第一話:隊商

 がたんごとんと強い振動が身体を揺らす。遮るもののない夜空には満天の星が輝いていた。


 そろそろ冬季が近づいているようで、湿った風が毛を撫でる。僕は大きく伸びをして、センリの膝の上で尻尾を振った。


 センリが優しい手付きで僕の背を撫でた。冷たい風も艶のある毛皮を持つ僕にとってはなんのそのである。まぁ、そもそも吸血鬼にとって気温の変化なんてないようなものなのだが……。


「へぇ…………嬢ちゃん達、ロンブルクまで行くのか…………何しに行くつもりだ? あそこは嬢ちゃんみてえな人間が行く所じゃねえ……あそこは……最前線だぞ」


「……戦いに行く。私はこれでも、剣を使える」


「へぇ……そんな細腕で剣、だって? ……余程の自信家か命知らずかのどっちかだなぁ」


 頬に深い傷の入った荒々しい雰囲気をした男だった。

 じろじろと下卑た視線がセンリの身体を這いずり回る。僕は膝の上で尻尾を振りながら高い声で威嚇の鳴き声をあげた。


 僕の叱責に、汚らしい格好をした男がかっかと笑うと「頼りになりそうな騎士ナイトだな、だがそんな綺麗な犬、ロンブルクに連れて行ったら一週間持たず食われちまう」と言った。


 あいにく僕は騎士ナイトではなく男爵バロンである。




 犬扱いされるのに慣れ始めて早一月、僕とセンリは大規模な隊商に合流し、大陸を北に進んでいた。

 前方にも後方にもどこまでも続く馬車と人、そして明かりは空から見下ろせばまるで一つの群れのように見えるだろう。


 このご時世、街の外は危険だ。魔物もいるし、盗賊だって出る。

 僕やセンリ程強ければ安全に街と街の間を移動できるが、大多数の人間にとって街の外の移動は命掛けだ。


 だから旅人やまともな護衛を雇うお金もない商人は、街の外を出る時に大規模な隊商を組む。

 弱肉強食の世界で人の地位は決して高くない。群れなければ生きていけないのだ。


 人間社会は持ちつ持たれつだ。センリや僕のような戦闘能力を持つ者は馬車などの移動手段と旅の間の食事、そして少額の報酬でそれらの隊商に雇われる。

 いくら戦闘能力を持っていても少数より多数で組んだ方が安全だから、長距離を移動する上では互いにメリットが大きいのだ。


 もっとも、僕たちの場合は少しだけ事情が違った。


 下卑た傭兵の男にぱたぱた尻尾を振り抗議する僕の頭を、センリが撫でる。


 隊商に合流するというのはセンリの案だ。

 僕とセンリ二人ならば馬車を使うよりも走った方がずっと早い。僕には疲労もなく馬よりもずっと速いし、センリは背負えばいいのだから、逃亡する上でこれ以上の手段はない。

 だが、女性一人の旅人はとても目立つ。僕が人間形態になったとしても、それでも目立つ。街の外ならば平気だが、街に入ったり関所を通るには門を潜らねばならない。終焉騎士団の手がどこに伸びているのかもわからない。人を隠すのならば人の中というわけだ。


 僕達は隊商の半ばに編成されていた。先頭と後ろが一番戦う確率が高いのだが、センリは見た目が華奢な女の子だし、僕は犬なのでそこを考慮されて安全な真ん中に配置されたのだ。


 それでも、女性の傭兵は少ないためだろう、他の傭兵達が暇つぶしにセンリにつっかかってくるのに僕は立腹していた。


 一度手を捻り上げられてから触れてくる事はないのだが、その舐めるような視線だけでセンリが汚れてしまいそうだ。


 だが、残念ながら僕は昼間はケージだし、夜は外に出してもらえるが人型になるわけにはいかないのでどうにもならないのである。大きな犬だったら警戒くらいさせられたのかもしれないが、威厳がなさすぎる。


 おまけにそれだけでなく、僕は隊商に合流してから、この美しい毛並みに魅入られた無頼漢共にもう三回も攫われており、その度に編成の場所を変える羽目になっていた。犬も立派な財産なので盗んだら犯罪なのだが、どうやら犯罪を侵してでも手に入れたい程僕は愛らしいらしい。


 隊に所属する商人からも何回も買い取り交渉もきており、その度に僕の優越感が少し満たされたのだが、センリは少し辟易しているようだった。交渉で出される値段も少しずつ上っていっているので、このままでは次あたりで売り飛ばされてしまうかもしれない。


「バロン、誰にでも尻尾を振りすぎ」


「くーん」


 僕だって振ろうと思って振っているのではない。何故か振ってしまうのだ。犬の身体の神秘である。




§





 僕達は次の目的地を一つの辺境の街に定めた。


 ロンブルク。人間と魔物が生息域を巡りしのぎを削る要塞都市である。血と鉄の街とも呼ばれる、この大陸で最も激しい戦場とされる場所だ。


 その都市を目的地に決めた理由は三つあった。

 まず一つ目の理由が、ロンブルクがこの大陸の終焉騎士団の本部と離れており、エペがやってくる可能性が低い事。

 二つ目の理由が、戦闘を繰り返す事で僕の変異を促進できる上にお金も貰える事。

 そして三つ目の理由が――いざという時に、魔王の縄張りに逃げ込めるという事。


 噂ではロンブルクは最も恐ろしい都市であると同時に、最も技術力が発展した都市であり、人魔入り交じる魔境らしい。

 人を隠すなら人の中、魔を隠すなら魔の中。永遠に住み着くつもりはないが、とりあえずの目的地としては最適だろう。


 問題はロンブルクがとても遠い事だ。


 ぱちぱちと焚き火が燃えていた。具材がごろごろ入った鍋が火に掛けられ、いい匂いが立ち込めている。街の外なのに、そこにはまるで街の酒場のような賑わいがあった。

 隊商は計画的に動いている。馬も人もアンデッドと違ってヘタれるので、水場での定期的な休憩が不可欠なのだ。


 傭兵たちは獣や魔物の襲撃がないか交代に立っている。センリもローテーションに組み込まれているが、僕はあいにく愛玩犬なのでローテーションには含まれていない。含めてくれない。


 だが、その間、僕は僕にしか出来ない仕事をするのだ。





「ばろーん、いい子にしてた?」



「きゅーん」


 休憩に入ると、商隊を成す家族の子どもたちが目をキラキラ輝かせて集まってくる。

 隊商に犬は少ない。いたとしても、アルバトス程ではなくとも、戦闘にも使えるたくましい犬ばかりだ。どうやらこの可愛らしい子どもたちは、僕に餌をあげたくてあげたくて仕方がないらしい。

 中には、自分の分の干し肉や、貴重なはずの甘いお菓子を持ってくる子もいる。親の商人たちも優しい目でその様子を見守っている。



 やれやれ、仕方ないな……。僕は小さく鳴くと、尻尾をぶんぶん振りながらそれに立ち向かった。

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