸う?」


「…………」


 やめておこう。ちょっと吸血を楽しめるコンディションではない。


 しかし、どうしたものか。セーブルに居場所がバレた。ここに居座るのはかなり危険だ。センリの力は強力だが、たった一人でいると知られればいくらでも手の打ちようがある。

 そんな事を考えていると、センリが囁くように言う。


「エンド、よくなるまでここにいたほうがいい。ここの吸血鬼対策は……ほぼ完璧。セーブルは入れない」


「狼人が、いた。背負って、外壁を、登らせれば、いい」


「エンド。狼人は、絶対服従じゃないし、力を生み出す心臓がなければ水の上は超えられない」


 センリの言葉から言わんとする事を察する。


 吸血鬼が壁を超えるには心臓がある状態で狼人の力を借りなければならない。裏切りを警戒すれば外壁を超える手も取れないという事だろう。

 流れる水は僕たちから全ての力を奪い取る。確かに力を失った状態なら狼人でも赤子の手を捻るように吸血鬼を屠れる。

 センリだってやろうと思えば僕を簡単に殺せるのだ。互いへの信頼なくしてこの街には立ち入れない。


 もっとも、それでも方法がないわけではない。例えば外から壁を破壊して堀を埋めるとか……だが、そこまでいくとそれはもう戦争である。


「それに、エンドが何も考えずに燃やしたせいで、予備の『夜の結晶』がない」


 その通りである。僕はセンリに一つだけ『夜の結晶』を預け、残りは全部自分で持っていた。そして僕が持っていたものは『呪炎』を使った時に全て燃え尽きてしまった。


 馬鹿である。何も考えていなかったのだ。ちなみに、沢山自分で持っていたのは、夜の結晶がかき消してくれる力の量には限界があり、僕の放つ気配を完全に消すには何個も必要だったからである。

 今はセンリにあずけていた結晶で気配を消しているが、終焉騎士が目視すれば判別できる程度には負のオーラが漏れているらしい。


 これでは田舎に引っ越してきた美人の奥さんと夜にしか外に出ない気のいい傭兵の青年ができない。


 セーブルめ、絶対に許さない。次に遭ったらどうしてやろうか。


 暗闇の中、ギュッと目をつぶり痛みに耐えながら呪っていると、ふと外でセンリが立ち上がる気配がした。


「ラザルたちが来た……用があるみたい」


「滞在先、教えてないぞ」


「調べる方法は、ある」


 まぁ、確かにいつまでも隠し通せるわけがない。【デセンド】はそこまで広い街でもないのだ。


「多分、昨日の件。少し、倒しすぎた」


 センリが正論を言う。

 おまけに僕がお腹が痛くなって倒れてしまったので、いつものように浄化する時間もなかった。

 どう見てもあの数はただの傭兵で処理できる数ではない。これまでは僕たちの存在を隠して街に報告してもらっていたが、ごまかしきれなくなったのだろう。


 どうするべきだろうか。滞在先がバレている以上、使える手は限られる。痛みを堪え考えていると、センリが小さな声で言った。


「話をしてくる」


 危険だ。だが、センリは強い。僕が行くわけにもいかない。しばらく考えていたが、いい方法は思い付かなかった。

 断腸の思いで言葉を出す。


「……ルウ、僕は昨日の疲労で動けない。この街は何か怪しい、気をつけて。すぐに、戻ってきて」


「わかってる。バロン、安心して――休んでて」

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