第六話:襲撃②

 余りにも圧倒的だった。一秒足らずでまず三人がその豪腕に吹き飛ばされた。

 生死は不明だが、地面に転がった三人はピクリとも動かない。そして、その一撃で周りを取り囲んだ傭兵の内、半分の心が折れた。


 卓越した技術があったわけではない。あったのは獣の膂力だ。

 一挙一動が人間に対応し切れない程早い。人の姿をした獣が人の知恵で腕を振るえばどうなるのか。


 一人の男が腰だめに剣を構え、悲鳴のような咆哮を上げて巨大な狼人に飛びかかる。刃がこげ茶色の毛で覆われた体幹に突き刺さり、しかしあっさりと弾かれた。何気なく振り払われた腕を受け、男がまるでボールのように数メートルも宙を飛ぶ。


 武器だ。武器が悪いのだ。狼人にただの武器は効果が薄い。


 子ども達の方を庇うように剣を構えた一人の傭兵が大声をあげる。大柄な男だが、眼の前の狼人に比べればまるで子供のようなものだ。


「だ、誰か、銀の武器を持っている者はいないか!?」


「ッ……そうだッ! ナイフなら――」


 軽装をした女の狩人が、腰からちっぽけな銀のナイフを抜いた。恐らく、お守りがわりに持っていたものだろう。

 銀という金属は元々鉄と比べてずっと柔らかい。柔らかく高価、本来武器として適さないその装備は、完全に対闇の眷属用であり、カイヌシのようなプロフェッショナルでもなければ常備するものではない。センリの持つ剣のように聖銀製ならば実用性も高いが、聖銀など滅多に存在するものではないのだ。


 オリヴァーが目を細め、そのナイフを見て笑う。


「馬鹿か……そんなちっぽけなナイフで、何をするつもりだッ!」


 傭兵達から射出された矢がその毛皮に弾かれる。四方から振り下ろされる剣を構わずに、オリヴァーは目の前の獲物に飛びかかった。


 魔導師も、銀のナイフ持ちもいるのに、対象になったのは一番前に出ていた男の傭兵だった。巨大な鉤爪が剣ごとその身体を切り裂く。男は悲鳴を上げる間すらなく倒れる。子どもたちの悲鳴が上がる。


「満月に限りなく近い夜に、この程度の装備で、第三位のオリヴァー・アルボルに抵抗しようとはッ!」


 優先順位を付ける必要など、ないのだ。炎の魔法を腕で振り払い、銀のナイフを構え死角から決死の覚悟で襲いかかってきた狩人を振り向きざまに叩き潰す。余りにも圧倒的な獣の暴力がそこにはあった。


 大きさは変身後のアルバトスの方が上だ。純粋な戦闘能力はそちらに分があるだろう。だが、その一撃には人間ならではの強みがあった。


 オリヴァーは咆哮しない。恐らく、咆哮してしまえば、センリ達が気づく可能性があがるからだ。子どもの悲鳴は遠くまで届かなくても、オリヴァーの咆哮はきっとセンリの耳に入る。


 商人の一人――オリヴァーの雇い主だった男が、腰を抜かし後退りながら大声で問いかける。


「オリヴァー、き、貴様の目的は、なんだ!? 積荷かッ!? 積荷ならば――」


「全て、ですよ。人間。皆殺しだ。そして、積荷も……貰う」


 一秒ごとに味方が減っていく。三十人近くいた護衛はもう半分も残っていない。

 傭兵の一人が泡を食ったように背を向け、駆け出す。オリヴァーは特に感慨を抱いた様子もなく、落ちていた剣を鉤爪の生えた手で器用に拾い、その背中に向かって投げつけた。


 頭蓋を貫かれ、男が倒れる。逃げられない。獣の速度から逃げ切れる人間などいない。


「積荷も、馬も、馬車も、人も、何もかも頂く。お前たちに許されるのはただその場で跪き、慈悲を乞うことだけだ」


 何という傲慢。そして、何という力だ。狼人は吸血鬼が生み出したものだとされているが、オリヴァーは僕よりも強い……かもしれない。


 僕はデメリットとメリットを瞬時に計算し、覚悟を決めた。

 戦うしかない。もしかしたら犬の状態ならば逃げられるかもしれないが、この隊商は間違いなく全滅する。


 世話になった隊商だ、情もある。

 自分の命には替えられないのだが、ここで見捨てればたとえ生き延びたとしてもセンリを失う事になるだろう。

 センリは隊商を見捨てた僕を許さない。たとえ理性で理解したとしても感情面で納得できないはずだ。


 ならば、戦うしか無い。何かを得るためにはリスクを侵す必要がある。

 何、この程度、何ということもない。勝ち目はゼロではない。僕はあのエペから逃げ切り、アルバトスをなんとか倒したのだ。


 僕はカテリーナに尻尾を振ると、オリヴァーの近くに駆け、激しく吠えかかった。


 彼女たちには一宿一飯の恩義があった。ついでに助けてやろうじゃないか。


 元の姿に戻れば正体がバレてしまうが、まぁ……やむを得ない。どうせあの姿はアルバトスにもバレている。


 漲る力を咆哮に変える。


「きゃんきゃんッ!」


「バロンッ!?」


 カテリーナが悲鳴のような声をあげる。オリヴァーは足元で吠える僕を見て、目を丸くした。


「!? くくく……これはこれは……なんと勇敢な子犬だ。背中を向け逃げ出した傭兵風情よりも余程勇ましい……そういえば、モニカを見抜いたのもこの犬だった、か…………そうですねぇ。これも何かの縁だ、お前だけは助けてやろう。ライネル様へのいい土産になりそうだ」


 え!? ほんと!? なんて言わないぞ。


 僕の持つこの呪いはあのアルバトスが持っていたものだ。あの馬鹿げた力の源なのだ。

 軽々と地面を蹴り、オリヴァーの太い腕に噛みつく。確かに存在している小さな牙が肉に食い込み、爪がその分厚い皮膚を引っ掻いた。


 オリヴァーは平然としていた。ただ、自分よりも遥かに小さな僕を見下ろし、訝しげに瞳を細める。どこか人間らしい表情だ。


「痛みが……ある……? ありえない。ただの犬では……ない? 元終焉騎士が飼っていただけの事はある、のか? ……鬱陶しい」


 オリヴァーが大きく腕を振り、僕を地面に叩きつける。凄まじい衝撃に骨が、肉が軋み痛みが奔る。思わずただの子犬のように小さく息を漏らす。

 残忍で有名な狼人は容赦しなかった。小さな僕の身体を踏みつける。その重さに、思わず悲鳴が出る。


 アルバトスは吸血鬼に噛まれた事で呪われたらしい。だが、アルバトスはそれでも理性があった。人間側につき、吸血鬼を狩り続けようと決意するだけの理性が。

 オリヴァーにはそれがない。眼の前の男は狼人の形態で冷静さを保っているように見えて、その実その精神は完全に闇の眷属と化している。


 失敗した。犬の姿ならば油断を誘えると思った。

 三秒あれば元の姿に戻れる。身体に取り付き元に戻れば気づかれる前に心臓をえぐり出せる可能性もあった。もしかしたら、カテリーナ達に人間の姿を見せずに始末をつけられる可能性もあった。


 だが、これでは動けない。


 身体がぺちゃんこになっていないのはオリヴァーが手加減しているからだろうか。骨が折れるのがわかるが、再生能力は働いているようだ。

 力加減を間違えている。僕がただの犬だったら致命傷になっていた。


 僕を踏みつけたまま、オリヴァーが硬直する傭兵たちを見回す。その鋭い眼光に皆が威圧されていた。


「己よりも力ある者には逆らわない。やはり、人間は…………脆弱だ。内部に潜り込む必要もなかった、が…………さすがにあの終焉騎士は手に余る。やむを得ない、か」


 もはやここに至って、勝てる可能性は一つだけだ。こいつの呪いを奪う。死ぬほど嫌だが、元の姿に戻り血を吸えばアルバトスのように呪いを吸い取れる……だろう。

 問題はタイミングだ。今元に戻っても血を吸う前にやられる可能性が高い。隙がいる。


 必死に頭を回転させ、隙を探す。


 と、その時、母親に抱きしめられ震えていたカテリーナがその腕を振りほどき、前に出た。

 涙と恐怖に顔がぐしゃぐしゃになっている。だが、それでも食器を投げつけ、戦慄く声で叫んだ。


 スープの入った器が幸か不幸か、くるくる回転しながらオリヴァーの頭にぶつかる。


「バ、バロンを離せッ! 化物ッ!」


「こ、こら、カテリーナッ!」


 聡明なはずのカテリーナの行動に、僕が一番驚いていた。

 今ここで化物の気を引くのは馬鹿な行動だ。それも、いくら愛らしいからって犬一匹のためにそんな事をするなんて端的に言って気が狂っている。

 どうせ気を引かなくても数分後には死体になって転がっている可能性が高いのだが、大人しくしているべきだった。勝ち目がない状態での蛮勇は避けるべきであった。


 オリヴァーが獲物を見る目でカテリーナを見た。大きな炎のように赤い舌がちらりと見える。


「おやおや、まだ勇ましいお嬢ちゃんが……いたようだ……。そうだな、バロンの死に様を見たくないなら、先に食い殺してやろう」


 小さく悲鳴が上がり、カテリーナがぺたりと腰を抜かす。

 注意は引けたが、足は僕を上から押さえつけたままだ。存外に用心深い狼人である。


 センリと一緒だ。たとえそれが僕の本当の姿を知らなかったからだったとしても、自分を助けようとした者を見捨てる訳にはいかない。

 大ピンチのはずなのに、こういう時に限ってロードは出てこなかった。必死に手足をばたつかせ、身体に力を入れる。


 強い戦意に頭の中が真っ赤になる。身体がまるで焼かれるように熱い。


「きゃんッ! きゃんっ!」


「小うるさい犬だ――――ッ!?」



 ――そして、僕は覚醒した。


 視点が徐々に上がっていく。体内の熱を逃がすように深く呼吸をする。それに連動するように、身体がみちみちと音を立てる。

 身体が膨張している。かつてアルバトスが巨大化した時の様子が脳裏を過る。


 白く長かった毛がもっと長い毛に。小さく愛らしかった前足が大きな愛らしい前足に。

 身体を踏みつけていたオリヴァーが目を見開き、大きく下がる。そして、僕は大きく膨れ上がった四肢を使い、立ち上がった。


「こ、これは……馬鹿な……っ!?」


 視点が高い。一番背の高い傭兵と同じくらいの高さがある。


 僕は、進化した、これがアルバトスの見ていた世界か。


 一歩足を出せば、小さく地面が揺れる。四足歩行でこの高さなのだ、人間から見ればそびえるようなモンスターに見えるだろう。


 視線を向けると、オリヴァーが荒く息を吐き一歩下がる。オリヴァーよりは目線が低いがそれはオリヴァーが二足歩行だからであって、四つん這いになれば恐らく僕の方が大きい。


 勝てる。勝てるぞ。僕は月を見上げ咆哮した。





「きゃんきゃんッ!」





「バロンが……でっかく……なっちゃった!?」


 カテリーナが目を見開き、震える声で言う。


 ……もしかしてこれ、大きさが変わっただけで姿はあの犬のままなのだろうか?


 呆然としていたオリヴァーが、地面を強く蹴り飛びかかってくる。

 四足歩行で戦闘をしたことがないので、どうしていいのかわからない。大きく振りかぶられた鉤爪が太い前足を切り裂き、余りの痛みに悲鳴を上げる。思わずもう一方の前足を振り上げてオリヴァーを薙ぎ払うが、その一撃をオリヴァーは片腕で受け止めた。



「ッ……なんだ、見掛け倒しか。変わった犬だ」


 血が飛び散り、自慢の白い毛を汚す。どうやら、そんなに強くなってないようだ。多少重さが増えたところでオリヴァーには敵わない。

 これでは的が大きくなっただけだ。普通に痛いし、あの姿ででっかくなっても白い犬がでっかい白い犬になっただけである。


 それでも一縷の望みをかけて攻撃を仕掛ける。地を割る全力の一撃を、オリヴァーは少し横にずれるだけで簡単に回避した。地面を蹴り飛びかかるが、逆に懐に入られ重い一撃を貰う。身体が大きく吹き飛ばされ、傭兵の一人を下敷きにしてしまう。僕はくるんと回転して慌てて起き上がった。


 強い。巨体なのに何という速さだ。

 大きく顎を開け噛みつきにかかるが、オリヴァーは両手で僕の顎を受け止めた。


「慣れてねえな、お前」


 尖った鉤爪が顎に引っかかって涙が出るほど痛い。しかも全然口を閉じられない。あえなく蹴りを受け、再び地面を転がる。

 アルバトスはあんなに強かったのに、何という体たらくだ。たくさん撫でられ可愛がってもらった白い毛がみるみる内に汚れる。泣きたい気分だ。

 打撃も、体当たりも、噛み付きも、何もかもが通じない。


 まずは動きを止めなくては。後ろからバロンを応援する声が聞こえる。

 痛みを覚悟する。後ろ足で立ち上がり、僕は前足で地面を激しく叩いた。


 人の形態の時とは比ではない揺れが起きる。しかし、その時にはオリヴァーは僕の背にいた。地面が揺れる前に跳んだのだ。

 鋭いナイフのような爪が僕の喉元にかかり、耳元でオリヴァーの声が聞こえた。


「悪いが、死んでもらう。恨むなら主人と脆弱な仲間を恨むといい」



 その声に、かっと頭に血が上る。


 このままだとその爪は僕の喉の柔らかい肉を切り裂くだろう。駄目だ。もう元の姿に戻るしか無い。


 こいつは僕を殺そうとしている。生き延びるには殺すしかない。今は何も考えるな。守るべきものの事も――忘れるのだ。


 殺せ。本能が僕に囁いている。

 夜の怪物は孤独の王だ。たった一人でいる時が……一番強いのだ。


 鉤爪が空振った。身体が縮む。白い毛が抜け落ち、背に乗っていたオリヴァーの拘束から身体が抜ける。

 バロンを応援していた声が消える。だが、いい。それでいい。


 奇襲はもう忘れろ。後の事など考えるな。奇跡などありえない。

 正面から殺すのだ。僕の自由を、奪おうとしたこの男を。


 月が輝いている。僕はまるでそれに祈りを捧げるかのように跪いていた。


 身体をゆっくりと起こす。視点は高くもなく、低くもない。

 悲鳴はあがらなかった。そこに残っていたのは静寂だった。誰もが何も言えず、僕を凝視している。



 そして、僕は本当に久しぶりに外で元の姿に戻った。


 最初に声をあげたのはカテリーナだった。


「バロンが……今度は、人間にッ!」


 ごめん、僕は本当は……犬じゃないんだ。


 だが、今は謝罪している時間などない。頭を大きく振る。


 血は最近貰ったが、吸血鬼の形態でオリヴァーを倒せるかどうかは五分だ。センリの話では狼人は単純な腕力においては吸血鬼に匹敵、凌駕するらしい。故に、終焉騎士にとって吸血鬼よりも狼人の方が厄介な事もあるのだとか。



「さぁ……第三ラウンドだ……」


 爪を伸ばし、オリヴァーを睨む。



 オリヴァーは唖然としていた。目を見開き、身を震わせ僕を凝視している。そこにある驚きは僕が巨大化した時よりも遥かに大きい。

 そんなに人型になるのが珍しいのか? 自分も人型になったり戻ったりしているくせに。


 目と目が合う。改めて見るが凄まじい威圧感だ。

 爪で……その体毛を貫ければいいのだが。最悪、センリが戻ってくる時まで時間を稼げればいい。

 再生能力はあるので、難しくはないはずだ。歩みを進める僕に、オリヴァーが乾いた声をあげた。


「ば……ば、馬鹿な……吸血鬼ヴァンパイア……だ、と!? ど、道理で、私の、身体に、傷を…………いや、あの能力は――あ、あ、ああ、ありえ、ない」



 その声に含まれた感情は、強い恐怖だった。口端から白い泡が出ている。虹彩が興奮に窄まる。


 僕を容易く叩き潰せるはずの腕が、鉤爪の先がガタガタと震えていた。一歩踏み出すと、数歩後退る。その様子には先程までの高慢さも勇猛さも欠片も残っていない。


 震える声が夜闇に響き渡る。そして、オリヴァーは膝をつくと、まるで首を差し出すようにして平伏した。







「『始祖アンセスター』……『死者の王』。知らなかった、知らなかったのです。わ、私は、忠実で、無力な、ただの犬でございますぅ!」




 なんだこれは……だが、まずいな。非常にまずい。

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