第二十二話:呪い

『ほら、さっさと動かんかッ! 阿呆がッ! 針で中枢をやられただけだ。この阿呆がッ! 傷を埋めろッ!』


「ぐ……うる……さい……」


 ベッドの中で必死に全身に力を入れる。少しずつ、少しずつだが、痺れが解けてきた。

 這いずりベッドの下に落ち、手をついて立ち上がろうとする。


 今の僕を突き動かしているのは怒りだった。センリに対する怒りだ。


 血をくれると言ったのに、あまりにも酷い嘘である。たとえ何か理由があったとしても、許されない。

 丁度、前回血を吸ってから十日が近くなり、そろそろ切れるかなーと思っていた所で言われたものだから、全く疑っていなかった。


 凄く嬉しかったのに、酷いよ……後で絶対にとっちめてやる。もう絶対に油断しない。


 痺れが徐々に回復しているのに、ロードの幻は消える気配がなかった。


『しかし、やはり貴様は――やはり、異常だ。才能がある。本来、このような短期間で――回復するような技ではない。その軟弱な精神さえなければ、最強の王となれたものを……』


 なら埋めろとか言うなよ。


 幻の癖に本当にうるさいロードだ。本物よりも口が回るんじゃないだろうか。

 そもそも、僕は最強の王など目指していない。僕が目指しているのは不戦の王だ。


 こうしている間も、僕の中の負の力は増し続けている。どうやら、生物を殺したり血を吸ったりせずとも少しずつ力は増しているようだ。

 それがアンデッドにとって一般的なことなのかはわからないが、ロードの口ぶりだと――僕には死者の才能があるのだろう。何が何でも生き延びたい僕にそんな才能があるなんて、何という皮肉だろうか。


 センリは僕の首に噛みつき、僕の中に一筋の細く深い穴を空けた。中枢まで穿った穴だ。そのダメージが、緩やかではあるが埋まりつつある。


 しかし、本当に酷い技だ。もっと、パンチとか攻撃でこの状態になったのならばまだ納得できるのに、センリの首筋の噛む場所を吟味していた時にやられたのだ。酷いよ…………。


『負の力を……生成、しているのか? よくもまあ、そんな肉体でその歳まで生き延びられたものだ……』


 ロードが訝しげな表情で言う。全く、彼は口だけ動かせばいいので、気楽なものだ。

 僕はその言葉を聞き流しながら、渾身の力を込めて、柔らかいベッドに手をついて立ち上がった。


「死んだから、ここにいるんだよッ……ああ、何とか、少し、動けるようになってきた」


 ふらふらする。まだ指先に痺れが残っているが、何とかなるだろう。


 しかし、センリは一体どうして僕をこんな酷い目に合わせたのだろうか。僕たちは今日、父さんの用意してくれた屋敷に移るはずだったのだ。


 僕を裏切ったにしては、麻痺させただけでいなくなったのが解せない。あの時、センリが僕にトドメを差すのは、赤子の手を捻るより簡単だったはずだ。


 センリを…………追わなくては。嫌な予感がする。万全ではないが、歩いている間に回復するだろう。ロードもいつの間にか消えていた。


 状況から考えて、センリは僕が父さんの屋敷に移るのを止めたかったのだろう。理由は本人に聞いて見ないとわからないが、考え得るのは……罠がないかどうか確認に行った、とかだろうか。あるいは、父さんがセンリに何か言った可能性もある。


 これまで見てきたセンリには自己犠牲の精神があった。

 だが、僕は生き延びるためにはなんでも使う覚悟だが、彼女一人に負担を強いるのは少し違う。


 鉈は――『光喰らいブラッド・ルーラー』は……どこだっただろうか。

 室内を見回し、壁に立てかけてある鉈を見つける。それを痺れが残る手で拾った瞬間、ふと窓から黒い物が飛び込んできた。


 意識の空隙を突かれた。何よりほとんど気配が感じられなかった。


 割れた硝子。飛び込んできた物に全身が弾き飛ばされる。手から『光喰らい』が離れ床を転がる。

 視界が激しく揺れる。床を数度バウンドし壁に叩きつけられ、転がる。僕は痺れの残る手をつくと、鈍い痛みを無視し、頭をあげた。


 飛び込んできたのは――身の丈一メートル半ほどの獣、黒い犬だった。もちろん、見覚えはない。

 暗闇に金の目が爛々と輝いている。


 直感でわかった。ただの獣ではない。まるで……怪物のような犬だ。


 なんでこんなひどい目に会うんだ……ただ、生きたいだけなのに。

 終焉騎士や吸血鬼狩りだけではなく、犬にまで襲われるなんて――。


 いや……違うッ! この臭い、どこかで――。


 思考しながらも、まだ正常に動かない腕を叱咤し、床に落ちた『光喰らい』に手を伸ばす。しかし、指先がその柄にふれる前に、黒い犬は前足でそれを弾き飛ばした。そのまま、太い足が僕の手の甲を踏み抜く。肉が潰れ、骨が折れるのがわかる。


 無理やり、肉が千切れるのも無視し、腕を抜いて、ごろごろ転がり立ち上がる。



 その時には、踏み砕かれ骨が飛び出ていた手の傷は治り、痛みも引いていた。



 あいにく、今宵は――満月フルムーン、夜の眷属が最も強化される時だ。僕の発揮できる力はいつもの比ではない。

 黒い犬が飛びかかってくる。大きく後ろ足で立ち、剛毛に覆われた右前足を叩きつけてくる。僕は真上から落ちてくるそれを、腰を落として受けた。


「ッ……!?」


 想像していたものとは異なる結果に、思わず息を呑む。


 みしりと両足が床にめり込み、身体が悲鳴をあげる。

 絶句し、上から押しつぶそうとしてくる力に耐える。


 凄まじい力だ。僕の身体が痲れているのもあるが、ただの獣の力ではない。僕が対峙したことのある全ての魔獣を圧倒的に凌駕している。何より、満月の僕の力にここまで肉薄するなんてありえない。


 ッ……舐めるなッ!


 腕を渾身の力を込めて横に振り、押しつぶそうとしていた前足を回避する。鉤爪の生えた右前脚は思い切り床を踏み抜き、しかし黒犬の動きは止まらない。左の前足、その先に生え揃った鋭い鉤爪が斜め上から襲いかかる。慌てて後ろに下がるが、爪の先が僕の身体を掠った。


 血が飛び散り、凄まじい力に後ろに飛ばされ、壁に叩きつけられる。傷はすぐに治るが、こいつは――。


 黒犬が床を蹴り、その巨大な顎とてらてらと輝く舌が迫ってくる。口の中には鋭く研がれた牙が生え揃っていた。吸血鬼の肉体は人間よりもずっと頑丈だが、無防備に受ければ噛みちぎられそうだ。


 横に転がり、噛みつきを回避する。顎が壁に激突し、巨大な穴を空ける。回避しきれなかった前足が僕の身体に鉤爪の数だけ深い穴を空ける。



 クソッ……。



 痛みを噛み殺し、脚を動かし強くその胴体を蹴り上げる。しかし、並の生き物ならば骨が数本折れてもおかしくない一撃は、その獣に何の痛痒も与えなかった。

 強い。『尖爪』を使用し、両手の爪を変化させる。連続で叩き下ろされる前足を転がり回避し、ナイフのように尖った爪でその毛皮に突きを放つ。


 手応えがあった。しかし、硬い手応えだ。指の骨が折れる。


 これまで様々な獣を突き貫いてきた爪が、半ばで折れていた。何という――体毛だ。反撃を後ろに下がり回避しようとしたところで、背が壁にぶつかる。ぎらりと輝く鉤爪が上から降ってくる。


 考える。鉈を手放してしまったのは問題だが、それ以上に狭い所で戦うのはまずい。

 こんな狭い場所で翻弄されれば圧倒的に不利だ。いくら吸血鬼でもバラバラにされ頭を潰されたら死ぬだろうし、僕の再生能力も無限ではない。


 腕を伸ばし、勢いのついた前足を受ける。力負けし、肉が、骨が折れるが、僅かな時間は出来た。

 床を獣のように這いつくばり、決死の覚悟で窓から身を投げ出す。二階だが、背に腹は代えられない。

 道行く人がいきなり窓から飛び出てきた僕に悲鳴を上げるが、気にしてはいられない。


 黒き獣は逃げゆく人々に目もくれず、躊躇いなく僕を追ってきた。

 腕の傷が治る。しかし、切り裂かれた服は直らない。せっかく買ったばかりだったのに――。


 広い場所なら恐らく僕の方が有利だ。眼の前の犬の正体は知らないが、さすがに再生能力は吸血鬼の方が上だろう。地面に落ちた拳大の石を握り、全力で投擲する。砲弾のようなそれを、黒犬は突進の速度を落とすこともなく、容易く弾き飛ばした。


 まるで猪だ。涎を垂らし、獣が僕を殺しに来る。

 へし折れた爪を再び再生、強化する。今度はより強力に、より鋭利に。


 ミシミシと肉体が変化する音がした。


 不気味に輝く金色の双眸が迫ってくる。

 良いだろう。僕を殺したいなら――殺してやる。


 覚悟を決める。地面をしっかり踏みしめ、僕は横薙ぎに放たれた右前足を左腕で受けた。

 ずしり、身体に強い衝撃が走る。だが、今度は身体は吹き飛ばない。左腕がミシミシ音を立てている。だが、平気だ。


 拮抗――いや、凌駕している。


「ようやくッ……痺れが……取れたぞッ!」


 そもそも、剛力で知られる吸血鬼が、しかも満月の夜に力負けするなど、冗談にも成っていない。


 顎がこちらを喰らいにくる。だが、いくら中身が違っていても、形は獣だ。狼との戦闘はロードの屋敷にいた頃に何度も経験している。迫る顎に向けて、尖爪で鋭利に尖った右手を窄め突きを放った。


 完璧に入った。真下から顎を撃ち抜かれ、巨体が空を跳ぶ。爪を伝い、どろりとした液体が指先に触れる。

 黒犬は大きく飛ばされ地面で数度バウンドすると――受け身を取り、四本の脚で立ち上がった。


 瞠目する。ありえない。顎を貫通したのだ、脳髄に至っていてもおかしくはない。


 血走った金色の眼。どくどくと顎から流れていた血が、不意に止まる。脚が地面を擦りその顎が低い唸りをあげる。


 これは――再生しているのか。ただの生き物ならば間違いなく致命傷になる傷を与えたはずなのに……。


 と、僕はそこで、先程得た違和感の正体に思い当たった。


 どこかで嗅いだ臭いだと思っていた。そしてこの驚愕の再生力。



狼人ウェアウルフ…………この臭い、お前……カイヌシの片割れかッ!」



 交渉の時、ずっとカイヌシの隣で僕を憎々しげに見ていた女だ。名はアルバトス、と言ったか。

 僕の言葉に、黒犬は反応を見せなかった。


 詳しい特徴までは知らない。だが、狼人は御伽噺などにもよく出てくるので、大まかな事は知っている。


 吸血鬼の手下。狼人は恐るべき魔性である。

 普段は人間だが、任意で獣に変化する力を持つ。怪力と瞬発力、凄まじい再生能力を誇り、吸血鬼と同様に月齢により能力を上下させ、銀の武器を弱点とする。


 だが、かの者が一般的な夜の眷属と異なるのはその生き物が――アンデッドではないことだ。狼人は呪われた存在だが、アンデッドではない。そのため、かの魔性は昼間も動くことができ、眠りに入っている吸血鬼を守るという。


 他にも、獣に変ずると理性の大部分を失うとか、満月の夜には強制的に姿が変わるとか色々な特徴があるが、しかしアルバトスが狼人だとしたら、幾つか疑問がある。


 一つ目の疑問は……カイヌシが吸血鬼ではない事だ。狼人とは一部の吸血鬼が生み出す物だったはずである。

 そして二つ目は……どう見ても眼の前にいるのは狼ではない。犬だ。


 カイヌシは近くにはいないようだ。近くにいたら、間違いなく二人合わせて襲い掛かってくるだろう。

 もしかしたら、センリはカイヌシの襲撃を察知していなくなったのかもしれない。


 まぁ、今は置いておこう。アルバトスは……怪物である僕向きの相手だ。

 確かに剛力と敏捷性、硬い毛皮による防御と再生能力は脅威だが、今の僕ならば相手ができる。勝てる。

 油断は出来ないが、今の交戦で僕は十分な勝ち目を感じ取れた。


 狼人ウェアウルフの物語の中での役割は中ボスか雑魚だ。彼らは吸血鬼の前座のようなものなのだ。


 爪に付着した血を舐め取る。アルバトスの血はセンリの物とは、肉と果物程違っていたが、悪くない味だった。


 流してすぐの血だったおかげか、頭がかっと熱くなり力が溢れる。アルバトスのあげる唸り声が激しくなる。

 戦闘と血に、精神が昂ぶっていた。爪を剣のように伸ばし、アルバトスに笑いかける。


「死にたければ、掛かってくるといい、アルバトス。僕はセンリのように手加減したりしないぞ」


 アルバトスは目を細めた。

 殺意の映った瞳。嗄れた声が上がる。


「るるッ…………ナメ、ルナ。ヴァン……パイア」


「!?」


 そして、次の瞬間――アルバトスの肉体が膨張した。

 一・五メートル程だった体高が一気に膨れ上がり、顎も、前足も、耳も、尾も、何もかもが脈動と共に、大きく拡張される。


 それは、呪いと呼ぶに相応しい驚嘆するべき変化だった。その四肢の先に生えていた鉤爪が大きく伸び、地面に深い亀裂を穿つ。生え揃った牙はより長く鋭利に、その金の瞳孔は獣のように収縮し、全身の毛が針のように逆立つ。


 でかいッ……なんだ、これは……。思わず、瞠目し、一歩後退る。


 変化したアルバトスは先程の倍の大きさを誇っていた。横幅も体高も、何もかもが倍だ。

 先程までは獣の範疇にとどまっていたが、今のアルバトスは屋台程の大きさがある。そして、その威圧感は倍どころの騒ぎではない。


 その前足はまるで柱だ。見掛け倒しじゃないのならば、受け止められる気がしない。

 これまで見たことのない黒き獣が、地面を踏み砕きこちらにその目を向ける。爛々と輝く瞳からは、先程まで感じられた理性と呼べるものがほとんど見当たらなかった。


 獣が高々と咆哮する。空気は震え、瓦礫が飛び、周囲の家屋の窓が割れる。

 手足が震える。先程まであった高揚感が吹き飛ぶ。そして、地面を踏み砕き、アルバトスが襲いかかってきた。 

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