第二十話:罠
いい屋敷だ、とカイヌシは表情を変えずに思った。
それなりに広く、家具は揃っていて隠れる場所が沢山あり、そして何より――近くに民家がない。
彼我の差はそれこそ隔絶したものだ。常人がいくら筋肉を鍛えても、戦闘技術を修めても、その
その忌々しい怪物に力技で立ち向かえるのは祝福された終焉騎士か、さもなくば――同等の呪いを受けた者のみである。
もしも原初の
幸い、現在の吸血鬼には多数の弱点がある。人の歴史とはアンデッドとの戦いの歴史だ。
吸血鬼の恐れる十字架を極めて精密に再現した十字剣。にんにくと銀粉を混ぜた爆弾に、使いやすく整形された木の杭。聖水と銀で整形された帷子は擬似的に祝福の鎧を再現する。
研鑽され発展してきたアンデッド殲滅用の道具は、ある程度のアンデッドならば害虫を駆除するかのように滅ぼす事ができる。
アンデッドは滅ぼすべき存在だ。例外は――ない。
相手は言語を解し、人の道具すら使いこなす。同情すればつけ込まれる。特に、吸血鬼は、最弱のアンデッドであるゾンビの持つ『感染』を任意で起こす力がある。ともすると、人間よりも遥かに簡単に奴らは増殖する。
今回のターゲットは厄介な相手だ。
ターゲットの吸血鬼の特性も普通と異なるが、何よりも元終焉騎士の護衛もついている。滅却のエペがカイヌシに依頼したのも当然と言える。
カイヌシとアルバトスは
相手は、『
今宵は満月だった。吸血鬼が最も力を得る時だ。だが、だからこそ油断が得られる。
ターゲットの次の行動が読めたのは僥倖だった。人間の頃の記憶を持っているというのも、厄介なものだ。
あの悍ましい怪物は哀れなことにまだ自分が人間のつもりでいる。何という悲劇だろうか。
父親であるらしい領主は、快くカイヌシの脅しに応えてくれた。
入念に準備を加えた屋敷は、一見何も変わらないように見えるが、対吸血鬼用の要塞と化していた。いや、要塞というよりは――処刑場と呼ぶべきか。
吸血鬼の弱点には致命的なものが多い。多少頭が回ったとしても、一度罠に掛ければそれで終わりだ。隙ができればそこから畳み掛けるように一気に殲滅まで持っていける。
吸血鬼を殺すためならばあらゆる手を尽くす。それが吸血鬼狩りの本分だ。
一度は逃した。状況が悪かった。だが、二度目はそうはいかない。一度目の交戦で学んだのは、吸血鬼側だけではないのだ。
屋敷の奥に身を潜め、獲物がかかる時を待つ。領主がカイヌシの指示に従ったのならば、間もなく現れるはずだ。
そして、その時が来た。
鍵を開き、扉が静かに開く音が続く。小さな足音が真っ直ぐこちらに向かってくる。緊張することなく、ただ影のように身を潜める。
行動を起こすことなく、ただ吸血鬼を受け入れる。完全に部屋に閉じ込めなくてはならない。
吸血鬼の力は屋内では著しく制限される。吸血鬼は眠るのに日の当たらない部屋を必要とするから、この場所までやってくるはずだ。
まさかカイヌシが潜んでいるとは思わないだろう。ばれているのならばわざわざ踏み入ってくる理由がない。
体臭は特殊な香草で消してある。相手は油断している。部屋の外から気づかれる心配はない。
唇を歪め、深い笑みを浮かべ狩りの時を待つ。そして、カイヌシの潜む部屋の扉が大きく開かれた。
現れたのは、カイヌシの想像通りの相手だった。
だが、本来随伴しているはずの存在がいない。
銀の髪と紫の眼を持つ『滅却』の秘蔵っ子は部屋の中に躊躇いなく踏み込むと、机の影に隠れ見えるはずのないカイヌシに向かって声をあげた。
「待っても、無駄。エンドは…………来ない」
バレている。カマをかけているわけではない。
どうやら、想像していたものとは大きく状況が変わっているようだ。カイヌシは影から立ち上がり、眉を顰めて、世間知らずの姫を見た。
§
センリ・シルヴィスは吸血鬼狩りについてあまり詳しくない。だが、恐るべき相手だという事はわかる。
かつて、まだ終焉騎士団の団員がほとんどおらず、祝福を有効活用する術が今程明確ではなかった頃、終焉騎士団と吸血鬼狩りは協力関係にあったらしい。
センリが終焉騎士になった時は既にアンデッド狩りといったら終焉騎士団だったから、協力して任務にあたった事はなかったが、実際に目の当たりにしたその手口には終焉騎士とはまた違った強かさがあった。
二級騎士を前にして、カイヌシと名乗ったその男は動揺の一つも見せなかった。
「投降しに来たのか。あるいは、交渉か。いいだろう、私の目的はお前だけだ。大人しく投降するなら、あの吸血鬼は逃してやろう」
「ッ…………馬鹿に、しないで」
眉を顰め、そのどこか得体のしれない男を睨みつける。
センリにだって、その言葉が嘘である事くらいわかる。眼の前にいる男はそこまで甘い男ではない。少なくとも一度嘘をついた男を信じる程センリは純粋ではない。
睨みつけるセンリに、カイヌシは小さく嘆息し、ぐるりと辺りを見回す。柱時計が、今の時刻が真夜中である事を示していた。朝まではまだ数時間ある。
「貴様がここにいるということは、男爵が裏切ったのか……呆れた男だ。いくら息子とはいえ、死者を庇うような真似をするとは……重罪だ。家が惜しくないのか」
「何の話をしているのかわからない」
言いたいことは幾つかあったが、挑発に乗らず、センリはしらを切る。
ルドー・フォメットは、センリを呼びつけ、カイヌシの事を教えてくれた。その上で、センリにエンドの事を託したのだ。
貴族にとって家の存続がどれほど大切なことなのか、センリにはわからない。だが、そこには確かに親子の情があった。
逃げることも考えたが、その選択肢を取るわけにはいかなかった。
眼の前の男の追跡速度はあまりにも速く、あまりにも的確過ぎる。ここで潰しておかねば、終焉騎士や他の吸血鬼狩りと組まれたらとても対応しきれない。
「貴族の死体は強力なアンデッドになる。そんな言い伝えがある。眉唾だが、故に大多数の国では、貴族は火葬を義務付けられている。くっくっく、死体が流れたのがバレたら――フォメット男爵家は終わりだ。忠告だったのだが……やむを得んな」
「…………」
そこまで言い切ると、カイヌシがふと訝しげな表情をする。まるで責めるような口調でセンリに尋ねる。
「だが――前回も言ったが、わからんな。何故、お前があの吸血鬼の味方をする。まさか、本当に絆されたわけではあるまい。全く、道理に反している」
「……」
「血をくれてやった時点でもう十分義理は果たしただろう。まさか、永遠に見守るつもりか? あの男に寿命はない。アンデッド狩りの終焉騎士が、吸血鬼ではなく、私に剣を向けるつもりか?」
全く、忌々しい男だ。
恐らく、言葉での撹乱もその戦術の一つなのだろう。だが、その言葉は的確にセンリの懸念を突いていた。
確かに、エンドは危険だ。まだ正気だが、いつまで正気を保っていられるかもわからないし、いつセンリより強くなるのかもわからない。寿命の違いだってある。センリの見ていない所で他人の血を吸う可能性だってある。
だが、それでも、これまで見てきたエンドの姿はセンリの心を打っていた。
彼はとても臆病で、自ら本能に抗い、数奇な運命に翻弄されている。
寄り添い支えてあげたいと思った。剣を振るう理由などそれだけで十分だ。
腰から白銀の剣を抜く。終焉騎士団の証。冷たい輝きを持つ聖なる銀の剣だ。
これは……私の意思だ。
「私が、人を斬れないと……思う?」
終焉騎士団の敵はアンデッドだ。だが、アンデッドの中には人心を操る者だっているし、自らその配下に入った者だっている。
そして、吸血鬼狩りと争っていた歴史だってある。対人戦闘の経験は、対アンデッドと同じくらい積んでいる。
剣を構え睨みつけるセンリに、カイヌシは目を細めた。
「斬れんな。少なくとも、私のことは、斬れない。哀れな……吸血鬼の花嫁……なぜなら――」
「我々は…………お前と違って一人じゃない」
「ッ!!」
不意に後ろから飛びかかってきた黒い影を、剣で迎撃する。
受けると同時に後退し、衝撃を受け流すが、あまりにも重い一撃に剣が震え、手が痺れる。
襲いかかってきたのは黒いドレスの女だった。
年齢はセンリより幾つか下に見えるが、その一撃は細腕から繰り出されたものとは信じられないくらい強力だ。人間の腕力ではない。
闇の中、金の瞳が爛々と輝いている。アルバトス。センリが一度破れた少女は、闇の中、獣のような笑みを浮かべていた。
その両手に握られたのは鉤爪状の武器――クローだ。
変わった武器だ。吸血鬼狩りのはずだが、その爪は銀ではなくもっと硬い金属から作られているようで、前回はセンリの一撃を容易く受け止めてみせた。
センリよりもさらに小柄な身体はしかし、一挙一動が信じられない速く身軽で、純粋な体術ならばセンリを上回っているかもしれない。
それは明らかに人外の力だった。人間ならば祝福による強化を成されていなければありえない膂力だが、祝福を纏っている気配はないし、魔術を使っている気配もない。
ならば、結論は一つしかない。
呪い付き。吸血鬼とは異なる呪いにより、強化を受けた者だ。
吸血鬼が多数の弱点を持つように、呪いには代償が伴うはずだが、一度目の戦いでセンリはそれを見破る事は出来なかった。そもそも、すぐに突けない代償の可能性の方が高い。
退路を塞がれた。部屋にいなかったのは挟撃するつもりだったのか。
「一度、その腹に穴を空けてやったのを、忘れたのか、終焉騎士」
「とても腹に穴が空いている者の動きではないが……アルバ、話が違うぞ」
「もう一度、空けてやればいい」
アルバトスが身を低くし、黒く豊富な髪を震わせる。
カイヌシが腰の鞘から十字剣を抜く。吸血鬼と違ってセンリに十字架は効かないが、その所作からは並々ならぬ習熟が見えた。
「二人、連れ立って来ると思っていた。だが、一人ならばそれはそれで好都合だ。姫よ、お前はあの吸血鬼を――信じきれていないようだな。お前を捕縛すればあの男も釣れよう。釣れなければ釣れないで……くっくっく、目も覚めるだろう」
「……カイヌシ、貴方は、一つ勘違いをしている」
カイヌシが沈黙する。アルバトスが爛々と輝く瞳でセンリを見ている。
精神は充足していた。ひんやりした空気が頬をなでる。
体内に流れる祝福を加速させる。身体が強い熱を持ち、力が全身を巡る。
そして、それらを一気に励起させた。力が輝きとなり、センリ・シルヴィスを中心に強い風が渦巻く。
吸血鬼狩りの戦い方があらゆる手段と道具を使い弱点を突き罠にかける事だとするのならば、終焉騎士の戦い方は汎用性の高い生のエネルギー……祝福を使用した戦闘術によるものだ。
終焉騎士団において、三級騎士が二級騎士になる条件。
それは、限りある祝福を利用した三十六の基本技の全てを修める事である。
身体強化術『
脳まで巡った力が与える得体の知れない充足感を押し殺し、センリは光を纏い、二人を睨みつけた。
「あの時は……万全じゃなかった。貴方達二人を相手にするなんて……難しいことじゃない。信じて、いないわけじゃない……ただ、エンドがいると、全力で戦えない」
§ § §
『貴様、真面目にやっているのか!? まさか……小娘の色仕掛けにやられるとは。ああ、死者の王の器ともあろうものが……なんと情けない』
「う……る……さい……」
『あぁ、そんな状態になるんだったら、最初に女に気をつけるように教えるべきだった。ああ、何という無様だ。愚か者だ』
反論できない。だが、センリが悪いんだ。全部センリが悪いんだ。
全身が痺れ、身動きが出来なかった。痛みはともかく、動けない程の麻痺というのは初体験だ。
ベッドに仰向けに転がり、辛うじて廻る舌で、ロードの残滓に反論する。
ロードの幻はこれまでのように泰然としていなかった。まるで息子のできの悪さに呆れ果てたように額を押さえ、引きつった顔で首を横に振る。
てか、なんで出てきてるんだよ。もしかして、僕……死にかけてる?
アンデッドである僕には毒は効かないし、痺れ薬も睡眠薬も効かないはずだ。
だが、現にこうして僕は指一本動かすのがやっとの状態だし、今まで限界の時にだけ出てきたロードの幻が見える。意識があるのが本当に不思議だ。力が減じている気配もない。
『あの小娘、かなりの実力者だ。中枢だけが的確に麻痺している。誰も使わないようなマイナーな技を使いおって。だが、断じて言うが……あんな隙のある技を受ける貴様が悪い。恐らく、今生存しているアンデッドであんな技を受けた事のある者は貴様だけだ』
「……」
『油断しすぎだ。どこの世界に自分を噛ませる吸血鬼がいるのだ。たわけが。猛省しろッ!』
誰だよ、あんな酷い技を開発したのはッ!
だって、しょうがない。色々うまくいっていて、少し浮かれていたのは認めよう。
だが、僕はセンリを信頼していたのだ。首から吸血させてあげるとお誘いを受ければそりゃ受けてしまうし、抱き合い、耳元で「でもその前に私もエンドの事、噛んでいい?」とか囁かれたらそりゃ、いいよと言う。
まさかこんな酷い事をするような子だったなんて……裏切られた。結局、血も貰えてない。終焉騎士なんて大嫌いだ。
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