第五話:襲撃

 吸血鬼は夜の魔性だ。たとえそこが光の一片も入らない洞窟の中だとしても、昼間に全力は出せない。

 だが、その天敵である終焉騎士は違う。彼らが昼間にアンデッドを狩るのは、アンデッドの弱点が太陽だからであって、彼らの能力が夜に落ちるからではない。


 作戦の決行の日。空には真円に限りなく近い月が浮かんでいた。


 激しく焚いた火の近くで、完全装備のセンリと傭兵たちが囲んでいた。

 センリを含めた半分が攻めに入り、半分が守りに入る。魔導師達は皆攻め側だ。


 風に乗って今までにない強い獣の臭いが向かってくる。恐らくその数はこれまでの襲撃で現れた比ではない。

 その中にはあの女の臭いもしっかりと含まれていた。強い戦意の臭いがする。


 目的地であるロンブルクが近い。相手も気が急いていることだろう。


「勝負に出る」


「ああ…………だが、襲撃をかけるなら夜より、朝の方がいいんじゃないのか?」


 歴戦の猛者の風格を持った傭兵の男が眉を顰める。

 魔性の多くは夜に動く。獣の目は人間と違って夜目が利く。怪物退治は理由がなければ昼間にやるのが常道だ。

 その問いに、センリは小さく肩を竦めた。


「朝は……相手も警戒していて、近づいてこない。私一人ならば追えるけど…………」


「センリ殿だけに戦わせるつもりはない。相手は……恐らく、アンデッドではないからな」


 商隊隊長(ローレルという名前らしい)が、もったいぶったように言う。

 正しい判断だ。もしも、センリ一人を向かわせて彼女が万が一敗北したらこの隊はかなりのリスクにさらされるだろう。女がまだ全力でこの隊を襲ってないのは、センリという実力者がいるからだ。


 そして、センリが夜を選んだ理由ももう一つある。昼間では僕が戦えないからだ。

 僕は平和主義な吸血鬼だが、センリだけに戦わせるつもりはない。アルバトスだって何とか倒せたのだ。


「きゃんきゃんっ!」


 月が丸い。力は漲っている。高ぶる戦意を咆哮に乗せる。センリは跪くと、(いつも通りの)冷たい眼差しで僕を見て、僕の頭を撫でていった。


「バロンは……お留守番」


「きゃん!?」


「いい子にしてて」


「!?????」


 そんな馬鹿な……予想外の言葉に、呆然とする。

 固まる僕の頭を、厳つい傭兵の男がぐりぐりと乱暴な手付きで笑う。


「安心しな、坊主。お前のご主人様は強いし、俺達だっている」


「きゃんきゃん!」


 そんな馬鹿な……センリのパートナーは僕だぞ? 親公認だ。

 確かにこの姿じゃ役には立たないだろうし、この距離ならセンリの探知で事足りるのかもしれないが、連れて行ってくれないなんて酷いよ……。


 後ろから僕の身体が持ち上げられる。僕がいつも遊んであげている商人の子ども……カテリーナが僕を抱き上げたのだ。

 金髪の十代半ばくらい、美味しそうな血の臭いを振りまいている女の子である。振り向くと、カテリーナは慈愛の篭った目で僕を見下ろして言った。


「バロン、大丈夫。怖がらないで……私が守ってあげるから」


「!? ???」


「ここには護衛の人達もたくさんいるし、じっとしていればすぐに終わるから。私と一緒にいて。ね?」


「…………きゅーん」


 血をくれない女の子の言うことなんて聞く謂れはないが、もうどうにもなりそうもない。

 焚き火の側、子ども達の真ん中に連れて行かれる。僕はカテリーナに抱きしめられたまま、情けない顔でセンリ達を見送った。




§ § §




 傭兵達を先導し、獣の気配を目指して進む。


 魔王というのは人類全体に敵対する他種族の一団の王を差す単語だ。

 種族は問わない。竜である事もあるし、知恵を持った魔獣の事もある、そして、『死者の王』である事もある。一つだけ共通点があるとするのならば、それら魔王が一筋縄ではいかない怪物だという事だ。


 終焉騎士団はアンデッドを狩ることを使命とした騎士団である。だが、魔王とも戦い慣れている。

 強力で知恵あるアンデッドは度々数多の魔族を支配下におき、魔王と化す。逆に魔王がアンデッドを配下に置くこともある。終焉騎士団はあらゆる状況であらゆる敵と戦うのだ。

 センリはこれまで何度もそういった者たちと激戦を繰り広げてきた。


 隣についていた傭兵の男――レックスがセンリに話しかける。


「センリ……無事帰ってきたら、うちの傭兵団に入らないか? 元終焉騎士なら歓迎だ。あのバロンという犬の能力も役に立つ。訳ありみたいだが、うちにはそういう奴らが大勢いる。一人で旅をするよりはいいはずだ」


「……ありがたい話だけど、私にはやるべきことがある」


 センリの淡々とした答えに、レックスが苦笑いを浮かべた。


 エンドの立ち位置はかなり危ういのだ。センリの持つ『ワケ』は恐らく、レックスが想像しているよりもずっと重い。

 傭兵団はアンデッドと戦うこともある。もしかしたら吸血鬼に復讐心を抱いている者もいるかもしれない。そう簡単に他の集団に入るわけにはいかなかった。


 ずっと犬の姿でいてもらう訳にもいかないし……。


 魔王の軍勢との戦いを前にして、センリ達の間には強い怖れなどはなかった。センリがいるからだ。終焉騎士団の名前はそれだけ強い。

 終焉騎士団は守るのが苦手だ。一般市民や雇った傭兵が死傷することなど少なくない。


 だが、恐怖で動けなくなるよりはずっといい。


 相手もこちらに気づいているようだ。そしてその上で迎撃する選択をしている。


 気配は広く散開していた。取り囲むつもりだ。魔導師を警戒しているのか。

 だが、それもまたセンリにとって都合がいい。恐らく、リーダーはあの女だ、あれを倒せば獣の群れは散り散りになるだろう。


 獣は数匹逃しても問題ない。ベースキャンプには十分な人数を置いている。

 センリ一人で全てを守りきる事はできない。今のセンリの役割はリーダーを潰すことだ。


「来る。警戒を」


 短い言葉に、レックス達討伐隊の面々の間に緊張が走る。

 生暖かい風が吹いた。既にメンバーには暗視の魔法をかけてある。たとえ夜闇の中でも獣を見逃す事はない。


 ――そして、不意を打つように急降下してきた黒い塊を、センリは剣で迎え撃った。


 黒い刃と白銀の刃が激しく打ち合い火花が散る。強い闇の気配にセンリの髪が逆立つ。

 襲いかかってきたのは黒く大きな翼を持った女だった。


 前回の遭遇とは異なりその肌は褐色に染まっており、広くむき出しになった肌に赤い線で奇妙な紋様が走っている。

 露出は大きく、肌は局部を除いてほとんど隠されていない。その虹彩は金色に輝いていた。


 その臀部からは黒い長い尾が伸びていた。仲間たちの間に動揺が奔るが、センリは眉一つ動かさなかった。


 人の形をした、人に化ける魔性など、限られている。むしろ、明らかに人間ではない女の表情に強い動揺が奔る。


 両手に握った漆黒の長剣と白銀の剣が拮抗する。

 だが、力はセンリの方が上だった。拮抗は一瞬だった。勢いをつけて下りてきた女を片手で押し返す。女は翼を羽ばたかせ大きく夜闇に舞う。


 それは、アンデッドとは異なる魔に属する者。酷く扇情的な格好は堕落の象徴だ。

 地の底の世界を支配するという超常の生命体。悪の権化。多数の魔の力を使いこなし、人間を闇に落とす恐るべき魔性。


 終焉騎士にとっては、アンデッドに次ぐ殲滅対象だ。センリは唇を湿らせて言った。


悪魔デーモン……これは、厄介」


「舐めるな、終焉騎士ッ!」


 悪魔が激しく激高し、その両手に魔法陣が浮かぶ。魔法そのものであると言ってもいい悪魔は、魔術の行使に大きな手順を必要としない。


 恐らく、相手は終焉騎士と戦ったことがないのだろう。いや、ないに違いない。もしも終焉騎士と遭遇していたら、眼の前の女悪魔が生きているはずがないのだから。

 こうして迎撃を選んだのも、その力をよく知らないからだろう。


 遅れて、獣の遠吠えが響き渡る。女の率いる獣の軍が近づいてくる。センリは、隣で強張った表情をしているレックスに言った。


「計画に変更はない。あの悪魔は私が殺す。攻撃も私が防ぐ。手筈通りに」


「お、あ、ああ……行くぞッ! センリに続け! 俺たちの手に隊商の命運が掛かってるんだッ!」


「お……おおおおおおおおッ!」


 仲間たちが咆哮を上げ、心を震わせる。

 そして、センリは、放たれた黒い雷を、祝福を纏わせた刃で迎え撃った。




§ § §





 酷い。余りにも酷い仕打ちだ。僕はカテリーナの膝の上で意気消沈していた。


 センリの血が一番いい匂いがするが、カテリーナの血もとてもいい匂いがする。もちろん吸うわけにはいかないのだが、膝の上に乗っているだけでウズウズしてくる。僕がただの吸血鬼だったら遠慮なく血を吸いにいっているところだ。


 優しい手付きで自慢の白い毛を撫でられながら、僕は油断なく周りを眺めていた。


 僕は臭いで大体の人の感情がわかる。キャンプに立ち込めていたのは僅かな恐怖と、安堵の臭いだった。

 焚き火の周りには非戦闘員が大勢集まっていた。それを大きく囲むようにして護衛の傭兵たちが守りに入っている。魔導師達はほとんどが攻め側に参加したが、一人だけキャンプにも残されている。万全の守りだ。

 それでも敵が僕くらい強かったらやばいのだが、吸血鬼以上の化物など滅多にいないので、考えても仕方がない。その時は諦めるしかない。


 僕の周りには、男女問わず何人もの子どもが集まり、代わる代わる頭を撫でてくれた。ここしばらくの旅で仲良くなった子達だ。

 皆に囲まれる機会なんて生前もほとんどなかったのでとても新鮮である。


 子ども達はこのいつもと違う気配に少し緊張しているようだ。


「バロン、全部終わったら、うちの子になる?」


「きゅーん」


 くれるの? 血をくれるの? 本当に? 日中に散歩とかいけないけど大丈夫?


 ……まるで王の気分だ。これが『死者の王』か。


「作戦が無事、うまくいけばいいが……」


「賭けるしかない。俺たちだけじゃ逃げ切れないんだ」


 商会の幹部らしい男たちが焚き火に薪をくべながら話し合っている。

 センリは強い。僕はそれを誰よりも知っている。だから彼女が勝つことは疑っていないが、同時にセンリは一人しかないのである。


 僕がアルバトスに襲われた時も、センリはいなかった。

 彼女の力は個人の力だ。だから一人で隊商を完全に守ることなどはできない。


 敵の情報がほとんどわかっていないのも不安材料ではある。

 油断なくお留守番を決行する僕の鼻に、風に乗ってセンリの臭いが届く。予定通り戦闘が始まったようだ。


 センリ達の戦闘地点は音も聞こえないくらい遠いが、風下なので十分臭いは届いた。


 万が一センリの血の臭いを感じ取ったらすぐに助けに行くつもりだ。鼻をぴくぴく動かし様子を具に確認する。


 と、そこで僕は頭を大きくあげた。


 おかしくないか? ここは風下だ。風の向きは大きく変わっていない。


 初戦時、センリはあの被害者の振りをしていた女に、臭いで気づいたと言った。敵は僕の鼻の事を知っているはずである。ならば、襲撃は風下から来るべきだ。

 実際はセンリの広範囲の探査魔法があるので風上とか風下とか関係なかったのだが、相手はそんな事、知らない。

 

 最初の襲撃には計画性があった。

 野性の世界で、風下を読む能力は必須だ。その程度の事に気づかないとは思えない。移動速度は向こうの方が速い。臭いを隠そうと思えば隠せたはずだ。


 僕に居場所を知らせるつもりだった……? 何故だ? 考え過ぎか?


 膝の上から離れ、地面に立つ。じりじりした焦燥を感じるが、しかしセンリにそれを教えようとしてももう遅い。


 僕の鼻に強い血の臭いが入ってきた。

 近い。戦場ではない。呻き声が響き、遅れて悲鳴が上がる。


 慌てて血の方向を向く。



 小柄な男が、焚き火の近くに立っていた。




 足元に休憩中だった傭兵の男が転がっている。どういう攻撃を受けたのかは知らないが、その首はほとんど繋がっていなかった。明らかに即死だ。

 ぱっくり開いた傷から赤黒い液体が広がっていた。大きく見開かれた目がこちらを向いていた。その目には既に光がないが、無念の感情だけが伝わってくる。


「お、オリヴァー、な、何を――」


「何を……? いくらなんでも、平和ボケしすぎでしょう、旦那」



 周りを守っていた傭兵たちが悲鳴を聞きつけ集まってくる。

 だが、オリヴァーと呼ばれた男の表情に焦りはなかった。恐怖の臭いも放っていない。


 御者だ。頭に被った黒い帽子に、傭兵とは違い着心地を重視した仕立てのいい旅装。その腰元には小さな鞭が下がっている。

 筋肉の薄い小柄な身体。容貌は精悍だが傭兵と比べて暴力的な雰囲気はない。


 だが、その右手指先は血に濡れていた。ぽたりと爪の先から血の雫が落ちる。

 臭いは人間のものだが、普通の人間は素手で人の首を切り裂けない。


 仲間だ。内部に仲間がいたのだ。御者として雇われ、隊商に参加していた。

 そして、センリという切り札がいなくなった瞬間を狙って正体を現したのだ。


 倒れた男は残留組の中でも、腕のいい傭兵だった。だが、仲間だと思っていた男からの奇襲の一撃はさすがに防げなかったのだろう。

 護衛は外からの襲撃を警戒していた。無理もない。

 

 隊商は遠くから荷物を運んでいる。最初から紛れていたのだとしたら……気の長い計画だ。そして、このタイミングで正体を現したという事は、十分な勝算を得たということである。


 雇い主なのか、壮年の商人の男が後退りながら、震える声で糾弾する。


「ち、血迷ったか……恩を仇で返すかッ! お前には、大金を――」


 本当に平和ボケしている。状況がわかっていない。


「そうですねえ。あのセンリの嬢ちゃんは強いが、いくら強くても……一人じゃこの馬車全ては運べない」


 人には適材適所がある。オリヴァーの目的が補給の妨害だとするのならば、センリを殺す必要はない。

 肩を竦めるオリヴァーの頭に、大きな火の球が着弾し、鈍い音を立てて爆発した。



「裏切り者がッ! この人数に勝てると思ったのかッ!」



 傭兵たちがぎらぎらと瞳を輝かせながら、オリヴァーを取り囲んでいた。商人たちが青ざめた表情で非戦闘員を遠ざける。


 火球は、念の為キャンプに残されていた魔導師が放ったものだった。

 攻撃魔法は威力が高く、たとえ最下級の魔法でも人一人くらいなら簡単に殺傷できる威力を誇る。


 間違いなく致命傷だ。相手が人間ならば、の話だが。


 煙が晴れる。傭兵たちが目を限界まで見開き、一歩下がる。

 オリヴァーは無傷だった。帽子は吹き飛び、シャツも半分灰になっているが、その皮膚に目立った傷はない。


「ったく……元仲間に、なんて酷い事を……お気に入りの帽子だったってのに」


「な、何者だ――」


 なんでもなかったかのように話すその様子に、傭兵たちが皆気圧されていた。

 オリヴァーは灰を払い、残念そうに言う。


「帽子だけは残る予定だったんすよ。だが、しょうがない。なにせ、今夜は――満月に限りなく近い。どの道、何もかも壊しちまう」


「ッ!?」


 そして、オリヴァーの肉体に太い血管が浮かび上がった。みしみしと音を立て、その小柄だった身体が激しく膨れ上がる。


 傭兵たちがざわめき、蒼白の表情で数歩後退る。


 その変化に、僕は見覚えがあった。アルバトスだ。


 その人並みだった肉体が激しく大きく膨れ上がり、服が、ズボンが、靴が、内側から引きちぎれる。

 一メートル半強だった背丈が倍近く膨張する。日に焼けた肌からこげ茶色の針金のような毛が伸び、生え揃う。だが、一番大きな変化は顔だ。


 骨格が変わる。顎が伸び、鼻が伸び、両耳が大きく上に移動し巨大な耳となる。変化は数秒だった。


 遠巻きに様子を見ていた子ども達が悲鳴を上げる。僕は尻尾を振りながら、オリヴァーを睨みつける。


 傭兵の一人が、震える声でその名を呼んだ。



「――狼人ウェアウルフ


「自己紹介の、必要は、ないようですね。人間」


 狼人ウェアウルフ。狼と人間の混じり物。

 限りなく獣に近かったアルバトスとは違う。その姿はまさしく、僕のイメージする狼人そのものだ。


 しっかりと両足で地面を踏みつけ、オリヴァーは深い笑みを浮かべると、丸太のような腕を大きく振り上げ、取り囲む傭兵に襲いかかった。

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