第二十一話:罠②

「ッ!!」


 金に輝く瞳が闇の中を高速で飛び回る。壁を、天井を床にして、凄まじい速度で襲来する鉤爪による一撃を、センリは剣で迎え撃った。


 センリの剣はただの銀で出来ているわけではない。その剣の材料は――祝福された聖なる銀だ。

 時に聖銀ミスリルなどと呼称されるその希少金属は、闇に対してただの銀を越えた威力を誇り、且つ遥かに硬く、そして――祝福や魔力が非常に伝達しやすいという性質がある。

 終焉騎士団以外で持つ者は滅多にいない代物だ。


 金の眼が驚愕に見開かれる。一撃を軽々と弾き飛ばし、そのまま距離を詰める。


 死角から襲いかかってきた一撃には速度が乗っており、初撃と同等以上の重さが乗っていたが、今のセンリの身体能力はいつも以上に強化されている。

 『循光じゅんこう』は祝福を体内に高速で循環させる事で、闇の眷属と同等以上の身体能力を発揮する技だ。


「ッ……クソッ……!」


 僅か一撃で力量差を察したのか、アルバトスが逃げに走る。


 初戦時は、センリの能力はかなり低下していた。直前にエンドに血をあげすぎたせいで、少し頭がくらくらしていたのもあるし、何より祝福の量が大幅に減っていた。


 それは、特別祝福の扱いに長けているセンリにとってこの上ないハンデである。

 『循光じゅんこう』の強化度合いも祝福量に依存している。今のセンリはあの時のセンリよりもずっと強い。


 身体が軽い。部屋は薄暗いが、センリには室内の状況が鮮明にわかった。

 細く糸状に引き伸ばした祝福を張り巡らせる事により、今のセンリはもう一つの感覚を得ている。


 広域探査術――『広糸こうし』だ。今のセンリ・シルヴィスに死角は存在しない。


 後ろから飛来する十字剣を身体を回転させて弾き飛ばす。濡れた剣身から飛沫が飛ぶが、それを最低限の動きで回避する。

 飛沫の当たった場所が音を立て、変色するのがわかる。聖水じゃない……毒だ。吸血鬼ヴァンパイアに効かないはずの代物である。

 

「強がりでは……ないらしい、な」


 鬱屈したような声が耳に入り込んでくる。その間も、攻撃の手は止まらない。

 探査範囲を広げると、そこかしこに目視出来ない程細い糸が張り巡らされている事がわかった。罠だ。


 カイヌシの一撃は今のセンリにとってあまりにも軽かった。だが、掠り傷でもつけられれば、その剣に塗られた毒がセンリの身体を蝕むだろう。


 戦い方を……わかっている。終焉騎士は祝福によって闇の眷属に匹敵する身体能力を発揮するが、中身は人間のままだ。アンデッドには効かない毒が効くし、再生能力も吸血鬼と比べれば大きく落ちる。体力も無尽蔵ではない。


 だが、問題はない。振り下ろされる十字剣を、力を込めた一撃で弾き飛ばす。十字架を模した刃は細く、あまりにも脆い。剣と剣で打ち合うようには出来ていない。全力で打ち合えばへし折れかねないピーキーな武器だ。


 そして、カイヌシもそれを理解している。十字剣を自ら離したカイヌシは流れるような動きで新たな武器を抜きにかかる。

 カイヌシを追撃しようとしたところで、背後から、壁と天井を駆けたアルバトスが、斜め上空から飛びかかってくる。センリは舌打ちをして、そちらへの対応に追われる。


 ――強い。


「人間狩り……厄介なものだな」 


 でも……この程度ならば問題はない。


 刃に祝福を通す。剣身の延長線上に急激に伸びた光の刃を、アルバトスが身を捩るようにして回避しようとして、更に伸びた刃がその脇腹を掠める。


 アルバトスの表情が一瞬だけ、苦痛に歪んだ。くるくると空中を回転し、地面に着地する。赤黒い液体がぽたぽたと床に落ちる。

 光の刃は物理的な破壊力を伴っている。長時間の維持は困難だが、強力な技だ。


光刃フォトン・ブレード』。

 師の奥義である、『滅却フォトン・デリート』の前身である技でもある。


 拡張した知覚の中、ふと糸の一つがピンと張られる。死角を含む四方から飛んできた銀の矢を、センリは無防備に受けた。

 まるで鉄板でも貫通したかのような太い音が連続で上がる。


 カイヌシが初めて唸り声を上げた。


「…………さすが、エペの教え子。怪物、か」


「矢なんて……通る訳がない」


 祝福で強化された服に弾かれた矢が床に転がる。闇の眷属相手には力不足になりがちな防御術も、対人間の武器くらいならば問題ない。

 いや、そもそも、十字剣程度の攻撃じゃ、祝福を纏ったセンリにはかすり傷一つつけられないかもしれない。


 カイヌシが銃を抜き、目にも留まらぬ速さで発砲する。

 連続で飛来した弾丸を、センリは剣を使って全て切り払った。真っ二つにされた銀の弾丸が絨毯の上を転がる。



「…………アルバ、これは厄介だな。戦闘モードだ。陣形Bで行く。奇襲だ」


「ッ…………」



 アルバトスの眼が大きく見開かれた。その心臓が大きく鼓動し、細腕がみるみる膨張する。

 全身に黒く艷やかな毛が生える。膨れ上がった筋肉にドレスが千切れ、その切れ端が落ちる。


 追撃する手もあった。だが、センリは一歩後退った。



 ――呪い付き。



「終焉騎士ならば、良く知っているだろう。最初期の始祖アンセスター、『獣の王リュコス』の有する固有能力――狼人ウェアウルフを」


 狼人ウェアウルフ。吸血鬼と戦うならば学ばねばならない相手だ。

 一歩後ろに下がる。顔が歪み、骨格が歪み、その魂が野生に帰る。人から狼への変身は何度見ても悍ましい。


 『獣の王リュコス』は最も古くから存在し、そして最も有名な始祖アンセスターの一体だ。


 吸血鬼の持つ数々の特殊能力の一つに、狼に変身する『狼化』と呼ばれる力がある。

 本来は自らの身を獣に変えるだけだが、その始祖アンセスターは更にその能力……呪いを『眷属』に移す力を持っていた。

 かの始祖に噛まれた者は、絶対服従で強力無比な狼人ウェアウルフと化す。


 『獣の王リュコス』には数え切れない程の配下がいた。

 始祖本体は既に消滅しているが、その力を継承した眷属達は世界中に広まり、今に至るまで多くの終焉騎士を苦しめている。


 センリも何度か戦ったことがあった。

 だが、目の前で変身を終えたその姿に、センリは一歩後退る。

 


「狼じゃ……ない!?」



 闇の中、荒く呼吸をしていたのは黒い大きな犬だった。明らかにこれまで見てきた狼人とは違う。

 体つきも顔も違うが、何より異なるのはその瞳にまだ確かな理性が存在している事だ。


 狼人は皆、変身時には獣の野性に飲み込まれるが、アルバトスはすぐに襲いかかる事なく、警戒したようにセンリを睨みつけている。


 カイヌシが声を殺して笑う。



「哀れなものだ。狼人ウェアウルフの呪いを参考に更に変質させようと考えた……馬鹿がいたらしい。犬人ウェアドッグとでも言ったところか。アルバは唯一の――被害者だよ」


「ッ!?」


 まるで黒い風だった。足音一つなかった。襲いかかってくる爪を剣で受ける。

 人型の時も人外の膂力を誇っていたが、獣に変わったアルバトスの一撃はそれよりも更に重く、そして速い。唯一人間時と変わらない金の双眸が大きく見開かれ、至近からセンリを覗き込んでいる。


 光の刃が毛皮に覆われた身体を浅く切り裂くが、血は溢れない。再生したのか。

 狼人の弱点は銀だ。アンデッドと違い、純粋な正のエネルギーではダメージは受けない。


 光の刃を消し、聖銀の刃で斬りかかる。だが、アルバトスは閃光のような一撃を、前足の爪で器用に捌いた。四本の脚で着地し、旋風のような速度で消える。


 深く呼吸をし、体内に循環する祝福を更に回転させる。知覚範囲を広げる。

 受けた限りでは、力はまだこちらが上だ。だが、敏捷性では負けている。狼人は純粋な身体能力では吸血鬼を凌駕する。犬人も大きく変わらないはずだ。

 一撃で決める。背後で佇むカイヌシは、センリに向けて構える事もなく、淡々と言った。


「アルバを変えた始祖アンセスターは、死んだ。呪いは、失敗だった。力を使った瞬間に、自壊したのだ。未熟な死霊魔導師の手で作られた者の末路としては……ありがちだな。そして、アルバはたった一人の犬人ウェアドッグとなった。なぁ、哀れに思わないか?」


「……」


 耳を貸してはならない。全身が黒い毛皮のアルバトスは闇に紛れる。視覚で察知するのは難しい。集中しなくては――。

 だが、カイヌシの声が自然と耳に入ってくる。


 カイヌシが小さく嘆息し、ネタばらしでもするかのように言う。


「匂い、だよ、エペの申し子よ。私が使ったのは、匂いだ。狼人は身体能力に特化しているが――彼女は代わりに嗅覚が鋭い。ただの犬よりもずっと……な。彼女は匂いを、気配を、嗅ぎ分ける」


「既に気配は覚えた。アルバが生きている限り、どこに隠れようと、どれほど離れようと、絶対に逃れられんぞ。アルバは、己をそのように変えた吸血鬼を深く……恨んでいる。くっくっく、呪いも……使いようというわけだ」



 厄介な能力だ。逃げる立場であるエンドにとっては最悪に等しい。

 そして、それほどの力ならば……代償も大きいはずだ。


 カイヌシが部屋をゆっくり歩く。そちらに意識を集中しつつ、アルバトスを警戒する。

 爪の一撃を受けるわけにはいかない。剣を失い地面に引き倒されれば小柄なセンリは圧倒的に不利になる。



「彼女は呪いで…………昼間は、人の姿に戻れない。そして…………少しずつだが、力を使う度に彼女は、完全な犬に近づいている……いずれ、元に戻れなくなるだろう。彼女こそが、お前が守るべき弱者ではないのか? お前は本来救うべき者に、剣を向けようとしている」


「…………解呪は」


「吸血鬼の呪いは解けん。だから、終焉騎士団は被害者を浄化していると考えていたのだが……違ったかな?」



 正論だ。唇を噛み、自らを奮い立たせる。


 だが、撃退の手を緩めたりはしない。確かに哀れな境遇だろう。

 だが、アルバトスを生み出したのは別の吸血鬼だ。エンドではない。


 カイヌシを睨みつける。不思議な名前だとは思っていたが……飼われていたのはアルバトスだったのか。


 そもそも、力の使用で徐々に野性に飲まれるのならば、戦わせるべきではないではないか。


「……貴方は、それを利用している」


「そうだ。だが、利用というよりは――協力関係にあるというべきだ。吸血鬼を狩る事は彼女の意思だ。それに――――弱者は、群れなくては、な」


 カイヌシが深い笑みを浮かべ、地面に落ちた十字剣を拾う。



 そこで、センリは今更ながら、気づいた。


 遅すぎる。アルバトスが……襲ってこない。作戦にしても、あまりにも――。



「私が、お前の同情を引くために、ぺらぺら喋っていると、思っていたのか?」


「ッ…………!!」



 駆け出すセンリの眼の前に、黒い糸が張り巡らされる。銀の糸ではない。対人を想定した、鋼の糸だ。

 続いて、何か軋む音と共に、四方から矢が降り注ぐ。それを、センリは祝福を噴出し無理やり動きを止め避ける。


 最初に無防備に受けた時とは風を切る『音』が違った。回避した黒の矢は深く半ばまで突き刺さっていた。

 祝福で強化していたとしても、無防備に受ければ無傷ではいられない。


 それもまた、対人――もっと細かく言えば、対終焉騎士を想定したものだった。ただの人間を狩るのならば不必要な威力だ。


 失敗した。無意識にその可能性を除外していた。なぜなら――。


「ありえ、ない……貴方を、見捨てたの?」


 呆然と呟く。

 戦闘モード。陣形B。奇襲。全て、ブラフだった。


 カイヌシ一人では、センリはとても抑えきれない。二人でぎりぎり拮抗できていたのだ。戦力差は明白だ。

 あらゆる手段を使おうと、時間稼ぎにしかならない。センリと一対一で対峙すれば、カイヌシは間違いなく死ぬ。


 矢の一本が、部屋の隅に突き刺さっていた。そこから、白い煙が流れ、緩やかに部屋に満ちる。


 その真ん中で、カイヌシが眉を顰め、心外そうに言い放った。



「我々は、吸血鬼狩りヴァンパイア・ハンターだ。それに命を掛けるのは当然だ」

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