第七話:襲撃③
センリ・シルヴィスに唯一のミスがあったとするのならばそれは、弱き者と共に戦ったことがなかった事になるだろう。
終焉騎士団では基本的にそれぞれ一級騎士を頂点に数人の集団で行動する。
センリがそれまで、共に闇の眷属と戦っていたのは同じ騎士団の仲間であり、師匠であるエペの力は言うに及ばず、先輩であるルフリーやネビラについても、(センリ程ではないにせよ)祝福を自在に操る、心身ともに強力な戦士だった。
次に行動を共にしたのはエンドである。
エンドは元々病人であり、戦闘を経験したことも知識もなかった。だが、同時にエンドはアンデッドとして高い資質と、強い精神を兼ね備えていた。
たまに見せるお気楽さにはセンリも呆れ果てたが、エンドの境遇は並の精神で乗り越えられるような物ではない。
邪悪なる死霊魔術師による復活を受け、支配を受けても記憶を保ち続け、終焉騎士に太陽刑を受け泣き言の一つも言わず、あまつさえ誰もが狂わずにはいられないという吸血衝動に限界まで耐えてみせた。
アルバトスとの戦いに勝利したのも驚嘆すべき点だ。
アルバトスの力はセンリから見ても強大で、アンデッドと戦うのに慣れていた。いくら
戦闘経験はまだ浅いが、恐らくそれが埋まった時、エンドは化ける。遠からずセンリの手に負えないレベルになるかもしれない、それくらいエンドは強い。
それらと比べれば、センリが今回率いた傭兵達は余りにも弱すぎた。
戦闘訓練は行っているのだろう。経験だってあるに違いない。ある程度ならば魔物と戦えるだけの力も持っている。だが、それでもその力は闇の眷属と戦えるレベルには達していない。
それに気づいたのは、センリが獣の群れを傭兵に任せ、闇夜の空を舞う悪魔に連撃をしかけていたその時だった。
途中までは優勢だった。女悪魔は魔族としてはそれなりに強力だったが、正面から激突すればセンリが負ける事はない。
悪魔はアンデッドとは似て非なるものなので、祝福の力を注ぎ込み存在をゼロにして浄化するわけにはいかなかったが、それでも光の力は悪魔にとって弱点の一つである。
悪魔は空を飛ぶが、センリだって空は飛べる。初撃で不利を悟ったのだろう、悪魔は終始逃げ腰で、センリはそれを追いつめた。
終始、センリが圧していた。センリは無傷で、悪魔の身体は光の連撃を辛うじて防げているだけで、ぼろぼろだった。
戦況が変わったのは、悪魔が苦し紛れにとある魔法を使ってからだ。
悪魔は魔術に秀でる。その女悪魔が使ったのは、攻撃魔法ではなかった。
心の弱き者にのみ通じる魔法。対象を催眠状態に落とし操る『
終焉騎士団ならば間違いなくかからない魔法だった。故に、センリはその危険性を甘く見積もっていた。
誤算だった。精神汚染系の魔法は、恐怖や動揺から入り込む。
空から掛けられた魔法に、及び腰で獣と戦っていた傭兵の一人がかかった。一瞬で目の色を失った男は悪魔の手駒になり、つい数瞬前まで共に戦っていた仲間に襲いかかった。
恐怖は伝播する。特に、先程まで仲間だった者から襲いかかられるというのは、比較的精神力の強い歴戦の傭兵にさえ強い恐怖を齎す。魔性と戦う終焉騎士はそういった状況も想定し訓練を行っているが、ただの傭兵ではそれに耐えられない。
同士討ちを黙ってみているわけにはいかなかった。センリは追撃の手を止め、仲間の救助を余儀なくされた。
広範囲の魅了の魔法は、精神汚染系の魔法としてはかなり弱いものだ。強い衝撃を与えれば我に返るが、手加減なしの殺し合いでは、その前に死んでしまう。
仲間を起こし、獣を追い払い、空から降り注ぐ女悪魔の攻撃魔法を防ぐ。
重要なのは人命だ。犠牲者はなるべく抑えなくてはならない。
悪魔の攻撃魔法がセンリではとても防ぎきれない程の威力の攻撃だったら、犠牲もやむなしとして攻撃に専念していただろう。だが、それらの攻撃はセンリにとって多少苦労はしても十分捌けるものだった。
もう一人魅了にかからない仲間がいれば決着は簡単についていただろう。
戦いは長引いた。悪魔は撤退を選ばなかった。
だが、依然として有利なのはセンリ側だった。精神汚染系の魔法は回数に比例して効きづらくなる。悪魔が率いてきた魔獣の群れを全滅させれば、センリは再び悪魔の撃滅に力を割くことができる。
後ろから狼の遠吠えが聞こえてきたのは、ちょうどそんな時だった。
ただの狼のものではない。センリが終焉騎士団として活動していた頃に何度も聞いた、魔性のものだ。
何かあったのだ。それまで撤退の素振りも見せなかった女悪魔が大きく舞い上がる。だが、追うことはできない。
随分と数が減った獣の群れが一斉に襲いかかってくる。
それを何とか殺し尽くした時、女悪魔の姿は夜の空に消えていた。
§
キャンプ地点に戻り、センリの目に入ってきたのは惨状だった。
転がる数人の傭兵の死体に強い血の臭い、怯え青ざめる商人達。
だが、狼人の力は強力だ。
獣の王の呪いで生み出された狼人は魔性である。純粋な戦闘能力ならば先程センリが相対した女悪魔をも越える。
仲間の中に紛れていたのならば、この程度の被害で済むわけがない。
敵の姿は見えない。バロン……エンドの姿も――見えない。
そして、センリは表情を変えず、最悪の事態が起きたことを受け止めた。
あの狼人の遠吠えは撤退の合図だ。センリがエンドをキャンプに置いていったのは、犬形態では戦闘能力が皆無に等しいと言うのもあったが、いざという時の守りのためでもあった。
闇の眷属にも相性がある。相手が狼人だったのならば、吸血鬼という存在は圧倒的な上位になる。
魔性として、狼人は吸血鬼の格下なのだ。銀の武器以外に強力な耐性を持つ狼人の毛皮も、吸血鬼の攻撃に対してはその性能を発揮できない。
それは呪いだ。狼人とは吸血鬼の下僕になるべくして生み出された存在なのだ。
狼人にも格がある。だが、相手が撤退を選んだという事は――そういう事だろう。
だが、それはエンドが辛い選択をしたという事を意味していた。
センリが連れて帰った仲間たちが、仲間の元に駆け寄っていく。守りながら戦ったかいもあり、センリが率いたメンバーに死者や重傷者はいない。
「よ、よく、無事に帰ってきてくれた。だが、大変だ。セ、センリ殿の犬は――ただの犬じゃなかった。騙されていたんだッ! センリ殿の犬は、吸血鬼だったッ! 隊商に、潜り込んでいたんだッ!」
隊商のリーダー、ローレルが動揺を隠しきれない様子で駆け寄ってくる。センリは深呼吸をして、聞き返した。
「…………吸血鬼が出たならこの程度の被害では済まないはず」
「い、いや。オリヴァーが、狼人だった。奴ら、敵対していたんだ。クソッ、なんでこんな目に――」
吸血鬼は人里に隠れ夜な夜な人の血を吸い殺す、悪名高き存在だ。たとえ直接その被害が出なかったとしても、その存在は人々の心に恐怖という名の影を落とす。
それが一般的な感性なのだ。センリの感性の方が稀有なのだ。センリはそれをよく理解していた。
もしもバロンがいなかったら今頃全滅していたはずなのに、その事を忘れている。
唇を噛む。だが、反論はできなかった。
カテリーナの方を見る。バロンは人気者だったが、特別それを気に入っていた女の子だ。だが、今は母親の胸に顔を埋めひくひく震えている。
センリに向けられる視線は様々だった。だが、その中で一番強いのはセンリを咎める類のものだ。
元とはいえ、終焉騎士が吸血鬼に気づかなかったのだから、その視線も仕方のないことだろう。今は恐怖で混乱しているのだ。そういった視線には慣れている。
だが、その視線にはセンリを疑うような気配はなかった。センリが吸血鬼の仲間だと考えている者はいないようだ。
エンドが、何か言ったのだろう。あの青年は危機に慣れていて、そして敵対される事に慣れている。
だが、それは慣れているだけであって、平気なわけではない。
「………………バロンは、私に、何か言ってた?」
§ § §
ああ、何という事だろうか。
オリヴァー・アルボルはここしばらく記憶にないくらい縮み上がっていた。隣には、気配だけで震え上がるような闇の化身が何気ない様子で歩いている。
簡単な任務だったはずだった。
オリヴァーには戸籍がある。流れる水も効かず、アンデッドでもない狼人の擬態能力はほぼ完璧だ。並の傭兵など物の数ではない戦闘能力も持っている。
大きな隊商と言っても率いている護衛の質などたかが知れている。第三位……狼人の中でもエリートであるオリヴァーを止めるには数ではなく質が必要だ。
護衛に元終焉騎士が混じっていた時は不運だと思ったが、吸血鬼が紛れていたのは本当に、それ以上に最低の不幸だと言わざるを得ない。
それも――吸血鬼の中でも格別の化物。滅多に存在しない、特別な能力を持つ
その正体を察した瞬間、全てが消えてしまった。
それまで抱いていた強い戦意も、殺戮による高鳴りも、何もかもが消失し、その瞬間、オリヴァーは自分がまだ支配されていた頃と何も変わっていない事を理解させられた。
狼人は獣の本能を持つ。あらゆる痛みに耐性を持ち、たとえ格上の魔性が相手でもその戦意が鈍ることはない。
だが、それは相手が吸血鬼ではないなら、の話である。
狼人は吸血鬼の下僕だ。全ての狼人は吸血鬼により生み出され、そして弄ばれてきた。
オリヴァーの主人は『始祖』でこそないが、かの著名な始祖――『獣の王』の系譜であり、その力の一部を受け継いだ強力な吸血鬼だった。
『狼人作成』の呪いに、絶対服従は含まれない。夜の王にとって、狼人など恐れるに足りない存在だからだ。
夜の王は自らが生み出した狼人に嬉々として、まるで当然の権利のように、恐怖を刻む。獣の力を得て増長する配下を叩きのめし、その魂を貶め、二度と逆らわないようにするのだ。
もはや、それは一種の呪いに近い。たとえ何らかの理由でその本人が死んだとしても消失することのない呪いだ。
オリヴァーを狼人にした吸血鬼はもういない。
オリヴァーの主であり、絶対的支配者であり、最強だったはずの主は、他の吸血鬼……ほとんど存在しないはずの『
だが、刻みつけられた従僕の証は十年以上経ち、ライネルという新たな主を得た今も消えていない。
その『始祖』が新たな主としてオリヴァーを支配しなかったのは、その始祖にとってオリヴァーが殺す価値も支配する価値も見いだせないゴミクズ以下の存在だったからだ。側で腰を抜かしているオリヴァーを鼻で笑い、そのまま悠然と去っていった。
隣を歩く『夜の王』はオリヴァーの元主と比べてもずっと若かった。だが、吸血鬼にとって見た目の年齢ほど当てにならない物はない。
先程垣間見た、犬に変化する能力は間違いなく本来の吸血鬼の能力ではない。
それだけならば、他の始祖から受け継いだ可能性もあるが、他の始祖に眷属にされ能力を受け継いだのならば、『
魔王ライネルは、ともすると吸血鬼に勝る強力な魔族だ。だが、オリヴァー……
狼に自在に変身できる吸血鬼が新たに犬に変化する能力を得た真意はわからないが、逆らう事など考えられない。
「エンド様……も、もしもよろしければ、お答えください。ど、どうしてあのような人間の隊商に混じっておられたのですか?」
「僕が、お前の質問に答える必要があるのか? オリヴァー」
その怒りを押し殺したような声に、背筋が震え、尻尾がぴんと立つ。
オリヴァーは気づいたら這いつくばっていた。誰もいない平原のど真ん中で、ただ平伏する。
「ッ…………さ、差し出がましい、質問でした。も、申し訳ございませんッ!」
「お前のせいで、僕は散々な目にあった。あのままロンブルクに入るつもりだったんだ。おまけに、お前は僕の自慢の白い毛皮を汚した。全然、本気じゃなかったけどね」
「ひっ……そ、それは――」
「僕ほど愛らしい犬はいないから、せっかく化けていたのに、指名手配されたら門で捕まってしまう。もちろん長く潜入するつもりはなかったけど、僕の計画は台無しだ。埋め合わせはしてもらわないと」
「も、もちろんで、ございますッ!」
そこにどのような壮大な、恐ろしい計画があったのか、オリヴァーは知らない。知りたくもない。
奇しくも隊商に宣言したように、オリヴァーに許されるのはただその場で跪き、慈悲を乞うことだけだった。
仲間の悪魔。同じライネルの配下であるモニカの臭いが近づいてくる。オリヴァーはただ嵐が過ぎ去るのを待った。
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