第三章

Prologue:天敵

 視界が明滅する。それは、僕の魂が矮小であると否が応でも感じさせる光の風だった。


 終焉騎士団は己の職務を浄化と謳っている。

 もしも本当にこれが浄化なのだとしたら、この魂を燃やす熱は、痛みは、恐らく僕の重ねた業を雪ぐためのものなのだろう。


 二度目の生はこの世界の根本的なルールに反している事は知っている。だが、それでも僕は死にたくなかった。

 特に野望があるわけではない。しかし、自分の死をあっさり受け入れるには余りにも悔いが残りすぎていた。


 それは風であり、波のようでもあり、そして太陽のようでもあった。

 白く明滅する視界の中、既に消え去った手足を必死に動かし、正しいあり方に戻そうとしてくる力に抗う。


 死のエネルギーを集めた。どんどん自分の力が強くなってくるのを感じていた。

 だが、それはただの気の所為だった。この力が人間一人によるものだとしたら、僕が今まで生き長らえていたのはただの幸運だったとしか言いようがない。


 ああ、この世界の、なんとアンデッドに厳しい事か。


 存在が消え去る。人生を想起する間もなくかき消される。意識が消え去る。

 一度目は奇跡的に蘇った。二度目はセンリに助けられた。だが、三度目は恐らくない。


「――――――――ッ!」


 咆哮しようとするが、既に声は出ない。そして、僕はあっさりと死んでしまった。





§




 そして、僕はベッドの上で飛び起きた。


 完全に近い闇。窓は持ち込んだ遮光カーテンにしっかりと覆われ、月明かりの一筋も入ってこない。

 頭がずきりと痛み、僕は激しく鳴る心臓を押さえながらゆっくりと室内を見渡した。


「はぁ、はぁ、はぁッ……クソッ、また……あの夢だ……」


 下位吸血鬼は汗をかかない。もしも汗をかくことが出来ていたら、僕は全身冷や汗でぐっしょり濡れていただろう。

 呼吸も本来必要ない物だ。荒い息が出ているのは、生きていた頃の名残のようなものだった。


 目をつぶり集中すると、自分の昏き魂を感じられる。手が、足が、全身が震えていた。

 だが、それは生きている事の証明だ。もしも眠っている間にそれが起こっていたら、僕はこうして恐怖することもできずに死んでいた。




「エンド…………また、あの夢を」


「ああ……でも、大丈夫だ。そろそろ慣れてきた」


 隣で身を丸めるようにして眠っていたセンリがゆっくり身体を起こし、僕の腕を掴む。無防備な寝巻き姿のセンリが見える。


 突然のエペの襲撃から既に一週間近くが経過していた。


 僕の生活は少しだけ変わった。


 まず、夜に眠るようになった。次に、眠る時もセンリが寄り添うようになった。

 もちろん、一時的な処置なのだが、センリが側にいると見る悪夢が少しだけマシになる。それに、もし仮にまたあの攻撃が放たれたとしても、すぐに血を貰い耐える事ができる。


 あの光の風から僕が生き延びる事が出来たのはただの幸運だった。

 僕が起きていて、そしてすぐ近くにセンリがいた。その二点が僕の命を救った。


 眠っていたら抵抗する間もなく死んでいた。近くにセンリがいなかったら、死にゆく中で血を吸い、浄化に対抗することができなかった。



 センリ曰く、あの技は『解放の光ソウル・リリース』と呼ばれる終焉騎士の最も基本的な技の一つらしい。


 本来、最下級のアンデッドを殺すくらいしか使われないらしいその技は下位吸血鬼である僕の魂を蝕み、あと一歩で浄化するところまでもっていった。

 それも、僕たちとエペの間にはかなりの距離が開いているはずなのに、である。

 昼はセンリが、夜は僕が、全速力で走り距離を取ったのだ。たとえ馬車を使ったとしても追いつけるわけがないのだ。


 そしてそれは、滅却のエペの力が僕の想定を……そして、センリの想定までも、遥かに超えている事を意味していた。


 センリの身体から漂う甘い血の匂いに、僕は大きく深呼吸をする。

 緩やかな寝巻き姿。露わになっている首筋は明かりもないのに、艶かしく輝いている。こちらを慮るように身を寄せてくれるのはありがたいのだが、悪夢を見た後は少しだけ吸血衝動が強くなるので、我慢するのは大変だ。


 まさか二度も命を救ってもらったのに押し倒して血を吸うわけにもいかない。


 センリが囁くように、僕を落ち着かせるように言う。


「大丈夫…………安心して、エンド。あれほどの広範囲で、エンドを殺せるような力を照射した師匠は……かなり無理をしたはず。祝福の力は消耗する、二度目は……ないはず」


「そうだ。確かに、そうだ。…………ありえない。二度目の攻撃は、ありえない」


 自分に言い聞かせる。それがただの気休めに過ぎないとわかっていた。


 エペは――あの男は、僕の天敵だ。


 センリは素晴らしいパートナーだ。彼女は公平で、優しく、他者のために自分を投げ打てる慈悲の心を持っている。

 そして、だからこそセンリを奪われたエペはそのプラスを打ち消すような恐ろしい力で僕を殺そうとしている。


 無理をしたというセンリの言葉は本当だろう。あんな力をデメリットなしで扱えるならこの世界からはとっくにアンデッドが消え去っているだろうし、あれから一週間が経った今も二度目の攻撃はない。


 だが、同時に――二度とあの攻撃が行われないとも思えない。


 カイヌシに始末を頼んでいたはずなのに、どうして自ら手を下そうと思ったのかはわからない。もしかしたらアルバトスが失敗の報告をしたのかもしれないし、成功報告がいつまでも来なかったことからしびれを切らした可能性もある。

 だが、多大な祝福を使う技だったとしても……再びそれが可能になれば、あの男は実行するだろう。センリが帰ってくるまで、何度でも。


 怖い。逆鱗に触れてしまった。今からセンリを返そうかとすら思ってしまう。センリは既に僕にとってなくてはならない存在だが、その人生を歪めてしまった自覚もあるのだ。

 だが、返したところできっとエペは僕を許さない。


 敵として殺す、から、慈悲を以て浄化するに変わるくらいが関の山だ。どちらも御免こうむる。


 今のところあの攻撃に対抗する術はない。何しろ、敵の姿が見えないのだ。


 僕にできるのは、エペの攻撃範囲外まで逃げる事と、一刻も早く力を蓄え吸血鬼に変異する事だけだった。

 思い出すと今でも震えが止まらない。思わず及び腰になってしまいそうな自分を、隣のセンリを見て奮い立たせる。


 彼女は僕を生かそうとしてくれている。なんとしてでも……逃げ切らなくては。


「ありがとう、大丈夫、落ち着いたよ。センリは……もう少し寝た方がいい。朝に移動しなくちゃならないんだから」


「問題ない。…………血は、大丈夫?」


「大丈夫。ああ、まだ……大丈夫だ」


 自制心は必要だ。吸血鬼の本能は僕を飲み込もうとしている。

 センリに見捨てられたら、僕は今度こそ本当の怪物として生きる事になる。


「そう。ならいい。おやすみ、エンド」


 センリが身を横たえるのを確認し、僕もベッドに横になる。すぐ近くからする美味しそうな匂いに、僕は眉を顰め舌を噛んだ。

 手をそろそろと伸ばし、センリの手を見つけ握りしめる。センリは一瞬震えたが、力を込めて手を握り返してくれた。



 旅を、しなくてはならない。目指すは人の手の届かない場所だ。

 エペの力は異常だ。超長距離からの攻撃で死にかけたのだ。もしも万が一遭遇でもしたら、その時こそ死は免れない。


 だが、それ以外にも懸念点が一つあった。


 繋いだセンリの少しひんやりした手から、動脈を流れる血の動きが感じ取れた。頭の中が熱くなる。


 おかしい。おかしいのだ、僕は随分センリの血を吸った。


 吸血鬼は血を吸うことで力を高める。センリ曰く、僕の身体能力は既に『吸血鬼ヴァンパイア』に匹敵しているらしい。

 実際に僕の膂力は全力を出していないアルバトスを少しだけ凌駕していた。それは、僕の持つ負の力が吸血鬼にかなり近い事を意味している。

 

 だが、僕は――まだ吸血鬼ヴァンパイアに変異していない。



 ロードは僕に才能が有ると言った。

 定期的に貰っているセンリの血は間違いなく最高品質で、魔獣だって数えきれないくらい殺している。

 変異したっておかしくないはずなのだ。いや、逆だ。ここまで生き延びたのに、まだしていないのが……なにかおかしい。


解放の光ソウル・リリース』は強力なスキルだが、効きはアンデッドの種類によって違うらしい。


 簡単に言うと、頑強な肉体を持つ者には効きが悪い。霊体系のアンデッドに最もよく効き、魂がむき出しになっている下位アンデッドにも効き、そして――『吸血鬼ヴァンパイア』になると目に見えて効果が薄い。


 下位吸血鬼は蛹だ。だから――下位吸血鬼の持つ負の力を埋めるような『解放の光ソウル・リリース』はまず考えられないらしいが――あそこまで効果が出てしまった。吸血鬼になればとりあえずあの力で滅される可能性は低下する。


 なんとしてでも力を蓄えねばならない。あらゆる手段を使わねばならない。

 エペになぶり殺される、その前に。


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